婚約破棄を、しましたわ〜。
―――『恋形見は、必要ありませんわ〜』
子爵令嬢のリオノーラは、目の前の婚約者、レイデン男爵令息にのほほんと告げた。
「君との婚約を破棄したい」
庭の東屋で。
どこか沈痛な顔で彼にそう告げられたのは、つい先ほどのことだった。
「あら、まぁ〜」
リオノーラは、ゆったりとした仕草で口に手を当て、目を丸くする。
リオノーラは幼い頃から、あまり物事を深く考えないのんびり屋だった。
頭が足りないのではと、口さがないことを言われるほどに鈍感で。
人と遊べば、あまりにも動きがゆっくりで相手が飽きて。
人と話せば語り口がのんびりで、話し終えるのに時間がかかって閉口される。
何をするにものんびり、ゆっくり。
頭もあんまり良くはなく、貴族学校に入ったものの、試験時間中に解答を書き終えることが出来なくて一年であっさり落第。
我慢強い家庭教師を父がつけてくれたおかげで、一通りの教養だけはどうにか身につけたくらい。
そんな自分の婚約者は、聡明で勇壮だった。
黒髪に浅黒い肌、細身に見えるけれどシッカリと筋肉のついた体。
面差しも目つきが鋭く精悍で、曲がったことが嫌いな人。
のんびりゆっくり、周りの人をイライラさせてしまうリオノーラにも、家族以外にたった一人、昔から気分を害すこともなく付き合ってくれていたレイデン。
そんな彼に、リオノーラはいつも通り、のんびりのんびり、考えて。
ゆっくりゆっくり、話しかける。
「レイデン〜?」
「何だ?」
「婚約は『解消』でも、よろしいですわよ〜?」
一方的な理由による『破棄』では、慰謝料が発生してしまうこと、くらいはリオノーラも知っていた。
解消、ならば、円満な離縁となるので、レイデンの迷惑にはならないはずだった。
そのくらいのことは、ゆっくり考えればリオノーラでも思いつく。
でもその提案に、レイデンは首をキッパリと横に振った。
彼は、外見通りに実直で表裏のない、歯切れのいい物言いをする。
「いや、僕の有責で破棄にして欲しい」
「まぁ……何か理由が、ございまして〜?」
「武勲を立てたことで、僕は辺境伯領近くの伯爵家に養子として入る。その後、数年間実績を騎士団で積むことを条件に、アバランテ辺境伯家への婿入りを打診された」
レイデンは御歳18歳、リオノーラはその2つ下で、16歳。
レイデンは騎士団に入った後、武勲を立てたらしい。
少し前に、辺境伯領に攻め入った隣国との戦争で。
王都からの援軍として参加し、劣勢を覆す華々しい活躍をした。
結果として、辺境伯から気に入られて婿に、という話だった。
―――そのお話を受けると、わたくしとは結婚出来ないのですわね〜。
リオノーラは、のほほんと思った。
そうしてレイデンは、別の御令嬢と結婚する。
それでも婚約はめでたいことなので、リオノーラはニコニコと告げた。
「ええと〜、おめでとう、ございます〜?」
「何で疑問系なんだ。それと、ここは君が怒るところだと思う」
―――何ででしょう〜?
