18 メアリと女たらし
早速、やってきたのはパン屋である。
店内に並ぶパンを自分たちで選んで購入した後、持ち帰ることも奥にあるテーブル席で食べることもできるようになっていた。
「どれも美味しそうで悩むなー。メアリちゃんのオススメはどれ?」
「む、難しいことを聞きますね……甘いものがお好きですか? それとも……」
「ストップ、ストップ。俺はさ、それも含めてメアリちゃんの好みを聞いてるの」
ウインクをしながら聞いてくるマクセンに、メアリはやや引き気味だ。
しかしそれを表には出さず、ほんわかと笑いながら思う。
(これが女たらし、っていうやつ?)
グイグイきすぎな気はするが、嫌だとは思わない。
自分に興味を持ってもらえていると感じるからだろうか。
メアリはときめくわけでもなく、素直にマクセンの社交術に感心していた。
「そうですね……この紅茶のパンと、オリーブのパンですかね」
「よし、じゃあそれにする」
無難に甘いものと塩気のあるもの、両方を選ぶ当たり、メアリも気遣いの人である。
それをわかっているのかいないのか、マクセンは迷うことなく二つとも購入した。
飲み物も注文し、メアリが選んだ紅茶のパンの分も含めてサラッと会計を済ませてしまったマクセン。
メアリが慌てている内に、流れるように席へエスコートまでされてしまっていた。かなり慣れている。
席に座って戸惑っていると、向かい側の席に座ったマクセンが無邪気にパンに齧りつき始めた。
続けて美味しい、と笑顔を向けられてしまっては、メアリもいただくしかない。
パンを手に取り、律儀にいただきますとお礼を告げてから、手で千切って一口ずつ食べ始める。
「メアリちゃんはさ、今回の婚約者選びについて、どう思ってるの?」
少し緊張が解れ始めた時、マクセンからサラリと訊ねられたのは、なかなか核心に迫る質問であった。
なるほど、本当はこれが聞きたかったのかと納得したメアリは、やり口の巧妙さに半ば呆れてしまう。
「どう、とは……?」
「あれ? 他人事のように思ってる? メアリちゃんだって候補の一人でしょうに」
気さくな態度で本音を引き出す。
これがマクセンのやり方なのだろう。
その質問の意図がどういったものなのかまではわからないが、素直に答えるのは悔しいと感じた。
さてどう答えようかと考えていると、マクセンは立て続けに言葉を重ねてくる。
「少なくとも、フェリクスはメアリちゃんを候補に入れないようにしているみたいだけど」
だが、聞かされた言葉に動揺してしまう。
それを悟られないよう、どうにか答えを返した。
「そう、なんですか?」
他でもないフェリクスの従者からそんなことを聞かされ、メアリはズキリと胸が痛むのを感じた。
これだけ努力しているのに、まだ自分が蚊帳の外だというのがショックだったのだ。
(焦っちゃダメ。まだ、大丈夫)
それに、本人から直接聞いたわけでもない。
自分の手応えとしては、だいぶフェリクスの興味を引けていると思っている。
この調子でもう少し続ければきっとうまくいくとメアリは心の中で自分を鼓舞した。まだ諦めるには早い。
「あ、もしかして候補に入れてほしかった?」
しかしマクセンはズケズケと物を言う。
そうだったとしても、そうではなかったとしても、その質問が失礼にあたるとは思わないのだろうか。
もしかしたら、このマクセンは自分が彼の婚約者に選ばれるのを阻止したいのだろうか。
これはいわゆるけん制というものなのだろうか。
しかし、わざわざ候補外にいるメアリをけん制する意味などないようにも思える。
他に意図があるのか、または特に意味もなく聞いてきたのか。
いずれにせよ貴重な情報源だ。
メアリはちょっとだけ不快になった気持ちを表に出すことなく答えてみせた。
「いえ……やはり私は子ども扱いされるのだな、と改めて思っただけです」
「そうだよねー。十八歳っていったら、もう大人みたいなものなのにね?」
マクセンは絶妙に無神経だ。共感しているように見せかけて、ギリギリでこちらが不快に思う点を突いてくる。
攻めるならギリギリアウトではなく、セーフのラインで攻めてもらいたい。
「ご家族もメアリちゃんを候補に入れないようにしているところがあるよね。もしかして、家族からも子ども扱いされてる感じ?」
「子ども扱いというよりは……ものすごく大切にされている、といった感じでしょうか」
「なるほど。過保護なのね」
「そうとも言いますね」
自然と淡々とした返しになってしまうのは、メアリがまだそこまで感情をコントロールしきれていない少女だからだろう。
しかしそうなるのを待っていたかのようなタイミングで、マクセンはふわりと微笑みかけてきた。
「俺なら、メアリちゃんを一人のレディーとして扱いたいけどなぁ」
ピタリと動きを止め、マクセンの顔を見つめる。
その目には熱が込められており、メアリはようやく気付いた。
(ああ、もしかして私……口説かれているのかな)
確か女たらしというものは、本気で不特定多数の女性に言い寄るのだとサーシャから聞いたことがある。
上手くいけばラッキー、上手くいかなければ次の女性にいく。
だから都合よく遊ぶ気がないならあっさり振っても大丈夫なのだと。
そこで逆上するような男はクズで、笑って引き下がるなら本物の女たらし。そして。
「お好きになさってください。私は、誰にどう思われようとあまり興味がありませんので」
「うっ、なかなか手厳しいな。ねぇ、メアリちゃん」
食い下がってくる場合は、本命である可能性が高い、と。
「フェリクスの婚約者になる気がないなら、俺の恋人になるのはどう?」
サーシャの教えでいけば、マクセンはメアリに本気だということになる。
だが、メアリの目から見たマクセンは、そんな風には見えなかった。
(本気の恋情なんてものを向けられたことがないから、何とも言えないけれど。でもこれはたぶん……)
経験はないが、メアリは己の直感を信じることにした。
「そういう確認を、フランカ姉様やナディネ姉様にもしているのですか?」
見極められているのだ。
主人にとって、相応しい相手かどうかを。
シュミット家の従者で、フェリクスの側に仕えているくらいだ。
女たらしを利用して探るくらいはしてもおかしくないと思ったのである。
メアリの返事を聞いたマクセンは、かなり驚いたように目を丸くしていた。
それからフッと肩の力を抜くと、参りましたとでも言うように両手を小さく上げる。
「すごいな。どうしてわかったの?」
特に隠す気も誤魔化す気もないらしい。
苦笑しながら告げるマクセンに、メアリはほんわかとしたいつもの微笑みを返す。
「なんとなくです」
「素晴らしい直観力。いやぁ、ごめん。気を悪くしちゃったかな」
「特には。マクセン様のお立場なら、そういうこともあると思いますし」
どこまでも大人な対応を見せるメアリに、マクセンは頭を掻く。
まさかここまで見抜かれるとは思っていなかったのだろう。どことなく悔しそうにも見えた。
「やめやめ! せっかくデートに付き合ってもらってるんだもん。ここからは楽しいお喋りだけしよう!」
「これってデートだったんですね」
「……これは本当に手厳しい」
マクセンの宣言通り、その後は当たり障りのない話だけをするようになった。
休憩時間を利用して馬を借り、町に来たことや、一人だとつまらないと思っていたところにメアリと会えたから運命だと思ったことなどを冗談めかして話していく。
途中、メアリにも普段はどう過ごしているのか質問をしてくるなど、飽きさせないための話術が巧みであった。
それは良かったのだが。
パン屋を出てから小一時間ほど町を歩いた頃、メアリは疲労を感じ始めていた。