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旅人に微笑みを、  作者: も
22/23

魔術師からの依頼

「神よ、またこの男がやりました」

「罪みてぇに言うな」



 ニケの手の中には、出来たばかりの髪飾りが一つ。

 上から下から、丁寧な手つきで回して隅々まで確認する。蜂蜜色のキラキラした宝石を花弁のように嵌め込み、宝石の花を咲かせたそれに、ニケは深く感嘆の息を吐き出した。



「わたしはわたし以上に何を差し出せるのでしょう」

「頭。それ以外は自由にしてろ」



 櫛を手にするラディウスは、先程から椅子の後ろに立ってニケが座るのを待っている。

 願いの通り、ニケは椅子に座って頭を動かさない。そして願いの通り、手は忙しなくかみかざりを撫で回し、口は細かな場所まで一つ一つ褒め千切る。頭以外は自由だ。

 陽の光に反射させて、宝石のカットを確かめてまた頬を緩め、シルバーの曲線をなぞり胸を押さえる。


 ラディウスは初めこそ面倒臭い反応だと止めようと思っていたものの、魔力の道筋がどうのと気になることを言われて聞いていくうちに、ほんの少しずつ理解し始めていた。理解してしまえば、話の内容も少々面白く思えてくる。

 もともと研究者、職人気質なところもあるからか、今では魔力の流れとやらを意識しながら装飾品を作るようになった。


 興奮気味のニケが頭を動かすので、頬を押して元の位置に戻す。



「ラビさん、魔法文字も覚えますか? 教えますよ」

「習得したところで使えねぇだろ」

「試したことはありませんけど……ラビさん、器用なので」



 また面白いことを言っている。

 賢いだの覚えが良いだのの前に、「器用だからできそう」と言う。頭より手先が重要とでも言いたげな物言いだ。


 気にはなるが、今は目の前の癖のない髪に苦戦しているため、あまりそちらに集中できない。

 滑る髪にスルスルとリボンを挟みこんで、纏まるように編み込む。名残惜しそうに離さない手から無理に髪飾りを奪い取って、髪に差し込むように着けた。



「わぁ髪につけると尚一層素敵ですね」

「離さなかった奴が何言ってんだ」



 ふふ、と上機嫌に笑いながら、「ギルドに行きましょう。珍しく早起きしたので」と椅子から軽やかに降りる。

 オレンジ色の光を反射する花の装飾品に、ラディウスは口をへの字に曲げて目を逸らした。



「(防護貫通、魔法反射、攻撃反射、毒無効、不運転嫁……最後が一番ウゼェな)」



 敵意を持って攻撃してくる相手に、自分に起こりうる不運を代替えさせる。どういう理屈で魔法を組んだらそうなるのか分からないが、偶然噛み合ったと言っていた一点ものだ。

 美しく輝く花弁の一つ一つが、凶悪な魔法円の加護付きである。


 今更どうこう言うつもりはないし、ラディウスとしてはもう装飾品の材料としか見ていないので何も文句はない。



 上機嫌で階段を降りるニケは、最近やっと階段に慣れた。ゆっくりとした動作は変わらないが、危なげない足取りで降りていく。

 踏み外して落ちたとしても、何かしらの魔法を使うだろうが、ラディウスは未だに下側を歩く。足取りは危なくないが、雰囲気は危ない。

 宿主はその二人を見る度に仕事も後回しで、じぃっと見守っている。面倒くさそうな雰囲気でもしっかり気遣うラディウスと、信頼感から油断いっぱいのニケは、側から見ていてなんだか大変癒される。



「お客さんたち、今日はギルドなんですか?」

「はい。楽しそうな依頼があったらやってみたいです。確か広場のお掃除とかありました」

「………………薬草採取の依頼とか楽しそうですよ! 見てーなー! お客さんが薬草採取してる姿すっげー見てーなー!!」



 それもいいですね、とふわふわ笑うニケに、宿主は何らかの安心感を得た。見た目も仕草も、生命自体が高級品なお客が掃除をしている姿なんて想像がつかない。想像したくもない。

