エルマリア様と、恋バナですわ〜。【後編】
近づいてきたエルマリアは、スゥ、と息を吸い込んで背筋を伸ばした。
そして扇を顔の前でぱらりと広げて、後ろから声を掛ける。
「突撃ザム爺! 随分とお久しぶりですわね!」
「……これはこれは、エルマリア嬢! 相変わらず口が悪いですな!」
「ええ、それはもう! 突撃ザム爺が我が家へ突撃せず、コソコソコソコソして逃げてらっしゃいますからね! 英傑が聞いて呆れますわ!」
「ハッハッハ、これは面白い冗談ですな! いつこの私が逃げ出したと仰るのか? 少々忙しくて足が遠のいていただけですとも、レディ!」
「あらそう? その割にはわたくしの親友である頭の足りないリオノーラのお誘いにはホイホイ乗ってらっしゃいますけれど!? わたくしのお茶会のお誘いは何度お断りされましたことか!」
「私としても、麗しき百合のごときご令嬢のお誘いを断るのは、心苦しいものでしたとも! しかし国に仕える者の責務を果たす為に涙を呑んでおったのですよ!」
「口だけはお上手ですこと! いつから文官になられましたの!?」
ガハハホホホと笑い合う二人は、慕い合うというよりはバッチバチだった。
ーーーわたくし、いつからエルマリア様の親友になっていたのでしょう〜?
嬉しいけれど。
淑女の顔を解いたリオノーラは、のんびりとそこを気にした。
しかしここから先はお二人の話し合いなので、ゆっくりゆっくりお茶を一口飲んだ後、ニコニコと立ち上がって、こちらを気にしないお二人に「それでは失礼いたしますわ〜」と頭を下げてその場を後にした。
リオノーラは知っている。
『モノをハッキリと言う方は好ましい』と、以前、辺境伯様が言っていたのを。
彼はきっとその時に、エルマリア様を思い返していた。
あの時の辺境伯様は、どこか憧憬のような色を、その瞳に浮かべていたから。
※※※
「そろそろお座りになってはいかがかな!? エルマリア嬢!」
椅子に座って振り向いた姿勢のまま、ザムジード様は片目を閉じた。
いつ見ても洒落ておどけて、でもお声が大きくて楽しげな紳士。
お髭も筋骨隆々の体も、大人の落ち着きある雰囲気も、何もかも好き。
名前を呼ばれて、胸がずくん、と高鳴ったのを悟られないように、エルマリアはキュッと口元を引き締める。
言い合いをしている間に、リオノーラが屋敷のほうに相変わらずおっそい動きで向かっていくのが見えた。
「ええ、それでは失礼致しますわ!」
エルマリアが座ると、リオノーラの侍女メリルが、存在感を消しながらお茶を注いでくれる。
そしてそそくさと、目には見えるが声は聞こえないくらいの距離まで離れていった。
ザムジード様との言い合いは、決して嫌いではない。
軽妙な、不快にさせない『間』で、こちらの貶し言葉をいなして、エルマリアを落とさぬように返してくれるのだ。
ご令嬢や夫人同士の嫌味の言い合いとは違い、それが嬉しくもあり、また大人の余裕で躱されているようで悔しくもある。
出会った時から、彼はずっと、エルマリアに優しかった。
「今日、頭の足りないリオノーラを通じてお呼び立てしたのは他でもありません」
エルマリアは、意を決して結論を先に口にした。
「このわたくしとの婚約を、突撃ザム爺が受け入れてくれるか否かを、問いに来ましたのよ!」
自分からのプロポーズ。
それが、エルマリアの出した結論。
優しいザムジード様は、自分からは決して、エルマリアを望んではくれないから。
でも、淑女としてはしたないと言われようとも。
彼の答えを聞く為に、エルマリアはここに足を運んだのだ。
いきなり本題に入られるとは思わなかったのか、ザムジード様は軽く目を見開いた後、口元に不敵な笑みを浮かべる。
落ち着きがあって力強い、いつもの明るい紳士の顔ではなく……国の盾たる辺境伯としての顔。
「レディ。それを問うのは貴女に相応しい振る舞いではない」
「十分に承知しておりますわ。ですが、わたくしは貴方の口から、ハッキリとお答えを聞きたいのですわよ!」
「貴女の儂への思慕は幻想です。優しくされたからといって、侯爵令嬢が容易く靡いてはいけない。貴女には、貴族として生まれた以上、果たすべき務めがある。消え去る老骨の後添いとして枯れるのではなく、この国の次代を盛り立て咲き誇る責務が」
