21 フェリクスの鬱憤
翌朝。
身支度を済ませたフェリクスは自室で本を開いていたが、苛立ちによって内容が一文字も入って来ない状態であった。
結局、昨晩は気持ちの切り替えが上手くできなかったようだ。
それもこれも、ノリス家に滞在する期間が予定より長引いたことが一番の原因だろう。
当初の予定では今頃、さっさと婚約者を決めて王都に帰り、仕事をしていたはずだったのだから。
すでにノリス家に滞在して二十日ほどが過ぎている。
いい加減、婚約者を決めて話をつけてしまいたいという焦りが、思っていた以上にストレスとなっているのだ。
……と、フェリクスは考えている。
時折、やたらとメアリの姿が脳裏に浮かぶが、それはたまたまなのだ。気にするようなことではない、と。
それならば早く相手を決めれば良いだけだというのに、どういうわけかいまだに答えを出せていない。
この屋敷に来る前は、誰でも同じなのだからさっさと決めてしまおうと思っていたというのに。
(頭の悪い女は嫌だ。それを基準に考えれば、やはりフランカ嬢一択……だが)
最初から決めていたことのはずなのに、柄にもなく彼女たちの事情を考え始めてしまったせいで悩む羽目になっている。
自分はこんなに甘かったか?と自嘲の笑みも浮かぶというものだ。
別に、本人の了承など関係なく「フランカに決めたい」とフェリクスが言えばそれで終わることだというのに。
(さすがにメアリ嬢……は、やはり罪悪感が湧く)
もっと大人になればこの程度の歳の差など気にならないのだろうが、まだ若い彼女の自由を奪っていいものかと考えてしまうのだ。
なぜ、自分がこんなにも悩まなければならないのか。
(そもそも、こんなにも急に婚約者を決めろというのはどう考えても横暴だ。一体なぜ……)
うんざりしたように本日何度目かのため息を吐きつつ、今更ながらにそう考えた瞬間、フェリクスはハッとする。
(今回の話は、父上とディルク副団長の計画だったのでは……?)
陛下が王命を下したから、父に呼び出されたわけではないのではないか。
フェリクスはここへ来てようやくそのことに思い至った。
絶対に訳ありだとは思っていた。
年頃の娘が二人ともまだ婚約者を決めていないなんて、何かあると言っているようなものなのだから。
だが蓋を開けてみれば、姉二人は単純に婚約を先延ばしにしていただけだった。
誰もが抱えていてもおかしくはない程度の問題しかなかったのだ。
まぁ、やや性格に難がある気はするが、よくある範囲の短気さと性癖だ。
許容できないわけではないし、彼女たちだっていざ自分が選ばれた時の覚悟くらいは決めていたように思える。
(大方、フランカ嬢を結婚させるために仕組んだことなのだろう。もしかすると、発端はディルク副団長か? くそ、どうしてすぐに気付けなかったんだ)
このままではノリス家の娘は全員問題有りとされ、誰も結婚できなくなる恐れがある。
焦った当主、近衛騎士の副団長ディルク・ノリスが誰かに相談を持ちかけたのかもしれない。
そしてその話を耳にしたフェリクスの父ウォーレスが、同じくいつまでたっても結婚を決めない息子を使おうと提案した。
宰相の息子であるフェリクスが言えば、フランカは結婚せざるを得なくなる。
領地を引き継ぐ問題や彼女の気持ちの問題はあれど、父としては結婚できないよりはマシといったところか。
親として、その選択が正しいかどうかはフェリクスにはわかりかねるが。
(僕に選択権を与えたのは、多少は罪悪感があったからか?)
