クゥちゃんの事情。
ーーーソルディオン伯爵家夜会後。
「カーマ様。一体、これはどういうことですの?」
クゥ・ミスティ子爵令嬢は廊下を歩きながら、婚約解消を発表したパーティーを辞したカーマ・ソルディオン伯爵に問いかけた。
「どう、とは?」
眼鏡をかけた涼しげな美貌のカーマが首を傾げるのに、クゥは扇を顔の前に立てて目を細める。
「セフィラ様があのようなことをなさるとは、聞いておりませんけれど?」
「私も聞いていないな」
「だったら何でいつも通りのムッツリ顔なのですの。計画が台無しになりますわよ」
「クゥ。セフィラの考えることが私に分かるとでも?」
いつも通り淡々とした返答と共に、客間の前にたどり着く。
中にカーマを誘ったクゥは、音を遮断する魔術を部屋にかけてから……いきなり彼の肩をガシッと掴んで揺さぶった。
「あの女装男が暴走したら! めちゃくちゃになるの分かってるでしょうが!! 『私に分かるとでも?』じゃないのよーーーーー!!!」
「落ち着け、クゥ」
「これが落ち着いていられる訳ないでしょうが!! 下手すると内乱勃発しかねないってこと、アンタ本当に分かってんの!?」
「分かっている」
「だったら何で落ち着いてんのよーーーー!!!」
クゥが、今日ようやく婚約を結べるようになった恋人を怒鳴りつけると、彼はこちらの頬に手を伸ばし、相変わらずのムッツリ顔で言葉を発する。
「可愛いな、クゥ」
「今はそんな話してねーのよ!!」
相変わらずカーマは、見た目だけは賢そうな雰囲気を出しながら大ボケ野郎である。
昔からそうなのだ。
セフィラもカーマも、ことの重大さが全く分かっているのだろうか。
「お父様と北部辺境伯にバレねーようにやってきたことが台無しになるかもしれないのよ!?」
クゥは、セフィラともカーマとも幼馴染みである。
出会ったのは、それこそソルディオン領での交友だった。
こんな状況になっている理由は、クゥ達が生まれる前からの北部辺境伯家の動きに端を発している。
昔から反帝国系である北部辺境領と、その寄子であるミスティ子爵家は、もう一つの隣国である大公国との交易を重視しており、そちらとの繋がりで戦後も順調に発展してきていた。
貴族の力関係は複雑である。
現在はその情勢が、ますます複雑を極めている状態だ。
クゥ達が生まれるより前は、まず現王家に忠誠を誓う『親王派』、王室よりも歴史が長く、外国からも支持を得ているオルミラージュ侯爵家を寄親とする『中立派』、前王国の王家の血筋である『アバッカム永世公爵家派』の三つに大きく分かれていた。
表向きはどこも明確に王家に反抗するようなことはないけれど、水面下では思想が一枚岩ではない。
『親王派』の中でも、文官系武官系の対立が過去にはあったくらいだ。
軍を預かるデルトラーテ侯爵家と、当主が現宰相を務めるラングレー公爵家も元々は対立しており、それを纏めたのが国王陛下なのである。
そこに、戦後の商売での成功……財力を背景に影響力を増した貴族家や、領地はないが爵位を得た大商人などの第四派閥『新興商派』が生まれて権力のしのぎを削っていたのが、つい最近までの話。
ここからが、ややこしいのである。
元々力を持っていた『親王派』の中でも、自由な気質と豊かに作物が実る土地を持つ〝国の穀物庫〟オルブラン侯爵家は『親王派中立閥/親帝国系』であり、しかも武官閥や文官閥とも対等な関係を築ける程、国王陛下の信頼が厚い。
そんなオルブランが、ある時、隣国の帝国で起こった虫害飢饉に際して食物を支援した。
『中立派』のオルミラージュ侯爵家も同様に、虫害対策の方面で帝国を支援して、同様の『親帝国系』と見做されたのだ。
そして北部辺境伯家は『親王派武官閥/反帝国系』であり、これが面白くなかった。
故に北部辺境伯家は『親王派』から徐々に距離を置き始め、王太子殿下婚約者の地位に娘を据えようと狙っていた反帝国系の『アバッカム永世公爵家派』や、高位貴族との繋がりがあまりない『新興商派』に近づき始めたのだ。
これが、クゥ達が生まれる前後の話である。
そして最近になって、貴族の情勢がさらに激変した。
今まで大して目立ってもいなかった平凡な貴族家、エルネスト伯爵家。
ここの義姉妹の内、義姉が王太子殿下の婚約者に選ばれ、義妹が中立だったオルミラージュ侯爵家当主である魔導卿との婚約を発表したのである。
ほぼ同時にアバッカム公爵令嬢が騒ぎを起こし、また王太子暗殺を目論んだとしてアバッカム公爵が捕らえられ、生涯幽閉に。
露見したのは後継者であるアバッカム公爵令息の忠言であり、彼の功績によって家自体の取り潰しは免れたものの、勢力は削がれた。
そのアバッカム公爵令息はオルミラージュ侯爵と仲が良く、噂では『王太子殿下の妹と婚約して王家に入るのでは』とも言われている。
