31 フェリクスの不調
概ね無事に報告を終えた後、宰相親子は迅速に行動を開始した。
シュミット家主催で婚約発表のためのお披露目パーティーを開くことにしたのだ。
すべては一刻も早く正式に発表するため。
噂だけが広まって質問攻めにされたり、メアリに煩わしい視線が集まらないようにするためでもある。
シュミット家の親子はどちらもあまりパーティー自体に出席することがない。
そんなものに参加せずとも横の繋がり作れるし、情報も入ってくるからだ。
そのため、突然の知らせは貴族界を揺るがす大事件として広まった。
ただパーティーを開くだけなのに事件とは人聞きが悪い。
しかし、そんな周囲の声は完全に無視である。
準備は恐ろしいスピードで着々と進んでいた。
実のところ、婚約者をメアリに決めたと実家に知らせを送った時から、すでに下準備を進めていたのだ。計画に隙がない。
そんなパーティーが一カ月後に迫ったある日の朝、フェリクスは朝食の席でメアリに提案を持ちかけた。
「メアリ、今日は街へ行きませんか?」
本当はかなり前からずっと誘おうとは思っていたのだが、ノリス領に行っていた間に溜まっていた業務や、パーティーの準備などに追われて後回しになっていたのである。
(いや、それすらも言い訳だが)
実のところ、ここまで遅くなってしまった原因はフェリクス自身にある。
十歳も年下の女性をデートに誘うのを躊躇っていた、というのが一番大きな理由だ。
(自分がここまで臆病だとはな)
ヘタレであったことは本人も自覚している。
基本的に女性から断られる経験がほとんどないからこそ、拒否された時にどう対応すればいいのかわからないのだ。
とはいえ、別にフェリクスは打たれ弱いわけではない。
本来、ダメならすぐに諦めて思考を切り替えるか、別のアプローチを考えて相手の首を縦に振らせるくらいはする男だ。
だがメアリには、自分の見た目や交渉術が一切通用しない。
本性も知られているし、部下というわけでもない対等な間柄だ。
簡単に言うと、メアリとどう付き合っていけばいいのかわからず、常に手探りなのが不安なのである。
不安要素をどうしても排することができない現状において、失敗するのを極端に恐れているのだ。
しかも、メアリがきょとんとした顔でいつまでも黙っているのがよりフェリクスの不安を煽った。
「……こちらに来てから、ずっと忙しくしていたでしょう。たまには息抜きが必要ですよ」
あまりにも無言が続くので、らしくもなく言葉をさらに重ねる。
なんだか自分が愚かな言い訳を並べている気がして落ち着かず、フェリクスはパンを口に放り込んで咀嚼した。
(考えてみれば、断られたって構わないことだ。それなのに、どうしてこんなにも必死になってしまうんだか)
そうしている間に冷静を取り戻したフェリクスはパンを飲みこむと、ようやくいつもの笑みを浮かべた。
「無理に行く必要はないのですよ。断っても構いませんから」
少しの間を置いて告げたフェリクスの言葉に、メアリはようやくハッとなって口を開いた。
「あっ、いえ! すみません。フェリクス様からそんな風に言っていただけるとは思っていなかったもので、驚いて……」
一体、自分をなんだと思っているのか。
少しばかり問い詰めたいところだったが、年長者として理性で思いとどまる。
ただ、少しだけ冷ややかな目線になってしまうのは致し方ない。
「結局、行きたいのですか、行きたくないのですか」
「ぜひ! 行きたいです!」
その答えが聞ければいい。フェリクスは口の端をわずかに上げて頷いた。
「せっかくですから買い物もしましょうか。今、何か不便はありませんか? 足りていないものや、欲しいものは?」
「えっ!? いえ、ありません。みなさん、とても良くしてくださいますし、採寸を終えて先日はたくさんのドレスも届きましたし」
フェリクスとしてはまだまだ足りていないと感じているのだが、どうやらメアリにとっては十分すぎる様子である。
「季節や用途によって服は違うものが必要でしょう。特に女性は。まだまだ足りていませんよ」
「フェリクス様、私は毎日違う服を着るなんてことも初めてなのですよ……」
これまでの環境による価値観の違いである。
ノリス家での生活を思い出してみれば、メアリが遠慮する気持ちはフェリクスにも理解ができた。
しかしここは王都で、貴族たちが集う場所。
