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互いの呼び名

 エルフの少女? いや長寿というし年齢は定かでないがいったん脇に置いておくとして、玄関で独りひっそりと座っている。寄り添うペットを飼えるほど裕福なわけもないし、俺にはただ見守ることしかできなかった。


 格好はさっき出会ったときと全く同じだ。生きることを諦めた背中だ。真冬の冷たくて尻が痛くなるほど硬い床なんかに座らず、1Kにしては贅沢なソファで寛げばいいのにと伝えたが、当然乗ってくれなかった。まだまだ俺への警戒心は解けないようだ。玄関ならいつでも逃げられる、という心理が働いているのだろうか。無理にこっちで休ませるのは逆効果な気がしたので、今はそっとしておく。


 冷蔵庫にあった野菜サラダとペットボトルの水を彼女の足元から少し離れた位置に置き、俺はテーブルの椅子に腰掛け今月の電気料金の記された明細とにらめっこする。


「うわぁ、電気代高すぎ……。これでも節約してるんだけどなあ」


 生活がじわりじわり苦しくなっていく。もちろん毎月振り込まれる給料は同じ。悪く言えば上がることなく横ばい推移。お金のかからない娯楽で心を回復させつつ、コスパよく生きる道しか残されていないのは自覚している。


 光量を保安灯に下げ、申し訳程度の節約をした気になってから台所のレトルト野菜スープを開封した。野菜サラダより、とろみのあるスープのほうが早く身体が温まるだろうと思い直したのだ。マグカップに熱湯を注ぎ入れ、軽くスプーンでかき混ぜた後、野菜サラダの隣にそっと置いた。好きな方を食べてくれればいい。たぶんこっちに来てからは何も食べていないだろう。


「口に合うかわからないけど、エルフは野菜を好んで食べるって聞いたことがある。アニメの受け売りだけどな。こっちの世界の野菜を色々詰めてスープにしたものだ。寒いし腹も減ってるんじゃないか? 遠慮なく食べてくれ」


 スープをちらりと見ようともしない意思をより一層強く感じたが、それは空腹の裏返しでもある。見ようものなら不審な男の料理に目が眩んでしまい、つい口まで運んでしまう。俺は安全な食べ物であることを強調するため、自らの口の中に入れ、実演してみせた。


「ほら、毒なんて入ってない。ただ君のことを心配してるだけだ。ごはんろくに食べてないだろ?」


「そんなの……信じられないに決まってる。人間には効かない毒の可能性だってある」とはいいつつ、腹の虫が大きな鳴き声を上げた。


「強制はしない。気が向いたら食べればいい。俺はこれ以上近づくことはしない」

「さっき私に手を伸ばしてきた。約束破ったじゃない。どの口が言うの?」

「近づいたのは右手だけであって、大部分の身体は元の座標を保ったままだった……って、おっと職業病的な発言をしてしまったな。とにかく、俺的には近づいてない判定になる」

「狡猾。いかにも人間らしい言い訳」

「なんとでも言え。君が何かしら被害を受けない限り、俺に悪意があると証明はできないんだから」

「人間の分際でエルフを馬鹿にするの?」

「理屈の勝負なら互角に戦う自信があるぞ」

「そう……」


 エルフはしばらく何も言わなかったが、というより思い描いていた人間像に俺が当てはまらなかったからなのか、それとも空腹に耐えきれなかったのか分からないが、スープに一度口を付けると、あっという間に全部飲み干した。人間の食べ物が口に合うかどうか不安だったが、どうやら杞憂で野菜を選んだ俺のチョイスナイスと心中でプチ喜びする。


「美味かったか? まだ足りないならもう1パック出せるけど」

「認めない、認めない……人間の食べ物が美味しいだなんて……空腹のせい。そう、お腹が空いてたからゴミを美味しく感じちゃったんだ。お父さんお母さんごめんなさい。あれだけ人間には気を許すなって教えられたのに、私、騙されるところだった」