 現に後ろのラディウスも嫌そうな顔を隠さないでいる。あれは掃除が嫌なのではなく、掃除をするニケが嫌なのだろう、と宿主は察する。


 ラディウスはニケの家で、自分の作業スペースを掃除する姿を見ているが、それはそれで良い。自分の場所を片付けるのは見ていられるが、人が散らかしたものを片付けさせるのは、違う。

 ちなみにニケの家の中はほぼ掃除など要らない。床から天井まで防塵と保存の加護が展開されているので、いつでも綺麗で傷や凹みは一つもない。



「良いお肉があったら、いつでも持ってきてくださいね。腕によりをかけて料理するんでっ」

「それ目当てだろ」

「楽しそうで何よりです」



 うきうきと両手を動かしながら仕事へ向かった宿主に、ニケは今日も平和だとしみじみ思う。


 ここ最近、旅人としての活動は出来ていない。調べ物があると図書館に入り浸るニケと、それならそれでと趣味に没頭するラディウス。

 いつ高額の依頼が入るかわからないため、普通の旅人なら新規依頼のが張り出される朝と夕方の二回、依頼を確認しに行く。自分の適性ランク、依頼の種類などにも相性がある。収入が不定期な職業で、自分に合った仕事と出会う為、毎日でも依頼書を見に行く旅人も居る。

 しかしニケとラディウスには、金も趣味もある。旅人活動をしないならしないで、知識の吸収やら装飾品の作成やらに没頭したいときもある。二人にとって旅人活動と個人の趣味は同列で、優先順位をつけるものではない。


 そういうわけで、今日は旅人として活動をしたい気分になった二人は、ギルドの扉を潜った。



 ギルドの依頼ボードの前で、二人は採取の依頼を探す。

 もう慣れてしまったラディウスがニケを片手で持ち上げてボードの前に立つ。初めて見る人は二度見するが、慣れてしまった人は、高い位置にあるニケを見上げて手を振ったりする。

 男七割、女三割という旅人の男女比で、更に小さな女の子という貴重な癒しの成分満載の、しかも誰にでも柔らかく笑みを讃える神秘の種族である魔術師様は、こっそりと人気である。ラディウスが居るのもあるが、本人の静謐とした空気に声を掛ける勇気のある者はそうそういないし、歓声を上げて囃すのも違う。そういう感じではない。

 見ているだけでどこか心が満たされる、社会に疲れた人にとってのオアシスのようなものだ。



「意外と無いものですね?」

「あるときはすげぇある」

「今日は無い日でしたか」



 なんだかんだ宿主の言う通り採取の依頼を探すのは、未だ一度もしたことがないから、というちょっとした興味からだ。採取の依頼はどんな人が依頼するのか、どんなものを依頼するのか、など。そこからニケの知識と興味は広がっていく。



「あのー……ちょっといいですか?」



 依頼ボードを眺めていると、受付からいつもの女性が声を掛けてきた。ラディウスは先日の盗撮の件もあって厳しい目を向けるが、ニケは首を傾げながら微笑むだけだ。

 恐る恐ると言った様子で、二人の視界に入るように、一枚の依頼を掲げた。



「おそらく依頼なんですが、ちょっとランクが高い上に不思議な依頼で……必要事項も足りなくて困ってまして……」



 ラディウスはその手から紙を抜き取ると、紙の前で眉を顰めた。


 採取依頼、と頭に書かれた依頼書。

 内容は『ブラウンツリーの木の皮。最低一キロ。報酬は量によって考えます。よろしくお願いします』というもの。

 本来ならば最低一キロならその金額をギルドと相談で明記することと、採取物は受け取りなのかそのまま配達しなければならないのかもわからない。



「知らない間に、受付にお金と共に置かれてまして……」

「何で俺らに」

「えぇと、その裏側を見て頂きたいのです……」



 もごもごもご、目の前の威圧感から言いづらそうに話す受付嬢。


 前回は貴族からの頼まれごととはいえ、盗撮するような真似をしたことをかなり反省していた。貴族相手よりも、この二人の方が恐ろしい。むしろ貴族相手の方が慣れている分、対応もスムーズだ。

