理想
「それで、どうすんだ」
「はい?」
図書館の三階、円形の道を左へぐるりと回った先。
館長のサボり場所くらいにしか使われていない来賓スペースに、ここ数日ニケもラディウスも入り浸っている。
初めは下の階で本を読んでいたが、集中すると周りが見えなくなるニケと違って、敏感なラディウスは視線が煩くて仕方なかった。それに気付いた司書が「どうせ使ってないからいい」と館長より許可を得て、例の来賓スペースを一般開放することにしたのだ。
今のところ、ニケとラディウス以外に使っている人間はいない。毎回貸し切り状態である。
「今日で一ヶ月だろ」
手元でヤスリを動かしながら、ラディウスはなんてことないように話を切り出した。
下の階から見えないことをいいことに、ラディウスは装飾品やら細工品やらを制作している。見つかれば本を読まないなら居座るなと言われそうだが、貸し切り状態のこの場所には人すら近付かない。ニケは下階から見える位置にいるが、ラディウスは下からの死角にいるので知られることはない。
必然、六人掛けの片側で椅子を一つ空けて座っている形になる。
もうそんなに経ったのかと、ニケはふと考えた。
長命とされる魔法使いや魔術師の「一ヶ月」は、一生のうちのほんの一瞬で、瞬きをしたら過ぎている期間である。一年ですら短いと言う者もいる。
ニケにとってこの一ヶ月は、なかなか実の詰まった楽しい一瞬だった。中身が充実していようと、やはり魔術師の自分にとっては一瞬だったと感慨深い想いに浸る。
「時間が経つのは早いですね」
本から目を離さずに、なんてことないように答える。
会話を惜しむ訳では無いし、何気に重要な会話を出されたので会話に集中する気は大いにある。しかし会話に集中する為には、今読んでいる本をキリの良いところまで読み進めなければならない。
ニケの様子を目だけで伺ったラディウスは、それを察して黙って待つ。別に待てないわけではない。自分にも手元にやりたいことがあるので、暇を持て余すことも特にない。
本の項を捲る音と、シルバーにヤスリを掛ける音。
しばらく静かな音だけを交換していたが、パタン、と本を閉じる音がした。
「……ラビさん、わたしは成長しましたか?」
小さく首を傾げるニケの金色の髪がサラリと滑り、天窓からの柔らかい光に照らされて眩しく感じる。耳の後ろ辺りには新しく作った髪飾りが揺れている。
それをどこかぼんやりと見ながら、ラディウスは手元の作業を置いて頬杖を着いた。
街に来る前は世界が丸いことすら知らなかった。森を抜けて平原を歩いている最中も「魔物の足跡ですか?」と馬車の車輪の跡を辿って、見たことの無い植物がある度にしゃがみ込んで、街に入ったら入ったで「あっ、街ってこういうものなんですね」と漏らしていた。どういうものだと思っていたのか、大方オーリアから適当なことを言われていたのだろうと思って詳しく聞くことはなかった。
成長したかと聞かれたら、それはもう。
「知識を得た分、かなり成長したんじゃねぇのか」
「身長はどうですか?」
「ちっとも」
ぱちくり、ニケが目を瞬かせて、小さく笑った。
魔法使いは二十歳ほどで見た目の成長は止まりその後見た目の変化がかなり緩やかになるが、魔術師の成長について定まった情報は何一つない。身長の話を出されたところで何気なく小さな身体を目だけで確認したが、出会った時と変わらないように見える。
見た目は人の形をしていても、別の人種だと思い知る。ラディウスは魔術師という生き物に、そこそこ興味がある。
「ラビさん、わたしの生態に興味がありますよね?」
たった今考えていた事を読まれたように言葉にされて、ラディウスの瞳がほんの少し揺れる。
「あと、魔術師の使う言語も気になってますね?」
目を細めてみれば、ニケは「正解ですね」と手を叩いて嬉しそうに笑う。
眉を寄せてそっぽを向いてしまったラディウスに、ニケはいつものように微笑んで、まるでそれが当たり前のように言った。
「私が差し出せるものは、私という存在くらいです」
静かに、ラディウスはニケの金色を見返す。
じっと見合って、負けたラディウスは眉を寄せて息を吐き出した。
「(だからまだ一緒にいてくれ、って。口には出さねぇし、死にかけを助けたことも言わねぇし。つーか勉強して物の価値分かってんのに……自分の価値が分かってないのは……いや分かってるから自分を差し出して引き留めてくんのか)」
