【番外編】今更ながら、義母と義妹を得る辺境伯令嬢の話。
アバランテ辺境伯家長女、アイオラ・アバランテ。
彼女に対して、当主である父……ザムジード・アバランテ辺境伯が、ここ最近王都から持って帰ってきた二つの報告はとんでもない衝撃をもたらした。
一つは、名前も知らない子爵令嬢、リオノーラ・ノホーリを養子とすること。
これは彼女を養子とすることそのものよりも、彼女にまつわる諸々……養子として引き取ることで、〝殲騎〟レイデンがおそらく彼女の夫になるだろう、という部分がアイオラを複雑な気持ちにさせた。
元々の婚約者候補であるミラリオーノと競わせて、どちらかをアイオラの夫とするという宣言が撤回される可能性が高いのは喜ばしいことなのだけれど。
『あれは至宝だ。自ら我が領に来るというのなら逃す手はない!』と、父が非常に高く評価していること。
以前、レイデンを身内に引き入れると言っていた時よりも、リオノーラという少女の方が重要とでも言わんばかりの態度だった。
「もしや、そのお二人を当主に据えるおつもりですか?」
アイオラは、父にそう問うた。
父が高く評価している二人を、片方を養子に、片方をその夫にというのは、そんな不安を抱かせた。
辺境伯の次代を継ぐべく育てられたアイオラには、相応の自負があった。
故のない自信ではなく、誰よりも領民や兵のことを考えて、これを支えるべく努力を重ねてきたという裏打ちあってのこと。
ミラリオーノとて、武勇の面ではレイデンに数歩劣る、と父に言われているものの、決して弱いわけではなく、政治の面では領の運営に携わる誰よりも優秀である。
この時点で、まだリオノーラやレイデンと顔を合わせていなかったアイオラにとって、父の態度は不愉快なものと映っていた。
しかし父は、そんなアイオラの内心などお見通しとでも言わんばかりに、ふふん、と鼻を鳴らす。
「心配せずとも、お前が次の辺境伯夫人であることは揺らがん! レイデンの件は、こちらに引き込むのにお前の婿という地位が必要だっただけのことだ。リオノーラがいればレイデンはそちらを選ぶだろう!」
そして、アイオラと側に控えていたミラリオーノを交互に見て、父はスッと冷たく目を細める。
「お前達が、情を交わしている程度のことは分かっている。だがそれにかまけて判断を誤るのであれば、失望したと言わざるを得ん。忘れるな」
「……申し訳ありません」
普段は陽気で明るい父が、辺境伯としては歴代最恐とすら言われるほどの人物である、と骨の髄まで身に染みているアイオラは、潔く自分の不明を謝罪した。
「無駄な心配をせずとも、リオノーラにもレイデンにも、成り上がりの野心はない! その内、会えば分かるだろう!」
そう偉そうに告げた父が、次に王都に行って帰ってきた時。
朝からアイオラを呼び、心底困ったような、情けない表情で、言いづらそうに思い悩んでいる様子で、あー、だの、うー、だのと唸っていた。
「お父様らしくもありませんが。言いたいことがあるのならハッキリと仰ってください」
それでも言わない父が、ここまで弱ったような顔をしているのに、アイオラは思わずミラリオーノと顔を見合わせる。
「辺境伯閣下。このままでは埒が明きませんが。この後の予定がございます」
補佐でもあるミラリオーノまでもそう促すと、父はようやく口を開き。
「ーーー後妻を娶ることになった」
と、爆弾を落とした。
思わずアイオラがはしたなくもポカンと口を開けると、ミラリオーノも、いつもの糸目を軽く見開く。
「後妻、ですか?」
「……そうだ」
「なぜ今さら? 夫を亡くされた方にでも頼まれたのでしょうか?」
「いや……初婚の、御令嬢だ……歳はリオノーラと一緒、だな、うむ」
「……まさか、手を出されたのですか?」
アイオラが疑いを込めて冷たく睨むと、父は慌てて頭を横に振る。
「決してそんな事はない! 未だ指一本……いや手は握ったが、決して不埒な真似はしておらんぞ!」
「では、何故そのようなことになっているのです? お相手はどなたですか?」
父は観念したように瞑目すると、執務机の上に両腕を突き、顔の前で合わせた。
「エルマリア・デルトラーデ侯爵令嬢だ……」
その言葉に、アイオラは唖然とした。
社交シーズンに王都で交遊する際、特に親しくしていたのがデルトラーデ侯爵家で、もちろんエルマリアの事は幼少から知っている。
彼女が父に懐いていたのも当然知っているけれど、ここ二年ほどは隣国との小競り合いがあり、母亡き状態で父と共にそうそう家を空けるわけにもいかず、あまり父が長く王都に滞在していなかったこともあって、交流が少なかった。
それが何故、唐突に。
混乱していると、父は言い訳をするようにボソボソと喋った。
「リオノーラと、エルマリア嬢が懇意でな……その、彼女の好意には気づいていたので、少し距離を置いていたのだが、どうも、それが良くないと……リオノーラとの面会の際に彼女が同席していてな……」
「押し切られた、と?」
天下の南部辺境伯ともあろう者が。
昔から、女性に対してはお調子者で甘いところのある父だったが、一線を越えるようなところもなかったのに。
「押し切られた訳では。素直な気持ちを聞かせて欲しいと望まれ、率直に好意を伝えられてしまえば……逃げるのは恥というか」
「それを押し切られたというのでは?」
エルマリアがそれで良いというのなら、アイオラとしては構わない。
