アニソンのすゝめ
Zony製のヘッドセットを購入し、俺たちは家に帰ってきた。長い1日だった。会社にエルピスが侵入し、怪奇現象だと大騒ぎになって在宅に切り替えて。実験系の仕事は現場でしかできないため、溜まっている事務処理を片付けておこう。発注手配の書類、請求書の内容確認、技術レポート、発表会の資料━━まったくうちの会社は無駄な資料作りが多い。特に技術レポートは半期に9件、つまり2週間に1報のペースで出すことが求められ、間に合わなければ業務放棄の烙印を押されるとともに、なぜできなかったのか、その理由を技術部長に知らせる必要がある。そんなことを考えながら、俺は千里の道も一歩からの諺どおりキーボードを叩く。特にエンターキーは強めに。
俺がストレスに頭を抱えている間、エルピスは早速開封して、ユニットバスの洗面台で試着し、色んなポーズを取ってカメラマンを意識するかのごとくチェックしている。俺に見られていることに気付くと、エルピスは気恥ずかしそうにヘッドセットの着け心地を探るような仕草を取った。お茶目なところもあるんだなと少し安堵した。無論、エルピスはお洒落に興味津々というわけではなく、耳を隠せているか確認するための動作と思われるので、そんな朱くならなくてもいいんだぜ。
「どうかな? これならエルフってバレない?」
「ああ、バッチリだ。着け心地は問題ないか? 長時間着けてると耳の付け根が痛くなったりするのもあるから、そのときは遠慮なく言ってくれ。周りの音は普通に聞こえるか? 音楽鑑賞には使わないから、ノイキャンのないやつを選んだんだが」
「大丈夫。これで魔素を消費せずに、安心して街を歩けそう──あと、他にも気になることがあるの」一度ヘッドセットを取り外すと、「ユーマが言ったオンガ……を聞いてみたくて。この機械から聞こえてくるの?」
「おお、興味があるのか。いいぞ、ちょっと貸してみ━━ペアリングは俺のスマホでっと」
異世界では娯楽の音楽はあまり発展していないのだろうか。そんな俺の考えを察してか、
「昔は村のみんなでよく歌を歌ってたんだって。木の道具を叩いて色んな音を出して楽しんでたけど、ある日人間たちに奪われた。エルフの結束力を高めるものは全部禁止にする、逆らったら殺されるから言いなりになるしかなかった。わたしが小さい頃に村長から聞いた話。ひどいでしょ……」
「エルフが集団の士気を高めて人間を襲うようになったら手に負えなくなる、社員に転職活動する時間を与えないために仕事を降らせるみたいな話か。この世界でも娯楽を奪ったり、似たような歴史があったんだろうなあ──人から自由を奪う奴は、結局のところ反逆を恐れるただの弱者なんだ」
「ユーマ今、ジョーシのこと考えてたでしょ」
「なぜ分かった……魔法か、魔法なのか?」
「早口になるもん。会社のことになると」
「この癖、やっぱり治らないな。陰キャのオタクは自分の好きな話題になると饒舌になるっていう自然法則があるんだよ」
「インキャ? また知らない単語」
「覚えなくていいからなー。これ以上エルピスを毒すると俺の良心が耐えきれない」
そう、昔から俺はあるタイミングで早口になる。1つは理不尽な怒りに震える反撃するとき。つまり武者震いするときだ。例えば高校生のとき英作文の宿題を出すのが面倒で、全部翻訳ソフトに打ち込んで出力結果をちょこっと直して提出したら、見事に見抜かれ怒られた。なぜ怒られたのか俺は理解できなかった。効率的に答えを出すことをむしろ褒められると思っていたのだが、教育の場では俺の行為は悪だったらしいのだ。
それ以来、俺は勉強が嫌いになった。覚える形式の勉強が肌に合わなかったのだ。案の定受験に落ち、大学もさほど努力しなかった先に待っていたのは、ブラック企業へ真っ直ぐ進む道だった。ちなみに今は海外案件の資料を作成するとき、翻訳ソフトをフル活用しており、効率よく業務ができている。皮肉な話。まあ終わらせても次の仕事が降ってくるから、結局残業なんだけど。そう考えると翻訳ソフトを使うなというあの英語教師の忠告は正しかったとも言える。
2つ目。好きな話題、特にアニメの話をするとき。推しキャラ、声優、アニソン、制作会社の話をすると舌が回る回る。会議中の吃りが嘘みたいに。
アニソン━━そうだ、このヘッドセットで俺の好きなアニソンはどう聞こえるのだろう。Zonyの売りはこだわりの音質だ。エンタメにも尽力している企業の努力の結晶の末の商品なのだ。俺は興味を抱いてしまった。その前に、まずはエルピスに聞いてほしい。
「話が脇道にそれるけど、アニソンっていう音楽があって、めちゃくちゃいいんだよ。良かったらエルピスも聴いてみないか?」
「アニソン?」きょとんと首を傾げる。
「アニメっていう俺の心のオアシスがあって、そこのテレビでリアルタイムで観たり、今の時代はスマホのサブスクで見たりして、その主題歌が……」
「ユーマ、早口」
「あっ、すまんすまん。誰かに布教するときは細心の注意を払ってるつもりだけど、その感覚がなくなってたな。誰かと趣味の話をするのが久しぶりすぎて。コホン。さて、アニメには色んな種類があってだな、エルピスがいたような異世界を舞台にしたり、SF──機械文明を高度に発展させた世界観だったり、とにかく多種多様な2次元の世界がそこには広がっている。そんなアニメのオープニングとエンディング、それに劇中歌とBGMも含めた音楽をアニソンというんだ。そのアニソンをエルピスにもぜひ聴いてもらいたくて。特に2010年代のコッテコテのやつとか聴くともう3次元なんかどうでも良くなるくらい嫌なことが一瞬で吹っ飛ぶんだ」
「ユーマがそこまで褒めるなんて、すごい音楽なんだね。じゃあ、ユーマが一番好きな曲が聴きたい」
「ジャンル別に色々あるけど、やっぱり元気が出る系がいいな。『三次元デストロイヤー岡崎』の『微分して出直してこい!』とか独創的で何百回も聴いた。よし、君に決めた!!」
俺は自分のスマホとエルピスのヘッドセットを接続し、音量調節してから「流すぞ」
再生ボタンを押したのだった。