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一杯の紅茶の物語  作者: りずべす
Menu 3 『Dimbula』
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『Dimbula』①

 窓のない、黒い壁に覆われた空間。一段高いステージの上。カラフルに明滅するいくつもの照明の下、オレはキーボードに指を走らせる。曲の終盤に向けて高く大きく響くボーカル。その周りで激しさを増す、ギターとベースとドラムの音。

 今弾いているのは、このバンドのセットリストの最後の曲だ。ヒートアップした観客は叫んで跳ねて目一杯に腕を振る。そして演奏が終わると同時、フロア中がさらなる歓声に包まれる。

 ステージの奥の方に位置取っていたオレは、目深に被っていた大きめのフードを手で寄せた。辛うじて残った視界。かかる前髪の隙間からうかがえる観客は皆、興奮で頬を紅潮させている。そのたくさんの客たちの中に、ふいにオレは、見知った顔をとらえた気がした。

 次に出るバンドと交代でステージ袖へと下がる途中、オレはさらにフード深く引いて寄せる。


 オレたちのバンドは、今日のような地元のライブハウスのブッキングライブにちょくちょく出させてもらっている。その中でも、まあまあ人気のあるほうだ。ただ“オレたち”といっても、オレは正式なメンバーではなく単なる助っ人。友達の姉貴がリーダーをしているという繋がりで、頼まれて可能なときだけキーボードの演奏をしている。これがオレの今のバイトだ。

 ステージから降りて一人だけトイレに寄ったオレが楽屋に戻ると、先に中で休んでいたメンバーから声がかかった。

「お! 矢田(やだ)くんお疲れー」

「はい。お疲れっす、しーさん」

 しーさんは椅子にもたれ、顎を上にして垂直に振り返りながらこちらを見た。同時にさらさら流れてった髪にはド派手な赤メッシュが混ざっている。この人がこのバンドのリーダー兼ボーカルで、急なメンバーの欠員を補うためにオレに声をかけた友達の姉だ。苗字が志賀(しが)だからメンバーや店員にはしーちゃんって呼ばれてるけど、一応年上だからオレはしーさんと呼ぶ。

「ところでしーさん。今日、見慣れない人いませんでした?」

「え、そう? 気がつかなかったなー」しーさんは首を戻してペットボトルの水を一口飲む。「あれじゃない? 大学生とか夏休みだし、普段来ない人も来てるのかもよ? あと高校生もさ、お年頃になるとこいうとこに興味持つ子もいるだろうし。あ、矢田くんも高校生か」

「いや、そういうんじゃなくて……」

 確かにオレは高校生だし、今は八月で夏休みの真っ最中だ。知り合いが絶対いないとは限らない。そしてもちろん、こういう場所に出入りしていることが学校に知られればいい顔はされない。しかもオレはバイトでステージに立ってて、帰宅はどうしても夜遅い。親には友達の家に遊びにいくと言ってあるだけだ。バレたら色々面倒くさい。

「ま、でも大丈夫でしょ。身バレしないために君はわざわざ顔、隠してるわけじゃん? ライトあっても暗がりだし、一番奥でフード被って喋りもしないのにわかる人がいたら、逆にすごいよ。ってか怖い!」

 けらけらと笑うしーさんが楽観的な声で言う。

 まあその通りか、と思いながらオレは近くの椅子を適当に引いて腰かけた。

「それより矢田くん、相変わらずうまいねキーボード。小さい頃からピアノやってるんだっけ?」

「そっすね、一応」

 と言っても、もう今はやってないけど。

「にしたって高校生とは思えないよ。助っ人してくれてめっちゃ感謝してる」

「いえ、そんな。オレもいいバイトになって助かってます」

「そかそか。じゃあお互い様だねー」

 しーさんはそう言いながら立ち上がって、そばにある自販機で買った缶ジュースをほいっとオレの方に投げて寄越した。飛んできたのはアップルジュースだ。

「つーわけで。今日はそれ飲んで一服したら、先に上がってよ」

「え、でも片付けとか……」

「いいのいいの。人手は足りてるから」

 しーさんは奥で喋っている他のメンバーを顎で示す。

「それよりヤバいのは時間だよ。君はできるだけ早く帰んないと、補導とかされて助っ人頼めなくなったら、うちらとしても厳しいからさ」

 悪いことさせてる自覚はあんだよねー、と苦笑いするしーさんは、ド派手な赤メッシュのわりに面倒見がいい。

 オレはスマホで時計を見て、確かにかなり遅い時間だと思いながら立ち上がった。アップルジュースは栓を開けて一気にドボンと胃に落とす。

「じゃあ、お先です。抜けちゃったメンバーの代わり、早く見つかるといいっすね」

 空いた缶をゴミ箱に捨てながら荷物を持つと、オレは足早に出口へと向かった。

「ホントにねー」扉の向こうでしーさんが手をひらひらさせながら答える。「でも矢田くんレベルのメンバーってなかなかすぐには見つからないからさ。また次もお願いねー」

 さすがにこれはお世辞かなと思ったけど、まあ別にどっちでもいい。正直、オレとしてはもう少しこれで稼ぎたいというのが本音だ。夏休みは特に稼ぎ時だし。

 電車の時間を確認しながら駅まで走る。この調子なら日付が変わる前には家に着くだろう。念のため母さんにはスマホのメッセージで連絡。それさえやっとけば問題ない。

 人生で本当に大事なものは金では買えない、と昔誰かが言った気がした。それは親だったか小学校の先生だったか、はたまた別の人だったか。ありがたいお説教は陳腐で曖昧で、いつもどこか安っぽい。

 大事なものって例えばなんだ。愛とか夢とか幸せとか……あとは時間とか成績とか心とか?

 当時のオレは意味もわからず、そうなんだ、とぼんやり素直に思っていた。口を揃えて皆が言うなら、たぶんそれは間違いじゃないのだ。

 でも今のオレはこうも思う。愛だとか夢だとかは金で買えない分、さぞ面倒臭いんだろうと。

 それに比べて、金で買えるものはわかりやすい。金を貯めて金を払えば手に入るのだから。服、財布、雑誌、アクセサリー。他にも新しいスマホとかいいイヤホンとか。高校生にだってほしいものはいっぱいある。難しい話はお呼びじゃない。

 それからもオレはしーさんに頼まれて何度かライブのステージに立った。見知った顔はその都度ちょくちょく現れては、だいたいフロアの隅の方でじっと壁に背を預けていた。

 薄い化粧。暗がりのフロアでも目立つくらいに濃く深い、まるで宇宙のような黒い髪。それが肩口で切り揃えられた清楚な印象は、このライブハウスという混沌とした空間にはまるでそぐわず浮いている。しかも決まって上下スーツ姿だから余計に。比較的低い身長は飛び跳ねる周りの観客にたやすく埋れてしまいそうなのに、そこから伸びてくる視線が常にオレへと繋がっている気がしてならない。

 とても、よくない予感がした。その姿は見れば見るほど、あの人にそっくりだった。

 曲と曲の間にオレはまた無意識にフードを寄せる。

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