サラリアお義姉様と〜、交渉ですわ〜。
「全くもう本当にリオノーラったらリオノーラ! のんびりゆっくりノロノロトロトロしてるのに、あれもこれもそれもどれもやり過ぎよ!」
「申し訳〜、ございませんわ〜」
後日、リオノーラの私室に来られたサラリアお義姉様は、ちょっとプリプリしていた。
腰に両手を当てて胸を逸らしている彼女に、ニコニコと応じたリオノーラは。
目を閉じて、ゆっくりゆっくり人差し指を上げると、トン、トン、トン、とこめかみを三度叩いてから、目を開く。
「ですけれど、少々不穏なことが起こっていそうですので、どうしてもこの件について、お義姉様にお話をお伺いしたいと思いまして」
『淑女のリオノーラ』になってそう答えると、サラリアお義姉様は目をパチクリさせてから……スッと真剣な目になった。
「ふぅん。それはあれかしら? あれなのかしら? レディ・リオノーラとして、サラリア・ノホーリではなくサラリア・デスタームに話を聞きたいというお話なのかしら?」
「その通りですわ」
リオノーラがうっすらと目を細めて微笑むと、逆にサラリアお義姉様は表情を消す。
「情報交換なら、主家オルミラージュに関係することは話さないわよ。話さないったら話さないわよ?」
「ご安心を。話題はオルブランの暗躍についての方ですわ。存じておられますでしょう?」
「なるほど、なるほどなるほどね」
セフィラ様に腕輪の飾りを渡された時、サラリアお義姉様もその場におられたのだから。
調べていない筈がない、とリオノーラは思っていた。
サラリアお義姉様のご実家であるデスターム伯爵家は、いわゆる『寄子』と言われるものだ。
それが何かというと、特定の貴族に庇護を受ける代わりに、その勢力に属し、お互いに便宜を図ったり、あるいは金銭等の利益を上納するという関係性である。
デスタームの『寄親』に当たるのがオルミラージュ侯爵家であり、寄子の中でもデスターム家は先祖代々オルミラージュに仕える懐刀……いわゆる、貴族家の〝影〟と呼ばれる家系なのである。
この〝影〟というのも曖昧な概念なのだけれど、デスタームのように爵位を持つ家もあれば、完全に存在を秘匿されている家もある、とアバランテのお義父様に聞いていた。
〝影〟の仕事内容や役割も様々で、護衛から敵対者の暗殺、情報収集から身の回りの世話等。
いわゆる騎士や侍女、間者や暗殺者としての仕事まで、仕える主家の為に全てを手配したり家の者を派遣したりと、家ごとに異なるのが実情だそうだ。
デスタームはその中でも、前王国時代から長く権力の座にある筆頭侯爵家の〝影〟である。
そしてサラリアお義姉様は、デスターム当主の娘。
本来であれば、下位貴族であるノホーリ子爵家に嫁に入るような方ではなく、婿を迎えてデスタームを継ぐ立場である。
『あまりにも有能であるが故に、次期デスターム当主でありながら自由な振る舞いを許された規格外の娘』と、アバランテのお義父様は仰っていた。
サラリアお義姉様が、何故リオノーラを気に入っているのか。
その理由は、出会った瞬間に分かっていた。
『初めましてったら初めまして。あらあら、貴女がリオノーラ? リオノーラなの? 困ったわね困ったわ! 私、私と同じくらい賢い子は初めて見たわ!』
と、仰っておられたのだ。
リオノーラも、気づいていた。
サラリアお義姉様の喋り方が忙しないのは、決して落ち着きがないからではない。
あまりにも頭の回転が速すぎるが故に、普通の人よりも生きるテンポが速いのである。
そんな『デスタームの顔』を見せているサラリアお義姉様が、リオノーラに問いかけてくる。
「それで、何を提供してくれるのかしら? 私の可愛い可愛いリオノーラは、こっちの情報を渡す代わりに何をくれるのかしら?」
「アルミニカ様よりお伺いした、セフィラ様と出会った際の状況をお話し致しますわ」
その詳細や、アルミニカ様の恋心等の顛末について語るつもりはない。
けれど、どこであの方々が接点を持ったのか、その点についてはサラリアお義姉様としても知りたい部分ではないかとリオノーラは思っていた。
彼女は、セフィラ様……ひいてはオルブラン侯爵家を警戒しておられる様子だったからだ。
「良いでしょう、それについては良いわ。でも答えるかどうかは逆にリオノーラが聞きたい事次第よ? 分かるわね、分かるわよね?」
「勿論ですわ。わたくしの推察について。真偽を判断する為に、裏の繋がりがどうなっているのかを確定させる必要が出て参りましたので、話せる範囲で教えて下さいませ」
リオノーラは小さく首を傾げて、サラリアお義姉様に問いかける。
「主家こそ違えど、デスタームとオルブランは同じ立場に在る、とわたくしは考えております。如何でしょう?」
デスタームがオルミラージュの〝影〟であるように。
オルブランは王家の〝影〟である。
そう考えていたから、訊ねたのだけれど。