命に始まり、金だの趣味だの、装備だの剣だの、しかも卑怯なまでに最高レベルの加護付き。金で返そうにも、貰うものが多すぎて返還が間に合わない。確実に貰い過ぎているのはこちらであることを理解しているラディウスは、ニケが必要とするならこの先も居るつもりだった。
しかし、ニケは「欲しい」とは言わない。
ラディウスは、これ以上「欲しい」とは言えない。
「……ニケ」
「はい」
言わないだけで、結局は。
「他に、やりたいことあんの」
聞いてしまったら協力しない訳にはいかないだろう、と。誰に対してか言い訳を用意して。
両手を頬に当てたニケは、ふんわりと嬉しそうに微笑んだ。それから、ふふ、と声を出して笑うとパッと顔を上げる。
「実はたくさんあるんです」
ニケは椅子から降りて、ラディウスの隣の席に移動する。その際に椅子を寄せることも忘れない。全ての動作が正常に柔らかいが、どこか勢いのある姿にラディウスは若干引く。引いたところでピタリと寄せられた椅子のせいで大して離れることはできないのだが、それでも身体ごと一センチほど、引く。
しかし無駄に思えるほど嫋やかな手付きがラディウスの服の端を捕まえて、一センチを簡単に埋めて自らのギルドカードを見せてきた。
「差し当たってはパーティ登録とか言うものが気になってます。ちょっと前にイースさんのカードを見せて貰って、ここにパーティ名と名前が連なるんですよ。そのパーティの特典が良くて……」
「……俺を手放す気無かっただろ」
「ギルド登録した日に、水晶体の魔法円を読んでいた辺りから面白そうだなって考えてました。でもラビさんが嫌がったら、ちゃんと送り出そうと思ってましたよ」
本当です、と念を押して心底楽しそうに話す。
ラディウスは口をへの字に曲げながら、ギルドで水晶体の前で手を揺らすニケを思い出す。あぁあの時か、と。頬杖を付きながら、片手をニケの頭に置く。
そのまま髪を滑らせて髪飾りを揺らした。
「チッ……」
「人の顔の前で舌打ちしないでください」
不機嫌そうなラディウスの手を、ニケは両手で捕まえる。逃げようと思えば逃げられる力でしか無いが、ラディウスはしたいようにさせた。
力の抜けた手を捕まえたまま、今度は金色の目がラディウスの青い目をじっと見つめる。
「長い人生ですから、百年くらい、一緒に生きましょう」
ペタペタと手を叩かれた手を引き抜き、ラディウスは口元を隠す。
魔法使いと魔術師にとって長い人生の、たった百年を共有する話。ただそれだけの話。
しかしそれはとても甘い響きで。その辺を歩くただの人間たちには叶えられないもので。思わず受け入れたくなる、至極魅力的なお願いのようなもので。
「(……意味知らねぇまま言ってんな)」
察したラディウスは、フッと息を吹くように笑って、肩を震わせてテーブルに伏せた。
何ですか、どうしたんですか、と肩を揺らして問うニケに、伏せたまま顔だけそちらへ向けたラディウスは、珍しく緩んだ顔で応える。
「―――……まぁ百年くらい、良いか」
黒髪の間から覗いた青い瞳に執着の色を乗せて、仕方なさそうに眉を下げた。いつもの近付き難い鋭さはなりを潜め、重ねた五百年分の色香を漂わせる姿は艶やかで、見たら卒倒する者が居ただろう。
しかしニケには通じない。
何かは分からないものの何かが気に入ったらしい、とニケは微笑みを返す。保護者がご機嫌でなによりだ。
また顔を伏せてしまったラディウスに、今度は背中をペタペタと弱い力で叩きながら、震える身体に向けて話を続ける。
「ラビさん、あとでパーティ登録しにギルドに行きましょう。あ、パーティ結成のお祝いに、甘いものも買って帰るのはどうですか? ラビさんはお肉が良いですよね。ラビさん聞いてますか?」
顔を伏せたまま笑うラディウスに、アレがしたいコレがしたいと、「実はたくさんある」と言った通り多くの提案をするニケの話を一応聞いた。時折、「動物とお話ししたい」と本で読んだらしい不可能な空想も混ざっているが、夢を見るのは自由である。
笑い疲れてグダリと机に潰れた背を「百年は死なないでください」とせっせと撫でて労わりながら、ニケは嬉しそうに微笑んだ。