ザムジード様の目は、今まで見たことがないほど鋭く、冷たかった。
それはまさしく正論であり、エルマリアを拒絶する言葉。
でも。
「殿方が老いていても、子は成せましてよ。その子を立派に育てて領を栄えさせれば、誰に嫁ごうと問題はないのではなくて? それが最強の南部辺境伯様であれば、父とて反対はしないでしょう?」
「子は足りている。ミラリオーノもアイオラも優秀で、リオノーラやレイデンもいずれ辺境領を支える我が子となる。これ以上は必要ない」
「そうでしょうか? では、ザムジード様ご自身を支える方は?」
「妻を失ってからずっと、一人でやってきた。今更どうこうする必要もない」
ザムジード様の言葉は全て、領主としての実績と事実に裏打ちされた言葉だ。
エルマリアのような子どものワガママとは、全然違う。
「では……では、ザムジード様ご自身のお気持ちはどうなのです? ……わたくしでは、足りませんか?」
「足る足らぬの問題ではない。利のない話だと言っているのだ」
拒絶されるのは分かっていた。
それでも、我慢出来ずに声が震え、ドレスのスカートをギュッと両手で握る。
「分かっておりますわ。もっと、わたくしを必要とする、家に益のある、父の選ぶ殿方に嫁ぐのがわたくしの務めだと。……でも、それでもわたくしは、ザムジード様が良いのです!」
エルマリアには、これしかなかった。
自分の気持ちしか。
「それでは……ダメなのですか?」
目尻がじわりと潤み、思わず目を伏せる。
泣けない。泣けばザムジード様を困らせてしまう。
ーーー最後に、賭けてみたかった。
だって、リオノーラは。
レイデンから相談されて、婚約解消を望まれても、自分から添い遂げる道を見つけた。
エルマリアは、あの子のように賢くもなくて、侯爵令嬢の肩書きと若さにしか価値がないけれど。
それでも、自分の気持ちに嘘はつきたくなくて。
だからハッキリ気持ちを聞いて、食い下がれるだけ食い下がって、断って貰おうって。
逃げるんじゃなくて、色褪せるのを待つのではなくて。
気持ちをちゃんと、知ってほしくて。
ザムジード様の気持ちを、知りたくて。
「……エルマリア嬢。貴女は、素敵なレディに育った」
ザムジード様は溜息を吐いてから、言葉を紡ぐ。
「儂のような後は失うだけの老人よりも、もっと有望で長い間を共に過ごせる、立派な若者がたくさん貴女の周りにはいるだろう。何が貴女をそうさせるのだ」
エルマリアは、きゅ、と口の端を上げて、まっすぐにザムジード様を見つめる。
どこか困ったような、憂いを秘めた青い瞳が、労しそうにこちらを見つめていた。
『おや、可愛らしいレディ。君のように可憐な淑女が、このような場所で涙を流すなど勿体ない! 笑顔のほうが似合いますぞ!?』
幼い頃。
そう声を掛けて、涙の理由を聞いて。
『ガッハッハ! 失敗など誰にでもあるものです! 次にやらなければ良いだけのことですぞ!!』
そう言って大きな笑顔を浮かべて手を取り、キスを落としてくれた……生まれて初めて、子どもと侮ることなくレディとして扱ってくれたザムジード様に。
『さ、楽しいパーティーへと戻りましょう! この私に、レディをエスコートする栄誉を授けていただけますかな!?」
片目を閉じて、でも真剣に手を差し出す彼に向かって。
ーーーエルマリアの胸に、初恋が咲いたのだ。
「人を想うのに、理屈などございませんわ」
どんな紳士だって、ザムジード様には敵わない。
エルマリアからしたら、自分の言葉に怯む令息なんて物足りない。
「何度でも申し上げますわ。ザムジード様が、いいのです」
すると、やっぱり困ったように溜め息を吐いて。
目を逸らしたザムジード様は。
「全く、エルマリア嬢といいネテといい、物好きにも程がある」
「え……?」
「以前、貴女の父君にはいきなり殴られそうになったよ。あの直情の男め、エルマリア嬢が儂に惚れてると知った途端、『この女タラシが!! 大昔のようにまた社交界を騒がせる気か!!』と怒鳴りつけてきよった」
ザムジード様の言葉に、エルマリアは父が笑って語った伝説を思い出す。
