第1話 サポート窓口にて
「おいっ! いったいどうなってんだ!」
「大変申し訳ございません」
「謝れば済むと思ってんのか、今すぐ納得のいく説明をせいやっ」
俺は目の前の机を、どんどん叩いて女に迫った。机の向こう側にはサポート窓口の女が着席している。ここは転生した勇者たちが困ったときに訪れる『異世界サポート窓口』だった。
俺の担当になったのは、いかにも雌臭い犬族の女だ。地位も低そうだし、金も持ってなさそうだ。ただ乳だけは、いいものを持っていた。
「ご迷惑をおかけしています。ええと、まずは転生した際の勇者番号を教えて頂けますか。カードはお持ちでしょうか」
「カードなんて紛失したわぼけ! 命からがら逃げてきたんだぞ」
「では転生時のお名前と生年月日を」
「響木正道、正しい道と書いて正道だ。一九八八年一月三日生まれ」
「はい。いまお調べしますね」
そう言うと、サポート窓口の女は机の上でノートを開き、指で文字を書き始めた。その文字が輝きを帯びてノートの上でぐにゃぐにゃと踊り出し、まもなく魔法陣に再構築される。転生者データベースへアクセスして情報を探索している。俺はしばらく待たされた。国王の俺がだ。
サポート窓口の女はスーツ姿で蝶ネクタイをして、弾けんばかりの巨大な胸をこれ見よがしに強調してくる。動くたびにちょっと揺れる。
なんだか、ムラムラしてきた。俺は腹いせに右手を伸ばして、その女の胸を掴んでやった。
「きゃっ。やめて下さい、勇者様」
「俺は勇者じゃない。国王だと何度言えば分かる。けしからん乳しやがって」
「ここでは現職ではなく、転生時の役職でご対応しております。やんっ、揉まないで下さい」
「待たせる方が悪いんだ。早く照合とやらを終わらせろ」
俺は反対の手も追加しようとして、机に身を乗り出した。しかし俺の身体は、何者かによって後ろに引き戻される。
「ダメですよ、そんなことしちゃ」
俺の後頭部で声を上げたのは、黒髪で眼鏡をかけた地味そうな女だった。
誰だ、こいつは?
そうだ思い出した。俺が王宮から逃げ出す際、逃げ道を作ってくれた召使いの女だ。
「ここは王室じゃないんです。側室でもない女性に手を出すなんて、いけませんよ」
「放せ。この無礼者」
俺は席を立ち、女の手を振り解いた。そして目の前の無礼極まる女に向かって言った。
「王に対してこの狼藉。許されると思っているのか。名を名乗れ」
「私ですよ、レンゲです」
「レンゲだと? ……いや誰だ」
「うそ。私、あなたの側室じゃないですか」
俺は首をひねり考えた。
「いや知らん。俺がお前みたいな女を相手するとは思えん」
見た目が俺の好みと間逆だ。黒髪、眼鏡。顔は崩れちゃいないが、いかにも幸薄そうだ。着ている服も装飾の施されていない安価そうな一張羅。靴も汚れていて、先ほどまで畑でサツマイーモ収穫していました、と言われても信じてしまいそうなほど、全体的に芋娘感が漂う。出身はきっと名もない山村の限界集落に違いない。
「なにより胸が貧相だ。何一つそそられる要素がない」
思わず声に出ていた。
「ひどい。あんまりです」
女が悲しそうな顔になる。ぐっと顔を近づけてきた。
「思い出して下さい! レンレンってまた呼んで下さい。正道くん」
「知るか。どんだけ女が居ると思ってんだ。千人だぞ。いちいち名前とか覚えてられるか! あと本名で呼ぶな。俺は王だぞ。正道じゃない。ゴルガメッシュ王と呼べ」
「いやです、もう王様じゃないですよ。いい加減目を覚まして下さい」
俺は揺さぶられた。
「やや、やめめめめ、ろろろっ」
両手を振り解こうとするも、馬鹿力で離れない。この女、ただの人間じゃない。東の地域にいる戦闘部族だ。やべーやつ一人、着いて来ちまった。あれだけ大量に女が居たのに、みんな俺の元を去って、着いて来たのこの女一人とは、どんな罰ゲームだ。呪いか?
