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第89話 戦乙女

 歴史において、劣勢の軍の勇戦は美談として語り継がれるのが常である。巻き返して勝利を掴み取ればその場に居た者は名将あるいは烈士として讃えられる。たとえ敵わずとも敵に大打撃を与えれば敗北の中に輝く僅かな光として、後の歴史家、あるいは文学者、音楽家によってその勇気を語り継がれる。

 だが、命を賭したやりとりの中で、それを意識する者は誰ひとりとしていない。ただ己が生きるため、あるいは味方を守るために必死に応戦した結果としての「勇戦」であり、英雄的に振る舞うことそのものを目的に戦う者はありえない。戦場における武勇は、全てが終わってから語られるものである。

 一個大隊からなるヴェーザー王国軍国境防衛隊もまた然り――歴史家がその戦いを振り返れば、それは紛れもなく類を見ない勇戦であった。突如として発生した砲撃戦に即座に対応、軽砲を活用した騎馬歩兵による機動攻撃、そしてそれらを援護する歩兵ならびに通常の騎兵隊による度重なる突撃は、突出したアルタヴァ共和国軍の前衛を押し留める、あるいは時折押し戻すことさえあった。

 だが、その戦いは決して楽なものではない。平野部での会戦ならばヴェーザー王国軍に利がある――が、アルタヴァ軍による攻勢は、単に主力の正規部隊のみによるものではない。むしろ、林地での遊撃戦を得意とする民兵隊による活躍が大きい。

 山脈、林地、平野と変化する地形は、お互いの軍に対して複雑な状況判断を要求するものである。ヴェーザー王国軍は山脈を越え、林地を抜けて進軍しなければならない――が、視界を遮る木々はゲリラ兵にとって格好の狩場となる。

 随伴歩兵によるゲリラの掃討を行い、密集して身を護るという手法で強引に林地を突破し、騎兵の最も得意とする平野部での会戦に持ち込んで一時的な優勢を得たとしても、背後には常にゲリラ部隊の影がちらつき、増援の投入を妨害する。


「第二十七歩兵小隊は壊滅! 組織的戦闘行動不能につき、残存兵力を糾合! 新編二十六小隊として遅滞攻撃に突入、騎馬砲兵隊の後退を援護!」

「現場指揮官の判断において第七ライフル小隊を投入、されど敵の反撃が激しく、敵歩兵砲の排除は困難!」

「二十八と三十二も被害甚大との連絡! 少佐、これ以上は随伴歩兵が保ちません!」


 ひっきりなしに寄せられる絶望的な報告の数々――それを前に、国境防衛大隊の指揮官であるエリック・ダルド少佐は白い口髭を撫で、表情を曇らせた。何度か相手を押し戻し、国境付近まで撤退させることはあった。

 だが、その度に山岳地あるいは林地に浸透した敵の民兵が増援部隊を強襲、最後の一歩を詰め切ることができないまま敵の反撃を許し、部隊は少しずつ削られていく。敵本隊は未だ山岳を突破することができず、後方に進出した民兵による撹乱戦に終始している――しかし、敵の妨害を突破して増援が投入されない限り、国境防衛大隊はその戦力を失っていく。


「少佐――全部隊を後退させた上で、高地での反撃を行うことを進言します。密集して後退すれば、敵も簡単には手出しできないはずです」


 少佐の補佐を務める大尉――ライザ・グラウ大尉がすっと右手を上げ、ダルド少佐を正面から見つめて口を開いた。平野部での砲撃戦を捨て、全部隊を一度山岳地まで撤退、中程の高原で再度布陣し、追撃を仕掛けてきた敵を高所からの砲撃で制圧する――一見すると最適解にも思えるが、それは平地における戦術的優位を捨てるということにもなる。


「後方に敵のゲリラが回り込んで我が軍の増援を阻害している以上、平野部での決戦において決定的な勝利を得ることは難しいでしょう。ここは――」

「分かっている。だが……」


 ダルド少佐は拳を握りしめ、本営のテントから外の様子に目をやった。僅かながら、敵の民兵隊を突破した山岳兵たちが整列して命令を待っていた。もとより高地において猟師や木こりとして生活を営んでいた山岳兵の技能は優秀であり、狙撃や隠密行動、あるいはサバイバルに優れた者が多く在籍している。

 だが、彼らはあまりにも突破力に欠ける。兵員一人ひとりの技量は掛け値なしに優れているが、戦場において必要なのは、敵の前衛を強引に押し戻すだけの圧倒的な衝撃力――すなわち、優秀な騎兵隊である。


「……騎兵の増援がない以上、これ以上の作戦継続は困難です。直ちに後方へと転進――」

「――緊急連絡! ダルド少佐宛です!」


 グラウ大尉がそこまで言ったところで、一人の伝令が息せき切って駆け込んでくる。何事か、と彼が視線を向ける中、伝令は手にしていた紙を広げ、その内容を大声で読み上げた。


