不幸屋〜比良雲人也のひとり語り〜
【アナタは悪くない】
「……自分のせいじゃないのに」
「……あの人のせいなのに」
「……なのに、どうして自分がこんな目に?」
アナタはそう思った経験は無いだろうか?
自分の側に何も責任が無いのにも関わらず、他人から勝手に責任を押し付けられたという経験。
例えば、
親が作った借金を背負わされる。
他人がサボった仕事の尻拭いをさせられる。
自動車でひき逃げされて、自費で怪我の治療費を払わされる。
真面目に教室の掃除をしていたのに、同じ班の男子達がふざけていたせいで、真面目に掃除をしていた自分だけが教師から叱責される。
……これらに共通するのは、
『他人が負うべき責めをアナタ一人が負わされている』
ということ。
こういうことが起きるたびに、
「自分は不幸だな」だとか、「自分は運が悪かったんだ」だとか、アナタが自分一人で勝手に納得する必要はない。
何故なら、アナタは絶対に悪くないからだ。
結論から申し上げると、こういう事象が起こる原因に『運』だとか『幸不幸』が関わる余地などは、まったくない。
本当にない。
故に、
『他人が負うべき責めを自分が負わされる不幸』などというモノは、この世には存在しない。
他人の不幸を買い取り、販売する『不幸屋』のワタシ、
【比良雲人也】が言うんだから、間違いない。
【そもそも“不幸”って?】
不幸屋であるワタシ【比良雲人也】は、毎日毎日、他人から不幸を買い集めている。
『ナニソレ?』
はいはい、わかる。よ〜く分かる。
実際、ワタシも、曽祖父から家業の不幸屋のことについて初めて聞かされた時は、ナニソレ?と思ったものだ。
簡単に説明すると、
不幸というのは、他者からの『一方的な呪い』だ。
他人より良いものが喰いたい。
他人より良い服を着たい。
他人より良い家に住みたい。
他人より美しい伴侶を娶りたい。
他人よりも……
他人よりも……
そういう、世の中の“他人よりも”が寄り集まり、
たまたま誰かのところで具象化したものを、
ワタシの家では『不幸』と読んでいる。
そういう不幸を買い取って、欲しがっている誰かに売る、というのがワタシの家業『不幸屋』だ。
カタマリになった不幸をチリに還した後で、ホウキとチリトリでちょちょいっと掃き取り、ゴミ袋の替わりにビンに入れる訳だ。
『胡散臭い…』
そうだろう、そうだろう。
実際、不幸だって呪いだって放射線だって、誰かが存在を証明するまでは“胡散臭いもの”には違いない。
ま、存在が証明された時には、もう手遅れだがね。
疑うなら、放射線の発見者達がどのような亡くなり方をしたかを調べてみるといい。
これはワタシの意見だが、どんな胡散臭く聞こえる話にも『裏取り』が必要だ。
まあ、不幸屋が分かりにくければ、
“呪術師みたいなもの”と考えて頂いても構わない。
実際、呪術師のことを“払い屋”と呼んだりもする。
ホウキとチリトリを使うワタシだって、それと似たようなもんだろう。
【不幸の元をつくる人達】
それは簡単に言うと、
『まったく自覚のない人達』だ。
不幸の元をつくる人達というものは、
異様なまでに誇りがなく、意地汚く、自分の行動に責任感がなく、そして、他者を貶めることにかけてのみ行動が素早い。
そして、絶対に『反省しない』。
だから、不幸屋の商売が尽きることもない。
……世の中にこんな不幸なことは、他にないとワタシは思うがね。
ちなみに、アナタがもし現在不幸だと仮定して、その理由は『アナタの運命』とかでは、まったくない。
それは、
ただ単に、責任逃れをしたいだけの周りの人達の中で、
唯一『アナタ』だけが誇り高く、清廉で、責任感があり、そして鈍臭かっただけの話だ。
……せめて鈍臭くなければ。
もしかすると、アナタ一人で責任を背負わされずに済んだかもしれない。
その程度の話だ。
だから『自分の運命』のせいにするのはおよしなさい。
それほど無責任なことも、また他にないのだから。
それと、
もしアナタが、
『不幸の元』になっている人に心当たりがあるのなら、できるだけ急いで、その人の近くから去ることをオススメするね。
……その人は『絶対に反省しない』から。
【“不幸”の対価】
不幸屋の具体的な能力は、まあ、イタコの人が霊界から魂を呼び寄せるようなモノだろう。
……尤も、ワタシ自身は魂というものを見たことがないがね。
イタコの方々のご苦労はワタシには計り知れないが、
少なくとも不幸屋の能力にはリスクとか生贄的なものはない。
不幸を払うのは簡単なものだ。体力もほとんど使わない。
だが、ワタシ達不幸屋は代々、お客様それぞれの抱える不幸に敬意を払っている。
だから、不幸の買い取りには、それ相応の対価を支払わせて頂いている。
買い取りの対価は、お金や土地などの財物であったりもするが、不幸と不幸で相殺ということもたまにある。
……実際このパターンが、一番苦労するのだが。
ワタシの経験上、この世には『幸運』というものはない。不幸なら腐るほど扱っているが、幸運というモノに触れた経験は少なくともワタシにはない。
だから、不幸屋が不幸を取り除いたからといって、その人が幸運になれるとは限らない。
それでも、不幸を取り除いてほしいという方のご相談のみ、当方ではお引き受けさせて頂いている。
無責任に聞こえるかもしれないが、
なにせ、この世には『一人は皆の為』だとか『なにがあろうと自己責任』だとか『みんなの為の法律』だとか『この件の一応の決着』だとかいう、責任逃れをしたいだけの人達を納得させる為だけに存在する、無意味な概念がありふれている。
そんな中で、ワタシだけが責任感なんて上等なものを振りかざす気はサラサラないね。
責任感のある人というのはとかく生きづらい。
得てして、そういう人ほど不幸が寄り集まりやすいものだと、経験上ワタシは思っている。
何れにせよ、『他人事の責め』を負わされているアナタは、まったく悪くない。
ワタシに言われても慰めにはならないのだろうが、あまり自分を責めないでほしい。
絶対にアナタは悪くは無いのだから。
まあ、
なんにも気にせず『無責任』に生きてさえいれば、不幸なんてものはアナタの前から知らない間に消えてしまうものだよ。
……一度、無責任になってみる、というのも一つの手かもしれない。
まあ、それこそ『自己責任』というものだろうがね。
ふぅ、ここまでワタシの説明を聞いても。
もし、アナタが、
『自分の不幸』を取り去りたい!
『無責任』になんてなりたくない!
と願うのであれば。
一度、ワタシ【比良雲人也】に任せてみるのも、一つの手かもしれない。
……勿論、ワタシはその結果に対して、責任なんて持たないがね。
なにせ、ワタシは『不幸屋』なのだから。
不幸屋〜比良雲人也のひとり語り〜
完…