難解な意味合い
ニケは旅の支度を進めながら、ラディウスはニケの小物作りを進めながら、そしてニケが突発的に作り出す加護付きの素材にラディウスが白い目を向けながら、その日もおおよそ穏やかな時間が過ぎた。
夕飯ができたと呼びに来たニケが、何気ない仕草でラディウスの胸元に手を翳す。ゆるゆると回すように揺らしたニケの目には、綺麗な七色の魔法円が見えている。
ニケの手に合わせて、水面に波紋を広げるように揺らいだ。
一日に何度か行われるそれに慣れたラディウスは、黙ってじっとする。
一度だけ、体内の魔力が動く感覚に身じろいでしまって、ニケが「あ」と短い声を上げた。なんでもないと首を振られはしたが、ラディウスはそれ以降ピクリとも動かなくなった。
「そろそろ魔力を動かしても大丈夫ですよ」
体内の魔力の流れが止まった感覚に、伏せていたブルーの目を上げて金色の目に合わせる。相変わらずゆるりと柔らかく微笑む目元に、ラディウスは小さく頷いた。
「……そうか」
事実かそうで無いか、反射的に過ぎった小さな猜疑心を静かに消した。
自分の恩人、短い期間で知った人間性など、様々な情報を踏まえた上でこれ以上ニケを不信に思うことも無い。だから過った不信感は、本当に反射的なものだった。
「月にも海の向こうにも、飛ばなくなってしまいました」
反射的なものだったはずの一過性の不信感がニケの一言で帰ってくる。「飛ばなくなった」だけで他に何か不具合が起きるのでは無いかと、ラディウスは険しい顔でニケを観察する。
その顔にふんわりと微笑んだニケは、ラディウスに背を向けて歩き出した。
「試すのは後にしましょう。夕飯が冷めてしまいます」
足取り軽く作業場を出て行く様子に、ラディウスは深く溜息を吐きだす。
「ニケ」は信用できるが、「魔術師のニケ」は信用し切ってはいけないのだと、この時に初めて理解した。
何か痛む気がする頭に、眉間を押さえてやり過ごす。死ぬことは無さそうなだけマシだろうか。
ニケの料理のレパートリーはなかなかに多く、毎回食事は華やかなものだ。
全ては好き嫌いの多かったオーリアの所為ではあるのだが、ニケの研究気質な部分が拍車をかけたとも言える。更に「どうせ食べるなら美味しいものが食べたい」と、ニケの中で料理が流行った時期があったせいもある。
魔法円について文字や術式の研究はそっちのけでキッチンの前に立っていた五ヶ月、さまざまな調理法を学び尽くした。
しかし今は特に、料理にこだわりも情熱もない。魔力円の開発の方が楽しい。
「美味しいですか?」
「あぁ」
「美味しい顔をしてくれませんか? 婆様は嫌いなものがあると毛虫でも食べたような顔をするのに、ラビさんは黙々と食べるだけで面白くないのです」
「話からして、お前わざと嫌いなもの入れてたのか」
ニケは微笑んだ。
「あ、そうだ。ラビさんこれを見てください。いい感じに仕上がりました」
会話を逸らされたと分かったが、ラディウスは追求することなく、差し出されたそれを受け取った。
「空間魔法を鉱石に付与してみました」
「何やってんだお前」
手の中に収まるほどの青色の石に空間魔法の加護など聞いたことがない。そもそも本来は鞄に付与されている加護だ。まず一体どうやって穴の無い物体から物を出し入れするのか。
ラディウスは難しい顔でそれを眺める。触っている分にはただの石であるそれは、どういう仕組みで収納したらいいのかと回しながら確認していると、ニケは銀色のバングルを取り出してテーブルの真ん中に置いた。
「鉱石は穴がありませんが、鉱石の表面に穴が開くようにしてみました」
「……は?」
簡単に言えば、鉱石の表面から一センチ程浮いた位置に、片手一つ分の見えない穴が開いており、そこから物が出し入れできるようになっている。もちろん所有者以外には手を入れられない仕様になっているため、スリに遭う心配もない。
空いた口のまま説明を聞いているラディウスに、ニケはバングルをつついて早く手に取れと急かす。渋々手を伸ばしてバングルを手に取れば、荒削りの鉱石のせいで、宝石を外しただけのバングルには嵌まらないと気付いた。
「鉱石を削ったり、装飾品として加工するのは自分でやりたいだろうと思って、物だけ用意してみました」
「……これ、どんだけ削っていいんだ」