「偵察分隊より――極めて高速度で、随伴を伴わず接近する騎兵部隊を確認、我が軍の軍旗を掲げて山脈ならびに林地を強行突破、ゲリラを振り切ってなおも前線へと急行中! 増援です、少佐!」

「なに――」


 ダルド少佐が目を見開く。随伴歩兵を持たない騎兵部隊など、山岳では格好の的になるだけだというのが騎兵運用の通説である。だが、寄せられた報告はその常識を覆すものであった。伝令は顔を上げ、興奮した口調で言葉を続けた。


「進軍中の部隊は――ユニコーンを運用する幻獣騎兵との報告です! 数分以内に前線へと到達、作戦行動中のこちらの部隊と合流します!」

「……!」


 ダルド少佐は立ち上がり、手にしていたサーベルの柄を握りしめた。そしてグラウ大尉に視線を向け、鋭い声で命令を下した。


「作戦中の部隊に命令を送れ。騎兵隊は『戦女神』を援護、敵の前衛を駆逐! 歩兵部隊は後方へと展開し、敵前衛の排除を確認次第、全力で後方の山林に潜むゲリラを掃討しろと伝えろ!」

「しかし、それでは我が軍前衛の随伴歩兵が――」


 思いもよらない命令に、グラウ大尉は戸惑いの声を上げる。だが、ダルド少佐は高らかに笑って、その惑いを吹き飛ばした。


「護衛の歩兵など必要なものか。幻獣騎兵が来るのだぞ? 残したところで動きについていけるはずもない――私の言うとおりにしろ、よいな!」






 ――それは疾風のように、戦場へと斬り込んできた。

 陣地転換中の騎馬砲兵がその速さに目を見開き、前線で砲兵の撤退を支援すべく必死の防御を試みていた胸甲騎兵と戦列歩兵は、突如として目の前に現れた白馬の軍勢を前に、雷に撃たれたように立ち尽くした。

 驚きの中で一瞬静止したのは、何も王国軍ばかりではない。それと相対する共和国軍もまた、戦場に乱入してきた電光の如き一団を前に動けずにいた。あまりにも鮮烈――振り下ろされた剣の切っ先をただ呆然と眺めるような心持ちでいた彼らは、これから放たれんとする第一撃を防ぐ手段を持ち合わせていなかった。


「――見えた」


 それは、ごく小さな呟きであった。突入してくる部隊の一角、恐らくは本人にしか聞こえない言葉。だが、「彼女たち」と相対することそのものが、アルタヴァ共和国軍の将兵にとって最大の不運であった。ヴェーザー王国陸軍、第十三幻獣騎兵独立部隊――その先鋒を駆ける第七分隊の射程に捉えられた時点で、敗北は必定となる。

 鋭い銃声が響く。回転しながら放たれた弾丸はマスケット銃の数倍の距離をあっさりと飛翔――愚かにもマントを翻し指揮刀を振り上げていた小隊指揮官を貫いた。


「……小隊指揮官を狙撃。エリカ――お願い」


 楔形陣形の後方、その左側に位置していたオリヴィアは、手にしていたライフル銃を素早く再装填しながら周りの仲間たちに視線を向けた。エリカはしゃんと背筋を伸ばし、左手を大きく振るって声を張り上げ、それから小銃を構えた。


「第七分隊、馬上射撃戦用意!」


 六つの銃口が敵へと指向される。先鋒を務める第一分隊と第二分隊が敵と接触した刹那、熱したナイフがバターを切るように敵の騎兵部隊が両断された。互いに楔形陣形での激突――だが、その突撃速度は並の騎兵を圧倒し、四十八騎という少数の不利を覆していた。

 槍を掲げて突っ込んだ第一分隊と第二分隊が敵を叩き潰し、陣形が横に膨れるように歪む。第七分隊の狙いは、そこに含まれていた士官や下士官たちであった。


「放て!」


 エリカの命令のもとで一斉射撃――歪んで広がった敵陣に弾丸が突き刺さる。数人の下士官が打倒されて混乱が生じる一瞬のうちに、彼女らは銃を背中に負って武器を騎兵槍に持ち替えていた。その隊列の先頭にアイリスが躍り出て、右手で槍を握りしめると、左手で鞍にくくりつけていた軍旗をしっかりと掴んで、戦場の混迷を切り裂くが如き大音声で名乗りを上げた。


「我らはヴェーザー王国陸軍、第十三幻獣騎兵独立部隊だ! 我が国土から退け、さもなくば――」


 碧い瞳に炎が宿る。迷いも躊躇いも焼き尽くす名誉と誇りの輝き――国民軍の隆盛の中、忘れ去られた騎士の誓いは、確かに彼女の中に生きていた。


「――我が槍の鋭きをもって、この場を押し通る!」


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