レイデンに対して怒らなければならない理由がよく分からなくて、リオノーラはゆっくりと首をかしげた。
それからのんびり、考えたけれど。
やっぱり、よく分からない。
リオノーラとレイデンは、幼馴染みだ。
家が隣同士で、商人上がりで裕福な……いわゆる『成り上がり』男爵家と、ざっくばらんな気質であまりそうしたことに頓着しない、裕福ではないが家格の古い子爵家。
お互いに家も本人同士も特に仲が悪くもなく。
家にとって都合がいいこともあるが、それの方がおまけで。
気心知れた家族ぐるみの付き合いによって決まった、自分たちの婚約。
だから別に、その婚約解消で軋轢が生じたりはしない。
下位貴族同士が、お互いに好きな人が出来たから婚約解消、という話も、父母伝いでよく聞いていたし。
リオノーラは、そんな風に考えて、ゆっくりと語りかける。
「だって〜、レイデンは武勲が認められて。だから、辺境伯になるのでしょう〜?」
「そうだな」
男爵家のレイデンからしてみれば、破格の大出世という話。
子爵家のリオノーラからしても、家格が劣る男爵家と婚約解消したからといって、それが特別な傷というわけではない。
『頭の足りないリオノーラ』が『聡明で実直なレイデン』に捨てられた、という噂は立つかもしれないけれど。
社交界には興味がないし、そう言われても困らない。
だから、リオノーラとしては、やっぱり。
「レイデンが認められることの方が〜、わたくしには、嬉しいですもの〜」
ほんわりと笑ったリオノーラに、レイデンは眉根を寄せたが、すぐにうなずいた。
「ありがとう」
「ふふふ〜、どういたしまして〜」
のんびりとお茶に口をつけるけれど、それでも彼はさらに言い募った。
「だが、婚約は『破棄』にしたい。辺境伯からも、慰謝料は負担すると言われている。もちろん父上にも頼んで、さらに上乗せするつもりだが」
「必要ありませんのに〜」
今の生活に満足しているし、そんなにいっぱいお金をもらっても使い道がないのが、リオノーラの本音だ。
レイデンとでなくとも、いずれは結婚しなければいけないかもしれないけれど。
リオノーラには、今は貴族学校の特待生として学生寮に入っている優秀なお兄様がいるので、子爵家は大丈夫。
お兄様とお嫁様のお邪魔にならないように、お父様は取り計らってくれるだろうし。
だから正直、慰謝料をもらっても、その支度金程度しか使い道がないのだけれど。
婚約破棄されたら、気にはならなくても、ますますリオノーラに婚約の申し込みをしたいと思う男性は、あんまりいない気もするけれど。
そんなことを、のんびりゆっくり、考える。
歳の近い子女たちには、リオノーラののんびりしたところが好ましくないみたいで、お茶会などにもほとんど誘われない。
個人的にも、一人で昼の庭でこうしてのんびり花々を眺めているほうが好きだし、夜会に出ているよりも寝ていたいし。
―――結婚出来なかったら、離れで暮らそうかしら〜?
そのためには、お金を貰っておいたほうがいいのかもしれない。
どっちにするのが良いか、結局、リオノーラには分からなかったけれど。
だからちょっとだけ、困ってしまっていると。
「リオノーラ。これは一方的な物言いだし、解消では僕の気が済まない。君のご両親には本人同士で決めろと言われた」
「そうなのですの〜? お父様とお母様がどちらでもいいのなら、わたくしはレイデンの良いように〜」
結局。
あまり物事を深く考えるのは得意ではないので、レイデンの言っていることに従うのがいい気がした。
そうして、リオノーラはのんびりと婚約破棄を了承したのだけれど。
「……君に贈った花の髪飾りと、君にもらったこの刺繍のハンカチを、交換しないか?」
立ち上がったレイデンが、そんな提案をしてくる。
刻んでいるのは、花の意匠。
『あなたが健やかでありますように』という花言葉を持つ、レイデンの誕生花。
「まぁ。恋形見ですの〜?」
「そうだ」
『恋形見』。
それは、この国に伝わるおとぎ話から、生まれた風習。
恋した男女が、やむに止まれぬ事情で別れる時に、お互いが贈ったものを交換し合うことで、恋の形見にする……というもの。
