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第95話 策謀の王都

 国境までアルタヴァ軍が撤退して一週間――ユニコーン隊の少女たちは、揃って王都へと帰還していた。彼女らを出迎えたのは群衆の歓声でも派手な凱旋パレードでもなく、出発したときと何の変化もないごくあたりまえの日常であった。

 街角には武装した憲兵がそこかしこに立っているものの、テロ騒ぎに伴う戒厳令も既に解除され、王都はもとの賑わいを完全に取り戻している。

 第七分隊の面々は基地にユニコーンを残し、軍が提供した護送馬車に乗り込んで、王都中心部へと向かっていたが、彼女らの表情は決して明るくはない。国境まで押し戻されたアルタヴァ軍と失地回復を果たしたヴェーザー軍の間は睨み合いを続けながらも不思議な均衡を保っていたが、未だに戦争が終わったわけではない。


「くそったれめ、ドが付くくらい平和じゃねえか――アタシらの戦争はどこに行ったんだ? あいつらは――戦いがあったことは知っていても、アタシらが何を思って戦っていたかなんてどうだっていいんだ」


 窓の外を睨みながら、カレンは腰に提げたナイフの柄を手のひらで叩いた。三日前まで戦場の只中にいた彼女たちにとって、眼前の平和はもはや違和感しか覚えないものとなっていた。これまでの生活において当たり前だった光景が、今となっては異質なものにしか見えない。

 それと同時に、戦っていた自分たちの存在を誰も気に留めていないかのような能天気さへの怒りがカレンの中にはあった。戦場では誰もが平等で、血を流す者はそれ相応に報われた。だが、この平和な都市のどれほどが、戦場に散っていった者たちを心に留めているのだろうか。


「……どいつも、戦争と自分が無関係だって思ってるんだ。そうさ――カレンの言うとおりだ。戦ってた私たちのことを新聞で読むかもしれないし、英雄だって称えるかもしれない。けどそれっきりだ。それ以上のことなんて、何も思ったりしない」


 テレサは乱暴に吐き捨て、座席を拳で叩いて目を閉じた。重苦しい沈黙――一言も発しないアイリスやエリカの胸中にも、苦々しい思いは確かにあった。戦争など起きなかったように振る舞っている市民の姿は、彼女らが平和を守った象徴でもある――だが、それと同時に戦争と無関係でいられると思っている能天気さが透けて見えることに、彼女らは苛立ちを覚えてもいた。


「……死んだやつらがいるんだ。それをアタシらは忘れない――けれど、平和の中で暮らしてる民衆は知りもしないし、もし知ってもすぐに忘れる。自分たちと無関係な死は、起きなかったものと同じなんだよ」


 拳を固く握りしめたカレンは、そうつぶやいて下を向いた。第七分隊に因縁をつけてきた少年兵部隊――彼女らがもっと早く投入されれば仲間を救えたかもしれなかったと怒りを露わにした彼らの慟哭は、未だに少女たちの胸の奥から離れることはない。自分たちと歳の変わらない兵員が前線に投入され、命を懸けた戦いを繰り広げてきた――その現実を知っているのは、実際に彼らとともに戦場を駆けた者たちと、彼らを送り出した者たちだけである。

 それっきり、誰も口を開こうとはしなかった。国境での睨み合いが続く中、少女たちは即応待機のまま基地に閉じ込められていた。ようやく後方への撤収命令が出た頃には、四十八人の戦士たちは疲弊しきっていた。

 ただ一度、それも数時間の戦闘ではある――が、ユニコーンの過激な戦闘機動は、十五歳の少女たちには耐え難い負荷となって襲いかかる。ユニコーンの調教に最も適した年齢であるという理由だけで選抜された彼女らは、どれだけ訓練を積もうとも熟練した騎兵ほどのスタミナを持ち合わせることはない。

 彼女らが連続した作戦行動が可能なのはせいぜい一週間が限度であり、それを越えて運用すれば多数の戦死者を出すと、これまでに蓄積された軍事的知見によって予見されていた。新兵を多く含んだ部隊が長期間の戦闘に臨んだ場合、どのような末路をたどるのか、ヴェーザー王国軍は過去の戦争――アルタヴァ介入戦争において学んだ手痛い教訓によって理解していた。

