第3話 旅立ちを誓う
「おいおい、待てよ。こんなやり取り覚えてないぞ」
俺は異を唱えた。映像の中のやり取りが全く見に覚えがなかった。綺麗さっぱり脳内から消去されていた。黒歴史みたいな格好も、保証の話も、一ミリも記憶にない。逆に怖い。
「だいたい俺は、スローライフなんて望んでないわ。なにあの聖人みたいな中年は。見た目もいまと全然違うし、顔の骨格まで違うし、誰?」
面影はある。しかし、あれが自分だと自覚出来ない。いまの俺はイケメンなのだ。王位につく直前に腕のいい整形師に依頼してイケメンにしてもらった記憶はある。顎の骨まで削った。頭髪もふさふさだ。西の山に生息しているフサフサ草を煎じて飲んでいるからだ。若返りの秘薬まで使ってアンチエイジングにも力を注いでいる。つまり映像の中の中年は見た目も、考え方も、雰囲気も、まるで別人なのだ。
「いや誰これ?」
「往生際が悪いですよ。正道君」
「いやいやこの映像でっち上げにも程があるだろ。一年前の映像とか本当か? 俺はこんなやり取りしてないぞ。というかこの陰キャ俺か? 信じられない。いや、信じたくない」
「これが正道くんで間違いないですよ。私が覚えています。私の好きな正道君です」
「うるせぇ。こんな芋男は俺じゃない! お前みたいな芋娘にはお似合いかも知れんがな。これ、別人説あるんじゃね?」
「現実を受け止めて下さい。出会った頃を思い出して下さい」
「お前のことなんて何一つ覚えてないわ。故にこの契約は無効だ。証拠になるかこんなもん」
「どうして……そんな風になっちゃったんですか」
涙目で訴えてくる女。まるで可哀想な人を見るかのような目をしている。
「ええいっ、うっとうしいな。お前さっきから何様だ。俺のオカンか? 昔から知ってる風な保護者面しやがって」
「知ってますよ。だって私、正道君の一番最初の、彼女だったんだもん」
「嘘付け。そういうオレオレ詐欺の変化球みたいな嘘は止めろ」
「本当ですよ。お互い初めてだって、話してたじゃないですか。あの夜」
「知らんわ。お前と? それはないだろ。一ミリも覚えてないわ。記憶にございません」
女が涙をぼろぼろとこぼし始めた。泣き落としできたか? と俺は疑った。
「泣かれても困るぞ。俺はお前のこと一つも覚えていない。何人女を抱いたと思ってるんだ。多くて区別が付かんわ。もっと胸がデカかったとか、尻がデカかったとか、そう言う女はまだ覚えているが、お前は本当に記憶にない。そもそもお前、その黒髪とか眼鏡とか地味で俺の好みとは真逆なんだよ。さすがに、記憶がないとはいえ、過去の俺がお前に手を出したとは思えないわ。スルーするレベルだわ」
「……じゃん」
女がなにかつぶやいた。
「なんだって? 聞こえねぇよ」
女が唇を噛みしめてこちらを睨む。すごい気迫だった。
「……お前が言ったんだろ!」
「ぶっっっ!」
その瞬間、俺の顔面に拳が叩き込まれていた。俺は直角に倒れた。
馬乗りになられて、女が拳を振り上げる。
「まてまてっ! 暴力はダメ! ぶっっっ!」
再度、俺の頬に拳が飛んだ。脳味噌がぐわんと揺れた。
「お前が! 地味なのが好みだって言ったんだろうがっ!」
凄まじいパウンド。一撃一撃が重く、女の拳とは思えない。やばい。殺害される。
「待て待て、待って、ごめんなさい。許して下さい」
両手で頭をガードするもお構いなしに浴びせられる強烈な打撃。女がドスの利いた声で叫ぶ。
「思い出すまで、ぶん殴ってやるかんなっ!」
脳内で過去の記憶が走馬燈のように駆け抜けていた。幼少期の頃から中学高校時代、このときは陸上部だった。そして大学中退。ニートを五年経験してアルバイトで社会復帰。地味な日々。でも、ぼちぼち幸せだった。寂しくてネットアプリで知り合った女の子と渋谷の町で会ったこともある。連れて行かれた飲食店で三万円ぼったくられた。そして荒い運転の車にはね飛ばされて、異世界転生して……。
ああ、思い出した。
そう言えば、こんな感じでパウンドくらった思い出があった。あの日も、馬乗りになっていた女が、泣いていた。目の前に、あの日の光景が浮かぶ。金髪の娘。耳とかヘソにたくさんピアスをしている渋谷ギャル系女子。レンゲだ。いやレンレンだ。
