菓子よりも
人類は、三種に分かれている。
祈士、魔法使い、魔術師。
魔術師は一生のうちに一度見られたら運が良い、と言われるほどにその存在は少ない。どうして生まれるかは未だ解明されていない上に、研究しようにも対象が飽きて逃げる為に存在を暴くことが出来ず不明な部分が多い。とある国では「じっとしていてくれない」「どうしようもない」という研究結果だけ残されている。
魔法使いは魔術師よりは多いが、一つの街に一人いるかどうか。大抵の魔法使いは人間関係を煩わしく思う為に正体を隠して普通の人間に紛れている。山奥や岩壁に隠れて住んでいる者も多く、長寿ともなると千年以上生きると言われている。
祈士は、広く言えば魔力を持つその他一般人である。特に城に仕える者を「祈士」と呼んではいるが、街で働いて暮らす人間と魔力の多い少ないの違い程度。更に言えば、城に仕えるような祈士は大抵が貴族の出身ばかりなので、いくら魔力が多くとも街の細工師の息子は細工師になるし服屋の娘は服屋になる。
しかし、どんなに魔力が多くとも祈士は魔法使いに劣る。根本的な頭の使い方が違っているので、魔力の引き出し方が違う。
ラディウス曰く「魔法使いは魔法を理解できる脳を持っているが、祈士は理解できる脳を持っていないので魔法に頼み込むことしかできない」ということだ。喧嘩でも売っているような話ではあるが、街で暮らしているような一般人は重々承知していることだし、貴族の祈士なども分かっている上で王城で働いている。
しかし頭では分かっていても、才能に追いつけない妬みは行動を起こさせてしまった。
「そういえば、人種は名乗りましたが名前はまだでしたね。ニケです。森に住むまじゅちゅしです。十歳くらいです」
白いローブを脱いだラディウスの周囲を、ニケは確認のために歩き回っている。
「ラディウス、元王宮相談役の魔法使い。年齢は忘れた、おおよそ五百」
「らびっ……らでぃうすさんは、すごい役職の方だったんですね」
人の名前でも噛むのかと苦笑すれば、誤魔化しているようにも思える笑顔がニケからラディウスに向けられた。笑顔にも種類がある。
すごい役職と言われたものの、今後は名乗ることもないだろうと、金色の髪が自身の回りで揺れるのをぼんやり眺める。
「もう、ただの魔法使いだ」
言葉にしてみれば、体全体が軽くなったように感じる。ラディウスにとって、大それた肩書こそ邪魔だった。そもそも相談役を引き受けたのは何百年も前の友人であった先代の宰相からで、その宰相が亡くなって以降は国王からの頼みで引き受けていた。
気持ちとしては、ほとんど惰性で続けていたに過ぎない。
頼みと言えど、周囲から見れば命令であるそれに背いても面倒だと思って生きていたところで起こった事件。呪術については不愉快に思ったものの、自由になるきっかけを与えてくれたあの祈士には今や感謝すらしている。
そんなことを考えながら、身体を見て回るニケの瞳をそっと盗み見た。金色の目には、ラディウスに見えないものが見えている。
ラディウスが呪いを受けていた場所は、魔力を貯める器官でもある心臓である。完全ではない呪術は、紛い物の回復薬と同じく、呪いの魔法円を使った祈士であると当たりを付けていた。
だからこそニケは、漏れた可能性があると考えてラディウスの身体を入念に見回っている。ラディウスの着ているものは、ローブだけでなくシャツやズボンにも多少の魔法が付与されていた。服や靴に跳ねた呪いが、別の魔力に干渉してしまっていることがある。
「……飛び散るなんてことがあんのか」
「魔法円の文字を意味を理解していないまま、魔力だけを流す呪いなんて、トマトソースみたいなものです。いつの間にか服に付いているでしょう?」
アレです、と笑顔で頷いたニケを見て、ラディウスの頭の中で「呪い」の概念が一気に可愛らしいものになった。
ニケはしばらく宙を眺めたり、時折ふわふわと小さな手を動かして魔法円に触れていたが、飛び散った様子はなさそうだとゆったり頷いた。
「見たところ大丈夫ですね。ローブ、もう着ていいですよ」
「いや、捨てる。元々白なんてガラじゃねぇ」
白いローブを地面に放ったそれを、良い布なのにもったいないと思いつつ眺める。しかしニケが貰うにしても、金の糸の刺繍には国の紋が刻まれているために普段着としては使用できない。寝巻きにしては豪華すぎる。
地面のそれを眺めていると、横から伸びて来た手がそっと持ち上げた。
「やっぱり着るのですか?」
「いや、売る」
今は銅貨一枚も無いからな、と一度地面に放ったそれを拾い上げて土を払う様子に、ニケは逞しい人だと深く頷いた。