「まあ無理にとは言わないが、念のためもう一度聞く。おかわりは?」

「いらない」

「満足頂けたようで何より。それで、せっかく身体が温まってきたんだ。玄関だとまた冷えるぞ。ちょっと待ってろ」


 俺は手にした毛布を畳み、床に置いた。「これを使えば少しは温かいはずだ。ふわふわして気持ちいいぞ。洗濯もまめにしてあるし。どうせこっちに来る気はないだろうし、受け取る受け取らないは自分で決めてくれ」


 すぐに言い返されると思ったが、意外にも床に置かれたそれをしばらく見つめ、俺を一瞥したのち、自らの身体にぐるりと巻き始めた。俺との距離は変わらない。襲撃されてもこの距離なら毛布をほどき逃げられる。そんな思考が透けて見えた。だが、ほんの少し表情が柔和になっている気がした。疲労と眠気のせいで瞼が少し重くなっていそうだった。少しは気を許してもらえたのかな。フワフワなものに包まれると、人間同様エルフも安心するんだな。


「こう見えて俺は毛布にはうるさい派なんだ。肌触り、弾力、断熱、睡眠の質は社畜にとって最後の命綱なんだよ。短い睡眠時間でいかに効率よく質の高い睡眠を得るかという。安月給のくせに奮発して、迷った挙げ句に結局ナトリで一番高かったやつを……」


 エルフはきょとんと首を傾げる。初めて俺の話にリアクションしてくれた! お前の話つまんねえし訳わかんねえ、そんな反応だけでも進歩だろう。


「って伝わるわけないか。ごめんな、誰かと自宅で会話できるのが嬉しくてつい」

「エルフと一緒なのに、あなたは私を利用しようとは思わないの?」

「利用? ああ、エルフの力だか何だかを自分の欲のために使わないのかって質問か。異世界から来たんだよな。魔法の1つや2つ使えるんだろうし、攻撃魔法や回復魔法ってやらを見てみたい好奇心はある。俺にも少年心は残っているんでね。けど、そんなことより話し相手になってくれた君に嫌われたくないっていうか……。すぐには信じられないだろうし、信じられないなら無理してここにいなくていいとも思う。色々言いたいことはあるけど、いま最優先で伝えたいのは、とにかく俺個人は君の敵じゃないってことだ」


 異世界で仲間が蹂躙されたとか、魔法研究の奴隷にされたとか、人間に敵意を抱く何かしらの出来事があったのだろう……。心の傷がある者に、過去を根掘り葉掘り尋ねるのはナンセンスというもの。何事もまずは相手の信頼を勝ち得るところから全ては始まる。


「暗い場所は苦手なの……。あの夜を思い出すから」

「ああ、ごめんな。電気代ケチってしょぼい灯りしかつけてなかったわ。今つけてやるから」

「いいよ、自分でやる。動かないで」


 俺の代わりに電気スイッチを押してくれる、という意味に受け取ったのだが、彼女が両手を広げると、突如として掌に白い魔法陣が出現し、掌から天井に向かって眩い光が発せられた。

 

 その凄まじい光量に一瞬視界を遮られたが、10秒ほどで視界は復活し、俺は言葉を失った。


 LEDライトなどうちにはないはずなのに、なんと部屋全体が白い光に包まれていたのだ。凄い! これが魔法ってやつか! 上司に5回も怒鳴られ人生最大の厄日と思っていたが、あんなハゲなんかどうでもいいくらいに体中から熱が湧き上がってくる。


 いや待て冷静になれ、俺。彼女はその魔力を悪用されて家族や仲間を殺されたのだろう。あまり興奮しすぎては不安を煽りかねない。そんなことを考えているうちに、俺は身体に変化を感じた。