しかもシュミット家に嫁ぐのだから、この贅沢には慣れてもらう必要がある。
主に、メアリが社交界で馬鹿にされないためにも。
「いずれ嫌でも慣れると思いますよ。これまでうちには女性がいませんでしたから、メイドたちも張り切っているのです。それに他の貴族に財力を示すには手っ取り早いのですよ、女性を着飾るというのは」
言ってから、フェリクスは口を滑らせたことに気付く。
これではまるで、メアリを利用しているかのような言い方ではないか。
実際そういう面がないわけではないが、言い方に配慮がなかった気がする。
相手がメアリでなければ、こんな風に気にすることもないというのに。
ここ最近のフェリクスはどうも調子が悪い。
「……道具扱いしているわけではありませんよ? 念のため」
思わず言い訳を添えてしまう始末である。実に情けないことだ。
「わかっています。それに、そういった意味で利用されても構いませんよ。覚悟の上ですから」
メアリは実際、ちゃんとわかっているのだろう。
本当に気にしていないことも伝わる。
だが、このなんとも言えない間が今は苦しく感じた。
彼女の気晴らしのためにと提案しただけなのに、余計なことを言ってしまったことで思わぬ雰囲気となってしまった。
むしろさらに気を張らせてしまったような気もする。
フェリクスの人生で、ここまで言動が空回りすることなど初めてだった。
「……正直に言いますね。今、僕は困っています」
フェリクスは白旗を上げた。
食後のコーヒーを一口飲んだ後、本音を吐露し始めたのだ。
「困っている? えっ、フェリクス様が、ですか?」
「ええ」
メアリの顔に困惑の色が見える。
フェリクスの表情がいつもとほとんど変わらないからあまり信じられないのかもしれない。
だが、これでも本当に困っているのだ。
こうなってしまっては遠回しにではなく、素直に聞くのが一番だとフェリクスは経験から知っている。
「こちらに来てから、メアリの気が休まる日はないのではないかと思っていまして。ノリス領にいた時のように、とまではいかなくとも、リラックスして過ごせるようになってもらうにはどうしたらいいのかと……ずっと考えているのですが思いつかないのです。情けないでしょう?」
自嘲気味に笑うという珍しい顔を見せたフェリクスに、メアリはさらに目を丸くした。
それから数秒後、なぜか肩の力を抜いてふわりと微笑む。
「……心配してくださったのですね」
「当然でしょう。貴女は僕の婚約者なのですから」
フェリクスには、メアリがなぜ急に態度を軟化させたのかがわからない。
互いに合意の上とはいえ、メアリをここまで連れてきたのはフェリクスだ。
自分がきちんと責任を持つのは当然のことなのだから。
特にメアリのことは好ましいと思っているのだし、心配にもなる。
フェリクスにとって当たり前のことだからこそ、その点について驚かれるとは思っていなかった。
「貴女は、その察しの良さによって常に人のことを優先させるところがあるでしょう。せめて、僕に対してはその気遣いを忘れてもらえたらと思うのです」
疲れてしまうでしょう? と続けたフェリクスに、メアリはピタリと動きを止める。
「ですから貴女がやりたいこと、リラックスできることがあれば教えてください。一人の時間が欲しいでも、趣味のお菓子作りがしたいでも、なんでもいいですから」
フェリクスの不器用な気遣いを察せないメアリではない。
どことなく目が潤んでいるように見えるのは、気のせいではないだろう。
やはり不安だったに違いない。
年上として、彼女の婚約者として、しっかり見てやらなくては。
フェリクスの表情も自然と柔らかくなる。
「メアリはもっと、僕にワガママを言ってもいいのですよ。自分勝手になってください」
少しの間を置いて、じわじわと嬉しそうに表情を和らげたメアリは、ようやく希望を口にした。
「ありがとうございます、フェリクス様」
目を閉じてしみじみと告げられたお礼の言葉は、フェリクスの心にもじんわりと沁みた。
それからパッと顔を上げ、メアリは気持ちを切り替えたかのようにニコニコと微笑む。
「……では、早速お願いがあるのですが」
両手の指先を合わせながら、メアリはおねだりを口にする。
遠慮なく告げてくれたことにホッと安心したフェリクスは、当然ながら迷うことなく了承したのであった。