「もう二回りくらいですね」
ニケの小さな指が宙を摘むようにして、削れる範囲を伝えてくる。
かなり小型になると分かったラディウスは、本格的に考え始めた。
行った悪戯は誤魔化すことができたが、目の前にある食事よりも集中し始めてしまったのはいただけない。じっと視線を向けていると、気付いたラディウスが顔を上げる。ニケがそれにニッコリと笑顔を向けて食事を再開すれば、小さく溜息を吐きながらラディウスも匙を取る。
確かに、温かい料理を食べ損ねるのは避けたい。
城で毒見を受けた皿を、更に毒入りかどうか自ら調べながら食べていたラディウスは、温かい料理は何百年振りであり、好き嫌いの前に暖かい食事は全て美味しいと思える。それでいて一流の料理の味は知っているので、舌には肥えている。
つまり、ラディウスが止まることなく匙を動かすほどのニケの料理は、城で出されているものと同等の味ということである。
「空間魔法の腕輪は、お前の分まで作ったほうが良いのか」
「いえ、私はラビットの鞄がとても気に入りました」
「俺も鞄で良かったんじゃねぇのか」
「ラビさんは剣を使うと聞いたので」
鞄の種類にもよるとは思うものの、確かに身軽であることに越したことはないとラディウスは考える。
そしてふと、昼にあったことを思い出す。
『……何してんだお前』
『いえ、なんでもないです』
ラディウスが細やかな作業を終えたところで、近付いてきたニケが、座るラディウスの足の付け根辺りにペタリと両手を付けた。しばらくじっとしていたので声を掛けたが、残念そうに首を振られて自分の作業台へと戻っていった。
……今思えばそれは、ズボンのポケットにそのまま空間魔法をつけようとしていた行動である。
気付いてしまったラディウスは、静かに食事を楽しんでいるニケを見て目を眇めた。普通の子供がその視線を受けたなら漏らすだろう睨みを受け止めて、ふんわりと笑みを浮かべて首を傾げる。
「人の服で実験するのはやめろ」
「してません。する前にやめました」
「理由は?」
「ラビさんの服、もう『不壊』『防塵』と二つも加護がついているので、これ以上は服が弾けて破けそうなのでやめました」
いつの間に加護を付けたのか。
履いたままで更に付与していたら弾けて破けたのか、と考えてラディウスは顔が険しくなる。「次は事前にお知らせします」とパンをちぎりながら言うニケに「次からはやらなくて良い」とスッパリ言い切った。
ジトッと叱るようなラディウスの目に、ニケは首を傾げながらゆるりと口角を上げて、互いに食事を再開した。
片端から棚の中身を鞄に詰めるニケを、ラディウスは呆れた顔で見る。
鼻歌さえ歌い出しそうな楽しげな表情で、あれもこれもと鞄に入れていく。吊り下げられた薬草類も、乾燥が進んでいるものは片端から新しい鞄に入れる。時折、ドルヒラビットの柔らかい毛を撫でてはふわりと嬉しげに笑う。
作り手のラディウスとしては、その光景が眩しいような気恥しいような気持ちになるので、いい加減飽きて欲しいと思いながらも観察していた。
「(城じゃ仕事が当たり前で、個人的な趣味で喜ばれるようなことはなかったからな)」
細工師として働いていた頃は大体が店の後ろで作業するだけで、人の反応など気にしなかった。師匠からは「顔は良いのに愛想が悪い」と評されていたので、それを理由にして引きこもっていた。
ラディウスはたまに顔を見せる程度であったが、愛想が悪くとも顔は整っており、真剣な目は繊細な装飾を作り、時に魔法を利用して細やかな細工を施す神秘的な姿は、やはり女性からの人気が高かった。
大方、視線がうるさいとしか思っていなかったが。
削って磨き終えた鉱石を、バングルに嵌め込む。ピッタリと嵌ったそれを確認して手首に装着した。
「あ、完成ですか?」
「……バングルの方は調整が必要だな。ゆるい」
「見せてください」
急ぎ足で近付いてきたニケに、腕を下げてやる。じっと宙を見ていたニケは、元から金色のキラキラした瞳を更にキラキラと輝かせて、いつの間にかラディウスの腕を掴んでまでまじまじとそれを眺めている。
ラディウスはその姿に、また削り方が良いだのいわれるのだろう、とニケが満足するのを待った。
「削り方が良いです……!」