 Sランカーの古代種討伐者の魔法使いと、やけに所作が美しい生ける伝説の魔術師。


 貴族を怒らせるか、この二人を怒らせるかでは、損失が大きいのは何故か後者だと思えてならない。

 現にギルド長からは、貴族の依頼があっても二人の機嫌を損ねるなら断れとの注意が下されている。



「裏面の植物のような紋様が分からず、先程ランプル図書館で何かわからないかと調べてきたところ、魔術師様なら読める文字だと館長に伺いまして……」



 いつもに増して腰が低い。地面に半分埋まって見上げながら話してくるような対応。これはこれで面倒だと感じながら、ラディウスは紙を裏返した。そして納得する。



「……お前宛じゃねぇの、これ」



 いつものように円形ではないものの、五行にわたって植物の蔦が伸びて花が咲いているような文字には見覚えがある。

 抱えられている今、同じ目線でそれを見るニケは、変わらない微笑みを浮かべながらその魔法文字を目で追った。



「ラビさん読めますか?」

「無理に決まってんだろ」



 ふふ、と笑う声が耳元に近く、擽ったさに顔を逸らす。

 しかしニケはその耳元にもう一度近付いて、示されている場所を囁く。聞いたラディウスはスッと視線を紙に戻して、それから受付へと声を掛けた。



「オイ、採取と配達の依頼で」

「採取は分かりますが……配達、ですか?」

「あぁ、そのまま届けて欲しいらしい。住所が書かれてる」

「え、これがですか?」



 決して文字には見えないそれは、住所を書いたものらしい。

 受付はじぃっと視線で蔦をなぞってみる。一つたりとも文字には見えない。眉を寄せてチラリとニケを見れば、微笑んだまま一つ頷いた。



「個人情報ですから、みんなに読めてしまったら困りますよね」



 ニケの言葉に受付は納得したように頷いて、「最強の保護方法かと思います」と理解を示しておいた。

 なんせ魔術師以外に読めないのだから。個人情報も何もない。

 そして受付はハッと目を丸めた。



「あ、えっ? じゃあこの依頼は、魔術師様からのものだということですか?」

「そうだと思います。魔法文字を練習したとしても、魔法使いや祈士ではここまでにはならないでしょう。文字を書き慣れているし、字形が自然で流暢です」

「自然……流暢……」



 呟きながら紙に目を落とす受付嬢と、もう一度紙の文字を眺めるラディウス。

 確かに、ニケの書く魔法文字はもっと柔らかい気がする。この紙の文字は尖ったところはしっかり尖って、重なるところはしっかり重なって、しかし気持ちの悪いブレが無い。

 気持ち次第でどうとでも見えると言われたらそうだと同意するが、この差異は覚えておくべきかとラディウスはゆっくりと瞬きした。


 文字の解読を早々に諦めたらしい受付は、テキパキと書類を作り始める。依頼主の欄に「魔術師」と書き込んだのは初めてなので、途中で手が震えて文字がヨレた。書き直してもまた震えるのだろうと諦めてそのまま二人に見せれば、ラディウスは無言で、ニケは殊更柔らかく微笑みを見せる。何も言わない優しさが辛い。

