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第97話 閉塞

 外務班長を務めるシュヴァイガート中将との会談は、それほど長いものではなかった。むしろ中将と話したという事実そのものが重要であり、将官から直接任務を言い渡されたという重みを作戦に与えることのみが目的であるように第七分隊の少女たちには感じられていた。

 会談終了後は夕食会――といっても周りを将官に囲まれ、とりあえず高級ではあるものの緊張で味の分からない料理を行儀よく完食するという苦行に耐えきった少女たちは、二人一組の部屋に案内されていた。陸軍省の用意したゲストハウス――というと聞こえは良いが、実質的には座敷牢にも等しい。

 部屋の内装は高級であり、最低でも尉官を接待する士官室に匹敵するものであったが、それが目くらましに過ぎないことを誰もが理解していた。彼女らの階級はあくまで軍曹であり、それも特殊部隊であるという事実によって担保される最低限の階級に過ぎない。

 騎兵部隊が随伴歩兵と行動をともにする関係上、配下の歩兵に命令を下すために与えられた階級である――が、彼女らの特殊な運用事情からして、その慣習も無意味であり、ましてや士官相当の待遇をもって迎えられるというのは明らかに異常であり、背後に策謀の存在を予感させるものであった。


「……飼い殺しね」


 アイリスと同室になったリーアがぽつりと呟いた。陸軍省外務班の特務であるという関係上、全ての情報はベアトリクスまでの場所で遮断され、他の分隊に任務の内容が伝わることはない。

 同時に、現場における部隊の指揮官であるベアトリクスの意向が作戦行動中の第七分隊に対して十分に反映されないという異常な統制が分隊に対して敷かれていた。アルタヴァ側との終戦工作――主戦主義者の陰謀によってそれが仮初めのものに終わるか、あるいは穏健派の巻き返しによって和平会議の設立に至るかは未だ不明であるが、その交渉特使の護衛についての作戦工程の全ては陸軍省に一任され、第七分隊の指揮権は半ば掌握されているに等しい状態であった。

 だが、これに対して指揮官であるベアトリクスが異を唱えることはできなかった。設立の理由からして高度に政治的な案件に投入されることが明らかである。試験部隊の設置から実戦配備までの一切は陸軍大臣の命令によって取り仕切られており、その陸軍大臣を支える屋台骨である軍務局外務班の要請は、もはや陸軍大臣直接の要請にも等しい。

 予定の一切が陸軍省側で決定され、名目上の指揮官であるベアトリクスがそれを追認せざるを得ないという奇妙な指揮系統が形成される異常事態の中、彼女たちが唯一出来た自発的選択と言えば、二人部屋の割り振り程度であった。


「……まさかと思うけれど、盗聴はされてないかな?」

「流石にそこまではしないんじゃないかしら? けれど……向かいの部屋には憲兵が詰めてるはずよ。私たちには教えてないんでしょうけど」


 盗聴の危険性は低い――そう分かっていながらも、アイリスとエリカは声を潜めずにはいられなかった。現状があまりにも不穏であり、漂う雰囲気からして尋常の状況でないのは明らかである。

 自分たちの存在そのものが政治的カードとして使える――シュヴァイガート中佐の言っていることは、確かに分からないわけでもない。軍人貴族、現役将官、軍医局の重鎮――そうした軍上層部の家族が多数在籍している部隊に護衛を依頼すれば、少なくとも休戦工作そのものに反発する者を大きく減らすことができる。

 だが、その程度のことは彼女らにとって今更どうというほどのものでもない。貴族として政治の醜さを見てきたアイリスも、将官の娘として軍政を目の当たりにしたエリカも、軍医局幹部という特殊な立場にあり、二つの祖国を持つユイも――自分たちが政治利用されないなどという甘い幻想はとうに捨てている。

 問題があるとすればそれに続いた言葉であった。残る三人も、軍とは無関係な立場ではない――半ば脅すような雰囲気すら帯びていたその言葉を前に、アイリスとエリカは凍りついていた。自分たちが政治的に利用されることには慣れているし、何らかの特殊な意図をもって接近してくる陰謀家に対応する方法も幼少期から叩き込まれている。

 だが、同じ分隊の仲間に対して何らかの手が伸びるかもしれないとなったとき、即座に完全な対処が可能であるという保証はできなかった。荒っぽい方法でもって打ちのめすか、自分ならばこうする、という経験則に基づいた行動ならば可能ではあるが、三人の抱えている事情がいかなるものであるのか分からない以上、自分に対して陰謀の手が伸びたときと同じように対応してのけるのは極めて困難であると言わざるを得ない。


