これはきっと、試験ですわ〜。
はぐはぐと、美味しい屋台のソーセージを挟んだパンを、紳士なおじ様と一緒にいただいたリオノーラは、どうやら高級で落ち着きのある大きな喫茶店……会員制クラブでしょうか……に、連れられていった。
「ここは少々若いお嬢さんが来るには、身の危険を感じるかもしれないが、どうぞ私と一緒ということで安心していただきたい!」
「あら、まぁ〜。そうなんですのね〜」
何やらチップを渡して奥の個室に連れて行かれたリオノーラが、品の良い個室の中を、のんびりのんびり、楽しい気分で眺めていると。
そこに飲み物が運ばれてきて、リオノーラはオレンジジュースを選ぶ。
どうやらおじ様もアルコールの入っていないものを選んだようで、二人きりになった後に彼はパン! と手を叩いた。
「ここはボードゲームが豊富でしてな! とても気に入っておるのですよ!」
「ボードゲーム、ですの〜?」
「ああ、だからどうです? 一つ私と、何か遊んでみないかね!?」
キラキラと目を輝かせているおじ様に。
ーーーあらあら、これはもしかして〜。
と、思ったリオノーラは、問いかける。
「わたくしは〜、『領土取り』が少しだけ得意ですの〜」
「ほう、渋いものを選ぶのだな! 男のゲームだ!」
「はい〜、昔から、婚約者とよくやっておりましたの〜」
レイデンもリオノーラも、趣味と言える趣味があまりなく。
そのせいか、二人でいるとただ黙って向かい合っているようなことが多くて。
ある時ふと、レイデンがそのボードゲームを持ってきて『少し付き合ってほしい』と言った。
それは勉強のようなものだったようで、騎士として習わされた課題の延長だった。
『領土取り』というボードゲームは、苗や農夫、騎士や城壁、商人や道路など、様々なカードの中から最初に数枚手にして、領土と呼ばれる地形図にそれらを置いたり、使ったり、増やしたりして陣地を広げていくゲームだ。
ターンごとに動いていき、2ターンやり取りすると季節カードと呼ばれるサイドに置かれた別のカードが変わる。
『穏やかな春』や『豊穣の雨』、『冷夏』『大雪』といった、作物や領地運営に影響のあるカードが用意されている。
明確にルールが決まった、チェスなどと似たような理由で生まれたゲームだけれど、大きな違いは『相手と対話をしながら』作っていくものだということ。
置かれた地形図は様々な国内の領地を簡略化したもので。
『この情勢で、こことは交易出来ない』だとか『この陣地は冷夏で作物は少ない』だとか。
『大雨の影響で、手入れをしていないこの土地は治水に難がある』など。
相手とお互いに納得したり、議論を進めたりしながら、最終的な勝敗を決める。
領地に関わる様々な事柄を学ぶ必要がある上に、広範な知識を必要とする、時間のかかるゲームだった。
リオノーラは、それを朝から夕方まで、様々にお話ししながらレイデンとゲームを進める一日も、お気に入りだった。
ーーーですけれど〜。
「かなりお時間がかかってしまいますわね〜?」
「そうだな! 特に君は、かなりのんびりゆっくりのようですからな!」
スッパリと言われて、リオノーラはニコニコと頷く。
「領地はどこのものにしますかな!?」
「それでは、ここを〜」
幾つか示された土地紙の中から、一つを指差す。
それは、南部辺境伯領。
おそらく、目の前のおじ様が一番得意とする、細部まで知り尽くした土地。
彼は目を見張った後、不敵な笑みを浮かべた。
「ガッハッハ! リオノーラ嬢! そこは、私が最も得意とする領地ですぞ!?」
「存じ上げておりますわ〜」
ニコニコと答えた、リオノーラは。
ゲームが準備される間に、のんびりゆっくり、頭に手を伸ばして。
ーーー今日は〜、さほど疲れるようなことは、しておりませんものね〜。
そんな風に思いながら。
トン、トン、トン、と、指先で3回、こめかみを叩いた。
※※※
「おい! 久しぶりだなレイデン!」
「アダムス様。ご無沙汰しております」
「おう! お前、頭の足りないリオノーラ嬢と別れたって!?」
騎士団の手続きを終えて、久々に修練場に顔を見せると。
つい先日まで貴族学校に通っていた、たまに顔を見せる赤毛の侯爵令息にそう問いかけられた。
「……頭の足りない?」
その言葉に、少々不快さを感じたレイデンが眉根を寄せると、おっと、と侯爵令息は口に手を当てた。
「妹がそう言うから、ちょっと移ったわ。悪い悪い」
アダムスは、身分に似合わず気さくな青年だ。
レイデンが剣の扱いが上手いので、気にかかったようで何度か手合わせをする内に、騎士団内ではそこそこ打ち解けた仲になっていた。
なんでも、レイデンが身分に遠慮せず、手加減なしに打ち合ってくれるのが気持ちいい、との話で。
ーーー当然だろう。
レイデンは、そう思っていた。
命を預ける腕前を鍛える為の剣なのに、身を守る役に立たない練度で何の意味があるのか、と不思議に思う。
彼は流石に身分が侯爵家長男で、正式な騎士ではないということもあって、レイデンが派兵された辺境伯領攻防戦には参加していなかった。
「妹が、なんであんなに気にかけてるのかは分かんないんだけど、よく言ってるんだよな。『いくら頭の足りないリオノーラでも、貴族学校を一期で辞めるなんて何を考えてるんですの!?』ってさ」
「ああ……筆記試験の時間が足りなかったとかいうやつですか」
しかし、そんな呼び方をされていたのか。
昔から馬鹿にしたような物言いを受けることの多いリオノーラだが、何度聞いても不快なものは不快だ。
