五話
わたくしがフレンヌ国に帰ってきてから一月が過ぎた。
兄からはもう一月くらいは後宮でゆっくりするようにと言われた。仕方ないのでシイナやセレンに本を取りに行ってもらい、それを読んだりレース編みに刺繍をやって時間を潰していた。他にやる事もない。そしたらセレンにある事を勧められた。
「……スーリジア様。暇を持て余しているんでしたら。絵や詩を書いてみてはいかがでしょう?」
「絵や詩をね。絵はちょっと無理があるけど。詩は良さそうだわ。書いてみようかしら」
「はい。スーリジア様には向いていると思ったんです」
セレンは笑顔で頷くとテキパキと紙やペン、インクを用意する。わたくしは寝室にある椅子を引いて座った。机に紙などをセレンが置いてくれた。
「では。失礼しますね」
一礼すると彼女は部屋を出ていく。わたくしはさてと考えてペンを取った。
五日が経って意外な知らせが届いた。シイナが慌てて部屋に駆け込んでくる。
「……ス、スーリジア様。大変です!」
「どうしたの。そんなに慌てて」
「それが。スーリジア様の降嫁先が決まったと今しがた知らせがありまして」
わたくしは詩を書いていたが中断せざるを得なかった。まさか、こんなに早く決まるとは。驚きを隠せない。
「……申し上げます。スーリジア様。今からサレジオ陛下がこちらにいらっしゃいます。身支度をお願いします」
「わかったわ。急いでちょうだいね」
「はい」
シイナは頷くと小走りで他のメイドを呼びに行った。
しばらくしてシイナがセレンの他にもう四人のメイドを連れて戻ってくる。一気に部屋が慌ただしくなった。まずセレンがドレスを選びに衣装室に行く。次にもう一人のメイドもアクセサリーや靴を選びに行った。残ったシイナや残りの三人でわたくしの近くにやってきた。
「……スーリジア様。軽く沐浴を致しましょう」
「そうするわ。けど時間はあるの?」
「はい。陛下がいらっしゃるのは二刻程してからですので」
それを聞いてならばと頷いた。シイナ達――四人のメイドと共に浴室へ向かった。
本当に軽く沐浴を済ませる。髪をざざっと洗い、身体も同じようにしてもらう。バスタオルで全身の水気を拭き取ってから香油を顔や身体中に塗り込んでマッサージをされた。仕上げにお化粧水や美容液、乳液などを顔に塗り込まれる。全てわたくしが好む柑橘系の香りで統一されていた。マッサージが終わると下着にベージュ色のシンプルなワンピースを着せられた。
「では。行きましょうか」
「……わかったわ」
シイナに促されて脱衣場を出る。その後、濃い藍色のシンプルなイブニングドレスを着せられた。タートルネックで長袖だ。靴もそんなに高くないヒールを履く。そうした上で鏡台の前に座りセレンが下地のクリームを塗り込んでからお化粧を施した。白粉をはたき、眉を描いて。頬紅や目元にもラインを引いたりもする。口紅を塗ってから軽く仕上げのパウダーをはたいたら完成だ。最後に髪を結い上げる。サイドの髪を編み込んでからたくさんのピンでアップにした。造花で八重桜を飾れば、身支度は完了した。
「……できました。スーリジア様」
「ありがとう」
お礼を言って立ち上がる。鏡台から離れると改めて全身鏡をシイナが持ってきた。それを覗き込めば、淡いピンクの瞳に艶々と輝く白銀の髪の儚げで美しい女性がこちらを見ている。すぐに自分だと気づいたが。それでも信じがたい。お化粧して着飾るだけでこんなに変わるとは。驚いていたが我に返る。兄が来ると言っていた。仕方なく鏡から離れたのだった。
本当に二刻程して兄がやってきた。が、傍らには見慣れない男性がいる。黄金に輝く緩やかにウェーブした髪を短く切り揃え、撫で付けて。瞳は濃い深みのある緑だ。非常に整った顔立ちのすらりと背の高い超絶美男だった。
「……いきなり来てすまない。今日はスーリジアの結婚相手を連れてきた」
「え。兄上?」
「挨拶を。ホーリーホック卿」
兄が男性に挨拶を促す。男性はわたくしに立礼をしながら自己紹介をした。
「……初めてお目にかかります。スーリジア王女殿下。私はエティエンヌ・ホーリーホックと申します。現ホーリーホック公爵を拝命しています」
「……初めまして。ホーリーホック公爵閣下」
「このたびは急の訪問で失礼しました。ですが、陛下が是非にと仰せでして」
わたくしは男性――ホーリーホック公爵の言葉に驚きを隠せない。兄は確か結婚相手がどうのと言っていなかったか。どういう事かと兄を見た。
「スーリジア。実は公爵に縁談の件を話したんだが。婚約期間は置かずにすぐに式を挙げたいと言って聞かなくてな」
「な。それは本当ですか。公爵閣下!」
「……さようにございます。ですので明日には王宮にお迎えに上がります」
わたくしはあまりの展開に付いていけなかった。いくら何でも急過ぎる。兄は肩を竦めた。
「まあ。そういう事だ。後は二人でゆっくりと話したらいい」
「あ。兄上!」
「……公爵。妹を頼んだぞ」
兄が小声で言うと公爵は「御意に」と頷いた。そのまま、行ってしまう。わたくしは追いかけようとしたが。公爵が前に立ちはだかった。
「殿下。立ちっぱなしも何ですから。ソファーに座りましょう」
「……そうね」
仕方なく頷いて言われた通りにした。公爵と二人でソファーに腰掛ける。といってもわたくしが壁側に座り公爵は向かい側だが。
「殿下。単刀直入に申し上げます。隣国があなたを人質にとフレンヌ国に要求してきたのです。もちろん、本来は受け入れるべきなのでしょうが。陛下は拒まれました。そこで殿下を保護するために公爵家へ表向きは降嫁する事になりました」
「まあ。隣国がね。でしたらわたくしは公爵家の奥方と言うよりはお客人の扱いになるかしら」
「そういう事になるでしょうね。ご安心ください。殿下の事はお守りします」
公爵はそう言うと立ち上がる。わたくしの前まで来て跪く。おもむろに左手を取られ、甲に接吻をされた。いきなりの事で驚く。彼とは初対面のはずだが。
「……スーリジア殿下。私は必ずやあなたを最後までお守りします。ホーリーホックの名にかけて」
「………」
わたくしはじわじわと顔が熱くなるのがわかった。公爵は女嫌いではなかったかしら。困惑するのだった。