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第84話 強襲攻撃

 陣地構築が完了し、僅かな休息を挟んでの脱出が始まって四時間あまり――少女たちは、戦場に轟く怒声と爆音をその背中で感じていた。振り返りもせず、カレンは槍を右手で握りしめて隣を行くエリカに声を掛けた。


「インテリ、言わなくても分かってると思うが……」

「後ろから来ているわね。結構近くまで来てる。ここまでで味方とすれ違わなかったってことは……そういうことよ。問題は設置してきたバリケードだけど……今の爆音が工兵隊による爆破工作だとしたら、かなりまずいわね」


 二人とも敢えて口にすることはない――だが、薄々理解していることがあった。国境に展開していたヴェーザー王国軍の国境防衛部隊が突破を許したという事実である。全面的に突破されたのか、それとも一部を抜かれただけなのか――そればかりは彼女らには分からないが、いずれにせよ危機的状況にあることだけは確かだった。

 だが、エリカは冷静さを失わない。彼女の武人としての挟持が故にそうであるのと同時に、訓練において叩き込まれた判断力と責任感が、限界に近い状況にありながら彼女に正気を保たせていた。


「けれど、私たちはまだ逃れ続けている。敵が守備隊を完全に無力化するに足る大規模の集団で、なおかつ十分な機動力を持っていたとしたら、私たちは既にやられているはずよ。時間を少しでも稼げたってことは、恐らく相手の戦力はそれほど大規模じゃない。少数の護衛を伴った先遣隊による一点突破だとすれば、私たちにも生き延びるチャンスが生まれる。敵の数が少ないのなら――」


 隊列の先頭を進んでいたエリカが行き足を止め、全員の顔をざっと見回す。その表情に全員が息を呑む。何を口にするかは分かっている――が、それを言葉にするのは憚られた。自分たちの任務は安全圏まで離脱することであり、正面切っての決戦ではない。


「――敵の先遣隊を迎撃することも、私は視野に入れている」

『……!』


 ある程度の覚悟は出来ていたし、離脱を妨げるものは何であれ撃砕するとも決めていた。だが、隊長の意志のもとにその言葉が発せられた以上、それは第七分隊が敵と正面から衝突することが現実のものとなり得るということである。既に二度実戦を経験してきた彼女らであっても、敵と刃を交える恐怖がまったくないというわけではない。


「もちろん、この戦域から脱出するのが最優先目標になるわ。けれど、敵が私たちの背中に食いついてくるようなら……この場で敵を殲滅する。相手は恐らく、少数精鋭の随伴歩兵を伴った騎兵部隊のはずよ。通常の騎兵なら、キルレシオはこちらが圧倒的に勝っている。敵にやられるより先に、私たちが相手をブチのめす」


 今更逃げ出す者はいない。全員が一斉に槍を握りしめ、エリカの言葉に聴き入っていた。追ってくる先遣隊に一撃を加えて離脱する――その考えに異を唱える者は存在せず、全員揃って深々と頷いた。エリカは手にした地図を広げると、右手の槍を指揮刀のように掲げて言葉を続けた。


「迎撃地点は山頂近くの平原。上方からの観測で敵兵の接近が観測された時点で、私たちは敵の側面に移動し強襲攻撃。第一撃はユニコーンの機動力を最大限に活かして、敵の上を取る。これは私とアイリスでやるわ。可能なら、その攻撃で先遣隊の指揮官を滅殺する」


 敵の上を取る――それは、並の軍馬を凌駕するユニコーンであるからこそ可能な高機動攻撃であった。2階建ての建物すら悠々と跳び越えるユニコーンの跳躍力を限界まで発揮し、敵が対応困難な側面上方からの奇襲を行う。エリカはその一撃でもって指揮官を打ち取り、その後の戦況を大きく改善するつもりでいた。


「その後、オリヴィアとテレサ、カレンとユイに分かれて側面を攻撃。随伴歩兵が短槍で防御を組んだり、統制射撃での迎撃を試みたりするようなら跳躍回避しながら隣の部隊が応戦。四騎統制で敵を振り回して。アイリスもそれでいい?」

「……いいよ、エリカを信じる」


 手にした槍をしっかりと握りしめる。今後何が起きるのか分かったものではない――が、アイリスの胸中には、エリカに対する確固たる信頼があった。真正面から槍を手に敵の集団――おそらくは小隊規模以上のものを相手にたった六人で突撃するといった、幻獣騎兵でなければ自殺行為でしか無い攻撃を前にしてなお、その信頼は揺るがない。