もしフェリクスがフランカを選ばなかったら、フランカはこの状況に危機感を覚えて婿入りしてくれる男性を探す気になるかもしれない。
ナディネもまた、この話をキッカケに結婚を考えてくれるようになるのではと期待できる。
いずれにせよ、ノリス家にとっては良い方にしか転ばない。
恐らく、領地の跡継ぎ問題については婚約者が決まってから考える腹積もりなのだろうとフェリクスは推測した。
(僕が断れないように、陛下を巻き込んだのか。父のやりそうなことだ)
そういう思惑あっての今回の話だったと考えれば辻褄が合う。
だいたい、三姉妹の中の誰かを選べ、などというおかしな話をもっと疑うべきだったのだ。
ただ、婚約に変な条件を付けるのは婚期を逃しかけている子のいる貴族家ではよくあることだ。
おかげでフェリクスは、ノリス家が危機感を覚えてヤケを起こしたのだと思って疑っていなかったのである。
(あれこれ気遣って悩んでいたのが馬鹿馬鹿しいな)
次期ノリス領主問題についても、すでにノリス家側である程度の対応策を考えているのだろう。
考えてみれば、フランカの悩みだって第一に家族がフォローするべきなのだ。
(……ふん。誰もが納得するようになど、最初から難しいとわかっていたはずだ。誰しも何かを我慢しなくてはならない。僕もまた、興味のない女との結婚を我慢することになるのだから)
このままフランカを婚約者に選べば、全てが解決する。
ただ、父やノリス伯爵は思い通りになってさぞ喜ぶことだろう。
非常に癪だが、それ以上にこんなことでいつまでも頭を悩ませる方が嫌だった。
彼はいい加減、長閑な田舎暮らしで無為に時間を過ごすことに嫌気がさしているのである。
数日程度なら休暇で良いリフレッシュになったかもしれないが、半月以上も続けているとどうにかなってしまいそうだった。
本来、フェリクスは仕事人間だ。書類の溜まった自分の執務室が恋しいのである。
(まだ若いメアリ嬢を候補に入れようとするほどだ。自分でも気付かぬうちに、よほど追い詰められていたんだな、僕は)
メアリのことを思って苛立つのも、罪悪感からきたものだ。
そう一人で納得し、決断したフェリクスの行動は早かった。
本を置いて立ち上がると、部屋を出て真っ直ぐフランカの執務室へと向かう。
目的は、彼女に婚約者となってもらうことだ。
道中ナディネに引き留められたが、真剣な顔でフランカに大事な話があるのだと告げると、さすがに何かを察したのかあっさりと引き下がってくれた。
「うぅ、フランカ姉様……ごめんなさい」
背後で聞こえてきた泣きそうな声も、今は無視だ。
余所のお家事情に付き合わされて、フェリクスの方は腹を立てているのだから。
自然と歩くスピードも速くなり、やや険しい表情で廊下を歩いていると、ちょうどフランカの執務室からメアリが出てくるのが目に入った。
丸いトレーを抱えているところを見ると、お茶の差し入れでも持って行ったのかもしれない。
本来ならメイドがやる仕事をメアリがしている。
つまり、また自分でお菓子でも作ったのだろう。
そんなメアリの姿を想像したフェリクスは、少しだけ冷静になれた気がした。
肩の力が自然と抜け、怒りさえも収まっていく。
なぜなのかは、よくわからなかった。
(ほぼ確信しているとはいえ、推測の域を出ない。いくらストレスが溜まっているからといって、冷静さを欠くのはよくなかった)
フェリクスは一度目を閉じ、ゆっくりと長い息を吐く。
再び目を開けた時、メアリがニコニコしながら歩み寄ってくる姿が見えた。
フェリクスの鼓動がなぜか速くなる。まだ頭に血が昇っているのだろうか。
「どうかしましたか? フェリクス様」
そう考えた時、彼女の穏やかな声かけが心地好く耳に響く。
同時にふと、この現状が父親たちのせいだとメアリが知ったらどう思うだろうかと気になった。
自分と同じように腹を立てるだろうか。
それとも、仕方のないことだからと受け入れるのだろうか。
そもそも、今回の婚約話にはあまり関係のない立ち位置にいるメアリは、この奇妙な婚約者選びについてどんな意見を持っているのだろうか。
彼女のほんわかとした穏やかな笑みを見た瞬間、フェリクスは無性にメアリの考えが気になってしまった。