古い物語で、遠く戻れない死地に赴く英雄が、残していく最愛の恋人と行ったというそれは、とてもロマンティックだけれど。
普通は、そんなに想いあった男女が円満に別れることがない。
無理に引き裂かれる二人の間で、行われるようなことで。
今のレイデンとリオノーラには、相応しくないような気がした。
だから、のんびりゆっくり、首を横に振る。
「髪飾りは差し上げますけれど〜、わたくしに恋形見は、必要ありませんわ〜」
髪飾りを外して渡したリオノーラは、ほんわりと微笑む。
レイデンが、少し衝撃を受けた顔をした。
「破棄を告げておいて、こう言うのもあまり褒められたものではない、と思うが。……僕に、未練はない、という話か?」
「レイデンは、ありますの〜?」
「ある」
ニコニコのんびり、首をかしげたリオノーラに、彼はキッパリと言った。
―――あら、あら〜。
そんなにハッキリ言われると、ちょっと困ってしまう。
なので、きちんと伝えることにした。
「でも、刺繍のハンカチは全部、お守りを縫いましたのよ〜。レイデンを守るためのものなので、持っていてくださいな〜」
リオノーラからレイデンへの『残る』贈り物は、それしかなかった。
彼はあまり物を貰うのが好きではないというか、物に執着しないタイプだったから。
だから、焼いたお菓子とか、お腹に入って残らないものばかりを、リオノーラは彼に贈っていた。
その大半は目の前で開けられて、半分こで食べて『美味しい』と言ってもらう……あんまり表情の変わらないレイデンが嬉しそうに微笑んでくれるから、お菓子を贈る日は好きだった。
リオノーラの返事をどう思ったのか、レイデンは小さくうなずく。
「……そうか」
「そんなに名残惜しまれて嬉しいですけれど〜、辺境伯になるのが、とても、とても、レイデンには大事なことなのでしょう〜?」
「ああ」
「でしたら、胸を張って、いってらっしゃいませ〜」
リオノーラは鈍感だけれど。
それでもレイデンが自分を、少なくとも嫌っていないことくらいは分かっていた。
だって、どこか蔑むような色を浮かべる他家の子女と違って、レイデンの目にはそういうものがなかったから。
だから、彼がやりたいことがあり、婚約を解消しないと出来ないことなら、無理をしなくてもいいとリオノーラは思う。
リオノーラは、レイデンが好きだったけれど。
縛り付けたいわけではなかったから。
「……さよなら」
「は〜い」
どこか寂しそうなレイデンの背中を、リオノーラはニコニコと見送った。
※※※
「リオノーラ、本当に良かったのか?」
「大丈夫ですわ〜」
レイデンとのお茶会の後。
夕食の席で問いかけてきたお父様に、リオノーラはニコニコと答えた。
実際、あんまりショックを受けていない。
普通なら、落ち込んだり食事が喉を通らなくなったりするのかしら〜、と、レイデンを見送った後に考えてみたりしたけれど、結局そういう感じにはならなかった。
―――わたくし、鈍感ですものね〜。
そこは、自他ともに認めるところなので、心の痛みにも鈍いに違いない。
きっと、感じていても気にならないくらいに。
それどころか、リオノーラは婚約破棄を告げられても、やっぱりレイデンが好きで。
突然の別れとも、特に思わなかった。
「多分、会えないわけでもないですし〜」
社交シーズンには、多くの貴族が自領から王都に来る上に、年に一度の王家主催の夜会には全貴族の参加が義務付けられている。
辺境伯になるのなら、レイデンも参加するのだし、そうすれば実家の男爵家に顔を出すこともあるだろう。
元々、騎士団の所属になってから、年に数回しか顔を見なくなるくらい彼は忙しかったので、あまり状況は変わらない。
なら、形見が必要になるのは、のんびりゆっくりなリオノーラには、きっとまだまだ先のこと。
今はまだ、『別れ』を感じていないから。
季節が一つ過ぎ、二つ過ぎて。
きっとその後くらいに、別れが来たことを実感するくらい、リオノーラはのんびりな自分だと思っているから。
レイデンが結婚する前くらいに、実感が出来たら。