 ギルドカードを受け付けて二人に返すと、ニケが小さく「あ」と声を上げた。



「ラビさん、結構距離がありますけど、馬は乗れますか? それとも私と魔法円で飛びますか?」

「なんだ魔法円で飛ぶって」

「転送の魔法円で大体の場所に転移します」



 目的地に一瞬で着く。

 目の前で繰り広げられる夢のような話に、受付嬢は必死に遠くを見る。聞いてはいけないような、でも聞きたいような。



「ちなみにラビさん、わたしは馬に乗ったことがありません」

「奇遇だな。俺は転移したことがねぇ」



 あってたまるか、と受付嬢は何も口を挟むまいと奥歯を噛んだ。

 ニコニコ笑って見上げるニケと、ジトっと見下ろすラディウス。しばらく見合ってから、ニケは両手を合わせた。



「それなら……行きは馬で、帰りは転移して帰って来ましょう。宿の夕飯に間に合うかもしれません」



 馬ごといけるのか、とラディウスは顎に手を当てて頷いた。

 なんでも有りのようなニケの存在に多少なりとも危機感はあるものの、なんでも有りだからこそ事件性のあるものから程遠いところにいると感じる。


「(魔術師は捕まらない)」


 魔術師の有名な特徴である。逃げ足が早い、という意味ではなく、逃走ルートが多過ぎるのだ。転移できるならばどこにでも行ける、岩の中に家を作る、凶悪な加護を身に纏う。

 どう考えても力尽くでは無理だ。


 考えれば考えるほど自分の近くにいることが不思議で、ラディウスは訝しげに金色を見下ろしてしまう。



「えーと……馬でしたら、ギルドでも貸し出してます。ギルドの裏手にまた受付がありますから、そちらからどうぞ」



 受付嬢は聞いてしまった全てのことを飲み込んで、完璧な笑顔で対応した。朝からなんて大変な仕事かと、頭を抑えたくなる気持ちをグッと堪えて笑顔を浮かべ続ける。

 隣りの受付でも、聞こえて来た会話の全てを聞かなかったことにして、次の方どうぞ!と通常より三割増しの声で仕事をしている。



「ありがとうございます。行ってきます」

「はい、いってらっしゃいませ」



 馬の二人乗りは出来るのか、馬が困るのではないか、となんとも気の抜ける会話をしながらニケとラディウスは歩いていく。

 戦々恐々とするギルド職員たちとは裏腹に、旅人たちは呑気に手を振って見送ったり、「馬初めてかよ、頑張れよ」などと激励を飛ばしている。よく馴染んだものだと思える光景だが、隙があれば魔法の加護を貰えないかと考える連中ばかりである。

 実際に行動に移さないのは、ラディウスが隣りにいて近寄り難いから。欲を出して加護を頼もうものなら、睨まれる事は必須。すれ違えばニケの方から近付かれる中級ランカーのイースが羨ましいという声もある。

 更に言えば、ニケ自体が旅人である例の男と喧嘩をするところを何度か見ているので、自力で跳ねのける実力もあるのだと理解している。その「実力」というのが未知数なので恐ろしい。


 触らぬ神に祟りなし。

 旅人たちに軽く広まっているニケへの扱いである。




「あ、馬です。ラビさん、白い馬がかっこいいです」

「白は若いな。収集品のある森に行くなら、黒か……あの茶色の方が足が出来てんだろ」

「なるほど」



 厩舎へ着くと、さっそく何匹かの馬が見えて、ニケとラディウスが指を向けている。馬の選び方なんかも緩く説明されて、ニケは為になる話だと、乗れないながらに頷いた。

 馬の貸し出しを当番している気弱のギルド職員は、一体どこの貴族が来たのかと何度か目を瞬かせたが、最近有名な金色と黒色の二人組だと気付いて思わず立ち上がる。立ち上がるが、別に立ち上がる必要は無かったと落ち着いて座り直した。



「すみません、あの茶色の馬をお願いします」

「はっ、い……!」



 柔らかい手つきで差し出されるギルドカードに、やや声をひっくり返しながら返事をしてギルドカードを預かる。見れば見る程に貴族と同等かそれ以上の空気を纏う少女に、チラチラと視線を向けながらも貸し出し記録に名前を記していく。

 貴族への対応もしたことがある職員だったが、どうしてか貴族でないらしいニケに緊張してしまう。相手の見た目が少女でありながら貴族然としているちぐはぐさに混乱しているからか、余裕が全くない。

