アルミニカ様の昔話。
アルミニカ・ペソティカ男爵令嬢は、ライオネル貴族である。
ただ、家が特別何らかの勲功を近年立てた訳でもなく、領地すら持っていない王都住まいだった。
ライオネル王国では、領地を持たない貴族は本来であれば爵位を継げない。
いわゆる準爵位……文官であれば準男爵、武官であれば騎士爵……として、一代貴族となる。
しかしペソティカの家は、少々特殊だった。
『資料編纂』と呼ばれる、王家の所有する書物や集められた資料を整理し、正誤を判断して指示を仰ぎ、改める……そうした知の資産を預かる役目を、ライオネル王国が興った時から与えられている家だった。
目立たないが、報償は十分に与えられていて生活に困らず、出世することもないが食うに困ることもない。
そういう立ち位置にある男爵家なのである。
その中で、アルミニカは変わり者だった。
昔から体を動かすのが好きで、男性の格好をするのが好きで、勉強はあまり好きではなかった。
それでも一通りの淑女教育は施されていたが、少々苦痛だったのである。
ただ、アルミニカの両親は良く言えば寛容だった。
元々出世欲がある訳でもなく、長男である兄は父の仕事を疎むでもなく指導を受けていたので、アルミニカにはあまり関心がなかったとも言える。
必要なことをきちんとこなすのであれば、と、やりたいことを好きにやらせてくれる環境。
だからアルミニカは息抜きに、よく男装して街に出かけた。
特に家の近くにあった騎士団の練習場には入り浸った。
体を鍛え、剣を合わせるその様子に憧れて熱心に見入って、見よう見まねで剣を振っている内に、騎士団の人たちに気に入られた。
特に懇意にしていたのは、アダムスとレイデンという同年代くらいの少年達だった。
後にアダムスが軍団長の息子……デルトラーテ侯爵家の長男という話を聞いて眩暈がしたこともあったけれど、それは余談である。
とにもかくにも、騎士のおじさん達にも可愛がられ、それなりに楽しい生活をしていたのである。
そこに現れたのが、セフィラ様だった。
視察か何かだったのだろう、騎士団を訪れた理由は知らなかったけれど、すらりとして線の細い、騎士らとは違い落ち着いた佇まいの高そうな服を着た青年。
宰相閣下と一緒にいた長い黒髪を後ろで纏めた彼がこちらを見て、にっこりと微笑んだ時にアルミニカは思わず呟いていた。
『綺麗……』
と。
その緑の瞳が、佇まいが、騎士が剣を振るう時と同じような洗練を感じさせたのだ。
出会いは、それだけ。
訓練の途中……別に騎士でも何でもなく、参加させて貰っていただけ……で、すぐにアルミニカは呼ばれ、彼もどこかに行ってしまった。
それでもちょっと気になったので、後でアダムスに聞いてみると。
『宰相閣下と一緒にいた高位貴族っぽいヤツが誰か? あー、親父に訊いてみるよ』
と、あっさり請け負ってくれた。
その後会った時に、彼は何だか微妙な表情で告げた。
『あー、何だ。ちょっと名前は言ったらダメらしい』
『な、何で?』
『それも言えないな。でもまぁ、会いたいならこれやるよ』
と、アダムスが差し出したのは、1通の招待状だった。
デルトラーテ侯爵家で開催される昼のパーティーのもので、アルミニカは戦慄した。
『こ、ここに、来るの?』
『来るらしいよ。ま、不安なら近くに居てやるから、来るなら来いよ。一応寄親としての開催だから、下位貴族もそこそこ居るし』
そう言われて、ちょっと渋る母に頼んで連れて行って貰った。
アダムスは近くにきてくれたけれど、何故かすぐに誰かに呼ばれてどこかに行ってしまった。
後で聞いたけれど、婚約者ではないものの嫉妬深い第一王女様に何だか執着されているらしくて、詰問されていたそうだ。
『お前が女だってバレたから……!』と言っていたが、何でそもそも第一王女様がアルミニカのことなんか知っているのかはよく分からなかった。
そんなこともありつつ、パーティーの最中はあの時見かけた青年を探してうろうろしていたのだけれど。
ふと目を止めたご令嬢の姿を見て、アルミニカは硬直したのだ。
ーーーあの人……は……!!
少々厚着で、妙齢の女性があまり身につけないタイプのドレスで身を飾った綺麗な方。
扇で口元を隠して談笑しているけれど、チラリとこちらを見た緑の瞳の色合いと、黒い髪の色があの時に見た『彼』のもので。
ーーーご、令嬢……!?
アルミニカが呆然としていると、談笑を終えたその人は、何故かこちらに向けて歩いてきた。
『初めまして。貴女、お名前は?』
『あ、ペソティカ男爵家の、アルミニカと申します……』
『そう。わたくしは、オルブラン侯爵家のセフィラ。貴女が、アダムスの言っていたご令嬢かしら?』
『え、あ……』
まさか本人に伝えているとは思わず、狼狽えるアルミニカに、セフィラ様は、何故か寂しそうに微笑んだ。
『……お近づきの印に、これをどうぞ』
そう言って手渡されたのは、細いチェーンの腕輪。
小さな、白いウスバユリの意匠の花飾りがついたもの。
『あ、ありがとうございます……』
『いいえ。またお会い出来たら、ゆっくりお話しましょうね』
そう言って、セフィラ様は立ち去っていった。
オルブラン侯爵家のご令嬢だから、高位貴族とお近づきになりたい人たちに、オルブラン侯爵や夫人らしき人と共に囲まれていて、それ以上の機会はなかったけれど。
自分がショックを受けている理由が分からなくて、帰ってからも考え続けたアルミニカは、一つの結論に至った。
ーーー私、あの人に、恋したのだわ。
今まで騎士に憧れはしても、そんな気持ちを抱いたことはなかった。
ああなりたい、と思ってはいても、その腕に抱かれたかった訳ではなかったのだ。
そして、失恋した。
自分でも気づかない内に。
涙が流れた。
だから、その気持ちを胸に仕舞い込んだ。
貰った腕輪を、恋形見に。
それがちょうど、飾りを無くしてリオノーラと出会う一年前の話だったことを、アルミニカは彼女に語った。




