第79話 陽動
作戦開始から三十秒で、少女たちは急斜面を駆け抜けながら実弾を再装填する羽目に陥った。監視施設の防護要員を模して配置された木製ゴーレムが多数猪突し、手にした木剣を振り上げるに至って、敵の排除あるいは陽動を担当するアイリス・カレン・オリヴィアの三人は、必死の逃走と反撃を試みるほかになかった。
「クソッタレ! 何匹追ってきやがった!?」
振り向きざまにカレンが発砲し、一体の腕を撃ち抜く。ゴーレムは木剣を取り落としたものの、人間を遥かに上回る強度の拳を振り上げて追撃を続ける。高度な命令を与えられていないためか、一部は地形を乗り越えるのに手間取ったが、疲労を知らない魔術人形の集団は、今にも三人の背中に触れそうなほどに距離を詰めていた。
「今の所五体! まだ来るよ――くらえ!」
素早くオリヴィアが応戦し、精密な狙撃でもって一体の額を射抜いて刻印を破壊する。瞬時に力を失ったゴーレムがその場に崩れ落ち、木片となって散る。数で勝り、なおかつ疲労も恐怖も痛みも感じない無敵の兵士を相手にまともに戦うことはできない。
「これ以上相手をしていたらやられる――アイリス、何かいい方法とか知らないかい?」
「いきなり言われても……来たっ!」
小銃を再装填しながらオリヴィアが問いを投げる。その間にもゴーレムの集団は彼女らとの距離を詰め、前進していた一体がオリヴィア目掛けて右手の木剣を振り下ろした――が、その一撃は、アイリスが繰り出した銃床打突によって食い止められた。鈍い衝撃がアイリスの手に走る。僅か一瞬のチャンス――だが、隣に立っていたカレンはそれを見逃さなかった。
「お礼だ、持ってけ!」
雷電の如く突き出した銃剣の切っ先が額の刻印を削り落とす。続けざまに再装填を終えたオリヴィアが発砲、後方から迫りつつあったもう一体を狙撃すると、それに蹴躓いた後続が連鎖的に転倒する。稼げた時間は僅かだったが、それでも何もしないよりはずっと良い。立ち上がろうとした一体の額を撃ち抜いて、アイリスはオリヴィアの問いに答えた。
「あれの命令構築はそれほど難しいものじゃないから、拠点から離れるか、想定されていない行動を取れば追ってこれなくなるはず――だけど、あまり距離を取りすぎるとエリカたちを援護できなくなる。うまく対処する方法があるとしたら、こちらに惹きつけてトラップで殲滅するってやり方だけど……オリヴィア、トラップ構築は可能?」
アイリスの言葉に、オリヴィアは深々と頷いて答えた。
「自力だと無理だけど、この周りに仕掛られてるブービートラップを私たちで使うことならできるはずだ。丸太を落とすタイプとか、落とし穴だったら僕たちで奪えるはずだ――都合がいいことに、あと少し走れば解除してきたトラップがまだ残ってる」
「なら、それを使えば――」
「やれるだろうさ。操作は僕が手動でやる――アイリスとカレンは逃げ回りながら、監視施設の周辺にいるゴーレムを誘引してほしい。全滅は無理でも、可能な限り破壊工作部隊から視線を逸らしたいんだ。一部は動かないだろうけど、可能な限りやってほしい」
「……分かった」
アイリスは小さく頷き、カレンも着剣した小銃をしっかりと握って賛同の意を示す。あくまで戦闘技能を評価する試験であり、ゴーレムも軍用術式こそ組み込まれているが、兵員を殺傷するほどの設定にはなっていないことは明白である――が、少女たちの心は、実戦と同じ昂ぶりを帯びていた。
「カレン、行くよ!」
「ああ、行こうかお嬢ッ!」
アイリスも手にしていた小銃に着剣――銃剣格闘の技量は並の訓練生を遥かに上回るだけのものを彼女は持っている。素手での白兵戦でこそカレンに軍配が上がるが、武門の娘として刀槍による戦技を叩き込まれたアイリスの戦闘技術をもってすれば、ある程度はゴーレムとの白兵戦にも対応は可能であった。
それは危険な選択である――が、彼女らはそれを敢えて選び取るだけの覚悟と勇気を持ち合わせていた。良くてその場で昏倒、最悪の場合は重傷を負いかねないと知りながら、それでも白兵戦を挑んで眼前の目標を撃砕する。
