30 フェリクスの意趣返し
フェリクスの思惑通り、事前に相手までは聞いていなかった父ウォーレスは、息子が連れてきたメアリを見た瞬間ひっくり返らんばかりに驚いた。
動揺を隠せない父をいつもの胡散臭い笑顔で急かしたフェリクスは、そのままメアリの父であるディルク副団長を呼び出してもらう。
とてつもなく嫌そうな父の顔が見られてフェリクスはご満悦である。
ディルクもまた、まさか末娘が来ているとは夢にも思っていないことだろう。
案の定、執務室のドアを開けて着飾ったメアリを見た瞬間のディルクの反応は、期待通り、いや期待を超えたものとなった。
「なっ、なっ、ななななな……!」
近衛騎士で副団長ともあろう人物が、言葉を忘れてしまうほどとは。
うっかり声に出して笑ってしまうのを堪えるため、フェリクスは笑みをさらに深めて追撃を試みた。
「ディルク副団長。いえ、ノリス伯爵。ああ、違いますね。お義父様とお呼びすべきでしょうか。この度は良縁に巡り合う機会を与えてくださり深く感謝しております。ご要望通り、僕はメアリ嬢を婚約者として選ばせていただきました」
絶賛取り乱し中のディルクの前で、いけしゃあしゃあと礼を述べるフェリクス。
やけに饒舌な上、とても生き生きとしている。
そんな息子の態度を見たウォーレスは、ディルクの背後で額に手を当て、天を仰いでいた。
「なっ、ど、どうして……! フランカではなかったのか? いや、ナディネでもない、だと? どうして、どうしてよりにもよってメアリなんだ!!」
「どうして、とは? 三姉妹の中から選ぶようにとの王命でしたよね?」
ようやく人の言葉を取り戻したディルクは、大きな身体を震わせながらフェリクスに詰め寄った。
筋骨隆々な大男が目の前に迫っているというのに、フェリクスは一切の動揺を見せない。
それどころかどこまでも冷静に、いつも通りの笑みを浮かべて言葉を返している。
「だぁっ! くそっ! こんなことなら上の娘二人に限定すべきだったっ!! あまりにも勝手な申し出だからと陛下がおっしゃるから……!」
どうやら、メアリを除外させなかったのは陛下の提案だったらしい。
陛下なりの恩情というものが、末娘も含めた三人から選ばせる、というものだったようだ。
せめて選択肢を増やしてやろうという考えだったのだろうが、見当違いも甚だしい配慮である。
いや、今回に限ってはそれを感謝すべきなのだろう。それも心から。
今となってはフェリクスにとって、妻はメアリ以外に考えられないのだから。
(こんなにも物分かりが良く、こちらの事情も察して受け入れてくれる女性はそういないだろう。それに、彼女なら嫉妬や恨みによるトラブルがあってもうまく立ち回れる。面倒なご令嬢たちの相手には苦労させてしまうかもしれないが)
これは決して恋情ではない。
大切に思う気持ちはあるが、それは義務感からくるものだ。
フェリクスは頑なに自分の気持ちを否定した。
「ま、待て。メアリは……メアリはそれでいいのかっ!? こんな顔が良いだけの腹黒を夫にしてもいいのかぁっ!!」
取り繕うということを知らないのか、とフェリクスは呆れてしまう。
王城内で働く者の間で自分がそう思われていることは知っているし、隠してもいないが、あまりにもド直球に貶し過ぎである。
……いや、上の娘二人も同じことをしていたと思えば血筋だと納得せざるを得ない。
それとも娘を持つ父親は皆こうなってしまうのだろうか。
フェリクスは口元の笑みを維持しながら冷たい眼差しをディルクに向けていた。
「はい。もちろんです」
一方、話題を振られたメアリは相変わらずのほんわかぶりを発揮していた。
泣きそうな顔のディルクの前で、ニコニコ微笑みながらフェリクスの腕に自分の腕を絡ませている。
だが、それだけでは終わらなかった。
「フェリクス様を愛してしまったので、私」
「っ!」
そのままこてん、とフェリクスの腕に頭を寄りかからせたかと思うと、しれっと愛の言葉を告げてみせたのだ。
突然の言動に、フェリクスの心臓がこれまでで一番ドキリと音を鳴らした。
予定にないアドリブだったからか、急に密着されたからか。
(以前もそうだったが、距離感がおかしいのでは……?)