「てめぇの好みに合わせただけだろがっ! なにが地味で幸薄そうな芋娘だっ! 早々に捨てやがってこの天狗野郎っ!」
「待って、待ってレンゲ」
「思い出せや、それかシネやっ」
「思い出した。レンレン。思い出した止めて」
その言葉でレンゲの拳がぴたりと止まった。
「いまレンレンって」
「思い出したよ。僕だ。正道だ」
「正道くん」
両手で自分の顔を覆っている俺は、手をどかすことが出来なかった。流れた涙が頬を伝う。
「サイテーだ僕。どうしてこんな大切なことを忘れていたんだ」
レンゲの拳で脳味噌が激しくシェイクされ記憶が戻った。まるでカシスオレンジの黒っぽい部分のように、奥底に沈み込んでいた記憶が、かき回されて昇ってきた感じで。俺は吐き気を催しながらも、取り戻した記憶を辿った。異世界へ転生し、魔王をあっさり倒した俺は王座についた。そして次第に金と権力と女に溺れるようになった。記憶は? なぜ記憶が消えた? それも思い出した。ゴルガメッシュ王と名乗りいい気になっていた俺は、正道だった頃の自分を黒歴史だと考えるようになっていた。そして間違いを犯した。六次元ポケットを使って、魔神を召還したのだ。お鍋の魔神、俺たちはそう呼んでいる。お鍋をきゅきゅきゅっと三回こすると出現する、頭に鍋の蓋を乗せたブルーの肌をした魔神。足は幽霊みたいにふよふよ浮かんでて、常に腕組みしている。陽気な魔神だ。
『ほいほいほい。我が輩、お鍋の魔神ホイコロー。願いを三つ叶えて見せよう。ほいほいほい』
俺は、お鍋の魔神ホイコローに一つ目の願いをした。
『我が黒歴史を記憶ごと葬り去れぇぇぇぇ!』
自分で消去したんだった。一年保証についての記憶も、そのとき綺麗さっぱり忘れてしまったらしい。レンゲとの思い出も。
「全部、自業自得じゃないか。サポート窓口はなにも悪くなかった」
俺は泣きながらそう告白した。
「バカだ俺。記憶を自分で消して色んな物に溺れて。全部失ってしまった。なにしてんだ俺」
「大丈夫だよ正道君」
レンゲの穏やかな声が耳に届く。
「なにが大丈夫なんだよ。全部失ったんだ。人格までこんなに歪んじまった。女の乳に掴みかかる変態だぞ。大丈夫な要素、一ミリもないだろ。笑えよ。落ちぶれた俺を」
「笑わないよ。最初に戻っただけじゃん。またやり直そう。二人で」
腕をどけ、レンゲを見上げる。俺の好きだった女の子が笑顔で微笑んでいた。まるで女神だ。
「レンレン。迷惑かけた俺を許してくれるのか」
「当たり前だよ。みんなが正道君を見捨てても、私だけはずっと味方だよ。ズットミだよ」
暖かい言葉に俺は胸が熱くなった。起きあがろうと上半身を起こす。
頭のシェイクが緩やかになってきて、吐き気が弱まった。
そのときだ。
「うおおぁぁーっ!」
俺の中で急激に、女の尻をまさぐりたい欲求が芽生えて来た。王座に返り咲きたい。シンプルに。金で満たした浴槽に浸かりたくなった。目の前のレンゲを見ると、やはり全然魅力的でない気持ちに駆られた。老婆を見ているような気持ち、それと同等の気持ちだ。
「どうしたの正道君」
「ダメだ記憶が、また沈みそうだ。脳がシェイクされてない」
脳の振動がなくなると、また記憶が奥底に沈み始める。正道が遠のいてゆく。
「レンレン、俺を殴れ! 記憶がまた沈んじまう」
「えっ? でも……」
「いいから早く。その拳で、俺の脳をシェイクするんだ。はやくし、ぶっっ!」
強烈なグーパンが来た。俺の脳味噌がまたシェイクされた。その瞬間、正道だった記憶がカムバックする。そう言う仕組みか。記憶を常時取り戻すには、また高度な魔法が要求される。それを理解した。どうする。俺は脳をぶるぶる揺らしながら考えた。
「おええぇっ」
思わず嘔吐した。気持ち悪い。
「正道くん!」
「記憶が完全に戻ってない。戻さないと、ずっとこれだ」
「そんな……どうすれば」
俺の記憶の中で、魔神ホイコローが呼びかけてきた。
『ほいほいほい。二つ目の願いは何だ? 叶えてみせよう。ほいほいほい』
記憶の中の俺が答えている。
『他に願いなどない。俺はすべてを手に入れた男だ。二つ目の願いは、お前にくれてやる』
『ほいほいほい。では西のお城に住んで、魔王ごっこがしてみたいな。ほいほいほい』