狂気に踏み込んだ蛮勇を持ちながら、冷静さをもって計画的に暴力を講師することが兵士の存在意義であると、激しい訓練の中で彼女たちは学び取っていた。明るく穏やかな語り合う日々を捨て去り、鋼鉄の武器を握りしめて弾雨の只中へと突入していく宿命を背負った者であるならば、その覚悟は銃や槍と同じく常に携えるべきものとなる。
「こっちだ、カカシども!」
派手に声を張り上げて、カレンが施設の周辺を警戒するゴーレム目掛けて発砲――彼女の射撃の腕前は決して悪いわけではないが、敢えて狙いをつけずに適当に撃ち込む。あくまで狙いは挑発であり、今も突入のタイミングを見計らっている工作部隊から警戒を逸らすための一つの手段である以上、精密な狙撃は必要でない。
『……!』
紅い魔力光を宿した隻眼がカレンを睨み、直後に半数以上が彼女目掛けて突進する。先頭に立っていた一体はアイリスの狙撃支援で破壊され、それに躓いた幾つかが巻き添えを食って斜面を転げ落ち、混沌の度合いを広げていく。
「いいタイミングだ、お嬢!」
「カレンもナイス挑発! あとは――」
二人揃って走り出しながら、視線はオリヴィアのほうへと向けられる。やや高い木の上、僅かな時間でその上に登ってトラップを制御するロープを掴んだ彼女は、にやりと笑って親指を立て、それからふたりの背後を指さした。
「……来てるぜ、お嬢」
「うん、来てるね」
「なあ、あいつら全員にボコられたら、アタシらどうなるんだろうな」
「死にはしないけど、病院送りかもね」
「やっぱそうだよな、なら――」
再装填を終えていたカレンが再度発砲、続けてアイリスも正確な狙撃を送り込む。それとタイミングを合わせるように、マスケット銃で可能な理論上の最大射程からオリヴィアがゴーレムの額を射抜き、立て続けの三連撃が木霊を成して林に響く。
『――ここで潰せるだけ潰しちまえ』
二人の声が重なり合う。十代半ばの少女にしてはあまりにも獰猛な――だが、彼女らが兵士として完成されつつあることを何よりも如実に示す声。仲間を守り、国を愛する兵士としての情熱が、迷いも躊躇いも焼き尽くす。
「トラップ直前で二手に分かれよう。オリヴィアの合図で行くよ、カレン!」
「了解だ、やってみせようじゃないか!」
張り出した木の根を跳び越え、銃剣で枝を打ち払う。枝先が頬を掠めて血が流れようとも、少女たちは止まらない。血を流すことになったとしても、何もせず敗北するよりはずっといい。七十日前は思いもしなかった――だが、今となっては当たり前の選択肢が、二人の目の前にある。
離脱の合図を兼ねた狙撃が、今にもカレンの背中を捉えようとしていたゴーレムの額を撃ち抜く。同時にアイリスとカレンは横っ飛びに回避――その瞬間、オリヴィアは武器を素早くスイッチ――小銃をスリングで肩に掛け、右手は銀色のタクティカルナイフを抜いていた。
「詰みだ」
鋭い斬撃がロープを切断し、弾かれるように打ち出された丸太がゴーレムを一撃に薙ぎ倒し、砕かれて打ち倒された前列に躓いた後方の集団が、同時に設置されていた落とし穴へと叩き落とされる。材木の山を派手にひっくり返したような騒音――それを前にして、オリヴィアの顔に笑みが浮かぶ。彼女はナイフを手の中で一回転させると、二本目のロープを素早く切断し、落とし穴で立ち上がろうとしていた一団に丸太をもう一本叩きつけた。
その様子を見ていたアイリスとカレンは、オリヴィアの見事な技に拍手を送った――が、カレンは不意に真顔になり、額に冷や汗を浮かべた。
「……なあ、お嬢」
「何かな」
「アタシら、オリヴィアが居なかったらアレを食らってたんだよな?」
「理論上は」
「……死んだんじゃね?」
「……」
アイリスは黙り込み、今も土埃を上げる落とし穴を見た。その数秒後、激しい銃声が監視施設の周りに響く。工作部隊の襲撃――陽動と制圧にはひとまず成功したが、時間が余っているわけではない。最後の一撃とばかりにオリヴィアは手榴弾を一発穴に投げ込み、小銃を手にして素早く木から飛び降りた。
「行こう。エリカたちを支援するんだ――まだ、演習は始まったばかりだからね」
――最終試験開始から三時間あまり。少女たちの戦いは、ようやく幕を開けた。




