29 フェリクスの登城
カリーナを筆頭にメイドたちがかなり良い仕事をしたおかげで、準備は小一時間ほどで完了した。
(メアリの魅力が最大限に引き出されているな)
薄いメイクを施し、髪を整えたメアリは淡いピンクのドレスをとても愛らしく着こなしていた。
(いつもと雰囲気が違う。……似合うな)
思わず見惚れてしまったが、当の本人は疲れ切った様子である。
女性の準備は大変だと聞いてはいたが、今のメアリを見ているとそれがよくわかるというものだ。
(これからも忙しくなる。今日は早めにゆっくり休ませてやらないとな)
ただでさえ慣れないシュミット家での生活が始まるのだ。
頑張り過ぎないように注視していないと、無理して倒れかねない。
王都に近付くにつれて、メアリが緊張していったように感じたのはきっとフェリクスの気のせいではないだろう。
時間が解決するといえばそうなのだろうが、せめてシュミット家の屋敷が少しでも早く、メアリにとって安らげる場所となってもらえるよう、努力はすべきだとフェリクスは考えた。
「できるだけ早く慣れてもらえるといいんだが」
最終チェックだ、とカリーナやメイドたちに囲まれたメアリを見ながらぽつりと呟くと、それを耳にしたマクセンが軽い調子で提案する。
「それなら、二人で街にデートにでも行ったらいいんじゃないか?」
デート、という単語にぴくりと反応したフェリクスは、目を細めてマクセンを見やる。
そんな己の主人に苦笑いを浮かべながらマクセンは続けた。
「なんで睨むんだよ。恋仲になったらデートするのが普通じゃないか。メアリ様が王都を知るいい機会にもなるしさ。それに、好みを把握すれば居心地の好い環境づくりにも役立つと思うぞ」
悔しいことに、マクセンの言うことには納得できる。伊達に女好きではないといったところか。
「婚約するんだし、贈り物の一つでもしたらいいじゃん。お披露目パーティーで着るドレスが決まったら教えてやるから、それに合わせたものを選んでやるとかさ。逆にそれに合わせてドレスを選んだっていいし」
加えて有能である。この手のことに関して自分は気が利かないという自覚のあるフェリクスは、大人しくマクセンのアドバイスを脳内にメモしておくことにした。
王都で女性に人気のある店、落ち着いた場所、賑やかな場所。
休憩は早め多めに入れることや、気温の変化などにも気を遣いすぎるほど遣え、など。
その他困ったことがあればいつでもどうぞと自慢げに語るマクセンには、少々鬱陶さを覚えた。
「お待たせしました。その、おかしくはありませんか?」
そうしている間にメイドたちのチェックを終えたメアリが緊張した面持ちで歩み寄って来た。
すぐに思考を切り替えたフェリクスは、流れるような所作で手を差し出す。
今はひとまず、厄介な父親たちに一泡吹かせに行かなくてはならないのだから。
「よく似合っていますよ、メアリ」
「良かった……ありがとうございます」
着飾った女性への褒め言葉は必須だ。
フェリクスとしては当たり前のように出てきた言葉だったが、安心したようにはにかむメアリは一段と愛らしく見える。
こんなに喜んでもらえるのなら、もっと良い褒め言葉があったかもしれないと少し後悔した。
そんな二人は一見、初々しい恋人同士に見えるのだが、実際は戦友に近い関係性である。
メアリがそっとフェリクスの手を取ると、二人は戦に向かう戦士のごとく互いに頷き合った。
街乗り用の馬車で王城までやってきたフェリクスたちは、真っ直ぐフェリクスの父ウォーレスの執務室へと赴いた。
次期宰相として自由に王城内を歩けるフェリクスに案内は不要。
メアリはといえば、門前に立つ騎士や、迫力のある城、大勢の働く人たちに圧倒されている様子である。
だからこそなのか、慣れた足取りで向かう自分を不思議そうに見上げてくるメアリの視線が落ち着かない。
改めてフェリクスの立場を実感しているのかもしれないが、素直に尊敬の眼差しを向けられるのにはくすぐったさを感じた。
なお、城内で二人を見かけた者たちはメアリ以上に驚いている。
あのフェリクス次期宰相が女性を連れている、というだけでも二度見してしまうくらいなのに、エスコートまでしているのだ。
ざわめきが起こるのも当然であった。
予想はついていたのでそちらの方は一切気にならない。
それより、隣の少女の視線の方が遥かに気になる。
「……あの、フェリクス様。私、ここに来ても良かったのでしょうか」
しかし、当然ながらメアリは気になるのだろう。
不安げな声で聞いてくる彼女を落ち着かせるため、フェリクスは努めて優しい声色を意識した。
「問題ありませんよ。周囲の目は煩わしいでしょうが、無視してください。僕がいる限り、無遠慮に話しかけてくる者はいませんから」
フェリクスの立場の強さがよくわかる発言である。
メアリは返事の代わりにコクコクと首を縦に振った。
「それに、ここへは婚約者が決定したことを報告に来たのです。ディルク副団長は相当な親馬鹿なのでしょう? メアリが直接言ってくれないと信じてもらえないかもしれませんしね」
「それはあるかもしれません。父の説得はお任せください」
「頼もしいですね」
拳を握りしめたメアリは、実際かなり頼もしかった。
彼女がいれば、どれだけ許さないと駄々をこねられてもなんとなるという信頼があるのだ。
加えてフェリクスは、婚約者の父親に許しを得るという状況に対して一切緊張していない。
娘を溺愛している父親に対する面倒臭さしか感じていないのだ。
度胸があるなどということではない。
単純に、厄介ごとを押し付けられた恨みの方が強いだけである。
(上二人の娘を結婚させるための道具にした副団長と、これ幸いと息子を差し出した父上の悔しがる顔が楽しみだな)
その面倒臭さも通り過ぎて、もはや喜んで向かうフェリクスはやはり良い性格をしているのであった。




