1 フェリクスの憂鬱
────頭の悪いヤツは嫌いだ。
常にそんなことを考えるような男、フェリクス・シュミット。彼は、非常に冷めた男だ。
類稀なる美貌を持った黒髪の青年。
宰相の息子という立場に恥じぬ能力の高さ、剣の腕前、人当たりの良さを兼ね備えたフェリクスは、次期宰相としてかなり有能だった。
だが、彼には大きな欠点がある。それが「性格」であった。
(ここが、ノリス家か)
フェリクスは今、長閑な田舎町にある伯爵家の屋敷前に立ち、うんざりした顔を浮かべていた。
今日から一カ月間、まったく面識のない人物しかいないこの屋敷で過ごさねばならないからだ。
「顔に出ているぞ、フェリクス」
「……お前の方こそ従者としての仮面を被れ、マクセン」
フェリクスに対し、遠慮のない物言いをした長身の男は従者として共にやってきたマクセンだ。
幼い頃からフェリクスの遊び相手として付き合いがあったからか、主従でありながら悪友でもある気軽な関係である。
「ま、ノリス副団長もいない女の園だもんな。気持ちはわかるぞ」
「仮面」
「わかったよ。……お気持ちはわかりますが、そろそろいつもの胡散臭い笑みを浮かべてください。今、屋敷の者に声をかけに行きますので」
ヘラヘラした調子で告げる従者に単語だけで返すと、マクセンはコロッと言葉遣いを変えた。内容には問題ありである。
フェリクスがニッコリとその胡散臭い笑みを向けてやると、マクセンは冷や汗を流しながら慌てて動き始めた。
マクセンは口を閉じてさえいれば非常に真面目な従者に見える。
だがご覧の通りやや緩い性格をしており、面白いことが好きな遊び人気質でもあった。
それでも仕事面でマクセンは優秀で、フェリクスもその腕に限っては彼を信用しているのだが。
(ノリス家の女性に惚れかねない)
そちらの方面に関する信用は皆無だった。
赤茶色でスッキリとした短髪のマクセンはいたって普通の青年だが、気さくで親切でもあるため女性の警戒心を解くのが得意である。
本人も非常に惚れやすく、フェリクスとは正反対だ。
ここでの色恋沙汰はやめろ、とすでに何度も念を押しているし、マクセンとて弁えてはいるのだが、感情で動きがちな悪友に不安は拭えないフェリクスである。
しかも、先ほどマクセンが言ったようにノリス家にはほぼ女性しかいない。
ノリス伯爵は王都で近衛騎士として働いており、副団長という立場にいるので、この屋敷に来ることが滅多にないからだ。
そのため、この屋敷にはノリス伯爵夫人とその娘三人、そして使用人しかいないというわけである。
そんな中に、ほぼ初対面である自分が行くだけでも憂鬱なのに、惚れっぽいマクセンが一緒であれば気が重くなるに決まっている。
まだ誰もいない門扉の前でならいいだろうと、青年は今のうちに大きなため息を一つ吐いた。
そんな姿さえも絵になる美しいフェリクスは、普段であればいくら気が乗らなくても態度に出すことはない。表向きは人当たりの良い紳士で通っており、内面を隠すのはお手の物なのである。
そもそも、こんな理不尽極まりない命令などいつもであれば得意の屁理屈で回避するのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。
なぜなら王命により、フェリクスはこの一カ月でノリス伯爵家の三姉妹の中から婚約者を決めねばならないのだから。
(さて、どんな問題を抱えたお嬢様方なんだか)
そんなおかしな申し出など、絶対に訳ありだ。厄介ごとの気配しかない。
その予感が余計にフェリクスの気をさらに重くさせている。
そうはいっても今更、逃げることなどできやしない。
屋敷の方から使用人を連れたマクセンが戻って来るのを確認したフェリクスは、一度眼鏡をかけ直し、営業用の笑みを浮かべるのであった。
「遠いところまでよくおいでくださいました。わたくしはディルク・ノリスの妻、ユーナです。お待ちしておりましたわ」
「フェリクス・シュミットと申します。この度は急な話だというのに滞在を受け入れてくださり、誠にありがとうございます。極力、ご迷惑をおかけしないよう努めますので」
