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旅人に微笑みを、  作者: も
5/22

非常識な価値観


 作業場には窓がない。他の部屋にはあるが、作業場では太陽光で爆発してしまう危険な素材もあるため、窓を取っ払ったのだ。

 太陽の光があるからこそ、人は朝と夜とを区別できるのだとラディウスはよく分かった。「狂わない壁掛けの時計」はすでに夜を示して、部屋の中を見渡せば、ちょこまかと動き回っていたニケの姿はいつの間にか無かった。


 代わりに、近くのテーブルに紙が一枚。

 それは円の中心に、矢印が書かれている。



「(……なんだ?)」



 手に取ってよく見れば、紙の端に文字が書かれていた。お手本のような癖のない文字が、たった二文字。



「『夕食』?」



 呟くように言えば……円がゆらりと光った。反射的に紙から手を離そうとしたが、何故か離れない。それどころか、書かれた円から紐のようなものが現れ、ラディウスの手首に巻き付いた。



「っ……」



 反射的に腰元に手をやったが、目当ての物は今は無いのだと思い出して舌打ちする。

 クッと軽く引かれた手は、作業場の出口へ引っ張られているらしい。半分警戒しながらも素直に着いていくのは、もう半分がニケの仕業であると見当が付いているからだ。

 むしろニケの仕業である方が何を起こすか分からないので、殊更に警戒しなければならないのだがラディウスはまだ知らない。

 作業場の扉は自然と開かれ、引っ張り続ける矢印の紙はテーブルを囲む椅子の一つに案内する。



「あ、来ましたね」



 夕飯を食べているニケが口元を上品に拭った。大人顔負けの自然な動作は、何度見ても年齢を疑い混乱させる光景である。やっと手首の紐が解けて、魔法円の書かれた紙は宙で青い炎を纏って燃え尽きた。



「……もったいねぇ使い方だな」

「どうしても燃えてしまうんです」



 ニケは考えるように斜め下を向いて小さく唸る。


 燃えないようにすると思った通りの方向へ行かなかったり、扉を開けてくれなかったり、最短距離を行こうと壁をすり抜けたりする。ニケの意に一番沿っている加護を付けるには、紙を犠牲にするしかなかった。

 しかし燃え滓も残さないとは果たしてどんな高度な魔法が使われているのかと、ラディウスは感心しながらも呆れる。


 燃えるならば使わなければいいのにわざわざラディウスに使用するのは、単純に魔法円を使った魔法を見せると彼の反応が良いからである。


 本を読んでいる間も、おもちゃでも作るように素材に加護を付与していく様子をラディウスは横目で確認していた。

 ニケは研究として次々に魔法円を描いてはラディウスには分からない微調整を繰り返し、思った通りのものになると紙に清書しては残していく。「洗浄不要」だとか「防塵無臭」、原理はさっぱり分からないが確かに便利だ。


 ラディウスが案内された席には、テーブルに魔石が三つあった。見えるコンロには鍋が二つ。微かに香るスープか何かの香りに、なるほどと納得する。



「これは?」

「ラビさんは今魔力を動かせませんから、魔石を使ってください」



 言われた言葉に自然と身構えて眉を寄せた。

 本来はコンロに火の鉱石が埋め込まれていて、それに触れることで火を付けられる。魔石が必要なコンロとは一体なんなのか。


 恐る恐る、しかし淡々とした足取りで鍋に近付けば……鍋の下には、何も書かれていないただの丸い石板が敷かれている。

 鍋の蓋には魔法円が描かれているが、おそらく保存系のものでなんとなく見覚えがある。


 保存の魔法円は、城の厨房で手振りの壺に刻まれていた。ラディウスはそれ以外では見たことがない。

 世界のあちこちで「魔術師の落とし物」として魔法円による加護が付与された商品が出回っているが、厨房の壺もおそらく落とし物の類だろう。もし魔術師からの正規の献上品であったのならば、保冷庫丸ごとに加護を刻むのではないだろうか。

 ニケを見ている限り、どうもそんな感じがしてならない。



「おい、火」

「その石板、加護が付与されているので魔石を近付けるだけで火が付きます」



 ……鍋を退かしてみる。なんの変哲もない石板であることを確認して魔石を近づけてみれば、石板より一回り小さく円状に火が点いた。



「……目に見える魔法円と、見えねぇ魔法円の違いは」

「婆様のこだわりです」



 聞くんじゃなかった。

 魔石で発動させたコンロで、ラディウスは気が抜けて力が入らない腕のままスープをかき混ぜる。決して病み上がりだからではない。ただの気が抜けただけの脱力だ。


 スープの上に軽く手を翳して、温度を確かめる。

 まさかここまできて毒入りのスープを用意されたとは思わないし、油断させる計画かと考えるのも馬鹿馬鹿しい。これで本当に油断したところを刺す気なら大したものだ。賞賛に値する。