顔を上げたニケがうっとりとした笑みをラディウスに向けながら、無意識か腕を撫でる。弱い力のくすぐったさに手を掴んで止めさせたが、興奮したような感想の合間にまた撫で始める。
「このちょっとした遊び程度に削られている平面部分に魔力が反射して上手く循環していますホラ見てくださいここです」
「わかんねぇよ。撫でんな」
「じゃあ鉱石の方を見てくださいここです、ここ。この削り方のお陰で保存魔法が強化されています」
削り方一つで変わるものだな、と少しだけ興味を持ちながら、動くニケの手を掴んで捨てるように退かした。ニケは気にすることなく、青い鉱石と整った魔力の魔法円を眺める。
「素敵ですねぇ、お魚なら十年は腐りませんよ」
「……強化される前は?」
「三年です」
いやそれで十分だろと思ったが、口に出すのはやめた。
今にも腕かバングルかに頬擦りしてきそうなニケの態度に、魔術師から褒められるのは悪くない、と思う。要は、作ったものの精度が良いと言われている。
積み上げられた仕事をこなして「頼りになる」と言われるより、好きに削っただけの物を「素敵です」と感想を貰う方が心地良い。鉱石を指先で撫でていたニケが遂に頬擦りしてこようとも、作り出した物を気に入られたことが、とても……。
ラディウスは緩みそうになった口元を、への字に曲げて誤魔化した。
「せっかくですから、入れてみましょう」
「あ? っ、な……!」
ニケが自分の鞄から取り出した怪しげな鉱石をボトボトとバングルの上に落とした。一気に五つほど落としたところで、ラディウスは腕を上げて阻止する。
落とした石はバングルの鉱石に当たることはなく、宙に穴でも開いていたかのように不自然に消えた。それが収納されたのだと理解して、ラディウスは微かに空けた口をそのまま横に引っ張る。
「……今のは何の加護が付いてんだ?」
「毒無効、麻痺無効、電撃耐性、火炎耐性、物理防御上昇です。鉱石が小さいので耐性と上昇は効力が弱めです」
「入れた理由は?」
「これでまた素敵な物が作れますよ!」
ご自由にお使いください、と金色の目をキラキラさせるニケに、仕事を積み上げて「頼りになる」と言ってくる文官たちを思い出して、ラディウスのは苦い表情を浮かべた。
ニコニコと笑うニケの頭に手を乗せる。そのまま指先に力を込めてぐりぐりと頭を掴めば、「私の頭は削っても素敵にはなりません!」と抗議の声が聞こえてくる。そうか、と一言返したラディウスは今度は両手でニケの頭を整えるように撫でる。「研磨してもこれ以上丸くはならないのですよ」などと心配の色を含んだ声で言われて、ラディウスのはニケの額を軽く叩いた。
「ふふ……早く出発したいです。明日とか」
「急だな」
「じゃあ明後日ですね」
随分と急な提案に、ラディウスのは小さく息を吐き出して「明後日なら」と頷いた。
ニケは初めての旅にやり過ぎなほど準備を進めているので、出ようと思えばすぐにでも出られる。
ラディウスも身一つで城を出てきたのでそれほど準備するものも無いが、正常に使えるようになったか魔法だけは試しておきたかった。ニケの言葉を疑っているわけでは無い。むしろ信じているからこそ、「月にも海の向こうにも飛ばなくなった」というだけの話では不安が残る。
それなら月や海の以前には飛ぶ可能性があるのだろう、と。
「では明後日ですね、燃えてきました」
むんっ、と両手を握ったニケは力強いポーズではあるが、なにぶん動きが嫋やかなのでいまいち強そうには見えない。ラディウスはその姿に一つ瞬きして応えると、「今日はさっさと寝ろ」と声を掛ける。時計を見たニケが、寝る時間が迫っていることにハッとして扉から出ていく背中を眺めた。
「(そういや十歳くらいつってたな……本当か?)」
子供は寝る時間が早い。寝る直前まで元気なくせに、時間になると途端に電池が切れたように大人しくなる。今日はもう三十分もすれば、ニケの寝る時間である。
「(風呂の中で寝なきゃいいが……)」
そこまで考えたところで、まるで保護者のような思考に顔を険しく歪ませた。お子様、と呟いた言葉は誰もいない空間に吸い込まる。ラディウスは嵌めたままのバングルを外して、作業道具を手に取った。
そして、十分したら風呂場に様子を見に行ってみるか、と考えてしまう自分に溜息を吐いた。