「感心しました」
「いやどこにだよ」
眉間に皴を寄せてニケを睨んで、からかいでは無い純粋な瞳とぶつかって目を逸らす。
回復薬のお蔭で、硬化していた顔の筋肉が戻り、元々のガラの悪さまで取り戻してしまった。城に仕えていた人がこれでいいのかと思える程に人相が悪い。顔が整っている分、視線を向けられただけでも後退するような近寄り難い雰囲気を纏っている。「美人が睨むと怖い」と仕えていた国の第二王子にまで言われたことがある。
顔面は硬化したままの方がまだよかったのではないかと、ラディウス自身そう思った。
しかし子供が一目で怯える顔にも、ニケは微笑んだままなのでまぁ良いかとも思う。
ニケはというと、国に仕えていた栄誉ある仕事の制服をなんの感慨もなく捨てようだのお金にしてしまおうだの、なんて潔いのだろうと感心の目を向けていた。恨んでいる様子がないので、余程関心が無いのだろうことも軽く察する。
実際、ラディウスは自分を追い出した場所がどうなろうと手を振って見捨てられるだろう。敏感に感じ取った空気からニケはその想像ができてしまったために、「自由の身になれたのだな」と共感するように深く頷いた。
……しかし、その頷きを見てしまったラディウスは苦々しい表情で眉を寄せる。こんな小さな子供に理解されるのはかなり複雑である。
「ラびう……ラディウスさん、今日は、」
「もうなんとでも呼べ」
「じゃあ、ラビさん」
頭を抱えた。言うんじゃなかった。
おおよそ愛想の良い顔をしていない自覚がある為、ウサギだの愛だのをもじった名前は、似合わないどころではないことが分かる。もはやいろんな意味で凶器ではないかと。
「なんとでも呼べ」と言ってしまった手前、拒否するのも躊躇われて開き掛けた口を閉じた。代わりに嫌だと伝えるように険しい顔を向ける。
ニケは、無言を肯定と取って微笑んで頷いた。正直嫌そうな顔は分かっているが、自分が「ラディウス」を発言できないのだから仕方ない。とっても仕方ない。練習する気もない。
「ここから近い街までは二時間ほど歩きます。ラビさんは、今日はもう魔法が使えないでしょう? いえ、厳密に言えば使ってもらっても構わないのですが……制御が利かないので、飛ぶような魔法なら……月まで飛べるかもしれません!」
心配するような言葉は、言葉尻に向けて何かを期待するようなものに変わった。
青い空へ目を向けて微笑むニケに、ラディウスも釣られるようにして顔を上げ、今は見えない月を見るように空を眺めた。ニケと違うのはラディウスが一切の微笑ましさも無く、眉を寄せて遠い目をしている部分だろう。
現に「良いですねぇ、月」と呟く呑気な声に、ラディウスの眉間に皺が一本増えた。
「……いつ安定するんだ」
「人によります。ラビさんは魔力量が多いので、ちょっと馴染むのに時間がかかりそうですね」
ラディウスの心臓の辺りでふわふわと小さな手を揺らすニケは、魔法円の中の魔力を混ぜている。集中すれば、体の中の魔力が他人の手で流されていることを感じ取れた。指先や心臓が分かりやすく温かい。初めての感覚ではあるものの、決して不快ではないそれにラディウスは目を閉じた。
心臓へ注がれた呪術の魔力は、ラディウス自身の魔力を通して全身へ行き渡っている。そこへニケの解呪の魔力を混ぜ込み、再び体全体へと流している。黒が分かりやすくまだらに混じっていたラディウスの魔力は、白に侵蝕されて本来の七色に戻りつつあった。
「最低でも二日は、魔法に影響がありそうです」
ラディウスは静かに開けた目でニケを見る。気付いたニケが目を見返して、首を傾げてほんわり微笑む。
何を考えているのか読めない相手に、ラディウスは諦めて短く息を吐いた。
「……何が欲しいんだ。菓子でも買ってくるか?」
話が早い。ニケは嬉しそう笑みを深める。
既にただの少女ではないと分かっている為に、やや訝しげに目を向ける。このまま去っても良いが、自分では魔力が安定したか確認ができない。ほとんどあり得ないとは思っているが、解呪したなどと騙されている可能性も捨てていない。信用していい人物だと判断する為にも近くで監視した方がいいだろう。
菓子などではないだろう対価。命を救われた大きさを考えたら、何を欲しがるのか見当もつかない。さて何を欲しがるのかと、想像もできない故に警戒しながら返答を待つ。
そして、開かれた血色の良い唇が、吹き抜ける風に負けないように少し大きめに開かれた。
「一ヶ月で良いので、私と旅をしましょう」
風に吹かれる金色の髪を押さえて、溶けるような嬉しげな瞳がラディウスへ向けられた。