 そして何より、彼女の胸には一人の将としての炎が燃えていた。最も高貴なる者こそ先陣を切れ――武門の生まれである彼女が常に胸に抱いてきた貴族の誇りを試される時が来ているとなれば、もはや何も躊躇うことはない。自らの誇るべき在り方を戦場において示し、貴種の努めを国権のもとに果たす。そのために生まれ、刃を研ぎ澄ましてきた。


「……全員、生きて帰るわよ。死んだら許さない」


 エリカが発したその言葉は、深い森の中に溶けていった。






 作戦開始から六時間――夕暮れが迫る中、少女たちは自らが撃つべき敵を眼前に見出しつつあった。結局の所逃げ切ることは敵わず、彼女らは反対側の斜面に向かうよりも早く、敵を迎撃せざるを得ない状況に追い込まれていた。

 だが、分隊員の表情に焦りはない。眼下に迫るは歩騎兵併せて一個混成中隊。その様子を、第七分隊の少女たちは高原に伏せてじっと観察していた。


「……百人以上いるぜ、おい」


 カレンの声は緊張を帯びており、その手が小銃から離れることはない。対するエリカは至って落ち着いた態度のまま、迫り来る軍勢に視線を向けていた。


「まあそんなもんじゃないかしら? 結構な人数だけど、よく抜けてきたわね。あの狭い道を通るにしてはなかなか多く連れてきたじゃない。騎兵は……まあ、最低でも三十はいるわね。けれど、ユニコーンの騎兵による通常騎兵とのキルレシオは――」

「十対一だろ、知ってるさ。周りの連中を蹴散らすことを考えれば、まあ五分以上だ」

「……やれるわね?」

「インテリとお嬢が敵をぶった斬れば、な。中隊指揮官といえば、大尉か。悪ィ、ちょっと双眼鏡貸してくれ」


 エリカから双眼鏡を受け取り、カレンは目を凝らして敵の隊列を観測する――が、遠距離から徽章を確認することはできず、彼女は首を振って双眼鏡を返却した。


「見えねー」

「それはそうよ、確かめる方法は一つだけ――」


 そう言って、エリカは槍を手にして立ち上がると、自らの愛馬のもとに歩み寄って凄絶な笑みを浮かべた。


「敵陣に吶喊して、真上から切り込めば見えるはずよ。混成中隊の指揮官は騎兵のはず。敵の中心に突っ込んで薙ぎ倒せばなんとかなるわよ、こういうのは」

「なかなかいい考えだな、インテリ――で、アタシらはそれを支援して横から歩兵隊にブチかませ、ってわけか。いいぜ上等だ――逃げらんねぇなら、殺るしかねえ」


 カービン銃の撃鉄を起こしたカレンの瞳に、眩い炎が燃え上がる。いずれの者の瞳にも、刃のような輝きが満ちている。敵が近づくにつれて、少女たちのボルテージは急激に上昇し、その手で敵を刺し貫く瞬間を待ちわびてすらいた。


「隊長、命令してくれ」


 カレンが発したその一言が、全ての状況を動かす起爆剤となった。エリカはアイリスを自分のもとへと呼び寄せると、手にした槍の穂先を掲げて宣言した。


「……分隊各員に命じる。これより我々は、二十対一以上の戦力差で敵に突撃、これを撃砕あるいは制圧、退却せしめた後、我が軍の援護下まで離脱する。私の望みは唯一つ――」


 力強い手が槍の柄を握る。鋭く研ぎ澄まされた穂先は西に傾く夕日を照らし、混沌が押し寄せつつある戦場に輝きを映していた。


撃破殲滅みなごろしだ! 総員騎乗! わが祖国の敵を打ち払い、第七分隊の威光をここに示せッ!」


 その号令を皮切りに、全員が一斉にユニコーンに飛び乗る。無謀な突撃はしない――ただ、敵が侵攻してくる斜面の左側面、盾を構えている側にユニコーンとともに伏せて、攻撃の瞬間を待つ。彼我の距離が三百メートルを切ったと同時、エリカはアイリスと一瞬だけ視線を交わし、次の瞬間には槍を掲げて電光のように飛び出していった。


「――警戒! 前方から何かが……」


 最前衛に立っていた歩兵が声を発したと同時、既にアイリスとエリカは空中へと飛び上がっていた。随伴歩兵の目には白い何かが一瞬に通り過ぎたようにしか見えず、小銃を構える暇すらない。