 沈黙のうちに移動時間は過ぎ、護送馬車が止まると同時に扉が開くと、そこは既に軍評議会の議事堂裏手であった。重要人物が出入りする際に用いられる地下通路が設けられた裏口には、既に先行していたベアトリクスの姿があった。


「よく来たアバズレ共――王都のならず者を相手にベッドで商売をしているかと思ったが、心配無用だったようだな。ついてこい……貴様らの新しい戦場へと案内する」


 普段どおりの乱暴な口調だったが、その表情にはどこか緊迫感があった。何が起きるのかある程度理解している――政治的直感に優れたエリカとアイリスは、その正体を何となくであるが感じ取っていた。


(――軍評議会。中央議会の諮問機関であると同時に、軍部省を実質的に統括する最大の組織……軍政の中心地にして魑魅魍魎の巣窟……!)

(貴族の特権的地位の維持と国民軍の形勢が産み出した組織……歪みの中で成長してきた怪物が相手なら……用心しないとね)


 その正体が底知れない陰謀を秘めた集団であることを、エリカとアイリスは公私共によく理解していた。父が将官であるエリカはその政治的な力の大きさを――貴族として生まれたアイリスは、その成立の歴史的経緯が持つ歪みに目を向け、現状に警戒を払っていた。

 王国軍唯一のユニコーン部隊――第十三独立幻獣騎兵部隊の成立そのものが、多分に政治的な意図を含んでのものであることは否定できない。陸軍大臣の肝煎りによって設立され、特殊作戦への投入を前提とした小規模の精鋭騎兵部隊であるという事実は、彼女たちの軍における立場を確保していると同時に、政治的な危うさをも持たせていた。

 陸軍省の政治的バランスが変動すれば、第十三独立幻獣騎兵部隊はそれに振り回される。仮にタカ派が軍政の主導権を握った場合、その時点で彼女らは侵攻作戦の切っ先、あるいは正面から突破する部隊の裏に回っての囮作戦や破壊工作といった危険な任務に立て続けに投入されることになる。


(軍情報部の後ろ盾が失われたのも大きい……ハーネル少佐が生きていれば……)


 決して心を許していい相手ではなかった――だが、今となってはその情報網がどれだけ重要なものであったか、アイリスは心から痛感していた。自らの婚約者であったグラウゼヴィッツ伯爵家とアルタヴァ共和国の通謀を警告し、なおかつ協力を申し出てきた存在を失ったことは、彼女らにとって致命的な損失――言ってみれば、政界を見通す眼を潰されたにも等しい打撃を負ったようなものであった。

 王都で何かが起きており、その渦の中に自分たちは巻き込まれつつある――アイリスはそれを直感していた。第七分隊の中には変わった出自の者が多く、彼女自身を含めてその半数は軍の関係者である。

 そればかりではない。部隊指揮官が二人に、格闘、工兵、狙撃、医学――第七分隊は、いずれもそれぞれの分野における特殊能力を持ち合わせた集団である。基地においては建築に心得のあるテレサと、初歩的な医学の心得を持ち、衛生兵として活躍できるユイは引っ張りだこであり、彼女らを引き抜くことに伴う現場負担の増大は無視できない。

 ただ一人の人員であっても、軍隊という複合的組織において専門家の手が借りられなくなることは極めて重大な問題となってのしかかる。それを理解した上で第七分隊が呼びつけられたのであれば、現場の理屈を飛び越えたところで意思決定が為された――すなわち、極めて政治的な理由によって第七分隊に招集がかかったということに他ならない。


(……何が起きているかは分からない。けれど――)


 アイリスは腰に提げていたナイフの柄を指先で探り、目の前の分厚い樫のドアを見つめた。議事堂裏口――天秤を持つ女神と演説する賢人のレリーフが彫られたそれは、数多くの血塗られた陰謀と政治的策略を見つめてきた。アイリスは唇を真一文字に引き結ぶと、一歩前に踏み出して、自らその正面へと進み出ていった。


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