猪の秘密ですわ〜。
そうして翌日。
リオノーラは、ノホーリのタウンハウスの横にある、レイデンの実家を訪れていた。
仲違いして別の家に養子に入った訳ではないので、レイデンとライサン・ブル男爵……ライサンお義父様との仲は当然今も良好である。
むしろ、息子が南部辺境伯騎士団長にまで成り上がったことを一番喜んでいたのは彼だったかもしれない。
お酒に酔った時に、嬉しそうに自慢しているのをリオノーラは見ていた。
「やぁ、待っていましたよ、リオノーラ嬢」
「ご無沙汰しておりますわ〜」
幼少から交流のある方なので、気安い関係である。
レイデンと共に訪れたことも喜んでくれている彼と庭を散策しつつ歓談していると、ライサンお義父様の方から話を振ってきた。
「それで、何か聞きたいことがあるということでしたが?」
「ええ〜、実は〜、レイデンの出自に関することなのですけれど〜」
セフィラ様からの情報を元に推測を立てたリオノーラは、ゆっくりゆっくり、首を傾げた。
「出自、とは?」
ライサンお義父様が、不思議そうな顔をするけれど。
リオノーラは、一瞬彼の瞳の奥に動揺の色が見えたのを見逃さなかった。
「少々、気になるお話がございまして〜、わたくし、調べたことがございますの〜」
それは、レイデン自身のこと、というよりも、ライサンお義父様と……少し前に病で亡くなられた、レイデンのお母様のことだった。
「ライサンお義父様が爵位を賜ったのは〜、レイデンが生まれる辺りのことでしたわね〜?」
「ああ、それがどうしたのでしょう?」
ブル男爵家の成り立ちは、一見して問題のあるものでも、特殊なものでもない。
元々、オルブランから委任を受け、オルブラン領の一部である小領と準男爵位を授かっていたのが、レイデンの祖父だった。
年月が経ち、ライサンお義父様が商売で成功した後、レイデンが生まれるのを契機にオルブランから正式に領を譲り受け、王家から男爵位を授かった。
そうしてオルブランの傍系の血筋であるという令嬢、つまり、レイデンのお母様との婚姻を結んだのだ。
彼女の出身地は、ブル領の上にある、オルブラン傍系の方が預かる小領だった。
何も問題のない……何かあるとすれば、旧家に成金と呼ばれることくらいの……貴族家誕生である。
が。
「ライサンお義父様にお伺いしたいのは〜、レイデンのお母様が〜、本当にオルブランの血筋の方なのかどうか、という点ですわ〜」
レイデンが血統を継ぎながらもオルブラン侯爵家の方々と面識がなく、親戚として交流していないことそのものは、不思議なことではない。
基本的には王家の血筋か特別な血統である公爵、王家に次ぐ力や広い領地を持っている侯爵、その下の位である伯爵。
これらはいわゆる『高位貴族』と呼ばれており、社交の場そのものが、子爵、男爵、準爵位の『下位貴族』の方々とは別であることが多い。
全ての貴族が参加する例外は貴族学校での子息交流と、王家主催の新年会くらいのものだろう。
それも、貴族学校はともかく実際の社交の場では爵位が上の者に自分から話しかけることは出来ないし、二つ爵位が離れていれば別世界の住人という程に、貴族の間でも隔たっている。
リオノーラが子爵令嬢でありながら、養子入りの交渉の為にザムジードお義父様との対話を叶えられたのは、一度箔をつける為に伯爵家に養子入りしたレイデンという繋がりがあったことと、ザムジードお義父様自身が興味を示して下さったから。
エルマリア様やセフィラ様が懇意にして下さったのは、貴族学校で接触があったからだ。
どれも、例外なのである。
つまり、下位貴族の傍系であれば、世代を経ていれば本家の侯爵家との直接の繋がりがなくとも、おかしくはない。
けれど、セフィラ様はレイデンのことを知っていた。
ならばそこに何か理由がある筈、と考えたリオノーラの問いかけに、ライサンお義父様は目線を逸らす。
「妻は当然、オルブラン侯爵家の血筋ですとも。傍系ではありますが……何か疑わしいことが?」
「ええ〜、わたくしがそんな風に思った理由が一つございまして〜……その疑問を抱くきっかけとなったのが、セフィラ様のお言葉なのです〜」
『霧に覆われた先で通じるのは、海に面した北の端。そして猪の出自ですわ。上手く動かれませ』