なぜか顔も熱くなっていく。
これまでの人生で感じたことのない感情に、フェリクスは内心で大いに慌てた。
無論、表には出さない。いつもの笑顔のままだ。
だが、見る人によっては耳が少しだけ赤くなっていることに気付くかもしれない。
「そ、そ、そんなぁぁぁ! メアリぃぃぃっ!!」
「……はぁ、私の執務室で大騒ぎするのはやめてもらえますか、ディルク副団長。約束は約束ですからね。陛下に報告しにいかなくては」
「い、い、いやだぁぁぁぁぁ!!」
「ああ、もう……」
本気で泣き始めてしまったディルクは、膝から崩れ落ちた。
声も身体も大きないい年した男がこうなってしまっては手が付けられない。
ウォーレスが恨みがましくフェリクスを睨んで来るが、そんな目を向けられる筋合いはないとばかりに思い切り無視を決め込む。
耳を塞ぎたくなるほどの騒音だというのに、まるで存在していないかのように澄ましているフェリクスに、ウォーレスは諦めたように大きなため息を吐いた。
「君たちはもう帰っていい。長旅の疲れがたまっているだろう。屋敷でゆっくり休みなさい」
ウォーレスは疲れたようにそれだけを告げると、騎士たちに声をかけて泣き崩れたディルクを回収しつつ、執務室を後にしたのであった。
「フェリクス様」
「……なんでしょう、メアリ」
そんな混沌とした光景を見つめながら、メアリは小声でフェリクスを呼ぶ。
横目で彼女を見たフェリクスは、再びドキリと胸が鳴った。
なぜならメアリがチロッと舌を出し、悪戯が成功した子どものように愛らしく笑っていたからだ。
「すでにお察しかもしれないのですけれど。実は私、頭が良いわけではないのですよ。特別な知識もない、平凡な小娘でしかありません。でも、もう婚約者の変更はできませんからね?」
恐らく、彼女にとってはこの言葉こそが最大級のネタばらしだったのかもしれない。
だが、すでに察するも何も、フェリクスがメアリをそんな風に評価しているはずがないのだ。
「まさか、貴女は自分が平凡だと思っているのですか? あれだけの計画で僕を落としておいて?」
「? はい。誰にでもできることしかしていませんし」
フェリクスはなんとも言えない顔になった。無自覚ほど恐ろしいものはないと実感したのだ。
「ご安心ください。君は賢いですよ。僕が出会ったどの女性よりもね。まったく、末恐ろしいものです」
「賢くなんてありません。あまり買い被らないでもらえます?」
褒めたつもりだったのだが、メアリは不満げに頬を膨らませている。
こうして見ると、年相応で頭の悪そうな令嬢にしか見えないのだが、フェリクスはもう騙されない。
ちなみに、言った言葉は冗談でもなんでもなく、全て本音だ。
しかしこうも目の前でほんわかとした雰囲気を醸し出されると、認めるのが少し悔しい気持ちもある。
(頑固だな。良く言えば芯の通った女性、か)
今後、彼女には様々な面倒ごとが襲い掛かるだろう。
貴族社会では、得てして新入りが洗礼を受けるものだ。
ぽっと出の、しかも幸運にも未来の侯爵夫人に選ばれたメアリの存在は、良くも悪くも目立つはずだ。
彼女なら、ちゃんと向き合ってくれると信じてはいるが、本来ならば逃げ出したっておかしくない。
なぜなら、自分たちは利害の一致で婚約者となったにすぎないのだから。
「貴女の方こそ、やっぱり無理でしたとは言わないでくださいよ? 僕の妻となるからには覚悟をしていただかなくては。……まぁ、手助けはして差し上げますよ」
「ええ、わかっています。できるかできないかは関係ありませんものね。手助けを頼りにしています、旦那様」
ほんのわずかに浮かんだ弱気が、フェリクスに嫌味を言わせた。
だというのに、メアリに気にした様子は見られない。それどころか、なんだか逆にしてやられた気がする。
妙に耳に残るメアリの「旦那様」という言葉に、やたらと気恥ずかしさを感じてしまったフェリクスは、それを誤魔化すように眼鏡のフレームを押し上げた。
そんなことより、今は長旅で疲れているだろうメアリを休ませなければ。
差し出した腕にメアリの手がかけられたのを確認すると、二人は仲睦まじい婚約者の仮面を被りながら王城を後にするのであった。