「何が――」


 騎兵部隊は素早く反応、手にした盾を構えて中央に位置していた中隊指揮官――大尉を守ろうとしたが、その行動はアイリスとエリカに攻撃目標の位置を教えるに等しい自滅行為であった。飛び上がった勢いのままに上空から落ちてきたエリカは、愛馬である《シュトゥルム》の蹄でもって着地点の兵士を盾もろとも踏み砕き、同時に槍で刺し貫いた。

 その隣にアイリスが立て続けに降下――彼女は隊列の中央で驚愕の表情を浮かべる敵の大尉を見据えると、雄叫びを上げて槍を突き出したまま突進した。通常の軍馬に倍する勢いのランスチャージ――進路上のことごとくがその圧倒的な速度から生み出される威力の前に薙ぎ倒され、蹄の下に踏みにじられる。

 眼前の全てを薙ぎ倒しながら、アイリスはさらに前進する。敵の指揮官は真正面から突っ込んでくるアイリスを前に苛立たしげな表情を浮かべたが、思い切りよく槍を投げ捨てて拳銃を抜いた。


「死ね、メスガキ!」

「誰が――」


 拳銃が火を吹き、アイリスの頬を掠めて過ぎる。鋭い痛みが頬に走ったが、彼女はそれを無視して突進した。眼の前の大尉は拳銃も放り捨てると、最後の抵抗とばかりにサーベルを抜いてアイリスと正対した。撫で斬りの構え――だが、圧倒的なリーチの違いを前にしては、その抵抗も愚行に終わった。

 鋭い穂先が腹に埋まり込む。がは、と血を吐いた敵をアイリスは冷たい表情で見据え、左手を伸ばして血に濡れた階級章をその胸から毟り取ると、槍を横に払って亡骸を地面に放り捨てた。殺人への忌避感も、戦いの恐怖も今は彼女から遥かに遠い。中隊長を自らの手で討ち取り、戦線を崩す――その役割を果たすことに、彼女は全てを注いでいた。


「大尉っ……!」


 槍を手に駆け寄ろうした兵士を、エリカが側面から刺し貫く。中隊指揮官戦死の動揺が瞬時に広がり、指揮系統が麻痺――その一瞬を、他の四人は見逃さなかった。四発の銃声が同時に鳴り響くと、それを突撃の合図にしたかのように側面を援護する歩兵部隊へとカレン筆頭の一団が強襲、小銃による反撃を試みる間もなく中隊を側面から両断した。

 さながら熱したナイフをバターに突き刺したように、中隊の戦力が一瞬のうちに溶けていく。部隊の中央ではアイリスとエリカが槍を手に暴れまわる。カレンとテレサという屈強な二人の戦士がもたらす暴力の嵐、オリヴィアが馬上から叩き込む、曹を狙い撃ちにした正確な支援攻撃――そしてそれを統括するユイの的確な指示が破滅的な相乗効果をもたらし、歩兵隊は瞬時にその機能を停止した。

 縦に長く伸びていた隊列が二つに切断されるに至って、アルタヴァ兵たちは一様にして同じ結論へと達する。もはや部隊は前方への進出と強行偵察という作戦目的を果たし得ない。なおかつ、それが一個分隊によってもたらされたものであると知ったとき、彼らの士気は一様に崩壊した。

 その結末は、連鎖的な後方への遁走である。将も兵も馬も、いずれもが恐怖に駆られて後方へと下がっていく。統制の取れた反撃を行う余裕はアイリスとエリカが叩き込んだ一撃によって既に奪われており、指揮官を失った部隊はただ逃げ去る他にない。もはや撤退と呼べるだけの体裁も整えていないそれは、敗残者の逃走にほかならない。


「追わなくていい! もう十分よ」


 敵から奪ったらしい拳銃を一発撃って、エリカは足元に倒れた亡骸を一瞥した。自分たちとそう歳の変わらない若年の兵士――だが、その光景に感傷を抱くほど、彼女は戦争についてナイーブな感覚を持ち合わせていない。冷徹にあるべきときを、彼女の心は知っている。エリカは手にしていた拳銃を地面に放り捨てると、槍を高く掲げて命令を下した。


「全部隊、後方へ撤退! これよりヴェーザー王国軍の勢力圏まで、最大速度で離脱する――続けッ!」


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