そうだ、思い出した。魔神ホイコローはいま、西の城で魔王やってる。それで、三つ目の願いは? まだ、俺は願っていない。
「ホイコローに会いに行く。そして三つ目の願いを叶えてもらう」
口元のゲロを拭いながら、俺がそうつぶやいた。
「なんと。いまホイコローと言いましたかな?」
声を上げたのはオータムだった。目が見開かれ、険しい表情をしている。
「知っているのか?」
「大魔王ホイコローと言ったら、ここ最近、急速に勢力を伸ばしている凶悪な魔王です。西にあるンギリーズ島の帝都ロンドゥーンを根城として暴れ回っていると聞き及んでいます。多くの勇者も手を焼いております。どうやら、この世界とは別次元の魔物と噂されており」
六次元ポケットを使って召還したんだ。次元は最初から違う。
「だが俺は行かなきゃならないんだ。記憶を取り戻しに」
ふらつく足を抑えながら、俺が立ち上がる。レンゲが心配そうに支えてくれた。
「正道君、そのホイコローに会えば、記憶が戻るんだね」
「ああ、そうだ。西の帝都ロンドゥーンに俺は行かねばならない。レンゲ、お前もついて来てくれるか? お前のその強力な拳が必要なんだ。シェイクハンドが」
「もちろんだよ。私はずっと正道くんの側にいるよ」
「ありがとう、レンレン」
俺はサポート窓口の女とエリアマネジャのオータムに向き直ると、頭を深く下げた。
「サポート窓口はなにも悪くなかったんだ。謝罪します。暴れてすみませんでした」
「解決されたようで安心しました」と犬族の女が返事をする。
「俺たちは西へ向かいます。ホイコローに会いに。そうと決まれば、行くぞレンゲ旅立ちだ」
「待ちなされ。勇者様」
呼び止められて振り返る。
「これを持って行きなされ」
オータムの手には、お守りみたいなのが握られている。勇勝祈願と文字が書いてあった。
「これは?」
「ただのお守りではありません。一度だけですが、チート能力を発揮する事が出来る魔法具です。保証は延長出来ませんが、サポート窓口からのささやかなお気持ちとなります」
その言葉で、俺はまた涙を流した。神対応じゃないか。異世界サポート窓口。
「ありがとうございます。保証が切れているにも関わらず」
「勇者様のご健闘を祈ります」
再び窓口に背を向け、俺とレンゲは歩き出した。背後で、大勢の窓口の女たちの声が響く。
「お客様は勇者様! お客様は勇者様! 行ってらっしゃい勇者様!」
きっと、この旅は厳しいものになるだろう。道中、数々の魔物が出現するに違いない。魔物だけじゃない。俺にかけられた懸賞金目当てに、人間たちからも命を狙われるはずだ。千人の女たちの手先が俺を暗殺しに来るかも知れない。自業自得だ。それでも、俺はこの歪んでしまった人格を直すために西へ向かい、ホイコローに会いに行かねばならないのだ。
「長くなるぞレンゲ。魔王は強いぞ」
「大丈夫だよ。私が正道君を守るから。こう見えて私、戦闘には自信があるんだよ」
レンゲが拳を握り、ボクサーのように構える。軽いジャブが見えない。戦闘部族。すごい。
「正道君の記憶が無事に元に戻ったら、今度こそのんびり暮らそうね」
レンゲが頬を赤らめながら、指をもじもじさせる。
「出会った頃の約束覚えてる? 魔王倒したら、小さな畑を持って美味しい野菜を育てながら暮らそうって話してたよね。子供は二人くらい育てたいなって、正道君、言ってたよね」
そう言えば正道の頃、そんなやり取りをしていた。理想のスローライフ生活だ。
「ああ、そうだな。それもいいな」
気付けば俺の脳は、もうすっかり揺れが治まっていた。正道は、不在。
ホイコローへ依頼できる願いはあと一つだ。そのたった一つの願いを「正道だった頃の記憶を戻してくれ」などと依頼するのは余りに愚か。俺の中で依頼する内容は、別に決まっていた。
「チートハーレム保証を戻してくれ」
これ一択だ。
無事にこの願いが叶った暁には、俺は再び玉座に舞い戻り、富と権力と千人の女を手中に収める事だろう。
隣にいる老婆のような芋娘には悪いが、それまではせいぜい戦力として使ってやろう。そして最後にはシンプルに捨ててやる。
使い古しのボロ雑巾のように。
俺はそんな企みを胸にしまい、新たな旅路へとつくのだった。