第83話 戦士の誓いと終わりゆく日々
ヴェーザー王国とアルタヴァ共和国の間に位置する山岳地帯は、古来より二国間での戦争において重要な役割を果たしてきたと同時に、緒戦の趨勢を左右する重要拠点としてそこにあり続け、地政学上の最大の注目点として扱われてきた。
あるときは山城が築かれ、またあるときは敵の進行を遅滞する天然の要害として無数のブービートラップが仕掛けられる――アルタヴァに共和制が成立するより以前から、その地は二国間の争いにおいて存在感を放ってきた。共和制の成立阻止を目的としたアルタヴァ介入戦争に休戦協定が結ばれても、その地だけは平和が訪れるものではない。
実際の国境は裾野に引かれ、山脈はヴェーザー王国側に位置している。しかしながら、アルタヴァ軍のゲリラコマンド、あるいはヴェーザー王国内で育ちながらも共和制に感化され、アルタヴァ政府が支援する軍事キャンプで訓練を受けた民兵はそれを突破して国内へと浸透する。それらを阻止するためのゲリラ狩り部隊が配備されてなお、現状が明るいとは言い切れない。
国境の歴史は戦争の歴史である。そして、第七分隊の少女たちもまた、その動乱の渦中にあった。馬上で地図を広げながら、隊長のエリカは他の隊員たちに指示を飛ばした。
「私たちの演習地は国境側よ。行きは回り込んできたけれど、最短時間で突破するなら、このまま一直線に山を抜けるルートしかない。今は王国軍の前衛がうまくやっている――はずだけど、もし抜かれたら裾野を突っ切って敵が突っ込んでくるわ。槍の津波に飲み込まれたくなかったら、このまま山を越えて敵を振り切るしかない」
エリカはアイリスと一瞬だけ視線を交わす。このような状況に陥ることを以前から予見していたのは、エリカ自身を除けばアイリスだけである。そして、アイリスには副隊長という重要な役目が与えられており、分隊の参謀として現状を判断するという責務までも負っていた。アイリスは手元の地図を眺めながら暫し黙考し、一分ほどして顔を上げた。
「……多分、敵は高速の航空先遣隊を出してくると思う。グリフォンかペガサスか、あるいはワイバーンか――それは分からない。もしかしたら王国軍との間で空中戦が起きるかもしれないし、うまく上空で阻止してくれればいいけれど、もしうまくいかなかったら私たちはこの場でやられるしかない」
『……!』
全員の間に緊張が走る。航空騎士――有翼獅子や天馬、あるいは亜竜種といった軽航空戦力を中心とした部隊は、戦場における目であるとともに、アイリスたちのような少数で行動する騎兵部隊にとっての天敵となり得る。自らが偵察部隊として戦場に先駆けると同時に、地上から様子を窺う騎馬斥候を襲撃する。いかにユニコーン隊の機動力が通常の軍馬を凌駕するとはいえ、圧倒的な三次元機動を最大の武器とする航空騎士には勝てる道理もない。アイリスは全員の顔を見回して表情を引き締め、地図の一点を指さした。
「対空攻撃の手段が私たちには何もない。だから、目立つ頂上付近を通る時間は最小限に抑えないといけない。けれど、目立つところを避けてわざわざ回り道をしていたら、後続の部隊に後ろから食われる。だから――私たちは、演習の最後の項目を遂行してからここを脱出する」
「最後の項目って……」
オリヴィアが目を見開く。彼女たちに命じられた演習評価項目のうち、ただ一つだけ達成できていないものがあった。阻塞防御陣地の構築――敵を食い止め、離脱を安全確実なものとするための方策を講じることが彼女らには求められていた。だが、それはあくまで演習が安全に行われるという前提のもの――そう信じていた分隊員たちは、一斉に顔を見合わせた。
「大規模な騎兵部隊が突破できる道は一つしかない。私たちはそこに障害物を設営して敵の騎兵部隊を遅滞する。敵の随伴歩兵に工兵隊が含まれているかどうかは賭けになるかもしれないけれど、もし随伴が通常の歩兵だけなら、木を切り倒して阻塞物を構築するだけでも十分な効果を発揮できる。作業時間は取れないけれど――」
アイリスがそこまで言ったところで、テレサが腕まくりして後ろを振り返った。
