第86話 戦場へと続く道
第七分隊の面々が立ち去った後、ベアトリクスとリーアは暫し無言のままそこに座っていた。表情は決して明るいものではない。ベアトリクスは、手渡された補給用装備品の数々――本来であれば重りのみのダミーであったはずのそれに視線を向け、小さくため息をついた。
「誰がやったか……なんてのは、聞くまでもないか。外務省の連中しかありえんな。実戦向きの装備にすり替えられている。それも新品未開封ときた……医療装備なんて、軍医局の刻印がそのまま入ったやつだ。どうやって手に入れたのやら」
対するリーアは、どこか諦めのついたような顔で補給物資に入っていた手榴弾を一発掴みだした。訓練用のものならば少女たちに何度となく与えたが、実弾を渡したのはただ一度きりのことだった。このようなものが手渡されたということになれば、もはや彼女らは一つの戦闘単位として認識されているに等しい。
「……それで、どうしますの。あの娘たちは……多分ですけれど、何の問題もなく演習の目的を遂行して帰ってきた。兵士として戦うに十分な資格を持っているはずですわ」
「だろうな。中隊規模の敵を撃退して離脱……幻獣騎兵として十分な働きだ。もし知れれば、即時実戦投入もあり得るだろう。敵がこちらの戦列を押し込んでいるとなれば、なおさらだ。だが――」
袋に入っていた物資の中から拳銃を掴み出し、それを虚空に向けてベアトリクスは言葉を続けた。まるで昔のことを思い出すような――どこか苦々しげな面持ちだった。
「……陰謀屋のくそったれどもに好きにはさせん。卒業式のその日まではな。揃ってぴかぴかの軍服を着せてから、天国の門をくぐらせてやる。敵のクソどもを絞め殺すのは、その後だ」
「ファックは卒業式の後で?」
「ああそうだ、貴様がやったようにな。リーア――真っ赤なコサージュ着けて、ゲリラのカスをナイフでファックした」
「あら、白バラだったはずでは?」
「悪趣味だぞリーア。分かって言ってるだろ――真っ赤になったのさ。私も見ていたからな」
リーアの手が腰に伸び、提げていたナイフの柄を指でなぞる。あくまで自衛のためという名目こそあった――だが、彼女らが駆け抜けてきた日々は、激烈という言葉すら生ぬるいほどのものだったことには違いない。
「……くそったれ。戦争なんて――」
「馬鹿のやること、でして?」
「全く同感だ。だが……」
支給品に入っていた拳銃を袋に戻し、ベアトリクスは瞳に鋭い輝きを宿した。一人の戦士として何を討つべきか――それを見定めるためには、刃のような精神が必要になる。殺すべき者を殺し、殺してはならない者を救う――そして、その行いに是非を問わない。
「……この世の中は揃って馬鹿だ。私たちも含めてな。リーア、二日以内に四十八人分の実戦用装備を準備するぞ。発注は既に掛かっているはずだ――王都の軍需局に話を通して、最優先で輸送させろ」
「……空輸を使っても?」
「もちろんだ。どうせなら、貴様の実家に頼んで商業ギルドの運輸部門を使ってくれてもいい。そのほうが早く始末がつくだろう」
半ば冗談じみた口調である――が、リーアはそれを素直に聞き入れて頷いた。
「こんなことのために実家に手紙を書くなんて思いませんでしたわ。除隊と結婚の報告以外で、連絡しないと決めていたのに」
「たまには親孝行しろよ、リーア――軍の金払いはいいんだ。輸送部門を動かす間の休業保障も割増で着けるだろうさ。諸侯唯一の空輸セクションを持っているレインメタル家なら信用も抜群だ。予備の火薬程度なら、空軍の特務輸送を煩わせることもあるまい」
「……なら、お言葉通り。早く押さえないと戦時動員がかかってしまいますからね」
