社畜のプライド
昼休み。それは従業員にとってほっと一息つける時間であり昼食後は同僚と談笑し、スマホゲームのログインボーナスを受け取ったり、その時間だけは労働を忘れてプライベートを取り戻す。
というのがホワイト企業なんだろうなあ、と思いつつ俺は昼休みに製品規格書を作製していた。一応昼飯は許されているが、俺個人にはその基本的人権すら与えられていない。
エクセルの画面に割って入ってくるのは、営業からの顧客サンプル提出の催促と、知らない部署の人からの退職メールだった。うちの会社は入社4年で同期の数が2割になるジンクスがある。10人入ったら2人しか残らない、そんな会社。先輩たちは異常な状況を疑問に思うどころかネタにして笑っている、笑うしかないのだ。
ついこの間まで俺もその中の1人だった。エルピスと出会うまでは──。
「あれ、佐村今日エナジードリンクなしで乗り切るのか?」
彼は隣の部署に配属された九堂。俺と同じくらい黒い部署にいるが、会社自体が真っ黒なのでどこへ行こうが漆黒の闇しか広がっていない。
「今日は何だか調子良くてな、ドーピングなしで耐えられそうな日に書類片付けとこうかと。お前こそ目の下に隈できてるぞ。また変な納期に振り回されてるのか」
「へへ、まあね。この前お客さんから初めてありがとうって感謝されてさ、厳しい納期だったけど徹夜した甲斐があったもんよ」
駄目だもう手遅れか。やりがい搾取の罠に絡め取られた人間の末路。
「春の健康診断、肝臓と尿検査引っかかってたろ。少しは休めよ」目の前にたまたま上司がいないから、こんな本音をさらけ出せる。
「お気遣い感謝!」
やけにハイテンションなところが会社の闇の深さを物語っている気がした。そしてある日突然燃え尽きてしまう。入社2年目の俺は、すでにそういう先輩を見てきた。九堂は自分の持ち場に戻っていった。
はい、俺はあいつに嘘をつきました。今日はたまたま調子がいい日? んなわけなかろう。エルピスの白魔法のおかげだ。入社して以来一度も体調の優れた日なんてなかった。俺なんかのために貴重な魔素を使わなくていいと言ったのだが、
「わたしだってユーマの役に立ちたい。あのね、初めてなの。人間のために何かをしたいなんて気持ち。初めて感じたこの想いを大切にすれば、お姉ちゃんが願った自分になれるんじゃないかって思うの」
そんなエルピスの言葉を踏みにじる勇気は俺にはなかったし、仮にあるのだとしたら転職先が決まる前に退職ぐらいのことはする。
折衷案として、魔素消費量をできるだけ減らしてくれと頼んだ。エルピスは納得したが、顔には物足りないと書かれてあった。俺を心身ともにフル回復させるつもりだったらしいが、毎日ボロボロな状態で癒やしもなく孤独で休日出勤もこなせないようなら、社畜失格だろ?
昨日はそんな感じのやり取りがあった。意識が目の前の現実に戻される。
部署の人はみんな昼食を摂っている最中。俺は誰もいない実験室に足を運び、昨日エルピスの魔素を送り込んだ水溶液を装置にセットした。
測定値結果は442nmにピークを有する、だった。何となく黄色いではなく、442nmの波長光を吸収する黄色。この数字が大きいほど青っぽくなり、エルピスの体内魔素が増えていることを意味する。青色は580nm以上なので、その辺りが魔素フル充電の状態と推測できる。
「よし、定量化できたぞ! 会社の装置、案外使えるな」
就活のとき影も形もなかった志望動機が今なら言える。
──エルピスを助けるために、俺はここで社畜をやっている。