 それでも仕事だと思えば体は自然に動き、馬の手綱を引いてラディウスへと引き渡した。習慣とは身を助けるものだと、気の弱い職員は頭の芯から理解した。これからも地道にお仕事頑張ろう。


 日暮れ頃に返すことを伝えれば、ギルド職員は強張る体を少しだけ緩めて「お待ちしております」と返事をした。

 こんなにも礼儀正しい旅人は多くない。粗暴な者が大多数を占める中で貴重だ。この職員は気が弱く小心者で背も小さく舐められやすい為、人を相手するより馬の相手の方が良い、と馬担当になっている。

 旅人が皆このくらい穏やかであればいいのに。小心者職員は大きな馬を楽しげに見上げる小さな少女を、ふわふわした気持ちで眺めた。


 ふい、と振り向いたニケに、どうしたのかとニコニコしながら首を傾げる職員だったが、次の瞬間笑顔が固まった。



「すみませんが、抱っこしてもらってもいいですか?」



 ビタ、と激しく停止した職員に、ラディウスはやや同情した。

 馬に軽く飛び乗ったラディウスは、上から引っ張り上げようとして苦い顔をした。細い腕を引っ張ることを躊躇した。仕方なく魔法を使おうとしたところで、ニケが職員へ突撃する。

 身をすくませる気の小ささで、存在そのものが触れづらいニケを抱きかかえて馬に乗せてくれとは、さぞ難題だろう。


 ラディウスが憐れんだ通り、小心者職員の思考はパンク寸前である。


「(力加減ってなんだっけ落としたらどうしようそもそも触って良い子なのか怪我でもさせたら死んでしまうほど後悔する絶対……!!)」


 ぐるぐると起こりうるあらゆる事故を想像して職員は半泣きでラディウスへ目配せをしながら、お願いしますと両手を上げて準備をするニケにぐっと空を向いた。

 そして覚悟を決めたようにもう一度ニケへ視線を戻し、脇の下に手を入れて一気に持ち上げる。


 ニケを受け取ったラディウスは、呆れたように息を吐き出した。



「……別に魔法で乗りゃよかっただろ」

「こうやって乗ってみたかったんです。本で読みました」



 そんな会話をしながら、ありがとうございますと感謝するニケに、職員は両手で顔を覆った。

 今のやりとりを聞いて言いたいことは多々あるが、いってきますと手を振る美しい金色にぐっと堪えて手を振り返す。

 振ったその手と反対の手を見て、様々な感情がぐるぐると頭を回り、そして一言。



「魔術師様も、人なんだなぁ」



 穏やかにすべてを受け入れる微笑みを浮かべながらも、抱っこで馬に乗せて欲しい、とは。

 小心者職員も子供の頃に父親に持ち上げて貰ったことはある。それは我儘ではなく背が低いための仕方のないことで、乗せてもらった上からの景色は、まるで自分の身長が伸びたようで最高の気分だった。

 同じようなものだ、例え自分で乗れたとしても、乗せてもらう過程が体験したかったのだから仕方ない。


 しかし心臓に悪いのでやめて欲しい。


 ギルドイチの小心者職員は馬の尾が見えなくなるまで見送り、夜に戻るという彼らの話を驚かないよう夜番に説明しておこうと決めた。馬担当は気の小さい人間が多い、しっかり伝えなければ、と。


「(……でも、できれば次からは自分で乗ってくれると嬉しい……)」


 そんな願いも虚しく、数日後には両腕を上げて抱っこで乗せてもらおうとするニケが現れるのだが、小心者職員は未だ知らない。





 街を出てからおよそ十分ほど馬を走らせた頃、目的の森が見えてくる。

 大型の魔物は出ないが、毒を持った蜂や蛇などの爬虫類が多い森である。更に風向きや地形のせいかかなり湿気の多い森で歩いているだけで肌に服が張り付く不快感があり、旅人たちは依頼以外で近寄ろうとはしない。