―――その時にでも、貰いましょう〜。
もしかしたらレイデンは。
忘れてしまったり。
刺繍のハンカチをその間に、捨ててしまうかもしれないけれど。
だってリオノーラと違って、レイデンはのんびりゆっくりな人じゃないから。
そんなことを、のんびりゆっくり、考えていると。
「……これは、本当なら内密に、と言われて男爵から聞いた話だが」
お父様は、何故かお母様と目配せをしてから、リオノーラに語りかける。
レイデンは、辺境伯から話をいただいた時に、ずいぶん悩んでいたこと。
一度リオノーラに会いにきた後に、辺境伯の話に前向きになったこと、を、お父様は伝え聞いたそうだ。
「前に会った時に、リオノーラは彼に、一体何を言ったんだい?」
「あの日は確か、昔話を、しただけですわ〜」
リオノーラは、のんびりと首を傾げて思い出した後に、そう口にした。
『ーーー昔、君が強い騎士になって欲しいと言い、僕は一番強い騎士になる、と約束した』
『してましたわねぇ〜』
『僕に、国を守るほどの一番強い騎士に、君はなって欲しいだろうか』
『一番強い騎士様に、レイデンがなりたいなら〜、レイデンのなりたい騎士様が、わたくしには好ましいですわね〜』
そうした話を、した記憶があった。
話を聞いて、お父様とお母様は、何故か『ああ、やっぱり……』という顔をする。
「だからか」
「だからですわね」
「どういうことでしょう〜?」
二人が何に納得しているのか、リオノーラにはよく分からなかったから。
のんびりゆっくり、訊いてみる。
「レイデンは、リオノーラのことが本当に好きだが、リオノーラ絡みになると本当にバカだからな……」
「『国の盾』である辺境伯は、確かに一番強い騎士かもしれないですけれど、そうじゃないですわよね……」
「どうせ『リオノーラが口にした数少ない願いを、全部叶えないと』みたいに、自分を追い詰めてるんだろうな……」
「求めてるのはそういうのじゃないんですけれど、猪みたいな性格してますものね……」
「?」
話の内容がよく分からないままなので、ニコニコして二人を見ていると、お父様とお母様は同時にため息を吐いた。
相変わらず、二人は仲がよろしいですわね〜、とリオノーラはのんびり考える。
「リオノーラも、レイデンを手放す選択はないと思うんだが、どうにも鈍いからな……」
「レイデンのことを自分が想っていれば、好きなようにすればいいと本気で思っていそうですしね……懐が広いのか、のんびりし過ぎなのか」
「間違いなく後者だ」
何だか、失礼なことを言われている気がしますけれど。
そう思いつつも、嫌な気分にならないのがリオノーラがリオノーラである理由だった。
「で、何だか破棄の慰謝料がとんでもないことになりそうなんだが、リオノーラは何かしたいことがあるか?」
どこか諦めた様子で問いかけてくるお父様に、やっぱりリオノーラはのんびりと問いかける。
「レイデンは、何だか寂しそうだったのですけれど〜、わたくしのことが『嫌いじゃない』だけじゃなくて、本当に『好き』ですの〜?」
「「そこから?」」
二人の声がハモる。
やっぱり、仲がよろしいですわね〜。
「誰もが匙を投げたリオノーラののんびりに、あれだけ長い間付き合っていたのに」
「一日中草原に座って空を眺めるだけの貴女に、ずーっと一緒に側に座っているだけで満足そうだったのに」
「お茶にすると言って、日も沈みかけまで君が菓子を作るのに、黙って座って見ていたこともあったな」
「好きでもない相手に、そこまで辛抱強く付き合う人がいて? リオノーラ」
言われて、リオノーラは、のんびりゆっくり、考えてから。
「お父様たちの話を聞くと、もしかして〜、レイデン、あんまりわたくしと、離れたりはしたくないと思っていたのかしら〜?」
「「じゃなきゃそもそも悩まないのでは?」」
「そう言われれば、そうかもしれませんわね〜?」
「まぁ、一代限りの男爵家次男坊が、辺境伯になろうと思えば、本当に養子入りで家格を上げた後に婿入り、しかないだろうしな」
『国の盾』とも呼ばれる重要な領地ゆえに、辺境伯は伯爵位であっても実際は『公爵』とされるはずの王家の血族によって繋がっている。
