表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ミチノエキ

 中等度の脂肪肝。

 健康診断で肝臓の数値が悪く、腹部エコーを受けるように言われた数日後に、担当した内科医に下された診断の結果が、中等度の脂肪肝だった。

 健康な人の肝臓はどう映るのか?とか脂肪肝ならどう映るのか?など、色々と詳しく説明された俺の心中は、最近の人間関係の疲れから、週に一度だった飲酒のペースが週に二度、三度と日増しを繰り返し、気が付けば毎日あおる様になったのが原因だと、自覚し自省する思いばかりだった。

 内科医は、体重も平均よりもだいぶ重く肥満も原因であると言われ、食事の制限が一番だが、テレビのような一か月で、という考えではなく。一年で10kgを目標としつつも、優先するべきは、これ以上太らない努力だと助言を与えてくれた。

 なので一汁三菜と腹八分目を心掛けつつ、適度な運動を日々の生活で心掛けるようになった。

 そんな俺が、クロスバイクと出会ったのは近所に、自転車の専門店が出来た事だった。

 最初は興味本位から、個人的にこんな肥満体系の男が乗れる自転車はないとも思っていたが、意外にもクロスバイクなどは、それなりに体重を大きく見積もって、それこそ100㎏を超える事を前提に設計しているしかった。

 5万円台からの、本格的なクロスバイクなら相当な無茶に乗り回さない限り、そう易々と壊れる事は無いと、学生時代の走行中にスポークがへし折れたMTBの思い出を語った店員は即断したので、俺は思わず買った。

 初めてのクロスバイクは、青色が美しいイタリア製。

 

 最初はママチャリとは勝手の違う乗り心地に四苦八苦、主に使わず甘やかし、怠惰を極めていた筋肉の上げる、騒々しい筋肉痛には酷く悩まされたが、半年も過ぎる頃には体が自転車を漕ぐことに馴染む。

 そこからはもう、痩せる為に始めた自転車が、本格的とは言えないものの趣味となり、手先の不器用さで、日々のチェーンやフレームの清掃などはしても、パンクなどの技術のいる事は、買った店任せだがそれなりに楽しんでいる。

 最初に買ったクロスバイクは、親戚の甥っ子に譲り、二台目はもう少しランクを上げた6~8万円台のクロスバイクを購入して、そこから先はついに思い切って20万円近い本格的なロードバイクを購入した。


 背伸びにも程はあるが、憧れてしまっては買わずにはいられない。

 台湾製のそのロードバイクが納車されたのが、一週間前。

 今日はその記念すべき初乗り。

 有休を使って休みを貰った。

 県境の市まで行ってみるのも悪くはないと思うが、流石にそこまで行けない。

 ここは身の程を弁えて、M郡…今ではM町を超えた先に山村へと足を運ぼうと思っている。どうやら昭和辺りにはそれなりに有名だった観光地があるらしく、今では廃れてはいるが、見てみるのも一興だと思い、ロードバイクに跨って死に物狂いで長いというには遠大な登山道を抜け。

 そこから逆に快適な下り坂を疾走して、M町を抜けた。


 ただ、そこからどうにも雲行きが少し悪くなる。

 本日は快晴につき、曇り空、雨空、通り雨とは無縁と朝一番の天気予報では言っていたが、予報はあくまで予報であり、所により、という但し書きもあったな、と諦めて走り続ける。

 が、快晴を諦め、件の山村に近づいた辺りで天候は著しく機嫌を損ねた。

 突き抜ける風の匂い、ぶつかる風の肌触りから、覚悟を決めると予想通りを遥かに裏切る、ブルータスと叫びたくなる程の勢いで、雨が降り出す。

 痛いほど、だ。


 ずぶ濡れになるには一瞬で十二分で、背負った鞄の中身は絶望的なり、されど雨宿りをするに適した建物も木も見えず、視界も雨煙でぼやける中、少し遠くに明かりが見え、ふと思いつくのは道の駅。

 田舎にも必ずあり、地場の野菜や工芸品などを売るあの道の駅。

 これは幸い。

 俺はハンドルを切って、道の駅を一直線に目指す。

 雨宿りには持ってこいだ。

 クロスバイクやロードバイクが一般的になった恩恵で、観光地にはもちろん、コンビニでも設置されている、サイクルスタンドは道の駅にも必然として置かれている。なので駐輪に関する憂いは無い。

 道の駅、だけに自販機は数台常駐しているし、レストランも併設されている事が多い。

 例えレストランが無くとも、手作り弁当や総菜パンは絶対にあり、逆に無い方がどうかしている次元だ。

 途中で不運に見舞われたが、捨てる神あれば拾う神あり、とはまさにこのこと。


 近づく道の駅に、安堵を覚えたがそこでふと思いだした。

 事前に調べた限りでは、この近辺には道の駅はない。

 付け加えるとこれといった人家は無い、以前に仕事でここを通り抜けた時は、そこら中は耕作放棄地、とても人家の大半が廃墟と化して幾星霜。そういう場所であったと記憶している。

 しかし、最近では都心部に疲れた人がこういう人里離れた、廃村も同然の地域に引っ越して来るというのは、よく聞く話だ。それに人が完全に住んでいないという地域でもないし、一応やまなみ街道の通り道に近い。