 ニケとラディウスは特に装備していないが、通常の旅人たちは鎧だったり、毒持ちに刺されたり噛まれたりしないように防具をガチガチに着こむ。


 しかし、今日森に来たのは魔法使いと魔術師の二人である。



「あれ。旅人泣かせの森」

「わぁ恐ろしい名前ですね」



 百メートル前の辺り、森の外容が大体見える場所に一度馬を止めた。

 ランプルの旅人たちの間ではそう呼ばれる森は、周囲の採取場の中では不快指数はトップに入る場所だ。

 せめてベタベタと纏わりつく湿度が無ければ、毒持ちの魔物がいなければ、と苦しむ声は途切れることはない。


 しかし何度も言うが、今回依頼を受けたのは魔法使いと魔術師の二人である。



「……風でも纏っとくか」

「蒸しますね」



 ふわ、とニケとラディウスの周りを風が通り抜ける。ペタペタと肌を触っていたニケはサラリと爽やかな風に吹かれて、少し首を傾げてから頷いた。



「魔物避けのランプに、涼快の加護でも付けて持ち歩きますか? 魔物も動物も近付きませんし、半径百歩くらいまでなら快適です」

「なら俺の風は周囲の警戒に使うか」

「お願いします」



 この二人が不快を不快なままでいるハズも無く。

 サクサクと役割を分担しながら馬を軽く歩かせて、森の手前までやってきた。一応ギルドの管轄内にある採取の森なので、近くには厩として屋根付きの小屋がある。馬を降りると、そこへ馬を繋いでおく。

 森の近くはじめじめと湿気が濃い。早速魔物避けのランプに涼快になるよう加護を付けて、本来の魔物避けの効果を火を入れて作動させる。


「(……ん?)」


 加護を付ける為に魔力を使った際、何やらいつもと違った体の感覚を覚える。しかしそれも気のせいと思える程度の、毛先が誰かに揺らされた程度のもの。

 きっといつもと風の温度が違うのだろうと考えて、ニケは森の入り口に立った。



「わたしの森とはまた違いますが、陰湿さがある森ですね」

「陰湿……」



 小さく呟いた声は隣りのラディウスが拾い、森にそんなものあんのかと思いつつも、確かにニケの森とは違うと首を傾けた。


 ニケの居た百魔の森は、魔力の濃度のせいか、上位の魔物であるのに穏やかに闊歩しているからか、どこか神聖さが窺える。木の幹も太いものが多く、ほとんどが神木と言っても良い樹齢だろう。


 対して目の前の森は細い幹の木が多く、伸ばした枝には蔦が絡まり、地面は緩く、苔が湿ってそこら中に群生している。

 聞いた限りでは陰鬱な印象を受けるが……ラディウスにとって、環境は問題ではない。

 森の入り口だと言うのに何かの視線が多く、敵意までは行かないが観察されている感覚を全身に感じる。



「気持ちわりぃな……鳥が多い」

「視線の種類ですか? 分かるんですねぇ」

「慣れ」



 聞いたニケは目を瞑る。しかし、どう頑張っても視線の種類までは分かりそうもない。

 そもそも街に着いた時点で多大な視線を浴びているニケは、視線そのものに慣れて疎くなってしまった。森で生きて来た時の方が鋭敏であっただろう。


 諦めて目を開けたニケは、行きましょうと頷き、木の枝に魔物避けをぶら下げて提灯のように持ちながら、楽しげな足取りで足を踏み出した。

 ラディウスは初めて見るニケ手製の魔物避けを揺らして、面白そうに見ながら隣りを歩く。右に左にと金色の視線を動かすニケは、何かを見て、何かに触れて、突然に進む方向を変える。初めて踏み入れる森のはずなのに、まるでどこへ向かうべきか分かっているように進むニケに黙ってついていく。

 何が見えてんだ、と不思議に思いながらも言わずにただ着いていく。


 分担通り、周囲一キロ範囲に微量の風を吹かせて警戒しながら、ニケの後頭部を眺めて歩くラディウスの足取りはどこか軽く楽しげだった。

サイトの仕様が色々と複雑になっていて、過去から未来に飛んできた気分です。

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