見ず知らずの女性がやってきて、今まで仕切っていた家のことに口を出されるよりは、よほどマシだし、何よりもアイオラは彼女を気に入っているので、共に暮らせるとなれば嬉しい。
それでも。
「お父様の気持ちはどうなのです。情に絆されて結婚の約束をしたとなれば、エルマリアにとって幸福なことにはならぬでしょう」
政略結婚であれば、それもいい。
お互いが利害を一致させ、パートナーとして歩む理由がある。
しかし、父とエルマリアとなれば恋愛感情が片方だけ、それも年若い方が強く気持ちを持っているとなれば、応えられない気持ちに辛さが増していくこともあるだろう。
「……………好意を持っていなければ、いくら儂とて了承はせん………………」
小さく、本当に小さく告げた父は、よほど娘にそれを言うのが恥ずかしかったのだろう。
首から額まで真っ赤になっていた。
アイオラは一つため息を吐くと、微笑みを浮かべた。
「お父様の気持ちもそこにあるのなら、わたくしはもう何も申しません。エルマリアを不幸にするのは許しませんよ」
「うむ……」
それで話し合いは終わりだった。
家政をこなし、晩餐の後にミラリオーノと二人きりになると、彼はおかしそうに笑っていた。
「いや、辺境伯様のあのように困り果てたご様子を見るのは、中々に得難い経験でしたね」
「笑い事じゃなくてよ」
アイオラは、ミラリオーノを睨みつける。
「全く、養女になることといい、エルマリアのことといい、来る前から随分と引っ掻き回してくれる子ね!」
まだ見ぬリオノーラとやらに、どうにも良い気分がしない。
そう思っていると、ミラリオーノはいつもの何を考えているのか分からない糸目で、誰かのことを思い出しているようだった。
「何か?」
「いえ。辺境伯様があそこまでご執心になり、エルマリア様と懇意で、レイデンの婚約者だったという少女が、どのような人物なのかと思いましてね。子爵令嬢なのでしょう?」
「成り上がりの野心はない、とお父様が仰っておられたけれど」
もしそうなら、侯爵令嬢と交流を持ち、次期辺境伯とも目された元婚約者を追って、このような場所まで来るだろうか。
「逆に、野心がないからこそ南部へ来るのかも知れませんよ。いくら王の信任厚い辺境伯様の娘になるとはいえ、ここはあくまでも血生臭い辺境です。王都まで気安く帰れる距離ではありませんし、成り上がる気持ちが強いご令嬢なら、二の足を踏むのでは?」
「そうかしら……」
「どちらにせよ、会ってみないことには何とも言えません。レイデンは、旦那様の仰る通り貴族的な野心はなく、愚直な方とお見受けしております。そんな彼の想い人であれば、ご心配なさるようなことはないかと」
ミラリオーノは、遠慮がちにアイオラの手に触れる。
「失礼を、アイオラ様。……私は少し安堵しています。実際に会えば、貴女がレイデンに慕わしい気持ちを覚えてもおかしくはないほど、彼の方は魅力的ですから」
ミラリオーノが、アイオラに好意を持っていて、その為に努力していることも知っていた。
表には出さずとも、父の取り決めに不平を抱いていたことは想像に難くない。
アイオラも同じ気持ちだったから。
「リオノーラ・ノホーリ……もし、殿方を籠絡して操るような悪女であれば、どうにかしなければならないわ。そうでない事を願いたいけれど」
リオノーラを排除するということは、レイデンをこの地に留めるためにアイオラとの婚姻を結ぶことになるのだから。
そうなれば、ミラリオーノは身を引くことになる。
ーーー複雑な気持ちで待ち、彼女と出会ったのは数ヶ月後。
「リオノーラ・ノホーリと申します〜。本日からよろしくお願いいたします〜」
そう言って、ニコニコと頭を下げた彼女は、随分と動作が緩慢で、間伸びした喋り方をする少女だった。
「アイオラお義姉様のことは〜、エルマリア様からよく伺っておりました〜。お美しく優しい方と仰っておられたので〜、実際にお会い出来て大変嬉しいです〜」
「そう」
アイオラは、戸惑いつつ短く返事をした。
どこにでもいそうな、ごく普通の……いえどう考えても鈍臭そうで普通以下に頭の悪そうな様子だけれど。
この子が?
才媛と父が散々言っていたリオノーラ?
全く頭の中で、結びつかないけれど。
そんな風に思いつつ一応屋敷を案内して、荷物を用意した部屋に運び込ませてお茶の時間になると、リオノーラはさらにとんでもない事を言い出した。
「アイオラお義姉様に〜、ご相談したいことがございまして〜」
「何かしら?」
リオノーラは、ニコニコのんびりゆっくりと、アイオラに告げた。
「お義父様がたからいただいた慰謝料が、全く使い切れないような額なので〜、領地に投資させていただきたいんですの〜」
と。
そこからアイオラが、リオノーラの裏の顔とその才覚を知るまでに、さほどの時間は掛からなかった。
彼女の価値を心から理解し、レイデンを見出した父の慧眼の結果を存分に享受し。
エルマリア、リオノーラという可愛らしく癒される義母と義妹を得た自分の幸運に、深い感謝を捧げ続けることになる。
アイオラ様が、慰謝料の使い道を『投資』と決めて、数々の支援を行い始める彼女に顎が外れそうになるのは、そう先の話ではなかった。
四年後には『もうお父様いらないのでは? 引退しては?』と言い始めるアイオラ様に、傷つかないで辺境伯! と思われた方は、ブックマークやいいね、↓の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎評価等、どうぞよろしくお願いいたしますー。