『貴方は、死にたかったのですか?』

『いつから死ぬことを考えていたのですか?』

『理想の死に方があったのですか?』


 ふと思い出した言葉に、心が穏やかに凪いでいく。常の柔らかい笑みではなく、凛として射抜くような微笑み。身体の中心にある一本の芯をそっと触られるような、己の全てを差し出しそうになる空気。

 誰かに傅く感覚など何度も味わいたくないと思うのに、それをニケに求めていることも事実だった。


 だからこそ、毒物は入っていないと分かる。ニケが善であることを、本能が認めている。

 沸々と動く野菜を避けて、味見用か何かの為に置かれていた小皿に少量盛りつける。


「(まぁ毒入りなら、それでも……)」



 そこまで考えたところで、心臓がしん、と鎮まった。



「(……ああ、そうか)」



 唐突に理解した。

 自分が城から逃げ出した理由、城で死にたくなかった本心、理想とまではいかないかもしれないが、自分の中には逃げ出すほどの願望があったらしい、と。


 後ろを振り返れば、丁度食事を終えたニケと目が合った。変わらない柔らかい微笑みを浮かべて首を傾げた相手に、同じように首を傾げてみせる。

 ラディウスの目は、ニケと同じような柔らかさを映した。


 自然と浮かんだ笑みを隠すように小皿を持ち上げ、見せつけるようにスープを口にした。







 夕飯も終えて、風呂も終えて、分かってはいたがどこもかしこも加護だらけで三度は頭を押さえた。快適過ぎる。


 タオルで頭を拭きながら再び作業場へやってきたラディウスは、作業机に齧りつくニケを一瞥して本棚の前の椅子へ座る。

 本棚には魔法円の一覧以外に、魔法についての研究資料、植物図鑑が三冊、鉱石と魔石の本が一冊、物語が何冊か。その中の植物図鑑の一冊はニケが書いたもので、植物の絵と一緒に自然付与される加護の種類が書かれている。大変興味深い。


 しかしそれよりも……。



「おい……アレ、要らねぇのかよ」



 ラディウスは作業場の一角へと目をやった。

 そこには大きな貼り紙の付いた木箱が一つ。



「婆様と同じことを言いますねぇ」



 しみじみと懐かしそうに微笑んだニケは、当時と同じように返す。



「興味から逸れているので」

「……」



 様々な鉱石に加護を付与することや、糸に加護を付け易くする為に薬液で染めたりすることは興味の範囲。そのために糸車で糸を紡ぐことも、その先に興味があるので厭わない。そして加護を付与し終えたら、あとは用済み。

 その先の工程、加工して装飾品へ仕立て上げることは、ニケにとって興味の範囲外である。


 加護を付与された素材の数々が「燃える素材」と書かれた木箱に山になっている。ラディウスは真顔でそれを眺めた。

 貴重な素材を燃やす気しか感じられない。


 オーリアも「ゴミ舐めんな」と言って街まで売りに行ったり自分で利用したりしていたが、オーリアがいなくなった今、ニケには燃やす以外思い付かない。



「……もったいねぇ」



 呟かれた言葉は、まさしく何の含みも無く口から漏れただけのものだ。聞こえたニケは、頬に手を当てて首を傾げる。



「欲しいならあげます、けど……」

「けど?」

「わたしには要らないものでしかないので、少々申し訳ないです」



 つまり、ゴミを人にあげるのはいかがなものか、と。

 本当に困った様子で言われた言葉に、ラディウスはやっと気づいた。



「価値観、狂ってんな」

「…………そんなにですか?」

「酷ぇ」



 まず素材は燃やさねぇよと半分死んだような表情で言えば、ニケは両手の指先を口元に当てて眉を下げた。しかし次の瞬間には、パッと笑顔でラディウスを見上げる。



「一ヶ月、どうぞよろしくお願いします」



 ラディウスの、半分死んでいた表情が全部死んだ。真顔も極めれば無だ。


 森から出たことが無いだの、婆様という育ての親以外に会ったことが無かっただの、家に来るまでの道中で今までの生活を聞いてはいた。

 自称「効果の弱い回復薬」を体感してから、魔術師というだけで価値観に誤差があると思ってはいた。思っていただけなのだと、じわじわ思い知る。


 正直ここまでとは思わなかったラディウスは、前髪をグシャリと掴むように掻き上げた。

 しかし「魔術師」ではなく、「ニケ」個人が特殊な育てられ方をしていることを、ラディウスは知らない。


 当の本人は、ラディウスの様子に申し訳ないとは思いながらも、了承する前によく悩んで考えるべきだったのだと得意げにほんわりと笑顔を浮かべて、項垂れる様子を眺めていた。


 元、が付くが国の相談役としてそれなりに謀略を張り巡らせていたラディウスが、相手を測り切れずに翻弄されている。五百年ほど生きて多くの厄介な人間を見て来た自負もあり、人の性格も顔色も読める方ではある。

