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第94話 平和への長き道

「ベアトリクス・タウラス以下、第十三幻獣騎兵独立部隊、第七分隊――集合しました」


 アルタヴァ軍を国境線まで押し戻し、警備部隊との睨み合いに持ち込んだ第十三幻獣騎兵独立部隊が前線基地への帰投を遂げてから数時間――満足な食事を摂る余裕もないまま、最前線で戦い続けていた第七分隊は、国境防衛大隊司令であり作戦指揮権を持っているエリック・ダルド少佐のもとに呼び出されていた。


「……よく来てくれた、准尉――レインメタル准尉は?」

「部隊の補給手続きに。負傷者は出ませんでしたが、皆疲弊しています」


 呼び出すなら私だけにしろ――そう言わんばかりの雰囲気を滲ませながらも、ベアトリクスの態度はあくまで慇懃であった。無論、少佐という相手の階級も鑑みてのことであるが。

 無論、それを分からないダルド少佐ではない。その程度のことを把握できないようでは少佐の立場に上り詰めることはできず、部下の人心を掌握することもできない。しかし、ダルド少佐はあくまで穏やかな態度を崩さないままベアトリクス以下七人の兵員をソファーに座らせ、隣に控えていた副官に茶を運ばせた。


「飲み給え――諸君が疲弊していることは十分理解しているし、どれだけの働きをしてのけたのかも私は分かっている。大したことはできんが、茶の一杯程度は出させてくれ」

「……いただきます」


 ベアトリクスは小さく頷き、ティーカップを取って一口紅茶を含み――驚きに目を見開いた。それは士官にのみ配給される高級品ではなく、一般兵の糧食に含まれる三等品であったからである。

 士官用の糧食は一般の主計とは全く別のルートで配給されており、いずれも相応の高級品で占められている。士官、特に佐官以上の者については貴族の次男坊以下の者が多く、彼らの要望によって不必要とも思えるほどの高級な糧食が日々士官食堂で供されている。

 国防の主力が諸侯連合軍から王国政府直轄の国民軍へと移行しても、貴族の政治的特権は未だに維持されたままであり、「一定の政治的配慮」として将官あるいは佐官の半数以上は貴族で占められている。

 建前上は国民軍において貴族と庶民に差はなく、軍規においてそのような文言は存在しない。だが、軍事を貴族が牛耳ってきた歴史が形式的慣習を産み出し、それが長らく続く悪習となって組織を蝕んでいる。糧食の配給などその最たるものであり、過半数を占める貴族軍人の要望によって不必要な高級品に莫大な予算が吸い取られているのがヴェーザー王国軍の実情であった。

 そのような中において、ダルド少佐は敢えて三等品の茶葉でもってベアトリクス以下の第七分隊をもてなした。少佐の立場であれば士官用の配給にありつくこともできる――が、敢えてそうしなかったのは、彼に常在戦場、士官と兵はそれぞれ尊重し合うべきであるとの現場意識を持っていたが故である。

 前線で苦闘を続ける兵を前にして士官が贅を尽くせば、それは即座に兵から士官への反発意識となって立ち現れることは明白である。紅茶一つとってもそうである――国民軍は徴兵によって兵員が賄われているが、全てというわけではなく軍人としての待遇を求めての志願者も数多い。

 その大半は農村の出身者であり、裕福とは言えない家計の中、少しでも家族を養おうとして軍に志願してくる。第七分隊においてはカレンがそうであり、そうした者たちは士官の必要以上の贅沢に対して無条件の反発を示す。

 ダルド少佐はそれを理解した上で、敢えて室の悪い茶でもって彼らを迎えたのであった。味は決して良いものではない。だが、兵士と同じものを口にしているということ――「同じ釜の飯を食う」ということわざが示すとおり、その意気込みは確かに彼女らに伝わった。