セフィラ様はそう仰った。
海に面した北の端、にある領はオルブラン侯爵領と北部辺境伯領。
そして『霧』が指すのがミスティ子爵家であるというのなら、その言葉はセフィラ様の実家であるオルブラン侯爵家と北部辺境伯を示している筈。
リオノーラの実家であるノホーリ領は王都の西に位置していた。
そしてオルブランからライサン・ブル男爵……レイデンのお父様が賜ったブル領は、ノホーリ領よりも少々北西にある。
その二家の間にあり、北部辺境伯と繋がる寄子の子爵家の領が、ミスティ領なのである。
『霧』の先にあり、思想が異なる二つの領。
そしてミスティ領、ブル領、そしてオルブラン領に隣接する一つの小領が……今回、リオノーラが買い上げようとしている、反帝国系の鉱山がある領だ。
地理関係と、歴史。
「レイデンのお母様の両親……つまりレイデンのもう一人のお祖父様とお祖母様は、ずいぶんご高齢でいらっしゃいましたわね〜?」
お二方とも既に亡くなっており、預かっていた小領はオルブランの直系管理に戻っている。
血筋の者に分割統治を行わせることもまた、不思議なことではないけれど。
「お子を宿すには、少々ご高齢過ぎたようにも思えますわ〜。そして、その隣の領では〜……幼くして、娘が一人亡くなっているという記録が〜、ございますわね〜」
勿論、家系図上では『レイデンのお母様』は祖父母の実子ということになっている。
けれど、レイデンや北部辺境伯に関わる貴族家の地理関係や、北部辺境伯が狙っているという王家の秘密。
またアルミニカ様の生まれたペソティカ男爵家……重要な資料編纂を担う貴族家を中心としたセフィラ様の動きと、リオノーラも知っていた彼の性別の偽り。
オルブラン侯爵は、何故子どもに対してそんな『遊び』を思いついたのか。
本当に女性社交の間者としての役割を与えることだけが、理由だったのか。
そして『親王派』でありつつも、反帝国系領と親帝国系領の境界線にある、鉱山の小領とレイデンの祖父母の小領。
そこから導き出した、リオノーラの答えは。
「あくまでも推測ですけれど〜。同じ『親王派』で隣接領であるレイデンの祖父母と〜、鉱山を有する小領主の間には〜、交流があったのではないでしょうか〜。そして小領主は〜、王室の傍系ですわ〜」
血はかなり薄まってはいるけれど、国の主要な管理場である鉱山の小領を任されていた人物。
そしてもう一つ……戦乱期を過ごし、ライオネル王国を戦火から守り抜いた先代国王は、英雄によくある傾向として、色を好んだという。
だから、可能性として最も高いのは。
「レイデンのお母様は〜、先代国王の隠し子、なのではないでしょうか〜?」
もしそうであるとするのなら、全ての出来事が繋がるのだ。
北部辺境伯が疑った王家の秘密と、オルブランの一族が知っている情報が一緒であるとするのなら。
レイデンのお母様が、実際は高齢の両親から生まれていなかったとすれば。
交流のあった鉱山預かりの小領主が、手に余るほど大きな秘密を預かったのだとすれば。
それを死んだことにして、密かに……高位貴族の血筋であり、信頼がおけるレイデンの祖父母に預けたのだとすれば。
北部辺境伯の狙いがーーー大逆なら。
王家の血筋を、それも先代国王の『孫』を旗頭に据え、最悪の場合、親帝国系のオルブランのみならず、王家にまで牙を剥こうと考えているとするのなら。
その『子』は。
今もなお生き残っている血筋の『子』は。
『聖剣の複製』を完璧に操り、【災厄】に際して魔王獣すら〝光の騎士〟と共に降した『子』は。
「レイデンは〜、かつて〝光の騎士〟に選ばれた者の血統であり〜、今なお国に安寧をもたらす〜、ライオネル王家の血筋なのでは〜、ないのでしょうか〜?」
その、北部辺境伯に狙われいるレイデンは今、巡り巡って、かつてライオネルが統治していた南部辺境伯領へ。
しかも、王家の信頼が厚いザムジードお義父様の下で騎士団長になっているのなら、それは運命の悪戯という他ないけれど。
「いかがでしょう〜? ライサンお義父様〜?」
リオノーラの問いかけに、ライサンお義父様は一度チラリと、レイデンの顔を見て。
それから静かに、目を閉じた。