レイデンは彼の妹、エルマリアとも顔見知りだが、特に深い話をしたわけではないので、少し嫌な印象を持ったが。
「ああ、アイツの口が悪いのは気に入った相手に対してだけなんだよな。お前のことも『猪レイデン』って呼んでたぞ」
「猪……」
確かに、一本気とか堅物と言われることは多いが。
「それで、何で別れたんだ?」
問われて事情を話すと、アダムスは仕方なさそうな顔をした。
「あぁ、まぁ……よくある事だけど……連れて行かないのか?」
「辺境伯家と何の繋がりもない者が、後を継ぐわけにはいかないでしょう」
「跡継ぎに望まれてんのか。お前、真面目で有能だしな。その割には、顔が嬉しくなさそうだけど」
リオノーラを妻にするならば、そもそも辺境伯領には行く必要がなく……辺境伯の誘いを断れば、リオノーラがレイデンに望んだ『最強の騎士』になれない。
苦慮の末に、リオノーラ本人に後押しされての決断だった。
正直、気は乗っていないが。
「やると決めたからには、やるだけです」
「そっか。まぁ、頑張れよ! 辺境伯の御令嬢は、賢くて気が強いけど、超美人だって評判だぜ! 俺は苦手だけど!」
「賢い、ですか。……私は、リオノーラより賢い女性を見たことがないので、お会いしてみたくはありますね」
「は?」
アダムスは目をぱちくりさせた。
「え、貴族学校一期で落第したんだろう? なのにリオノーラ嬢は賢いのか?」
その問いかけに、レイデンは珍しく、微かに笑みを浮かべる。
誰も彼もが、彼女ののんびりとした雰囲気と、笑みを絶やさないほんわかさと、あの安らぐ語り口に騙されるのだ。
「アダムス様、私と何度か『領土取り』をしたことを覚えていますか?」
彼に気に入られて何度か侯爵家に伺ったことがあり、その際に勉強がてらに手合わせを願った。
アダムスは流石に、様々な知識を持っていて手強かったが。
「覚えてるよ。まさか一介の騎士にコテンパンにされると思わなくて、あれから結構真面目に勉強するようになったんだぜ?」
「私は」
笑みを浮かべたまま、レイデンはアダムスに告げる。
「ーーーー『領土取り』で、リオノーラに勝ったことは、ただの一度もありません」
※※※
おじ様は、呆然とした顔で盤面を見下ろしていた。
『苗はここに。ここの土地はここ数年の天候から現在、土地が肥沃である可能性が高く、3年あれば、収益は倍となるでしょう』
『ここには鉱山が眠っている可能性があります。地形的にサレアン領の魔石鉱山との類似点が多く、魔力が集中しやすいはずです。魔力探査を行えば、正確な位置が特定出来るでしょう』
『この交易ルートは存じていらっしゃいまして? 難所と呼ばれる地形で敬遠されていますが、地元の漁師は自由に出入りなさっています。信頼を得てルートを知れば、これまでの八割以下の時間で交易が可能となるでしょう』
『こちらには特産品が数多く眠っております。地元では当たり前すぎて注目されておりませんが、量産できる肉や魚の旨みを引き出す調味料があることを文献で読み、滅多には手に入らないとされる南国からの輸入香料も育つ気候と土地柄ですので、育てれば領の唯一無二の強みとなるでしょう』
そうした『淑女のリオノーラ』の数々の提案に、最初は目を鋭くして聞いていたおじ様は、段々と驚愕の表情に変わり、そして今。
領土の八割を平定する、育てた品による買収や兵による侵略で得たリオノーラが作った勝利盤面を、見下ろしていた。
リオノーラは、淑女の微笑みを浮かべたまま、静かに首を傾げる。
「そろそろ日も陰って参りました。よろしければ、辻馬車をご用意いただけますと幸いですわ」
「あ、ああ……」
おじ様がベルを鳴らすと、現れた従業員に手配を依頼する。
「これは、本当かね……?」
理路整然と議論を制したリオノーラへの質問に、小さく頷いて見せる。
「ええ。全て推察ですけれど、読んだ本などの資料は全て誦じておりますわ」
近くに置いてあったメモ書き用の紙を手繰り寄せて、リオノーラはサラサラとその本たちの題名と著者名を書きつける。
「どうぞ、お納めくださいませ。おじ様なら、その著者がたにお会いするのも容易いでしょう。後日質問等あれば、いつでもお手紙をくだされば、すぐに返答させていただきます」
馬車の用意が出来た、という声を受けて立ち上がったリオノーラは、入り口で淑女の礼を取り、最後に一言、付け加える。
「辺境伯様の娘として、少しでも相応しいとお思いになっていただけておりましたら、幸いにございます。……それでは、失礼いたしますわ」
再会を願って、と背を向けようとすると、おじ様の静止が掛かる。
「すまないが。……君の最初の態度は、演技かね?」
そう問われて、リオノーラはへにゃりと、いつもの自分に戻る。
「いいえ〜。こちらが、本来のわたくしですわ〜」
リオノーラはおじ様……辺境伯に答えを返して、のんびりのんびりと、馬車に向かう。
閉じたドアの向こうで、アバランテ辺境伯は盤面とメモ帳を見比べて、徐々に生気を取り戻していった。
そして震える手でメモ帳を取り上げると、ポツリと呟く。
「少しでも相応しいか、だと……? とんでもない。リオノーラ嬢……君は、至宝の原石だ……!」
こうしてはいられない、と辺境伯は紙を持って来させ、必要な各所への手紙を猛然と書き始めた。
淑女のリオノーラ、本領発揮回です(๑╹ω╹๑ )有能な辺境伯が、逃すわけがありませんね
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