 そして同時に、疲弊した自分たちに対して一定の思いやりを持った上で、それでもなお伝えなければならないことがあるが故に呼び出したことを理解させてのけた。その意味合いにおいて、ダルド少佐は掛け値なしに優秀な指揮官であった。


「……それで、どのようなご用件で? 分隊員まで呼び出したということは――何か特別な事情でも?」


 ティーカップを置き、ベアトリクスは瞳に鋭い光を宿して問いを投げた。ダルド少佐の思いは概ね理解したものの、何かしら厄介な状況に巻き込まれていることには間違いない。軍事的な情報伝達――それが機密性の高いものであるならば、ベアトリクスだけを呼び出せば事が済む。わざわざ第七分隊までも呼び出す必要はなく、あくまで軍曹待遇でしかない彼女たちに機密情報を開示するという危険な賭けに出ることもない。

 少佐の地位にいるのであれば当然ながらその程度理解している――それを考慮した上で何が起きているのか考えれば、答えは明白であった。


(ダルド少佐は……第七分隊に厄介な仕事をさせるつもりか)


 もとより第十三幻獣独立騎兵部隊は機動的運用を前提とした特殊部隊であり、その中でも高度に自己完結した作戦遂行能力を備える第七分隊は、作戦行動における切っ先の役割を果たす。それゆえに困難な任務に投入されることはそう珍しいわけではなく、ある程度の難局を乗り越えて戦わなければならないことをベアトリクスは理解していた。


「ひとつ、頼みたいことがある。これはまだ検討段階だが……」


 ダルド少佐は人差し指を伸ばし、何度か机を叩いて少女たちをざっと見回し、それから口を開いた。


「……我々の同盟諸国が停戦の調停に入ることを持ちかけてくるとの予想が外務省から出ている。恐らく軍部はこの提案に乗るだろう」

『……!』

「こちらが有利な条件で一時停戦して、その上で再度作戦展開を行うつもりでいるはずだ。アルタヴァが戦時国際法を遵守するはずもないからな。停戦協定違反を口実にした再侵攻――私が思うところではこんなものか。再侵攻なら手加減無しで、再度の講話で賠償を山程持っていくこともできる」


 その言葉を聞いて、ベアトリクスは暫しの間目を見開いた――が、すぐに我に返って言葉を返した。


「……タカ派がそれを許しますか?」

「驚いたことに、タカ派の連中が持ってきた話だ。停戦協定違反を口実にした全面戦争で相手を叩き潰したのだろう。限定的衝突では、あいつらの政治的権益の拡大には不十分だ。だが……うまく話を持っていくことができれば、この時点で戦争を終わらせることもできないわけではない」

「それは……」


 方法としては分からないわけではない――ヴェーザー王国軍と外務省のタカ派は、アルタヴァ共和国が何らかの違反を犯すことを見越して停戦協定を結び、それに対する違反を口実に全面戦争を仕掛けようとしている。彼らにとって停戦など紙切れ以下の価値しかない。

 しかし、その停戦をうまく長引かせ、外交的交渉をもってアルタヴァ共和国政府に協定を遵守させることができれば状況は大きく変わる。一時停戦からの講話条約の締結にまで持ち込むことができれば、敵対状態の完全な解消には至らずとも状況を改善することは可能であり、政治的解決の道を開くこともできる。ダルド少佐はベアトリクスと第七分隊の面々を正面から見つめ、さらに言葉を続けた。


「そのために、君たち第七分隊の力を借りたい。我々はこのまましばらくの間、敵との睨み合いを続けるつもりでいる。その間に周辺諸国から停戦の仲介が入り、外務省が特使を立てるはずだ――」

『……!』


 辺りに緊張が満ちる。政治に詳しくない者でも、そこから先に与えられるであろう任務については簡単に想像がついた。そして同時に、それが困難を極めるであろうことも容易に想像できた。


「――君たちには、外務省特使の護衛任務を任せたい。独立部隊の精鋭、第七分隊にしかできない任務だ。やってくれ」


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