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第82話 開戦

 第七分隊が再び合流したとき、テレサは肩に負傷兵を模したダミー人形を背負っていた。それを目にしたカレンは苦笑を浮かべて、表情のないダミー人形の頭を軽く小突いた。


「緊急事態はそっちでも見てたろ? よく連れてきたな」

「そりゃ担げるなら連れて行くさ。そっちだって、山盛りの補給物資を担いできたんだろ?」


 そう言って、テレサはカレンが肩にかけていた補給物資の袋を軽く叩いてその中に右手を突っ込み――そして、ぎょっとした表情でその中身を引き出した。彼女の手には手榴弾が一発――実弾であることを示す赤いペイントが施されており、油紙に包まれた導火線が突き出ている。


「おい、何だこりゃ――訓練用の弱装なら白塗りだが、こいつは……」

「あァ間違いねェぜ、モノホンだこいつは。火傷じゃ済みそうにない代物だ。訓練用物資にしちゃ、随分と周到だ」


 カレンは肩に掛けていた袋を下ろして、その中身を次々と取り出していく。手榴弾が複数、マスケット用の小銃擲弾、工兵資材や軍用爆薬――それ以外にも複数の弾丸と装薬のセット、さらには簡単な手術が可能な医療装備までもが含まれていた。


「明らかにおかしいよ、これ。私たちが見てきた夜戦衛生キットじゃない。軍医局で管理してる医官専用の装備――一昔前のロットだけど、未開封だよ」


 医療装備の中からメスや鉗子を取り出し、その一つ一つをユイが丁寧に確かめていく。いずれも全くの新品であり、濃緑に塗られたケースには、軍医局の備品であることを示すシリアルナンバーと焼き印が入れられている。


「……持ち出せンのか?」

「絶対無理。これとか入ってるから」


 ユイが手にした小瓶には、それが麻薬に類する強力な鎮痛剤であることを示すラベルが貼り付けられている。一般的なファーストエイドキットではない。摂取量によっては人間一人を昏睡状態に追い込むだけの強力な薬物であり、演習に用いる物資としては明らかに過剰であった。


「……どんな意図でこんなものを? 僕たちはただの訓練兵だ。こんなものを演習で与えられるようなことは、普通ならありえない。小銃擲弾なんて使うような状況は、演習のシナリオにはない」


 小銃擲弾を手に取りながら、オリヴィアは瞳を鋭く光らせた。明らかに戦闘行動を意識した装備品であり、訓練の度を越している。 


「……何をしろってんだ、アタシたちに」


 カレンは装備品の中から大型のコンバットナイフを取り出し、黒染めされたその刃をそっと指でなぞる。まだ何か入っていないかとアイリスが袋を覗き込むと、封筒が入ったままになっていることに彼女は気付いた。


「……何かな」

「ロクなものじゃないのは、まあ確定かもね――開けてみなさいな、このプレゼントを誰が送ってきたのか、それくらいは分かるかもしれないわよ?」

「……うん」


 エリカの言葉に従い、アイリスは封筒から手紙を引き出し、そのまま驚愕に目を見開いてその場で固まった。


「なに、これ――」


 手紙を掴んだ右手に力が入って皺が寄る。そのまま引き千切らんばかりの勢いに分隊の全員が息を呑む。アイリスの顔からは表情が失せて青ざめ、それとは真逆に瞳には激情の光が宿る。


「アイリス、何が――なっ……!」


 横から覗き込んだエリカの表情が凍りつく。だが、数秒のうちに彼女は冷静さを取り戻してその内容を読み上げた。


「……外務省情報部――正確には、ハウラー・リューテックの一派からの贈り物よ。軍の一部が国境で開戦のための工作を行っていて、私たちは『栄光ある犠牲者』に選ばれた」


 栄光ある犠牲者――その言葉の意味がわからないほど、彼女らは鈍くはない。錬成中で最終試験を受けていた女子だけの特殊部隊が敵の攻勢に巻き込まれて撃破されれば、悲劇の主役となるには十分な条件を備えている。