 なら見慣れぬ道の駅があっても、毛ほどの問題ではない。


 最初の戸惑いは脇に置いて、雨から逃げるように道の駅の敷地に入り、サイクルスタンドを求めて駐車場を彷徨うが、残念事にどこにも見当たらない。

 海側とは違い、山側はそこまでサイクリングに訪れる者が少ないのかもしれない。諦めて、適当に地球止めの出来るフェンスか何かを探して、丁度よい位置にある街路灯に愛車を固定する。

 そこから大急ぎで軒下に逃げ込み、パッと建物を見る、遠目から見た時よりも小さい。

 どうやら地場の野菜などを売る事を目的にした、小さな道の駅だ。

 レストランは諦めよう、代わりに自販機で温かい…まさか、自販機まで諦めねばならないとは……どこにも見当たらない。

 仕方が無い、なら早々に建物の中に入ろう。


 凄まじい勢いで降り注ぐ雨で、朝方の陽光で温められたアスファルトは、もう芯まで冷え切って、吹き抜ける風の冷たさはずぶ濡れの体に酷く堪える。駅内も時期を考えれば、クーラーで冷えているだろうが、外よりかはマシだろう。

 それにホット飲料の一つくらいあるかもしれない、なくとも弁当を買うなり、お湯を貰ってカップの即席みそ汁でもありつければ、この芯まで冷え切る体を少しは、人肌程度にまでは温められる。


 震えながら自動ドアを抜けて、いの一番に感じたのは意外にも、というよりも雨に打たれ過ぎて、冷静な判断力を鈍らせていた自身の悲観的な発想の愚かさだった。こういう田舎の道の駅が、経費も考えずに空調を行き渡らせる事などできはしない。

 幸いにも、駅の中は外よりも寒くはなく、滅多に人が自動ドアを抜けてこない為か、空気の循環も悪く、冷え切った体を多少なれど……いや、それにしても空気が淀み過ぎだ。

 まるで何年も開け放たれる事の無かった密室かのように、とにかく酷くかび臭く埃臭い。

 外で雨が降っているのにも関わらず、空気の湿度も低い。

 何より店員が、まるでマネキンのように動かない。

 俺が入って来たというのに、こっちに視線を向けようともしない。


「あの…温かい飲み物はありますか?」

「……」

「まあ、時期を考えればもう棚替えは終わってるかもしれないですが、個人的な話ですが、外に自販機が無くて、見て通り濡れに濡れ切っているんで……」

「……」

「あははは…あー……ええと……」


 完全に無視、という言葉は人間に対して使う言葉なんだと痛感する。これ…本気の本気でマネキンか?それとも蝋人形?反応が無い、どこではなくまったく動かない、あとまばたきしているのか?

 していないような……。


「おーい、もしもし?

「いらっしゃいませ」

「うわっ!?」


 ぎょろっという感じに首だけをこちらに向けて、店員は開口一番に言っておくべきだった言葉を口にした、ただそれだけで、それだけだった。そこから先は無く、ただその言葉を口にするとまた、首を元の位置に戻して動かなくなる。

 早々にお目当ての物を買って、外に出よう。

 とは言えだ…妙な雰囲気だ、いや店員が既に妙だが店内も妙だ。

 はっきりとは言えないが、薄っぺらく感じる。

 まるで典型的な小さな道の駅の写真を、画面に張り付けただけのような薄っぺらさだ。

 生活感も感じれないし、並べられている野菜も、田畑で育てられたにしては汚れが無い。

 道の駅の、生産者が直接売りに出しているにしては、明らかに綺麗に整い過ぎている。

 いや…店員の挙動不審に、俺自身が映る者に不信を探しているだけさ。

 そうだとも、弁当を……何だこれ?

 いや…普通に弁当だと思うが、これもまた薄っぺらい。

 何か、嫌だ。

 よし、カップの味噌汁かスープだけにしよう。

 

「……え?」


 店員がこっちを見て―――凝視している。

 自動追尾の監視カメラのように、少し歩けば眼球が連動し、大きく動けば首が連動して、ただ粛々と俺を凝視……他にも視線があるのか?

 いや、この空間にいるのは俺とあの店員だけ。

 外?いや……留まれない。

 諦めよう、出よう。


 俺は全てを諦めて足早に駅の外へと出て、街路灯に固定している愛車へと足早に向かい、大急ぎで鍵を外して、サドルに跨る。何か近づいて来る気配に、焦り、ここまでの流れを普段よりも時間が掛かり、いざ漕ぎだそうとする時に、横目に見えた駅の中で、こちらを凝視する数多くの視線に気が付く。

 ただ見ているだけだが、見ている。

 

 そこから先は、雨煙でぼやける視界を気にする暇もなく、無我夢中に死に物狂いで自転車を漕いだ、気が付けば雨は止み、夕暮れに染まる県境にある市まで来てしまうまで。

 引き返して自宅に向かうには、あまりにも遅すぎたので運よく空きのあったビジネスホテルに一泊して、翌日は大周りにはなるがあの道の駅と遭遇したルートを外して、自宅へと帰った。

 

 後日、俺はあの道の駅について調べたが、記憶を頼りに地図やネットを使って調べたが、分からずじまいの上、運送会社で働く知り合いに聞いてみたが、あの近辺には村落はないと断言されてしまった。

 あの駅は何だったのか?

 何がしたかったのか?

 何を目的にしていたのか?

 俺は今以てしても、分からずにいる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