しゃんと背筋を伸ばして手元のペンを握り、リーアは素早く手紙を書き綴っていく。現役の軍人が貴族の実家に応援を要請するといった行為はそう珍しいものではない。幕僚部の多数が貴族で占められている現状、軍部と諸侯との癒着関係は意図的に見過ごされてきたといっても過言ではない。
相続権を持たない次男以下が食い扶持のために士官となり、それらの持つコネクションを活用するために政治家が動き、結果として軍部と諸侯、本来ならばそれぞれ独立した軍事的役割を持たなければならないはずの存在が癒着していく――その現状にリーアは疑問を懐いているが故に、決して実家の名を出そうとはせず、頼ろうともしない。
だが、現状はそのポリシーを曲げるに十分なほどに逼迫している。その経緯において多分に政治的な意図を含んでいるとはいえ、新編される精鋭特殊部隊の候補生が襲撃を受け、危機的状況に陥ったことに違いはない。何らかの横槍があったとしても、ユニコーン隊に危険が降り掛かっているのは紛れもない事実であり、緊急を要する案件である。
「……よし、できましたわ。あとは――」
「教育隊総監はもう事態を察知しているはずだ。第七以外の訓練分隊にも撤収を命令、訓練を即時中止――アバズレどもに伝えろ、お遊びの演習なら百点をくれてやるから、今度は敵をファックしてイかせろ、敵があの世までカッ飛ぶ×××を見せれば、それが貴様らの卒業だ、とな」
「了解しましたわ。文言はアレンジしても?」
「好きなようにやれ」
リーアは小さく頷き、瞬く間に書類を作り上げていく。ベアトリクスも同じように手を動かし、関係各所への依頼文書、あるいは物品の調達に関わる発注書類を書き上げる。本来ならば部隊付属の文官に任せていた作業であるが、国境に隣接する前線拠点には彼女ら以外にユニコーン隊関係者はいない。官僚は安穏たる後方へ、兵士は危険な最前線へ――官僚主義の腐敗臭を嗅ぎながらも、二人は作業を継続する。
だが、数分もしないうちに慌ただしくドアが開き、一人の伝令が駆け込んできた。ベアトリクスは露骨に苛立たしげな表情を向け、リーアは腰に提げていたナイフに手を掛ける。流石にそこまでの反応は予想していなかったのか、伝令はぎょっとした表情を浮かべて手を顔の前で何度も振った。
「なんだウジ虫野郎、さっさと敵の××××を切り落として、貴様の粗末なそれと入れ替えてこい。私たちは忙しいんだ、くそったれめ――そいつをよこせ」
ベアトリクスは話も聞かずに伝令から書簡を乱暴に奪い取り、懐に収めていたナイフを抜いて封を切り――それを一読して地面に投げ捨てた。ユニコーン隊がいずれも訓練任務を終了して移動を開始し、先行していた第七分隊を除いて集合場所に設定した街に到着したことを伝える内容だった。
ベアトリクスは若干ばかりの驚きを感じながらも、その報告文書を足で踏みつけた。五日というタイムリミットは、成長を遂げた彼女らにとってはやや長すぎたらしい――それに喜びを感じながらも、彼女は伝令の胸を強く突き飛ばした。
「当たり前だろう、こんなクソみたいなものを持ってくるために、国民は税金を払ってるわけじゃないんだ。さっさと他所に行って最前線での偵察情報を伝えてくるがいい、クソ間抜けの二等兵。運が良ければ鉛の飴玉を貰えるぞ――失せろ、行ってよし」
イエス、マムと言葉を発するのが精一杯といった状態で伝令がよろめきながら駆けていく。ベアトリクスは首を振ってそれを見送り、ふっと笑みを浮かべたかと思うと高々と笑い声を上げた。
「なあ、リーア――まったくくそったれだ、我々は最高の兵士を手に入れた。戦争の泥沼の中で輝く宝石のクソを手に入れた。なあ、戻ってきたぞ――やっと結成できるぞ」
その口調は確かに興奮を帯びていた。腰に提げた短剣をがちゃつかせながら、ベアトリクスは凄絶な笑みを浮かべて、熱に浮かされたようにその名前を口にした。
「――第十三幻獣騎兵独立部隊。私たちの軍団を!」