今の辺境伯も例に漏れず、現国王陛下の叔母に当たる人物の入婿だった。
リオノーラたちの代も娘が嫡子らしく、そういう意味でもレイデンに白羽の矢が立ったのだろう。
「ねぇあなた。レイデンは有能ですけれど、自分が愛のない結婚が出来るタイプではないことに、気づいてなさそうですわね」
「野心とかないしな、アイツ。というか、リオノーラを想い続けるのは辺境伯の御令嬢に失礼では」
「辺境伯は、レイデン自身のことを気に入ってるのかしらね……」
「多分な。娘可愛さ優先なら、レイデンくらいの家格は選ばんだろう。手続きも煩雑だしな。そもそもレイデンが令嬢に好意を持たれるような、誤解させるような振る舞いをするとも思えん」
「なら辺境伯自身が手元に置いておきたい、という方向での婚約で、間違いはなさそうですわね」
そんな話をつらつらと聞きながら、リオノーラはゆっくりと食事を終えて。
のんびり、のんびり、考えて。
寝る支度をする前に、お父様に声をかける。
「お父様〜、お母様〜。レイデンから貰う、慰謝料の使い道なのですけれど〜」
そうして告げたリオノーラの提案に。
お二人は、全く同じ顔でぽかん、と口を開ける。
本当に、仲がよろしいですわね〜。
※※※
―――そうして、二年後。
「よく来た、レイデン」
「はい、辺境伯様」
「彼女たちが、私の娘だ」
隣の伯爵領で養子として色々な高位貴族の礼儀やら戦術・戦略論、領地経営のことなどを勉強していたというレイデンは、精悍さに磨きがかかっていた。
さらに、今日に合わせてきちんと正装をしている彼は、にこやかに笑みを浮かべた辺境伯と挨拶を交わす。
紹介を受けて、娘たちは二人同時に頭を下げた。
「アバランテ辺境伯家が長女、アイオラ・アバランテと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「アバランテ辺境伯家が次女、リオノーラ・アバランテと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「リオノーラ……?」
挨拶を受けて、レイデンが訝しげな声を上げるが、すぐにハッと気づいたように敬礼を執り、自分も名乗る。
「エイドル伯爵家が三男、レイデン・エイドルと申します。どうぞ、お顔をお上げ下さい」
彼の言葉に合わせて、アイオラとリオノーラは顔を上げた。
そして、ジッと次女の顔を注視するレイデンに、辺境伯はニヤニヤと問いかける。
「どうした、レイデン」
「いえ。……辺境伯様のお嬢様のお名前が……知り合いと……同じで……」
と、普段なら歯切れがいいはずのレイデンの声が、徐々に尻すぼみになり。
「……リオ、ノーラ、嬢……?」
名前を呼ばれて、リオノーラは淑やかな微笑みを浮かべた。
「はい、エイドル様。どうされましたか?」
「…………いや、まさか…………だがどう見ても…………」
礼儀も忘れかけている様子で、ただひたすらに顔を凝視するレイデンの視線を、淑女の微笑みを崩さずに受けていると。
「ぶはっ!!」
辺境伯が、我慢しきれなくなったように吹き出した。
「ぶわははは!!!! 驚いたか、レイデン!!!」
アイオラも、口元に手を当てて笑みを堪えていた。
「これは、一体どういうことなのです、辺境伯様?」
「それは、本人に聞いたらどうだ?」
悪戯好きで茶目っ気のある養父に言われて、レイデンは再度こちらに目を向ける。
「……リオノーラ」
「はい、どうなさいましたか〜? レイデン〜?」
嬢、がなくなったので、リオノーラはいつも通りの口調に戻って、ゆっくり首を傾げた。
「その顔が見たくて、黙っておったのだ!!!」
声が大きい辺境伯は、愉快で愉快で仕方がない様子で、レイデンの背中をバンバンと叩く。
「さぁ、レイデン!! 私はどちらでも良いぞ! アイオラを選ぶのなら、次期辺境伯は貴様だ! だが、リオノーラを選ぶのであれば貴様は我が最強騎士団の団長、当主はアイオラとなるな!!!」
「そうですわね。わたくしの結婚相手は、その場合ミラリオーノになりますし」