(……単に特殊な技能を持ってるから、ってだけじゃない――何か、あるんだ)


 アイリスはひとり、腰掛けていたソファーの肘掛けを握りしめた。政治的陰謀に巻き込まれる要素はいくつかある。まず、彼女自身やエリカ、あるいはユイのように生まれた家そのものが政治と密着した関係にある場合である。こうしたものについては、エリートとして教育を受ける中で対処法が伝承されていく。

 次に、極めて特殊な才能を持つ者――政治的特権によって保護される魔術師、あるいは最高位の幻獣種である竜種を調教することが可能な竜感応能力者がその代表例である。大分は軍の管轄に置かれ、現状の第十三独立幻獣騎兵部隊と同じく特殊部隊として有事の切り札として温存されており、クーデターなどが起きない限りは陰謀に巻き込まれることは少ない。

 最後に――もっとも厄介なパターンとして、ごく普通の庶民の生まれでありながら、過去の歴史的経緯によって軍部あるいは政界と何らかの関わりを持ってしまった者がある。家族に従軍経験者がいる場合――その者が直接的、間接的問わず戦争犯罪や政府転覆に関与していた、あるいはそれらに対して政府側から攻撃を行う立場にあった場合、その家族ですらも国家による監視、場合によっては干渉の対象となり得る。当人には何の瑕疵もなかったとしても、そこから逃れることはできない。


(家族が軍に居て、そのときに何かあった――それも、アルタヴァ介入戦争のときに……ってやつかな)


 カレン、テレサ、オリヴィアはいずれも庶民の出身であり、都市住民だった経緯を持つのはカレンだけである。いずれも平凡な労働者階級の出自であるが、根こそぎ動員にも等しい戦力投入を行って共和政府の設立を阻止しようと試みたアルタヴァ介入戦争時の徴兵の過酷さは今日の比ではない。予備役は当然のこと、当時は若年であった学徒兵ですら次々と前線に投入され、激しい戦いの中で命を散らしていった歴史は未だに横たわっている。

 介入戦争においては、戦時国際法の大半は意図的に無視されてきた。当時の戦時国際法は明文化されず、国家間における慣習的取り決め――いわば暗黙の了解として扱われてきたという経緯がある。それでも国際秩序を保つ骨組みとして有効に機能してきたのは、大陸を構成する国家の大半が君主制を敷いており、その法秩序体系を概ね同じくしていたが故であった。

 だが、王政を廃して人民議会による支配構造を確立したアルタヴァ共和国政府を相手に、王権に基づいた統治を基礎とした旧来の慣習的戦時国際法が通用するはずもなく、戦争は緒戦から地獄の様相を呈した。

 都市や村が戦場となれば民兵によるゲリラ戦が展開され、アルタヴァ領内に侵攻した王国軍部隊――その大半が「騎士道精神」に基づいた国際法を根拠に作戦行動を行っていた兵士たちは、軍服ではなくエプロンを纏った少女たちと銃火を交えることを躊躇い、その結果として手痛い代償を支払うことになった。

 その結果として、アルタヴァ介入戦争は戦場から軍人と民間人の区別がほぼ完全に失われ、ありとあらゆる手段を用いて敵国の国民を殺傷するという悲惨極まる戦闘が各地で繰り広げられる結果となった。アルタヴァの共和ゲリラがヴェーザー側の街を焼き払って市民を殺戮すれば、ヴェーザー軍はゲリラが潜んでいるとして集落を航空騎兵で空襲した。

 そうした時代を生きてきたのが今の若者の父母であり、アイリスたち第七分隊の家族であったということを考えれば、軍部が隠蔽しなければならないような状況――共和国と一時的な休戦を結ぶにあたって不都合となる殺戮の数々に直接関与していたとしても不思議ではない。

 三人の家族がそれを話すことを嫌ったのか、あるいは詳しい情報も与えられず命令を実行したのか。そればかりは分からない。だが、アイリスの胸中にはただ一つ確信できることがあった。それは現状に対する違和感から生まれた、ある種の反発であった。


(私たちに命令を下している陸軍省を完全に信用したら……どこかで、権力に食われる)


 根拠はない。単なる予感と言えばそれまでである……そう思いながらも、アイリスは不吉なものを状況から感じ取っていた。時刻は夜十時――周囲の建物から明かりが消えても、陸軍省本部庁舎の窓からは未だ煌々たる灯火の光が覗いていた。


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