「ん? なんだか身体が軽くなったような?」

「聖属性だから体力と気力が回復する。向こうでは不老不死に悪用する奴らがたくさんいた」

「こんな場所で使っていいのか? 人間である俺の体力を回復させたことになるけど」

「別に。仮に襲われてもあなたなら簡単に殺せる」

「わかってるよ、妙な気は起こさない。電気代節約できるし、深い意味はなくて日常生活に便利だなって思ったのは事実だけど……」

「聖属性魔法を使ったのは、食事に遅延性の毒が入ってる可能性を考えてのこと。いずれにせよ自分のためだから」

「いいと思うよ。人を信用できないってのは俺も同じだし」

「人間なのに、どうしてあなたも?」

「ある日突然平気な顔で裏切るし、今日の味方は明日の敵になる場合もある。かつての親友が久しぶりに連絡くれたと思ったら変な宗教の勧誘だったり金貸してくれとかだったり、全く浅はかな生き物だと思う。いいか、特に俺たち日本人ってのは同調圧力っていう凶悪な呪いに縛られてるんだ。みんなと同じじゃないと気が済まない。頭ひとつ抜けようものなら全力で押さえつけてくるような文化なんだ」

「ドーチョー……こっちの世界には魔法じゃなくて呪いがあるんだ」


 いやいや、と詫びて手を振った。


「誇張しすぎた。半分冗談。同調圧力っていうのはだな、周りの人と同じ行動を取るよう無意識のうちに強制される呪とは別種の概念だ。上司が遅くまで残業するから俺みたいな下っ端は帰りにくくてさ。みんな残ってるのになんでお前だけ早く帰るんだ的な──愚痴はさておき、そろそろ君に聞きたいことがあるんだけど、話していいかな」

「少しなら」

「君のことをなんて呼べばいいかなって。本名教えるのが嫌なら別にいいよ。もうここを出ていきたいのなら、俺たちは所詮それだけの関係だったってことだから特に知らなくても困らない。けどもう少しここにいるのなら、何て呼べばいいか知っておかないと不便だろ?」


 居たいならここにいてもいい、と遠回しに言っているようで歯がゆかった。そういう不器用なところだぞ、俺。彼女いない歴イコール年齢なのも含めて。エルフに対する下心や魔法を悪用したいなどという俗な発想は俺にはない。飾りのない本心だ。ただ唯一の話し相手があっさりいなくなってしまうのが少し寂しいだけで。さてと、まずは言い出しっぺの俺から。


「俺は佐村優磨。ユーマって呼んでくれていい。自己紹介なんて照れ臭いな。いつぶりだろう?」


 彼女はまだ怯える猫のような面持ちで、ゆっくり俺と目を合わせ、「エルピス、それが私の呼び名」


「エルピスか。本名じゃないとしても素敵な響きだ」

「あなたのこと、信用したわけじゃない──、変なことしようとしたら魔法ですぐ殺すから。呼び名は教えた。これで住処を分けてくれるの?」

「ああ、充分。信用してくれって頼む奴は絶対に信じるなよ。俺は親父にそう教えられて育った。言っとくが俺はエルピスより疑り深いからな、って胸張って言いたいところだけど、エルフが現実に現れてあっさり受け入れる時点で説得力ないよな……会社に思考力奪われるってこういうことか」


 それはそれ。唐突に俺の前に現れたエルフことエルピスは、誰も知り合いがいないこの世界でひとまず俺と暮らすことを選んだようだ。未知の世界を1人で放浪するよりかは安全と考えたのだろう。賢明だ。


 俺の心は落ち着いていた。魔法が使えるエルフと一緒に暮らす、全く頭の整理が追いつかないこの状況でも。非現実を真に受けていては脳のリソースが足りないというものだ。受け入れ、そして後から考える。


 時計を眺める。いつもならとっくに夢の中だ。雨が降ろうが槍が降ろうが異世界からエルフが転移してこようが、いかんせん明日も平日だ。そう、出勤日なのだ。今日はもう寝よう。

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