「今後も楽しく生きていきましょうね」
ふふ、と軽く笑う声は羽でも生えているのか、はたまた花弁でも散らして風にでも舞わせているのか、至極幸せそうな響きだった。
ニケは静かに笑うラディウスを置いて自分の席へと戻り、下の階を覗く。
たくさんの人が行き交っている様子は、未だに新鮮で飽きる事のない光景である。こちらを見上げる子供と目があって柔らかく微笑んで手を振ってみる。釣られるようにして手を振った子供は、母親が慌てたように頭を下げるのに同じく頭を下げた。
学習能力の高い賢い子だと微笑んで、ニケはまた本を開く。
テーブルに伏せたままのラディウスは、結局ニケが読み終えるまでの一時間半、疲れたようにぐったりとテーブルに全身を預けていた。
―――
「パーティ登録してませんでしたっけ?」
「してませんでした」
してるものだと思っていた、と周りの空気が言っている。振り返って周りを見たニケはそれを感じ取って頷き、また受付の方を見る。
セットだと考えられていたらしい。間違いではないが。
ニケとラディウスがギルドに入ってきた途端、受付の配置が代わり、いつも対応してくれる女性の受付が正面に座った。首を傾げるニケと、鋭い目で受付を睨むラディウス。受付嬢は震え上がるように両手を挙げてバツ印を頭に作った。
何かおかしな動きではあるが害する意思はない、との受付の必死の意思表示は通じたらしく、ラディウスは疑念を残しながらも目を逸らした。
そして冒頭の会話に戻る。
「パーティ登録したら、何が変わりますか? ラビさんはパーティ登録したことがないので、詳しく知らないそうです」
「あ、そうなんですね」
「旅人より公務員としての時間のほうが多かったし、パーティになってくれる友人もいなかったのです」
「あっ……そう、なんですね……」
「一人の方が気楽だっただけだ。目ぇ潰すぞ」
受付は瞬時に生温い視線を向けていた目を隠す。
実際、気晴らしに討伐依頼を受けていただけの旅人活動では、他の旅人との交流も、パーティの勧誘も無い。そもそも魔法使いだと公にバレていなかったこともあって、旅人としてはひっそりとしたものだった。
「魔法使いの旅人」は、何かと便利だ。バレていたら引く手数多だったが、ラディウスとしては騒がしくなるのが嫌だったので隠していた。ニケと行動する以上は隠すことを早々に諦めたし、隠さずともニケ自体が異質すぎて近付いてくる者はいない。どこか触れずらい神々しさを持つニケを便利に使おうなどと思う、不躾で勇気のある人間は今のところ出てきていない。喧嘩を仕掛ける馬鹿は現れたが。
「あの、パーティ名とか決められますけど、どうします?」
「わぁ楽しそう」
「無しで」
スイッ、と互いが互いへと視線を合わせる。
「要らね」
「そうですか?」
ニケは残念そうに微笑んだまま、受付へと目を戻す。
「一応、聞いておきたいんですが、他のパーティはどんな名前なんでしょう?」
「えと……紅の咆哮とか、黒鉄ドラゴンとか……」
「みんな色が入ってますね、ラビさん」
「要らねぇから参考にすんな」
頑なに必要ないと言うので、ニケは潔く諦める。無ければないでいいのだが、あれば便利なのではないかと思った。合理的な考えからだと説明したものの、感情的な部分で全否定されてしまった。
無理に決めて逃げられてしまっても困るので、ニケは仕方なくパーティの登録だけにしてもらうことにした。
二枚のカードが水晶体の中でふわふわと揺れている。
「ラビさんがもしパーティ名決めるなら何にします?」
「お前の練習の為に、魔術師って単語は入れる」
「わぁ酷い」
「まじゅつち」と呟きだけで噛むニケを、ラディウスは残念そうな目で見下ろした。
受付はカードの確認を終えて、なんとなく「魔術師」と「魔法使い」の文字を目でなぞってからそれぞれ返す。
「ラビさん見てください、お揃いです」
「はいはい」
カードを受け取ったラディウスも、初めて見る表記をまじまじと眺める。
パーティ登録をすることによって、討伐記録と生命情報の共有が可能となった。
討伐記録は、今後討伐した魔物が誰か一人の手柄ではなく、二人が協力して倒したものとして刻まれる。前回の討伐に関しては特殊な例で、ギルドの監視下のもとに討伐が成されたため、ニケとラディウスのどちらもが十分な活躍をしたとして二人共に討伐記録が残された。