使用人の案内で屋敷内に足を踏み入れたフェリクスを迎えたのは、領地経営を一手に担う女傑、やり手と噂の女主人であるユーナ夫人だ。
プラチナブロンドの美しい髪をしっかりと結い上げた美人で、やや吊り目がちの目元といい、ピンと伸びた姿勢といい、仕事ができる女性だという印象を受ける。
そんなユーナ夫人の後ろに三人の女性が立っていた。
彼女たちがノリス家の娘たちなのだろう。
この中から一人を妻として選ばなければならないのかと思うと気が滅入る。
フェリクスは意図的に彼女たちから視線を逸らしていた。
(しかし、さすがはノリス伯爵に代わって領地経営をこなしているだけあるな。ユーナ夫人が只者ではないことが一目でわかる)
仕事のできる、すなわち頭のいい女性は好ましい。
夫人に対するフェリクスの第一印象は良かった。
「あら、未来の息子になるのですもの。あまり畏まらないでもらえたら嬉しいわ。娯楽など何もない領地ですけれど、せっかくですからこの機会にのんびりと過ごしてみては? 普段はとても忙しくしておいででしょうから」
しかしどうやら夫人の中でも、すでにフェリクスが娘の誰かと結婚することは決定事項らしい。
いくら好ましい人柄であったとしても、それとこれとは話が別だ。
フェリクスは内心で盛大なため息を吐きつつ、胸に手を当てて隙のない礼をしてみせた。
「お心遣い、痛み入ります」
頭を軽く下げたことで、フェリクスの黒髪がサラリと揺れる。
美しい所作に、美しい容姿。
誰もが見惚れるその仕草に、ユーナ夫人もまたほぅと感心したようにため息を漏らした。
「疲れているでしょうから、今は簡単に挨拶だけさせるわね。きちんとした紹介は夕食の時に。貴女たち、前へ」
ユーナ夫人がそう告げながら顔を後ろに向けると、これまで黙って待機していた三姉妹が一人ずつ前に出てくる。
「長女のフランカですわ。……どうぞよろしくお願いいたします」
最初に挨拶をしたのは長女のフランカ。
夫人と同じプラチナブロンドの長い髪を、高い位置で一つに結った気の強そうな女性だ。
夫人に似た顔つきのせいなのか、感情が隠しきれていないのか。どうもフェリクスを睨んでいるように見える。
恐らく気のせいではないだろう。
「次女のナディネです。初めまして!」
続けて挨拶をしたのは次女のナディネ。
濃いオレンジ色の髪を短く切りそろえた明るい女性で、こちらは姉のフランカとは違い朗らかに笑っている。
この中で最も背が高く、どことなく筋肉質な体格をしていた。なんとなくだが、単純そうな性格のように感じる。
「三女のメアリと申します」
最後に挨拶をしたのは三女のメアリ。
姉二人の髪色を混ぜたような蜂蜜色に輝く金髪をしており、髪を下ろしたスタイルで大人しそうな印象を受ける。
フワフワとしたウェーブがかった髪質なのも相まって、ニコニコとした愛らしい微笑みを浮かべる彼女は、フェリクスの目にはどこか頼りなく映った。
「僕はフェリクス・シュミットです。どうぞ、気軽に名前でお呼びください。今日からしばらくお世話になります」
彼女たちに思うところはあったが、それら全てを胸の内にしまい込んだフェリクスは当たり障りのない言葉で挨拶を返す。
彼女たちの反応も三者三様で、性格はそれぞれ全く違うようだ。
フェリクスは、誰を選ぶかによって今後の自分の人生が決まる……とまでは思っていないが、面倒な女だけは避けたい、とは思っていた。
(消去法になる、だろうな)
笑顔でだいぶ失礼なことを考えつつ、まずはそこで彼女たちと別れたフェリクスは、使用人の案内で一カ月間過ごすことになる部屋へマクセンと共に向かった。
(頭の悪い女を妻にする気はない。どうせ訳ありの娘を押し付けられるのなら、しっかり見極めさせてもらうとしよう)
自分もまた彼女たちに見定められるのだろうことはフェリクスにもわかっている。
だが、最終的な決定権を持つのはフェリクスだ。
その事実が、彼の少し人を見下しがちな部分に悪い影響を与えるのである。
初日からフェリクスは、いずれ婚約者となるかもしれない彼女たちを思い切り下に見ているのであった。
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