「少し違うわね、違うわ。『アレ』は今は王家を気に入ってるだけ、それだけよ」
淡々と告げるサラリアお義姉様に、リオノーラは頷いた。
「先祖代々仕えている、という訳ではないのでしょうか?」
「そう、そうね。『アレ』には頭がないの。いえ違うわね、『頭を自分で決める』という方が正しい、正しいかしら。今の当主は国王陛下と親しいの、だから今はそうなの。けれど嫡男は違うわ、違うわね」
「次期当主……セフィラ様のお兄様ですわね」
「そう、そうよ。『アレ』の嫡男は、オルミラージュ侯爵の婚約者であるリロウド伯爵令嬢を頭に選んだわ。だから今は味方、今はね」
頭がない。
それはつまり、仕える相手をその時々で自分たちで定める、ということなのだろう。
今の当主は王家であり、次代の当主は次期オルミラージュ夫人をその相手に選んだと。
「信用出来ない相手、ということですわね」
「ええ。基本的にはライオネルの不利益になるような事はしない、しないわ。けれどもし国そのものを見限れば、厄介な上に厄介なのよ。連中には欲がないの。欲がないから余計に厄介なの。自家の不利益となるような事はしない、とすら言い切れないから、厄介なのよ」
オルブラン侯爵家は、秩序に則った行動をしない、ということだろう。
「個々の血族の方々はともかく、家としての行動指針は、どのような?」
「『面白いこと』」
サラリアお義姉様は即答した。
面白い、が、行動指針。
それは仮に法を犯すようなことであっても、あるいは紛争の火種となるような行為であっても、『面白ければやる』ということだろう。
「確かに、厄介ですわね」
「そうよそうよ、そうなのよ。だから信用も出来ないし信頼も出来ないし、なのに能力が高いから凄く凄く凄く厄介なの」
「理解致しましたわ」
セフィラ様の行動が、面白がっているから……とは思えなかった。
リオノーラとの初対面の時の様子から気質は感じるけれど、会って話した感触から、リオノーラはアルミニカ様の件については『面白がっているわけではない』と判断した。
あの少し寂しそうな様子は、演技とは思えない。
けれどそう、家系図の中に記された嘘の性別表記はオルブランの誰かが『面白そうだから』やった可能性はありそうだった。
そしてセフィラ様が、何故アルミニカ様に最初に目をつけたのかも、分かった気がした。
「ありがとうございます、サラリアお義姉様。こちらからお伝えする、アルミニカ様とセフィラ様のことですけれど」
と、リオノーラはかいつまんで二人の出会いと状況を説明する。
それだけで、サラリアお義姉様もピンと来たようだった。
「なるほど。つまり秘密裏に何かを書き換えさせる為ということね」
「はい」
サラリアお義姉様が、彼が男性であることを知っているかどうかは分からないので、その点も伏せておいた。
おそらくセフィラ様は、家系図の表記を書き換えさせる為に、最初はアルミニカ様に目をつけたのだろう。
ペソティカ男爵家は『資料編纂』を担う家なのだ。
友人になり、家に潜り込んで当主か長男を籠絡するか、弱みを握って脅すか……その辺りを狙っていたに違いない。
けれど、おそらくはやめたのだ。
今は、別の手段を考えているのかもしれない。
そしてさらに、おそらくは何か、セフィラ様個人として別の狙いを作っている。
だって、探査の魔術が掛かっていることを、わざわざリオノーラに分かるように伝えたということは、きっとリオノーラが動くことも織り込み済みの筈だから。
「ねぇ、リオノーラ」
「はい」
「何を書き換えさせようとしているか、貴女は分かっているわね? 分かっているわよね?」
「はい」
「それは言えない? 言えないのかしら?」
「ええ。サラリアお義姉様がご存じないのであれば、言えませんわ」
するとそこで、サラリアお義姉様は冷たい微笑みを浮かべた。
「セフィラの婚約者であるソルディオン伯爵家も、この件に絡んでいるわね」
「ふふ。それをご存じなのであれば、わざわざ訊く必要はなかったのでは?」
「あら、私の可愛いリオノーラが隠し事をするのだもの。それは寂しいじゃない? 寂しいでしょう?」
「知っていて見逃されている理由は、オルミラージュ侯爵家に関わることではないから、でしょうか?」
「そうね、そうかもしれないわね?」
これは交渉である。
お互いに隠した情報を、お互いがどこまで知っているかを明かしあった。
サラリアお義姉様は、セフィラ様が性別を偽っていることを知っており、『ソルディオン伯爵家』がそれを知っていることを伝えてきた。
なので、リオノーラも自分の考えをもう一つ伝える。
「きっと、サラリアお義姉様が危惧するような騒動には発展しませんわ。ゴシップ程度の騒ぎでしょう」
「根拠は?」
リオノーラは、一度目を閉じて元に戻ると、のんびりのんびり、こう告げた。
「多分、セフィラ様は〜、アルミニカ様のことが〜、好きになってしまわれたのですわ〜」