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エルピスの思惑

 アラームで強制的に起こされるという日常は、今日に限っては訪れなかった。鳴る前にすっきり目覚められたからだ。昨晩の白い光で蓄積疲労が解消されたからで、心のスイッチオフ、そして身体はゾンビモードに切り替えなくても出社できそうだ。


 カーテンを開け日光を浴びる。反射したガラスに玄関で毛布にくるまり就寝中のエルピスが映り込む。毛布だけでは寒いかもしれないと考え、敷布団も与えてやった。今それは彼女の尻に敷かれている。最初こそ警戒して眠らなかったが、毛布のふわふわ効果で少しはリラックスできたのか、休息は取れているようだ。俺に対する警戒心も幾分かマシになったと解釈していいよな。


 朝6時前。そろそろ家を出る時間だ。通勤リュックに烏龍茶のペットボトルと白米入りのタッパーを詰め込む。米だけは自分で炊き、惣菜は安売品を買うようにしている。帰宅時間が遅いのでちょうど半額シールが貼られる時間とマッチしているのだ。


 テーブルに『会社に行ってきます。会社は、生きるためにお金を稼ぐ場所のことだ。24時までには頑張って帰れるようにする。食事は冷蔵庫に色々入ってるから、口に合うものを自由に選んでくれて構わない。しばらく暇だと思うので、テレビやタブレットを見ればこの世界のことが少しは分かると思う』と書き置きを残し、起きたエルピスが俺を見つけられず、困惑しないように手を打っておいた。テレビとタブレットの使い方は簡単なイラストで補足説明する。即席でプレゼン資料を作らされる経験が役に立った。


「近づくなとは言われたけど、玄関は1つしかないから許してくれな。ちょっと通るぞー」


 小声で呟き、眠りに落ちているエルピスの横を足音を殺して抜ける。全く起きない。疲労が警戒を上回っているのだろう。異世界でどれだけひどい目に遭わされたのか。昨日まであった無数の傷は、白い光、治癒魔法的なものを発動したときに治したようで、その芸術的な白さに思わず目を奪われた。


 だが、まもなく始まる長い奴隷の1日を考えながら靴を履いているうちに綺麗な思い出はすぐに打ち消される。


「待って」と声がした。


 振り返ると、エルピスがすくっと起き上がった。初めてしっかりと目が合った。綺麗な金髪碧眼、目は大きく、鼻筋の通った顔立ち。栄養不足のためか今は痩せているが、首から腰にかけてモデルのような曲線美を描いている。差し込む朝日が彼女の美貌を鮮明に浮かび上がらせる。アニメやゲームで見慣れた容姿が確かにそこにいる。いや、それ以上だ。まだ夢の中にいるんじゃないかと錯覚しそうになる。


「白い粒々が入ってる箱、出して。昨日準備してたでしょ」

「ああ、ご飯のタッパーのことか? でもどうして急に? お腹が空いてるならテーブルの上に朝飯置いてあるぞ」

「いいから」


「わ、わかったよ……言う通りにするから」あまりに強く迫られたので、理由がわからないまま俺はリュックから容器を取り出した。


 エルピスはそれを掌に乗せると、何やら詠唱らしき儀式を始め、まもなくタッパーの蓋に紋章のような数学的図形が浮かんだ。それは3秒ほど出現し、最後は何事もなかったかのように消えた。


「今、魔法を使ったのか?」

「蓋を開けると中が一瞬で温まる仕組みにした。昨日の温かい食事が美味しかったから……」


「まさか、俺に美味しいご飯を食べてもらうために魔法を使ったのか? なんというか、ありがとな」頭を撫でてやりたかったが、接触するのは彼女に認められてからにすべきだ。「昼飯が楽しみだよ。会社に行くのが楽しみとか、我ながら死んでも言わない台詞だと思ってたよ」


「そう……よかった」


 なぜだろう、人が喜ぶことをしてその行いを褒められたのに、もっと嬉しそうな表情を見せてもいいはずだが、逆に険しくなった気がした。考えすぎか。


「じゃあ行ってきます。書き置きにもあるけど、退屈だったらテレビとかタブレットで色々知るのもいいかと思うぞ。そうだ、あと連絡手段をどうするか決めてなかったな」

「念話すればいいんじゃない? 魔素の消費量も少なくて済むし」


「簡単に言ってくれますねえ。俺たち人間にはそんなの使えません。せいぜい上司が機嫌悪い理由を会話なしで当てられるくらいだ」そこまで言って俺は気づいた。「いや、とりあえず一方向でいいのか。何か困ったことがあって、それを俺が察知できればいいんだから。それなら━━」


 靴を脱いだその足でタブレットを開き、RINEアプリのKeepメモを開いた。


「何か困ったら俺に念話とやらをしてくれ。それを聞いた俺がここに解決策を打ち込む。するとエルピスの知りたい答えが映し出されるってことだ。試しに念話してみてくれないか」


 エルピスは頷くと目を閉じ、『ジョーシって何? 人間の凶暴個体か何か?』


「すごい、はっきり聞こえた。答えはYESだ。悪いジョーシは卑劣な精神攻撃で俺たちを虐めるクズ野郎なんだ」


 エルピスとの念話が成立したことと、上司への怒りが混じり合いカオスな気分に陥ったが、これで安心して出勤できる。


「もし知らない人がインターホン鳴らしても出なくていいからな」

「即死魔法は一応使えるし、自分の身は自分で守れるから問題ない」

「家の玄関で人が死んでたら、俺が逮捕ちゃうんだよなあ……ちょっと意味が違くてな、いろんな家を回ってはジュシンリョーハラエって呪文を唱える輩が怖いんだよ。それは悪魔との契約で、一度結ぼうものなら毎月お金を取られ続ける。まとめると、エルピスは家でのんびり過ごしてくれればいいってことだ」

「わかった。言う通りにする」

「うん、よろしい」


 そして家を出た俺は、通勤ルートを進む。早朝に出ると駅のホームに立つ人の顔ぶれが毎日同じで、きっと向こうもそう思っているのだろうと想像する。お互い早朝から深夜まで大変ですね。働き方改革、そんな魔法みたいな言葉を社内で聞いたことは一度もありませんよ、なんていう世間話をしてみたいものだ。


 吊り革を握り、外の景色をぼんやり眺めながら、俺は何とも言えない違和感を覚えていた。ご飯を温めてくれたり、俺の指示に素直に従ったり、昨夜の様子からしてそんなにすぐ心を開いてくれるだろうか。俺みたいなアニオタゲーオタだからそう捻くれて感じるのかも知れないが。3次元の女の子、いや2.5次元? いや2次元女子がコスプレして2.5次元ではなく2次元女子が現実にいる場合は3次元? いやエルピスにとって向こうは3次元だから次元は変わらずそのままと考えるべきか? ああ、脳がショートするわ。とにかく、エルフという生き物がどう反応するのか、彼女どころか女友達すらいたことがない俺にはさっぱりだった。

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