3 メアリの静聴
────時は少し遡る。
平穏な日々を送るノリス家にその情報がもたらされたのは、フェリクスが父親に呼び出されるよりもずっと前のことだった。
近衛騎士であり副団長を務めている父親から珍しく届いた一通の手紙。それが彼女たちに嵐を呼んだのだ。
「ちょっと、どういうことですか、これ!」
「どうもこうも、読んだままよ。貴女たちの誰かが、シュミット家へ嫁がなければならないようよ。これは王命ですから、絶対に断ることはできないわ」
バンッと大きな音を立てて手紙をテーブルに叩きつけたのは、長女のフランカだ。
彼女は直情型で、あまり我慢が利かないのが短所である。
そんなフランカに対して冷めた目で諭すのは、姉妹の母であるノリス伯爵夫人のユーナ。
普段、領地に滞在できない主人の代わりに、一人で領地経営をこなす女傑だ。
「さすがに急な話だとはわたくしも思うけれど、婚姻の話はいつ来てもおかしくはなかったでしょう? それに貴女たちには、自由にさせる代わりに結婚の話が来た場合は大人しく従ってもらうと昔から言ってあるはず。今さら文句は言わないわよね?」
「そ、それは、そうですけれど……でも、私はこの家を継ぐために、どこかから婿に来てもらうって話でしたのに」
夫人の言葉に、フランカも急速に大人しくなっていく。
しかし、彼女の言い分もわからないわけではない。
せっかく領地経営の勉強が楽しくなってきたところだというのに、その努力が何もかも全てパァになってしまうかもしれないのだ。
「それさえも、貴女がまだ先でいいと話を進めなかったからでしょう。婚約者が決まっていたら、こんなことにはなっていなかったわ」
「うっ」
「それにフランカ。貴女はもう二十五歳でしょう? いつまでも殿方の方から声をかけてくれるとは思わないことね」
「ううっ!」
つまり、自業自得であった。
フランカはついに黙り込んでしまう。
「それとも、まだケビンの件を気にしているのかしら」
「……いいえ。その話はすでに私の中で終わっています」
ケビンとは、フランカの元婚約者のことだ。
本当だったら今フランカはケビンの妻、スコッティ伯爵夫人となっていたはずだった。
しかし七年前、結婚式も間近という時にケビンは事故により命を落としてしまったのだ。まだ二十歳という若さで。
ユーナ夫人はそのこともあって、フランカにはある程度の自由を与えていた。
しかし今回の話が舞い込んできた以上、そろそろ次に進んでほしいと思っているのだろう。
「で、でも、まだ婚約する相手がフランカ姉様と決まったわけではないでしょう?」
気まずい雰囲気の中、フランカをフォローするように声を上げたのは次女のナディネだった。
ぱっちりとした丸い目を何度も瞬かせ、大好きな姉を慰めようと必死である。
「それはそうね。でもお相手のフェリクス・シュミット様はね、どうやら頭の良い女性が好みみたいなの。お父上からの情報だそうよ。間違いないわ」
「そんな……それじゃあ、私が選ばれてしまいますわ!」
フランカは、ナチュラルに自分が最も頭が良いと自覚していた。
もちろんそれが事実なのは誰もが知っていることなのだが。
「くっ、ごめんなさい。私がもっと賢ければ……!」
ナディネも、自分が頭脳には自信がないことを理解していた。
二人が勝手に絶望し、落ち込んでいるのを見てユーナ夫人は小さくため息を吐く。
「何を言うの。ナディネは戦略を練ることにかけては誰にも負けないでしょう。戦いの勘もずば抜けているわ。騎士としてはこれ以上にない強みよ。その点で言えばナディネだって十分、私の自慢の賢い娘だわ」
「お、お母様……!」
確かに、ナディネは戦や護衛のこととなると恐ろしく頭の回転が速い。
間違いなく賢いと言えるのだが……それ以外のことには驚くほど疎いという欠点もあった。
だが、フェリクスがどう思うかは本人にしかわからない。ナディネを選ぶ可能性も十分にあった。
「ナディネ、なんだかまるで自分が嫁ぐと言っているように聞こえるけれど……貴女は第三騎士団長様に憧れていたでしょう?」
「い、いやですね、フランカ姉様! 憧れはあくまでも憧れですよっ! さすがに理想と現実の区別くらいはつけられますって!」
あはは、と明るく笑いながら手をブンブン振ってはいるが、実際ナディネは割と本気で騎士団長に恋をしていた。
団長に少しでも近付くために剣の腕を磨き、最近になってようやく女性騎士団への入団が決まったところなのだ。
ただあまりにも雲の上の存在であるため、この恋が実らないであろうこともわかっている。
だからこそナディネは、スッパリ諦めるためにも丁度いいかもしれないと思ったのだ。
「そうは言っても……フェリクス様はスラッとした方だと聞いているわ。だいぶ貴女の好みとは違うじゃない」
「それはそう、ですけど……ほ、ほら。人は外見じゃないでしょう?」
騎士団長は大柄で筋骨隆々とした、いかにも強そうな見た目の男性である。
ナディネは男らしくて自分よりも遥かに腕っぷしの強い男がタイプであった。
いくら顔が良いという噂でも、フェリクスのようなスラッとした男性はナディネの守備範囲外なのだ。
「だ、大丈夫です。そこはもう気にしないでください。ただ、私が選ばれる可能性は低いでしょう。そこだけが問題です。ねぇ、フランカ姉様? わざと嫌われるような態度をとってみるのはどうですか? そうしたら消去法で私を選ぶかもしれませんし!」
「そ、そうしたいのは山々だけれど……でもやっぱりダメよ。そうしたら貴女が」
「いいえ、これが最善ですって。この領地はフランカ姉様が継ぐべきですし、私は結婚して王都に住むことになっても問題はありませんから。もしかしたら、結婚後も騎士を続けさせてくれるかもしれませんし!」
上の姉妹二人の話は続く。ユーナ夫人はそのやり取りを黙って見守っていた。
あくまで選ぶのはフェリクスであるし、結婚するのは彼女たち。
できれば娘たちには幸せになってもらいたい母心もあるため、よほど大きな問題にならない限りは好きにさせたいと思っているのだ。
「あ、あの」
埒が明かない話し合いが続く中、ここでようやく三女のメアリが口を開く。
ずっと黙って様子を見ていた彼女は、姉二人を気遣わし気に見つめていた。
「ああ、メアリ。貴女は何も心配しなくていいのよ。貴女だけは絶対に嫁がせないわ。安心して?」
「そうよ、メアリ。フランカ姉様の言う通り! ここは私に任せてちょうだい。こんなにかわいい妹を、よく知らない男の下になんて嫁がせるものですか!」
「フランカもナディネも姉の鑑ね。ええ、わたくしとしても、メアリには好きになった殿方と幸せな結婚をしてもらいたいわ」
「「当然です!!」」
しかし、メアリの言葉は遮られてしまう。
三女のメアリは、家族全員に溺愛されるがゆえに孤立してしまう系の令嬢であった。
今回もまた、自分の意見を聞いてはもらえないようだ。
結局、メアリは諦めたようにため息を吐くことしかできないのであった。