普通の討伐依頼であったら、プライドが高い者同士で手柄を取り合って喧嘩が始まることもある。
ただニケもラディウスも手柄を欲しているわけではないので、同じ状況になったとしても喧嘩にもならない。
生命情報の共有については、仲間が死亡するとギルドカードから名前が消えるというもの。
離れた場所で死亡した場合、パーティメンバーにはそれが知らされる。依頼によっては別行動することもあるため、離れた場所で仲間が危険に晒され、いつの間にか命を落とすこともある。仲間の死を知って、パーティの退却を考え、全滅を防ぐ。その為の機能だ。
意外な面では、旅人をやめて定住するパーティにも人気である。離れた場所で生きている仲間が亡くなれば、死に目に会えなくとも弔いくらいには行けるから、という理由だ。
機能としてはこの二つだが、旅人たちとしては友人や仲間であるアピールが主な使い方となっている。
「やりましたね。これでラビさんが絶対に弔ってくれるようになりました」
「お前本気でそれが目当てだったのか」
ニケの目当ては、生命情報の共有の方にある。
ギルドに来る前、何故パーティ登録が気になっているのかと聞いた瞬間に、ニケは即答した。
『パーティ登録したら生命情報の共有が成されるでしょう? わたしが死んだら、ラビさんが気付いてくれます。気付いたら、ラビさんは花でも近くの川に流して死出の旅路を祈ってくださいね』
道すがら聞いたそれは、冗談のような話である。
馬鹿みたいに強力な防護の加護が付いているのだから簡単に死ぬことが無いと知っているラディウスは、瞼を半分下ろしてニケを見た。本気で言っているらしいと分かって、指摘することをやめて一旦黙る。
魔術師は実際、何で死ぬか分からないと言われているくらい死体も見つからない。最悪石にでも躓いたらすぐ死ぬ可能性もある、とラディウスは半目のまま考える。
考えた末に、先ほどは一旦黙った口を開けてみることにした。
「お前そう簡単に死なねぇだろ。加護だらけで」
「それはそれ、これはこれです」
「死ぬなら俺の方が先だ」
「えぇ……?」
そうとは限りませんよ?なら今日の髪飾りの内容は。防護、攻撃反射、敵意喪失、前後不覚、昏倒です。何に挑む気だ、古代竜か。これは対人用ですよ。殺意を持った相手だとしても同情する。こんなにも小さい私ですが。心配ねぇよ。
ほぼ目の前で聞いていた受付は聞こえた会話にひくりと口元をひくつかせて、出来る限りで平静を保つ。しかし微妙な顔つきをしているところを、ニケに見つかってしまった。
居座ったままお喋りをしていたことをお申し訳なく思いながら、ニケは受付にお礼を言って立ち上がる。依頼の掲示板も見ようと思っていたが、今日はラディウスのやる気が依頼に向いてなさそうだと察した。大方、中途半端なまま片付けた装飾品の作製を再開したいのだろう。
ニケはまっすぐギルドの出口へと歩き出す。
そして隣を歩くラディウスを見上げて、少しだけ考えてから柔らかく微笑んだ。
「ラビさんが死んだら、私がちゃんと祈りますね」
まるで家族のように。
「死んだ後も、寂しくないように」
まるで大切かのように。
自らが死を惜しむ人になるのだと、ニケが誇らしげに言う。
二歩先を歩く小さな背中。ラディウスは一瞬の動揺に、止めかけた足を無理やり動かす。顔には出ていない、周囲にも気付かれていない、ほんの些細な変化だった。
「(……理想の死に方はねぇけど)」
微風の中、一本の大木の下、石碑へ向かう金色の姿を思い出す。
もうその相手とは話もできないというのに、軽い足取りで、生きている頃と何も変わらない態度で会いに行く。笑って、話しかけて、大切にされて、何度も思い出される。
それが何故か……何よりも魅力的に思えた。
ラディウスはニケの頭に手をぶつける。
触れるように一度だけ、意識をこちらへ向けるだけの動作だった。
「じゃあ、頼んだ」
振り返ったニケは、微かに口元の上がる顔に目を見開いた。が、気のせいだったかと思うほど一瞬で、瞬きの間に消えてしまった。ニケはキョトンと首を傾げる。
笑顔を見ることは増えたと感じていたが、切望するような、幸福に溶けるような表情を初めて見た気がする。不思議な気持ちでまじまじとその顔を見たが、「前見て歩け」と頭を捕まれて、向きを変えさせられた。