 それに、第七分隊の中には国家に関わる重要な人物の家族――貴族の長女であるアイリスに、現役将官の娘であるエリカが含まれている。突発的な戦闘に巻き込まれ戦死すれば、彼女らは間違いなく民衆の間で語られることとなる。


「アルタヴァ共和国軍に貧弱な装備で立ち向かい、最期の瞬間まで戦い続けた特殊部隊候補生たち――なるほど、軍のタカ派がそういう絵を描きたいのは分かるわね。けれど――外務省はそれを望んでいない。私たちを手駒にしたいから、こうやって表に出せない装備をあれこれ送って、私たちを支援した」


 袋に入っていた装備品の数々――恐らくは外務省情報部によって訓練資材とすり替えられたと思われるものを眺めながら、エリカは言葉を続けた。


「恐らく、私たちは揃って誰かの手のひらの上で踊ってるんだと思うわ。ここにいることそのものが仕組まれていた可能性は大きい。演習場所の選定からして、こうなることをあらかじて定められていたのかも」

「待てよ、なら何で試験が中止にならねェんだ? アタシらがこんなことになってりゃ、普通ならどこかで見てる試験官が飛んでくるはずだぜ? どう見ても演習が続けられねえぞ、これ」


 カレンが口を挟む。エリカは暫し沈黙して考え込み、推測される事情を口にした。


「教育隊総監よりも、タカ派の政治力が勝った――あるいは、試験官役の兵員が予めタカ派の息のかかった人間で占められていた。そう考えると――」

「……ここにはもう試験官がいねェ、ってか?」


 言葉にしただけで、カレンの背筋に冷や汗が伝った。事実だとすれば最悪に近い。戦闘開始と同時に離脱、第七分隊は戦場に取り残されて奮闘するも玉砕――そのようなシナリオが立てられているという証拠は目の前の手紙一つだが、外務省情報部という情報確度の高い機関のエージェントから送られたものであるという一点が、彼女ら全員に残酷な真実を突きつけていた。


「私たちは、回戦直後の戦場に取り残された。生きて帰れば見事卒業、もしできなければ――」

「――名誉の戦死。第七分隊の銅像が建って、対アルタヴァ戦役の象徴に祭り上げられる……」


 エリカの言葉をアイリスが引き継ぐ。彼女ら二人の表情に恐れはない。将としての覚悟は既に固まっている。鋭く輝く瞳は言葉よりも雄弁にその意志を映して、薄暗い森の中でも鮮やかな光を放っていた。死んでから祭り上げられるなど絶対に御免である、と。


「……ってことは、アタシらのやるべきことは決まってるわけだ」


 補給物資に入っていたコンバットナイフを腰に提げながら、カレンは凄絶な笑みを浮かべた。彼女は戦争を深く知るわけではない。だが、人の血を流すことの意味はよく知っていた。


「可及的速やかにここからトンズラをかます。立ち塞がるやつは――全員殺す。何があろうと、全員だ」


 訓練では飽きるほどに繰り返した言葉――だが、実際のものになればその重みは段違いのものになる。ヴェーザー王国の国内でゲリラと戦った経験はある――が、実際に隣国の兵士を殺すとなればまた別の領域になる。

 隊長を任されたエリカは一歩前に踏み出し、全員の顔を見つめた。それぞれに抱く感情は違う。アイリスは研ぎ澄まされた剣のような覚悟、カレンには焼け付く殺意。オリヴィアは小銃を手に祈るように目を閉じ、テレサは唇を横一文字に引き結んで空を見つめ、ユイは恐れに耐えるように医療キットを握りしめている。

 だが、それぞれの胸には誇りがある。戦いに多少ばかりの恐怖を感じることはある――が、そこから逃げ出すことはなく、刃のように研ぎ澄まされた戦意は敗北を決して認めはしない。


「戦おう。アタシらは――全員で生き抜くんだ」


 カレンのその一言に続いて、再びの砲声が鳴り響く。理性を粉砕する雷鳴のような轟きであったが、それが少女たちを圧することはなかった。




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