また、婚約破棄ですの〜?
「あら、あら〜」
「どうなさいましたの?」
社交シーズン。
辺境伯のタウンハウスに戻って必要な夜会に参加しているリオノーラは、義母となったエルマリア様の問いかけに首を傾げた。
「あれですわ〜」
と、リオノーラがゆっくりゆっくり指差すと、その先に居たのはこの夜会の主催者であるソルディオン伯爵と、その婚約者である侯爵令嬢だった。
「皆に聞いて欲しい」
そう告げた伯爵に、皆が一斉に目を向ける。
彼は無表情な鉄面皮のまま、淡々と告げた。
「今宵、私はここにいるセフィラ・オルブラン侯爵令嬢との婚約を解消することとなった。そして、こちらのミスティ子爵令嬢との婚約を結ぶこととなった」
夜会の場が、ざわりとざわめく。
婚約解消を言い渡されたオルブラン侯爵令嬢は、扇を顔に添えて静かにその言葉を聞いていた。
「あ、あの方は何を仰っていますの……!?」
エルマリア様の愕然とした言葉に、リオノーラはのんびりのんびり、首を傾げる。
「あら、あら〜。ようやくですのね〜?」
と、リオノーラがニコニコしていると。
「一大事ですわよ……! ようやくってどういう事ですの!? セフィラと婚約破棄……!? 相手はソルディオンより格上のオルブラン侯爵令嬢ですわよ!?」
伯爵の上の爵位が侯爵であり、オルブラン侯爵家は〝国の穀物庫〟と言われる、国内食料自給の最大手領地なのである。
侯爵家の中では、筆頭であるオルミラージュ侯爵家の次、軍閥の長であるエルマリア様の実家デルトラーテ侯爵家に並ぶ程に、王国にとって重要な貴族家のご令嬢なのだ。
こんな不名誉な、すぐに次を発表するような婚約解消など、本来あってはならない。
騒ぎの度合いとしては、辺境の竜騎士アーバインが現王太子妃イオーラ様を相手に起こした貴族学校卒業の時の事件よりも、大きな波紋を起こすだろう。
エルマリア様が狼狽えながら、リオノーラに顔を寄せる。
「リオノーラ、貴女、何か知っておりますの!?」
「知っている、といえば知っておりますけれど〜」
と、リオノーラがのんびり首を傾げながら答えるよりも先に、誰かがソルディオン伯爵に同じことを問いかけ、彼自身が答えを口にする。
「オルブラン侯爵令嬢……セフィラ・オルブランは女性ではありません。それが分かったので、婚約は解消となります」
一瞬の沈黙の後。
皆が、さらに混乱のどよめきを上げた。
エルマリア様も、目を点にしている。
「お、男……!?」
「と、いうことですわ〜」
言葉を交わさせていただいたのは、かなり前のことだけれど、リオノーラはそれを知っていた。
「随分長いこと、お隠しになっておられましたわね〜」
新たな婚約者であるミスティ子爵令嬢の方は知らないけれど。
彼女もオルブラン侯爵令嬢の秘密は知らなかったようで、勝ち誇ったような表情から一点、呆然と目を見開いている。
ーーーこれは〜、でも、少し問題かもしれませんわね〜。
オルブラン侯爵領は、北部辺境伯地のすぐ側にある。
なのでそちらとの婚約ならば、地理的にアバランテ辺境伯領とはほぼ真逆の位置にあるので、交易などに影響はさほどないのだけれど。
ミスティ子爵領は、南部辺境伯地の近くにあり……大公国〝風〟の公爵家と懇意にしているアバランテとは別に、〝水〟の公爵家と交友がある。
そして主催であるソルディオン伯爵家は、南部辺境伯の真上の領……つまり。
ーーー何か手を打たないと〜、将来的にソルディオン領を使って輸入品を運ぶ際に、関税が上がってしまう可能性がありますわね〜?
夜会に招かれていることでも分かるように、ソルディオンとアバランテの仲は決して悪くはないけれど。
同国領地間での直接闘争が既に古く廃れ、法で禁止されている現在の世では、領地間のパワーバランスを取る為の手段は経済闘争に移行しつつある。
現ライオネル王室と懇意にする『親王派』であり、北の帝国との繋がりが強いオルブラン侯爵家なら将来的にも安泰だったけれど、ちょっと先のことを考えないといけない。
ーーーそれに〜。
と、リオノーラは別の方向に目を向けた。
そこに居たのは、一人の令嬢。
ふわふわの茶色い髪をした少々地味な印象の彼女が、誰よりも驚愕している。
そんな彼女に、オルブラン侯爵令嬢……セフィラ・オルブラン侯爵令息がニッコリと笑いながら近づいて行って、声を掛けた。
「アルミニカ様」
「は、は!?」
「ということなので、よろしいでしょう?」
「な、何が、です!?」
狼狽えている彼女に、セフィラはしなやかな仕草で口元に手を添える。
その様は、まさに美貌の令嬢そのもの。
けれど発した言葉は、三度、場を驚愕に陥れた。
「わたくし、貴女に婚約を申し込ませていただきたいわ」