「落ちるとこまで落ちたのか俺。こんな余りもの女しか残ってないなんて」
「ひどい。前はあれだけ優しかったのに」
「うるさい。とにかく俺はいま非常に困っているんだ。お前に構っている暇などない。おいそこの雌犬。見てないで何とかしろやこの惨状を!」
俺が叫ぶ。サポート窓口の女が、俺の顔を見て答えた。
「大変、お待たせしました勇者様。照合が取れました」
「遅ぇよ。で、何とかなるのか?」
「一年保証が切れております」
「は?」
「ええとですね、転生時に与えられていたチートハーレム保証は一年間の有効期限がございまして、昨日をもって有効期限が切れております」
「期限が切れた。だからチートもハーレムも効力がなくなったと?」
「そうなります」
「で、何とかなるのか」
「いえ、保証期限が切れているので……なんとも」
「おいおいおい、冗談言うなよ」と俺が声を荒げた。
「人生どん底だよ? はいそうですか、一年保証切れたんですか、なら仕方ないですね。じゃ帰ります、って言えるかぼけ! この乳はなんだ。飾りか?」
俺はまた乳に手を伸ばそうと試みた。レンゲと名乗る女がそれをすかさず防ぐ。
「ダメです。側室じゃない人に手を出すのは」
「じゃ、おまえならいいのか? 側室なんだよな」
「えっ、あの、その……私でよければ、どうぞご自由に」
顔を赤らめる女。
「ねーーじゃねーか!」
「少しはありますよ」
目の前の女が俺の右手を強引に掴んで、自分の胸部に持って行った。ぼちぼちあった。
恥ずかしそうにもじもじして、吐息なんかを漏らしている。
「なにが悲しくて魅力ゼロのおまえの胸を揉まなきゃならないんだ。泣きそうだわ」
手を振り払い、俺は深くため息を吐く。そしてサポート窓口の雌女に向かって言った。
「俺の能力はなにか知っているか? 王である俺の力だ」
「いえ、個々のお力は存じておらず」
サポート窓口の女が首を横に振る。
「六次元ポケットだよ。あらゆる次元から自在に、なんでも取り出せるチート能力だよ」
「はい。そうなんですね」
「見ろ。ここに手を伸ばせば六次元に繋がる」
俺はぼろぼろになったマントの内側に手を伸ばした。ちょうど左腰の後ろ辺りに六次元に繋がる黒い穴がある。そこに右手を伸ばせば手首から先が異次元に入り込み、頭の中で浮かんだものを自由に引っ張り出すことができる。どんな異世界の、あらゆるものでも引っ張り出せる。
しかし悲しいことに。俺の伸ばした右手は、穴のあいたマントを通り抜けて、手首から先が後ろに出てしまった。ただの破けたマントと化している。
「分かるか? これじゃ格好がつかんだろ」
俺はサポート窓口の女に背を向けて、飛び出している右手をぐーぱーぐーぱーして、いかにその様がダサいかを見せつけてやった。
「破れたマントに手を突っ込んでいる奇人じゃないか。俺がまるでアホみたいだ。なんだこれ。じゃんけん出来るわ」
「心中お察しします」
窓口の女が顔を伏せ、肩を震わせる。笑ってる?
「お悔やみ申し上げます」
「嘘付け! てめー形だけ下手に出てりゃ、何とかなると思ってんだろ。こっちは頭の血管がぶちって逝きそうなくらい激怒しとるんやぞ!」
「大変申し訳ございません」
「今日は何曜日か分かるか」
「はい? ええと、月曜日でしょうか」
「そうだ。月曜日といったらなんだ」
女が首をひねる。
「ジャンプの発売日だろ!」
俺は机をがんがん叩いた。
「月曜になったら、この六次元ポケットから、地球のジャンプを引っ張り出して愛読してたんだ。だがもうこの力は使えない。この悲しみがおまえに分かるか? ジャンプを突然読めなくなった読者の気持ちが、分かるのか? 分かるまいな。お察し出来ないだろぼけぇ!」
「この世界にも娯楽はたくさんありますので」
「そういう話じゃねえんだよ。俺が言いたいのは、十分な説明もなしに保証が一年でしたなんて話は通用しませんよという、そういう話なんだよ!」
「そうは言われましても……」
窓口の女が困った表情になる。物分かりの悪い女だ。俺がさらに付け加えた。
「チートハーレム保証を延長してくれれば納得するんだよ。こっちは。永久保証にせい」
「あの、、、それは致しかねます」
「なぜだ? じゃあどうするんだ? 俺の人生台無しだぞ?」