その場にいた、辺境伯家の執事補佐である青年が、目を向けたレイデンに笑顔で頭を下げる。
まだ信じられなさそうな顔をしているレイデンに、リオノーラはゆっくり、ゆっくり、説明した。
「あの後、お父様にお願いしましたの〜」
慰謝料が入ったら、それを使って高位貴族の淑女教育を受けること。
同時に、辺境伯に打診し、リオノーラを養女にして欲しいと伝えること。
―――レイデンが辺境伯の娘と結婚しないといけないなら、わたくしがなればいいですものね〜。
そんな風に、あんまり賢くないリオノーラは考えた。
安易だけれど、レイデンがリオノーラが好きで、別れたくないと言っていたから。
レイデンがなりたいのは『最強の騎士』であって、辺境伯の当主ではないのだから。
彼が最強の騎士でいながら、リオノーラと別れないで済む方法を、のんびりゆっくり、考えた。
「いや驚いたぞ! 彼女は素晴らしく優秀だったからな! 並外れた教養、淑女としての立ち振る舞い、言葉遣い。度量の広さ! 普段はのんびりしているが、期限を切れば完璧に与えた仕事もこなしてくれる!」
「お義父様は、褒めすぎだと思いますけれど〜」
リオノーラは、自分のためにはあんまり頑張れない。
本を読むのは好きだったけれど、それを披露する意味は特になかった。
淑女としての振る舞いは『夫に恥とならないように』と、我慢強い家庭教師が教えてくれた後は、人と同じように出来る様になった。
レイデンは間違ったことをしないので、婚約者や妻として、何かを言う必要もなくて。
そのままのリオノーラを受け入れてくれたから、あえて何かを自分から演技をする意味もなかった。
「さぁ、どちらを選ぶんだ、レイデン?」
「リオノーラを」
即答したレイデンは、なぜか潤んだ目で、リオノーラを見つめながら近づいてきて、膝をつきながらそっと手を差し伸べてくれる。
その手の上に、リオノーラは、のんびりゆっくり、手を乗せる。
レイデンは、そんなリオノーラの指先に口づけ落とした。
「アバランテ辺境伯令嬢、リオノーラ。貴女を愛しています。僕の……いえ、私の伴侶として、共に歩んでいただけますか?」
その真摯な求婚に、リオノーラはふんわりと笑い、のんびりゆっくり、うなずいた。
「はい、わたくしも、お慕い申し上げております~」
「ありがとう」
立ち上がったレイデンに、そのまま抱きしめられた。
力強くて、二年の間にさらに男らしくなったレイデンの胸元に頭を添えると、ひどく大きな心臓の音が聞こえる。
―――緊張しているのかしら~?
そんなことを、のんびりと考えていると、レイデンが耳元で囁いた。
「約束を、覚えている?」
「ええ、覚えていますわ〜」
婚約者となった遠い日に交わした、幼い約束。
草原で、何もせずに二人で隣に並んでいた日の約束。
『僕は、君を守れる国一番の騎士になるよ』
『ではわたくしは、頑張って最強の騎士様のお嫁さんになりますわね〜』
『君は、君のままがいい』
『分かりましたわ〜』
だからリオノーラは、ずっとリオノーラのままでいた。
レイデンが好きだと言ってくれたリオノーラのままで、飾らなかった。
でも、お嫁さんになることと、そのままでいること。
のんびりゆっくり、考えても。
その二つは、両立しないみたいだったから。
お嫁さんでいるために、必要な時だけ、リオノーラじゃないリオノーラとして、振る舞うことにした。
「恋形見は、必要なかったでしょう〜?」
季節二巡り。
レイデンは、のんびりゆっくりな人じゃないけれど。
まっすぐな人だったから。
リオノーラの恋が、死なないように。
彼に、自分への恋があるなら、きっと死なないと思っていたから。
顔を上げて、のほほんと微笑むリオノーラの言葉に、レイデンはぱちぱちとまばたきをして。
満面の笑みを、返してくれた。
「ああ。私が間違っていた。―――この恋に、形見は必要なかった」
お読みいただき、ありがとうございました。
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二話目は『淑女のリオノーラ』が出てきます。