実質、旗頭を失った『アバッカム永世公爵家派』が混乱している隙に、オルミラージュ侯爵家の後ろ盾を得た義妹が動いた。
公爵令嬢の騒ぎの際に『親王派』の主派高位貴族の嫡子数人に恩を売った上に、『新興商派』の中でも存在感の大きい侯爵家令嬢や外務卿を担っていた伯爵家の令嬢と友好を結び、女性社交界を掌握したのである。
そして王太子殿下の婚約者である義姉は、同様に『新興商派』の中で力を持つローンダート商会の子爵令嬢と仲が良い。
これにより何が起こったかというと。
オルミラージュ侯爵家を筆頭とする『中立派』と王家を筆頭とする『親王派』が義姉妹を通して強固に結びついた上に、残りの勢力もほぼ『親王派』に取り込まれたと言っても過言ではない状況になってしまったのである。
結果、『親王派』と距離を置いて、幽閉されたアバッカム公爵と懇意にしていた北部辺境伯は、影響力を失い始めたのだ。
『新興商派』との繋がりや大公国との繋がりでギリギリ保ってはいるものの、確実に思想面での主流ではなくなってしまった。
今さら親帝国系に鞍替え出来ず、したところでジリ貧なのは目に見えている。
そこで北部辺境伯に目をつけられたのが、セフィラ様と婚約を結んでいたソルディオン伯爵家と……オルブランの力を削ぐための布石として、彼がソルディオンと交流を持たせていたミスティ子爵家だったのである。
せめて経済面から、ライオネル王国内で強固な地位を築きたい。
その為に、隣接領であり因縁もあるオルブラン領の力を削ぐか、あるいはその肥沃な領地を奪いたい。
それが、クゥ達が動くことになった経緯だった。
「ねぇ! やることはセフィラの性別を明かして私と婚約を結ぶところまでの筈じゃない! こんな状況でペソティカ男爵家のご令嬢と繋がりがあるって見せちゃったら、北部辺境伯にこっちのことがバレるわよ!?」
クゥの父親であるミスティ子爵は気の小さいイエスマンで、北部辺境伯に逆らうことなど考えられない性格をしている。
しかし、カーマもクゥもモノの道理が分からない馬鹿ではないのだ。
いくら北部辺境伯とはいえ、オルブラン領と争ってタダで済むわけがない。
あの家は当主を含め頭のおかしい連中しか揃っていない上に、陰謀が露見すればあそこと仲が良い王家までも敵に回すことになる。
計画が露見して北部辺境伯が自暴自棄になったら、なりふり構わず武力を行使する可能性も高かった。
元々、対帝国の先陣となる領地を任されている武家なのである。
そんな北部辺境伯が遺恨と焦りで目が曇っていると判断したクゥは、カーマに相談してセフィラにその事実をリークした。
代わりに『穏便に済ませて欲しい』という懇願と共に。
すると幼馴染みのセフィラは調査を始めて『北部辺境伯は経済闘争の他にも、何らかの王家の秘密を狙ってペソティカ男爵家に仕掛けようとしている』というところまで暴き出した。
その上で、北部辺境伯の計画が上手く行っていることを見せる為に、『パーティーの場での婚約者交代』を画策した……筈だったのに。
セフィラが、オルブラン侯爵家らしく、ド派手にやらかしたのだ。
「絶対『そっちの方が面白い』とかそういう理由なのよーーーーー!! このままじゃうちの実家が潰れちゃうわよーーーーー!!!」
「落ち着け、クゥ」
「落ち着いてられるわけないでしょーーーー!!!」
クゥは、昔からセフィラが女性でないことも知っているし、何ならずっとカーマの婚約者でいるつもりもないことや、スパイとして活動している事実まで知っている。
それもセフィラが『貴女に教えておいた方が面白そうだから』知ったことなのだ。
なので、カーマと密かにお付き合いすることそのものは、全然問題なかったのだけれど。
「このままじゃ貴方と結婚出来なくなるかもしれないのよーーーー!! うわーーーーーん!!」
「それは困るが、それはない」
「何で分かるのよーーーーー!!」
「セフィラはクゥもお気に入りだから、悪いことにはならない」
ボロボロと涙を流していると、相変わらずムッツリ顔のまま、カーマがハンカチで顔をそっと拭ってくれる。
「多分だが……もうバレても大丈夫なんだ」
「ぐすっ……どういうことぉ……?」
「どういうことかは分からんが。セフィラが動いた時に、後を追うように動いた者が二人いた」
「誰ぇ……?」
「南部辺境伯領騎士団長、〝殲騎〟レイデン・アバランテ卿と、その奥方であるリオノーラ・アバランテ夫人だ」
言われて、クゥは目をぱちくりさせる。
「リオノーラ……? 昔、セフィラが話してた貴族学校を一年で中退した子……よね?」
「そうだ。その後、何故か南部辺境伯の養女になり、レイデン卿と結婚した。ソルディオン自体は元々土地の関係からも南部寄りだったので、南部辺境伯御本人からも教えてもらったが」
カーマは、全く表情を変えずに、こう口にした。
「ーーー彼女は、オルブラン侯爵領を一人で相手に出来る程の知恵者であるそうだ」