 しかし前例の無い初めての生き物を前に、呑まれていることを自覚した。


 そしてすぐに抗うことを諦めた。

 抗うには波が大きすぎる。先を読める相手などと思わない方がいい、確実に疲れる。



「……まぁ王族よりは手が掛からないか」



 口の中で呟くような小さな声に、聞こえなかったニケは不思議そうに首を傾げるが、ラディウスはなんでもないと軽く手を振る。


 上げた手を、そのまま傾げた頭に合わせてサラリと揺れた金色に手を伸ばし、触れるか触れないかの指先で小さく揺らした。ニケは気にした様子はなく、されるがままにじっとする。

 立ち上がったラディウスはそのまま木箱に近寄り、雑多に詰められた中から青い鉱石を手に取った。



「鑑定のレンズはあるか?」

「ありません。必要無かったので」

「……だろうな」



 こういったズレに対応していかなければならない。いっそ面白くなってきた。同時に、育ての親の婆様とやらを恨めしく思う。

 何故ここまで放置した。絶対面倒になっただけだろう。


 ラディウスの推察は見事に当たっていて、教えることが多過ぎて面倒だったため、その都度教えていけば良いとオーリアは説明を未来に投げた。

 投げて当たったのがラディウスである。


 鑑定レンズに始まり、火、水、その他口頭で伝えた必要なものは全て、羊皮紙に魔法円を描いて渡されたラディウスは額を押さえた。言われてみれば、作業場だと言う割に油のランプも無ければ水道もない。全て魔法が使用されている。


 そうしていくつもの紙を渡され、眺めているうちに……慣れた。貴重なものであると理解しているが、今、この空間においてはこれが通常なのだと。


 先に自分の価値観がズレ始めたと気付いたラディウスだが、もう一々驚いてもいられないとため息一つで受け入れることにした。

 言われるがままに準備したニケは、作業台の上を見て納得する。よくオーリアが利用していた魔法だった。



「ラビさんは、素材の加工ができるのですか?」

「あー……昔は細工師の仕事をしてたからな。装飾品は趣味」



 何年前、という明確な年数が出てこなかったので「昔」と纏めた。なんせ百年単位の昔である。少なくとも三百年は前の話だ。



「その割に、ラビさんには飾り気がありませんね」

「……興味から逸れてっからな」



 ニヤリと上がった口角で楽しそうに言われた言葉に、ニケは可笑しそうに笑う。しかし「同類ですね」と嬉しさに頬を染めて目を輝かせれば、「違う」と秒で返された。

 いまいちニケには違いが分からなかったが、とりあえず頷いておく。あとで考えよう。


 これも必要だろうと婆様が使っていた工具を渡せば、ラディウスの表情が少しだけ緩んだ。緩んだと言っても側から見たら一ミリも緩んでいないのだが、ニケにはなんとなく空気が柔らかくなったように思える。

 机の上に準備された魔法円の羊皮紙を見て、ニケは空の魔石をいくつか片手に取り、反対の手で宙にふわふわと手を動かして書き入れていく。



「? なん…………」



 何をしているのかと見ていたラディウスは……空の石に魔力が篭っていくと同時に、じわじわと口が開いていった。



「この魔法円も魔石を使ってください。お大事に」



 魔法円は魔石で発動できるのかとコンロの一件で知ったが、いやそれより、魔石に魔力を込めることができるのか。魔石こそ魔力が無くなったら、ゴミとして捨てられるものだ。簡単にリサイクルしてみせるな。常識がぶれる。

 魔石は、魔物や自然界の魔力を吸って出来上がる、『自然物』であるというのが世界の共通認識だ。



「(人工的に魔石を作りやがった……)」



 魔法を付与できるということは、物体に魔力を込められるということ。魔法円は、魔力を込める入り口を作るのか。

 小難しい顔でラディウスは宙を睨む。



「ラビさんどうしました? 怖い顔をしていますよ」

「お前のせいだろ」

「なんとまぁ」



 自分のせいにされたことを別段気にすることなくふんわり笑いながら、また二個、三個と魔石を作り上げて台の上に置いていくニケに、ラディウスはもう呆れることしかできなくなった。そういう生き物だと諦めると、呆れることしかできなくなるらしい。

 指先で転がして感じる魔力に、本当に魔石なのだと確かめた。



「……まぁ、魔力が安定するまでの暇潰しにはなんだろ」

「何か欲しい素材があったら教えてください。無駄に加護を付けてお渡しします」

「無駄なら付けんな」



 俺の価値観が狂う。言葉にはしなかったが、顔は雄弁である。

 ニケの金色の髪を、揺らすように指先で掬って離す。サラリと液体のように落ちるそれに、軽く眉間に皺を寄せてから作業に取り掛かった。


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