誰もが見惚れる高嶺の花だった、亡くなった奥様が、よりにもよって数々の女性に思わせぶりな態度を取って浮名を流しに流していた、ザムジード様に惚れたと。
その噂自体は、当時とても整った顔立ちで、人当たりの良い若き辺境伯に手を出して貰えなかったご令嬢達が、やっかみ混じりに流していた噂だったけれど。
ザムジード様は前の奥様に惚れられたせいで、ご令息がたにまで恨みの視線を買ったのだと。
結局奥様のあまりの熱烈さに負けて結婚し、その後は仲睦まじい夫婦だったと聞いている。
『あの時は凄かった。実際にザムジードを闇討ちする奴まで現れてな! まぁ、当時でも奴に対抗できたのは俺と陛下くらいのもんだったから、返り討ちにあって、そのせいでいくつかの貴族家の嫡男が廃嫡になったりと、荒れに荒れたからな!』
とは、父、ネテ軍団長の弁。
「貴女は、自分の価値をお分かりか? 美しく気高い貴女を娶るなら、儂はまた社交界で恨みを買うことになる」
「……しばらく社交を控えて、ご息女かレイデンに家督を譲り渡してしまえば、よろしいですわ!」
ザムジード様が軽口のように言い始めたので、エルマリアはムッとして声を張る。
「わたくしは。……断っていただいても、いいので……ザムジード様のお気持ちを、聞きたいのです!!」
誤魔化せなかった、とでも言いたげな表情で苦笑したザムジード様は、軽く視線を彷徨わせてから、力なく言葉を落とす。
「ネテに、大の男にな、情けなく泣きながら言われたよ。『エルマリアを持っていくつもりなら、死ぬ気で長生きする覚悟をしろ』という意味不明な言葉をな」
「……まぁ、死ねば長生きできませんものね」
「そうだろう? あの男は感情が昂るとよく分からないことを言う。……親友の娘も、同じようなものだ」
ザムジード様は立ち上がり、テーブルを回り込むと、ジッとエルマリアの顔を見下ろした。
ーーー大きい。
昔からそうだった。
この人は、器も背丈もとても大きいのに、威圧感よりも安心感を感じさせてくれて。
やがて、スッと流れるように膝をついたザムジード様が、諦めたように目尻を下げる。
「儂の負けだ。長生きして、死ぬまで社交界から恨まれる覚悟をせねばな。もしくは、さっさとくたばって貴女を解放するべきか。……エルマリア・デルトラーデ侯爵令嬢。親友の娘に、愛を説く気色の悪いジジイを、また突撃ザム爺と呼んでいただきたい」
差し出された大きな掌は、人の命を数多く守ったことの証のように、ゴツゴツとして、固そうで。
「ーーーそして貴女という美しき花を、生涯その横で愛でる栄誉を、いただけますかな?」
エルマリアは、彼の言葉の意味がしばらく理解出来なかった。
「……断らない、の、ですか……?」
「儂は臆病でな。だからこそ戦場で生き延び、言葉の曖昧さでご令嬢がたを煙に巻いた。巻かれなかったのは貴女で二人目。……儂は、淑女の心を傷つける刃を振るう戦鬼には、なれないのだよ」
ーーーそれが貴女にとって最善の選択であると、分かっていても。
ザムジード様は、自嘲するように片眉を上げながら、優しい笑みを浮かべていた。
「ゆえに手を取らぬ、という選択もありますぞ?」
「……最後までわたくしに決めさせるおつもりですのね! 良いですわ、突撃ザム爺のくせに、ちっともわたくしに突撃して来なかった貴方に、わたくしの方から突撃しますわよ!」
エルマリアは。
ボロボロと涙を流して笑いながら、憎まれ口を叩いて。
パァン! と掌をザムジード様の差し出した手に叩きつける。
「っ……死んだら、覚悟なさいませ! わたくしも後を追いかけて、前の奥様と取り合いしますからね!」
「なんと恐ろしい未来を口にするのだ……! どちらも両手に花とさせてくれる気がせん……!」
そんな風に、おどけながら。
立ち上がったザムジード様は、魔法のように滑らかに取り出したハンカチで、エルマリアの涙を優しく拭ってくれた。
辺境伯め、ジジイのくせにこんなツンデレ娘を娶るだなんてうらやまけしからん。
まぁでも、エルマリア嬢が幸せなら全部オッケーです。
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