「要するに、だ。丸太をテキトーに積み上げて、敵が通れないようにすりゃいいんだろ? それなら簡単だ、どうにでもなる。私一人じゃちょっとキツいかもしれないが、腕っぷしに自信のあるのを二人ほど貸してくれりゃ、どうとでもなるさ。それに、切り倒すことに関してはここにもプロがいるからな」
テレサの少し大きな手が、オリヴィアの背中を軽く叩く。もとより山暮らしの彼女にとって、木を切り倒すのは日常の一部として定着している。第七分隊はもとより、均質性を求める軍隊の中にありながら、それぞれ一芸特化の集団として集められたという例外的側面を持ち合わせる特殊技能集団であり、山岳戦における戦闘技能も選抜段階から評価されていた。選抜された段階では彼女ら自身にその自覚はなかったが、今となってはそれぞれの持つ技術を知り、あらゆる状況の中で高度な自己完結性を維持したまま戦い抜ける集団であることを誇りに思っていた。
「……なら、大丈夫だね。エリカ、指揮は任せる。私は周辺警戒。敵の先遣隊を見つけたら――」
アイリスの手が騎兵槍の柄を掴む。入隊当初は華奢だった彼女の腕は、今となっては見違えるほどに強靭に鍛え抜かれていた。それは単に厳しい訓練の日々をくぐり抜けてきたからというわけではない。国防の切っ先、人民の盾たれという意志そのものが肉体にまで表出したが故、彼女は鋼のように鍛え上げられた両腕を得るに至ったのである。
「――この場で倒す。私の仲間を、傷つけさせない」
砲声が聞こえてから三時間あまり、第七分隊の少女たちは、森を切り開いて設けられた道路――というにはやや狭隘に過ぎる道の周辺で、辺りに生える木を半ばから切り倒してはその場に積み上げ、即席のバリケードを組み上げていた。鬱蒼と茂る森から木を切り出しては道の中央に横倒しにし、腕っぷしに自身のあるテレサとカレンがそれらを積み重ねて組み上げ、瞬く間に陣地が組み上げられていく。
作業中も砲声が遠雷のように響き渡り、絶え間なく砲撃戦が続いていることを少女たちに告げていたが、既に二度戦場にたった彼女らの心を折るには不十分であった。常人であれば恐慌に陥っていたとしても不思議ではないほどの圧迫感の中にありながら、彼女らは未だ正気を保って作戦行動を継続していた。
木を次々と切り倒しては運び、道幅一杯に阻塞障壁を組み上げた彼女らはそれを見上げ、小さく息を吐いて額の汗を拭った。砲撃戦が国境近辺で継続しているらしく、敵が追ってくる気配は未だにない。だが、いつ敵の尖兵が現れるか分からないという状況は、心身に猛烈な負担をかける。それに耐えきることができたのは、彼女らが過ごしてきた拷問じみた訓練の日々がもたらした、屈強な肉体と鋼のような精神を持ち合わせていたが故である。
全ての作業が終わると同時に、テレサは組み上げた丸太を拳で軽く叩いて即席のバリケードに視線をやった。崖に面した細い道に設置されたバリケードの阻塞効果は抜群であり、騎兵部隊は否応なしに機動力を削がれる森に踏み込まなければならない。
「作業完了だ。簡単なやつだが……まあ、横に退けるには手間がかかるだろうし、左側は崖だ。ある程度は遅滞できるだろ。念の為だけど、オリヴィアに頼んで右側の森のなかにはガッツリ罠を仕掛けておいた。三時間以上は持つって、私が保証するぜ」
「ありがとう、テレサ――全員、行くわよ」
エリカがその場に居た全員の顔を見回し、即座に出発を命じる。一分の休憩時間もない――だが、戦闘の緊張に高ぶった神経は、少女たちから疲労を忘れさせていた。
「……勝てるかな、アタシたち」
カレンが呟いた一言に、アイリスは静かに答えを返した。
「勝たなきゃ嘘だよ。そのために訓練してきたんだから。それに、私たちにとっての勝ちは、敵を殺すことじゃない――」
まるで神に祈るかのような口調で、アイリスが言葉を紡ぐ。それは、これまで続いた平穏な日々――殴打と罵声こそあれども、自ら危地へと赴くことからは遠ざけられてきた平和な時間の終わりを告げる言葉でもあった。
「――全員で生き残るんだ。私たち第七分隊が全員で戦い抜いたことを証明するためにも、誰も死んじゃいけない。私たちの目標は、今日を生き延びることだ。だから……」
樫の木で作られた騎兵槍の柄を強く握りしめ、アイリスは凛とした声で言い放った。
「……精一杯生きて、みんな揃って笑おう。私たちは、不死身の第七分隊になるんだ」