六話
翌日、わたくしはホーリーホック公爵家にわずかな手荷物だけで行く事になった。
東和国で世話役をしてくれていたシイナにセレン、新人らしいゾフィの三人のメイドと共に馬車に乗り込んだ。わたくしが上座で隣にシイナ、向かい側にセレンとゾフィが座っているが。まんじりとしない。仕方なく窓の景色を見やった。がらがらと車輪の音がする中、東和国に思いを馳せる。
(……紫曇様はお元気かしら。わたくしがいないから清々はしているでしょうけど)
ほうと息をつく。シイナが心配そうに見ているが。敢えて気にはせずに再び景色を眺めた。
ニ刻程して公爵邸に着いたらしい。エティエンヌ氏に家令らしき男性、メイド長であるらしい女性の三人が出迎えてくれた。
「……ようこそお越しくださいました。王女殿下」
「……お出迎えをありがとうございます。公爵閣下」
慇懃な態度でエティエンヌ氏はわたくしに声をかける。ただ、その表情からは彼が何を考えているのかは読み取れない。また、ため息をつきそうになったのを我慢した。メイド長らしき女性がわたくしに近づいてくる。
「……殿下。お疲れでしょうから。お部屋へご案内します」
「わかったわ。お願いしますね」
「私はメイド長でヴィレッタと申します。何なりとお命じください」
メイド長もとい、ヴィレッタはにこりともしないで一礼をした。わたくしは鷹揚に頷いた。
「……旦那様の隣にいるのが家令のイアンと申します。私の兄でもあります」
「初めまして。以後お見知りおきを」
「ええ。よろしくね」
わたくしは頭の中でイアンとヴィレッタは家令とメイド長でなおかつ兄妹と覚えたのだった。
後から出てきた従者に荷物を持ってもらい、メイド長やシイナ達を引き連れて客間に向かう。エントランスホールにてエティエンヌ氏やイアンとは別れた。二人はそれぞれの執務があるらしい。仕方ないのでメイド長に色々と聞く事にする。
「……メイド長。基本的にわたくしは客間にいればいいのかしら」
「……いえ。殿下には公爵夫人用のお部屋にご案内します。旦那様とご結婚なさる旨は聞いておりますので」
「え。聞いていたのね。けど閣下は女性嫌いだと伺っているけど」
わたくしが言うとメイド長はしばらく黙り込んでしまう。その間、皆の足音や息遣いだけが響く。
「……殿下もご存知でしたか。そうです。旦那様は女性が苦手でして。今回の婚姻も渋々引き受けられました」
「そうだったの。なら白い結婚になるわね」
「白い結婚。なるでしょうね。ですけど殿下なら大丈夫かと思われます」
メイド長はそう言うと微かに口角を上げた。目元も静かで笑っているらしい。わたくしは彼女の言葉に首を傾げた。わたくしなら大丈夫?
どういう意味だろう。そう思っていたら公爵夫人用の部屋にたどり着いていた。
部屋に入り荷物を片付けるためにシイナとゾフィの二人が棚やクローゼットの方に行く。メイド長がわたくしの外出着を脱がせたり髪留めを外したりと着替えを手伝ってくれる。その間にセレンが部屋着を持ってきた。淡い水色の足首丈のワンピースだ。今は既に夏になっている。ワンピースも半袖で薄い布地で作られていた。髪も緩く束ねてお化粧も落とす。その後、メイド長にソファーに座るように勧められた。
「……殿下。何か召し上がりますか?」
「ありがとう。なら冷たい果実水をお願いできるかしら」
「わかりました。しばしお待ちください」
メイド長は一礼すると一旦退室する。ドアが閉まるとセレンが小さくため息をついた。
「……スーリジア様。お疲れ様です」
「ええ。セレンもね」
「はあ。緊張しましたよね」
そう言いながらセレンは眉を八の字に下げた。本当に緊張していたらしい。わたくしは苦笑いする。セレンの気持ちもわからなくはないのだ。あのメイド長と一緒にいるとこちらまで身構えてしまう。
「……セレン。気持ちはわかるわ。けどメイド長の前では言わないようにね」
「……はい。わかりました」
神妙にセレンは頷いた。そうしていたらメイド長が戻ってくる。手には銀のトレーがあり果実水の入った水差しとガラスのコップ、軽食用のスコーンなどが乗っていた。メイド長はテーブルの上に置くとてきぱきと果実水をコップに注いで目の前に置いた。
「殿下。お召し上がりになりますか?」
「ええ。果実水だけいただくわ。軽食はそのままでしてもらえないかしら」
「かしこまりました。ではそのように」
わたくしは置かれたコップを手に取る。ひんやりとした感触が伝わってきた。口元に持って行って飲んだ。中には柑橘類の果物の果汁と氷が入っていてカランと音が鳴った。口内に程よい甘みとわずかな酸味が広がる。渇いた喉に心地よく感じられた。こくりと嚥下する。これは美味だ。そう思ったら二口三口と進む。気がついたらコップは空になっていた。
「……殿下。もう一杯はいかがですか?」
「これくらいにしておくわ。けど美味しいわね。この果実水に使われている果物はなんて言うのかしら?」
「確か。レーヤという果物だったかと。今が丁度旬ですね」
「あら。レーヤというの。覚えておくわ」
わたくしはレーヤという果物を聞いた事があった。幼い頃に図鑑で見た記憶がある。黄色い楕円形の果実がなる低緑木だったはずだ。フレンヌ国の南部が主な生産地だったか。そう考えていたらメイド長が不思議そうに見ていた。我に返る。
「……殿下?」
「……あ。ちょっと考え事をしていたの。レ、レーヤの果実水は本当に美味しかったわ」
「気に入っていただけましたか。また、召し上がれるようにこちらに置いておきますね」
メイド長は安心したらしく顔を綻ばせた。そうすると一気に雰囲気が柔和な感じになる。鉄仮面というわけでもないのね。意外に思いながらもメイド長と語らったのだった。
夕方になり湯浴みをして夕食をとった。寝室に早めに入る。セレンやシイナ、ゾフィには休むように言ったが。メイド長は何かあったら駄目だと言ってきた。なので続き部屋で待機してくれるようにいった。快く了解してくれた。ふうとため息をついた。緩々と眠気がやってくる。今日は色々あって疲れた。じわじわと疲労が身体を重たくする。瞼を閉じた。気がついたら眠りに就いていた。
後でそうっとドアが開いてとある男性が寝室に入ってきたのには気づかなったのだった。