「ラビさん、」
「前見て歩け」
言葉を遮るような発言に、今の笑顔は気のせいではなかったのだと、ニケは決めた。
実際そうではなかったとしても、そうだということにして、ニケは満足げに微笑んだ。
……ふと、周りの空気が変わる。
ニケの歩く先に、例の男が座った。ニヤニヤと下卑た笑いで、通せんぼするように片足を伸ばして、これでもかというほど見下ろしてくる。
既に周知された男の行動に旅人たちは眉を顰め、しかしまたニケが面白おかしく跳ね除けてくれるのでは、という期待もある。とりあえず自分に被害が及ばないように、ニケの喧嘩の邪魔をしないようにと、男と同じ机に居た旅人はガタガタと椅子を立った。
今日は何の用だろうかと、ニケは足を止めることなく歩いていく。
相手は、まるで友人かのように片手を挙げ、挨拶に口を開いた……が。
「よォお嬢ちゃ、ん゛ぼゴォっ!?」
そして、ギルドの外まで吹っ飛んだ。
見ればラディウスが足を下ろしたところで、ニケは頬に片手を当てて首を傾げる。
しん、と静まったギルド内で、ラディウスが倒してしまった木製の椅子を立てる音だけが響いている。
何が起きたのか分からず咄嗟に剣に手をやって固まる者や、立ち上がる途中で中腰のままラディウスを凝視する者、防御力の無い羽ペンを顔の前に掲げる受付の女性。
その光景に、誰も彼もが「何度もちょっかいをかけられて、流石に怒ったのでは」と、魔法使いを怒らせた恐ろしさで固まっている。
ビタリと空気が止まった中で、誰もが穏やかな少女が何かを話し出してくれることを願っていた。
そして……ゆるゆると首を傾げたニケは、確信を持って口を開く。
「ラビさん、今日は機嫌が良いですね」
一瞬、間が空いて、何人かがぐりんっとラディウスを凝視した。
どこがだ。何故分かる。無表情。むしろ眉間に皴が。それは俺たちの視線のせい。やべぇ逸らせ。
目配せをして何かを確認し合った旅人たちの連携にラディウスは嫌な顔をしたが、ふ、と息を吐き出してニケへ首を傾けてみせる。間違っていないと、態度で答えた。
気付いたニケが小さく笑い声を上げたことで、ギルド内の緊張感は解けていく。そして、何故かストンと納得した。
機嫌が良い瞬間を邪魔されるのは誰であっても嫌だろう、と。
「露店街に行きましょう。今ならラビさんが美味しいものを買ってくれそうです」
「お前の方が金持ってんだろ」
「男の人に奢られることは良い女のステータスです」
どこで覚えて来た、館長さんです、と他愛ない話をしながらギルドを出ていく二人を、様々な感情で見送る面々。
ギルドを出る一歩手前、あ、と声を上げたニケが立ち止まる。
振り返って小さく口を動かしたニケは、手を受付嬢へと向けて、指先で宙を引っ掻くように動かした。
つ、と受付の襟元に付いていたブローチが一瞬だけ引っ張られる。ハッとして襟元に手をやったが、ブローチは変わらずそこにあって、受付嬢は何が起きたのかと首を傾げるだけだ。
「勝手に撮るのは良くないですよ」
微笑むニケの言葉に、ギルド職員は青褪めて慌ててブローチを確認している。
「なんだ」
「盗撮です」
へぇ、と反応しながらラディウスはギルド職員に目をやった。軒並み肩を跳ねさせて、ラディウスから目を逸らす。
二人はギルドの扉を潜って、路面に倒れて伸びている男に一瞥もくれることなく、露店街に向けて歩き出した。
ラディウスはギルドにきた時の反応から何か隠しているとは思ったが、敵意がないと涙目で訴えられたので放っておいた。
ニケもおかしな陣形を組むギルド職員に気付いたし、映像保存の加護が付いているブローチも見たが、害意が無さそうなので微笑みを向けるだけで流していた。ニケ自身、撮られて困るものは何もない。少し照れる程度である。
しかし今は、ラディウスの機嫌が良いので。不機嫌になりそうな要素は除いておこう。
「わたしたちのことを、気にしている人が居るみたいですね」
「貴族なら面倒だな」
「加護ごと消しちゃいました」
「ん、いいんじゃねぇの」
ちら、と見上げてラディウスの機嫌が良いままであることを確認してまた前を向く。これは本当に何か奢ってくれるのではないかと、ニケはほんの少しだけ跳ねるような足取りで歩き出した。