「保証を付与するには、非常に多くの魔力を消費するんです。それこそ、一人の勇者様にたった一年、保証を与えるだけで、一国の一年間の総魔力消費量に匹敵するくらい莫大な魔力が必要となります。永久保証なんて、とてもご用意出来ず。これらの内容は、勇者様が最初に転生してきた際にご案内済みとなります」
「案内? いや、そんなん、されてないが?」
「契約書もございます」
窓口の女が机の下からそれを取り出し、机の上に置いた。
ずん、と音を立てて登場したのは、広辞苑ばりに分厚い契約書だった。
「ここに書いています」
「えっ、なにこの分厚い契約書。こわっ」
俺は目を疑った。着席して契約書をめくって見る。文字がぎっしり詰まっていた。
「これが契約書だと? 取扱説明書の間違いじゃ」
「契約書です」
「これで契約したと」
「はい。間違いなく契約済みです」
「お前ら悪徳業者か! 全部読めるかこんなもん」
俺が叫ぶ。窓口の女が申し訳なさそうな顔になりながらも続けた。
「確かに、この世界に関するあらゆる法則や歴史などが記載されているため分厚いです。ですが一年保証については重要事項説明となるため、ちゃんと口頭でもご案内したはずですよ」
「してねぇよ。記憶にないんだ」
「この最後のところに血判があります」
契約書の最終ページに血判が押してあった。
「だから何だ、俺の血判か? 記憶にないんだぞ。でっち上げでは? まさか詐欺じゃねこれ? いずれにせよ、こんな契約は無効だろ。覚えていないものは無効だ。早く保証を戻せ」
俺は机をがたがた揺すった。このサポート窓口は無能なのかと疑った。
「やめましょうよ。こんなみっともないこと」
レンゲとか言う女が、また横から口を差し挟む。
「みっともないだと? うるさい! 俺は正当な権利を主張しているんだ。覚えているぞ。チート保証あります。と言うからこの世界を選んで転生して来たんだ。いや転生してやったんだ。そうじゃなきゃ別の世界に転生してる。そうだろ。みんな欲しがるチートとハーレムが実はたったの一年しか効果がありませんでした、なんて後出しされて、納得できる奴がいるか。ふざけるなぼけぇ。俺の築き上げてきた富と権力と女を全部返せ! 保証しろ!」
「やめて下さい正道くん」
「だから本名で呼ぶな。俺はゴルガメッシュ王だと何度言えば」
「以前のようにカッコ良かった正道くんに戻って下さい」
「以前の俺? 俺はずっとこうだが。平常運転だ。お前になにが分かる。すべてを失った俺の気持ちが、分かるのか」
「以前は、そんなんじゃなかったです」
「どうだったと」
「お金とか権力とか、要らないって話してました。国民が一番だって。愛する女を守るって」
「お前はなにも分かってないな。まず状況を考えろ。昨日までの俺はな、金も権力も女も、すべてをコンプリートしてたんだ。その状況でなら何だって言えるわ。いまは違うだろ。全部、崩壊したの。ぶっ壊れたの。こんな状況で金じゃないんです権力も要りません、モテなくていいです、そんな聖人、どこにおるんじゃぼけぇ。連れて来いやぼけぇ」
椅子を掴んで放り投げてやった。
「落ち着いて下さい勇者様」
サポート窓口の女が、慌てて立ち上がる。
「うるせぇ。いいから早く保証を戻せ。保証を補償するんだよ。この俺の不幸に対して万全な保証を与えろ。お前らサポート窓口なんだろ。お客様は神様やろがい」
「いえ、お客様は勇者様です」
「俺は国王だって言ってんだろ。もう勇者様じゃねーんだよ! 話が通じねーやつだな。この雌犬がっ、上の奴を呼べ! おまえじゃ埒があかんわ。ここで一番えらいやつ、出せや!」
「どうしましたかな」
別の男の声が割り込んでくる。サポート窓口の女の背後に、いつの間にか白髭を生やしたダンディーな老齢の男が立っていた。白髪オールバックに片眼鏡、伸びきった美しい背筋。上下スーツ姿で靴はぴかぴかのつま先が尖っている革靴、鑑定士みたいな白い手袋をつけている。
「誰だお前は。執事みたいな格好しやがって」
「申し遅れました。私、エリアマネジャをしておりますオータムと申します。上級国民です。お見知り置きを」
九十度の直角な礼。五秒ほど頭を下げて戻した後、胸元からすっと名刺を取り出した。所作の一つ一つが磨かれている。俺はテーブルを挟む形で、名刺を受け取った。
『異世界サポート窓口。エリアマネジャ。上級国民オータム』と達筆な文字で書かれていた。
「お話は諸々聞かせて頂きました。私どもの説明不足で大変不快なお気持ちにさせてしまい、誠に申し訳ございません。ぜひ納得の行く対応を検討出来ればと存じます」