第77話 境界は近く
出発から丸一日、遠乗りに慣れていない第七分隊の少女たちは、困憊しながらも試験予定地――とされているはずの地域に到着した。国境からやや近く、西側に山脈を望む平原地帯である。時折彼女らは警戒作戦を展開する兵士とすれ違った。いずれも兵員は完全武装しており、その中には重甲冑と小銃で武装した重騎兵隊の姿もあり、国際関係が緊迫していることを否応なしに少女たちは思い知る事となった。
「クッソ、ケツと腰が痛ェ……」
カレンが呻きながらユニコーンから降り、その場で深く息を吐いて目を閉じる。隣に居たユイは心配そうな表情を浮かべながらも、鞍の後ろにつけていたファーストエイドキットの中から緑色の軟膏が入った小瓶を取り出してカレンに手渡した。
「これ、少し塗ると楽になるよ。色々持ってきたんだけど、どうかな」
「ありがとよ……演習中に怪我したら頼むぜ、ユイ」
人差し指で軟膏をすくって腰に塗りつけると、カレンは鞍に括り付けていた小銃を外して肩に掛けた。時刻は夕方五時――既に日は落ち始め、宵闇があたりを包みつつある。通常の部隊からしてみれば、お世辞にも作戦行動には向いていない――が、彼女らは特殊部隊であり、夜間の越境浸透作戦も作戦のうちに入っている。
隊長を任されたエリカは馬上で辺りを見回しながら、手にしていた地図を開いて地形を確認――集合地点に誤りがないことを確かめた。国境からそれほど距離はない。万が一の事態が起きれば、そのまま戦闘に雪崩れ込むこともあるかもしれない――そう思ったエリカは、腰の革袋に収めた弾丸と、油紙に包んで二重包装を施した火薬にそっと触れた。
使うことがあるかどうかは分からないが、念の為火薬類は常時携行している。万が一実弾を発射する機会があるとすれば、それは国境で何らかの不測の事態が発生したときだ。戦闘訓練は受けており、通常戦力が相手ならユニコーンの機動力で打開することはできる。だが、第一撃が軽航空部隊の第一陣としてよく投入されるグリフォンあるいはペガサス、万が一にも戦略兵器として取り扱われるドラゴンであったならば、その時点で地上を這うことしか出来ない彼女らは即座に遁走するか、一方的な航空攻撃に蹂躙されることになる。
(……ここしか場所がなかった? あるいは……)
他の分隊がどこで最終試験を受けているのかは分からない。だが、彼女らが置かれている環境は明らかに異常であった。ヴェーザー王国の領土とはいえ、国境に近い場所で新設される最精鋭部隊の訓練を行えば、必ず角が立つ。王国側にそのような意図がなかったとしても、部隊の動きは挑発として捉えられかねない。
(……アルタヴァ共和国側が、私たちの存在を甘く見ている……?)
考えられない話ではない。部隊を新設することは既に軍でも広く知られているし、それらの噂はアルタヴァ軍情報部にも流れていることだろう。当然ながら諜報員が監視を続けているであろうし、部隊が一斉に姿を消したとなれば、それは野外訓練か演習のためと見て間違いなく、なおかつ各地の演習場周辺に展開している連絡要員から連絡があれば、どの地域の演習場で訓練を行っているのかも解明できる。
もしそうであるとするならば、アルタヴァ側が何のアクションも起こさないのは不自然である。武力行使には至らずとも、非正規越境部隊あるいは特殊コマンドによる偵察行動を行うであろう。
もっとも、ヴェーザー王国側の防諜がそれを許すほど甘くないことはエリカ自身も知っている。ユニコーンで一直線に駆け続ける間も、彼女は周りに護衛らしい兵士が度々現れるのを確認していた。それも普通の兵員ではなく、軍用のコートの下に白い法衣を纏い、戦闘用に偽装されているものの、特殊な聖句や魔法刻印の施された大型メイスを手にした者たち――軍魔道士と呼ばれる、最前線で白兵戦と魔導戦を敢行する陸軍の精鋭であった。
もちろん、高度な偽装を施している関係上普通の兵士に見破れるものではない。軍事に関して深い造詣を持つエリカでなければそれを看破することはできなかったであろう。身体強化魔法と防護魔法を纏って前線へ突入する軍魔道士は、聖なる刻印を刻んだ武器を持っている――それだけは知っていたからこそ、彼女は現在自分たちが尋常ならざる状況に置かれていることを察することもできた。
(今のところは何も起きていないみたいだけど……もし何らかの「政治的意図」があったとすれば、私たちは――)
嫌な予感が思考を支配する。精鋭部隊の卒業試験が一触即発の国境地帯で行われる――明らかに尋常の事態ではない。今もヴェーザー王国が送り込んだ軍魔道士が周囲を警戒しており、アルタヴァの特殊コマンドはそれを遠巻きに見ているかもしれない。そう思うと、彼女は腕に鳥肌が立つのを感じた。
嫌な予感を振り切ろうと首を振って辺りをもう一度見回すと、エリカの視界に一頭の軍馬が駆けてくるのが見えた。背中にはヴェーザー王国軍の軍旗があり、軍が送り込んだ急使であることはひと目でわかった。
急使はエリカのもとに駆けてくるとそこで馬を止め、彼女に向かって一枚の作戦文書を差し出した。エリカがそれを受け取るやいなや、一言も交わすことなく平原の彼方へと消えていく。必要以上に言葉を交わしてはならないと命じられているのだろう、と考えたエリカは、全員をその場に集めて受け取った作戦文書を開いて、途端に表情を渋くした。
「……これが試験内容よ。作戦目的は……山岳地に設置された目標全ての破壊と、西側地域への騎馬による越境。ならびに、投下された物資の回収と、ダミーを用いた負傷者の救助訓練。ついでに、敵を阻止するための阻塞障壁を設営してから帰る……ややこしいわね、厄介な内容がてんこ盛りじゃない」
アイリスは作戦内容を横から覗き込み、エリカと同じように渋い表情を浮かべた。
「目標の破壊と越境はそれほど時間を取らないし、阻塞障壁の設営はテレサがいるから大丈夫。けれど、物資の回収と負傷者の救助を全部時間内にするのはかなり難しいと思う。エリカはどう思った?」
「それでも、やらないと卒業できないのが問題点ね。負傷者のダミーはだいたい想像がつくわ。持って帰らなかったり、荒っぽく扱ったりしたら即落第ってやつのはずよ。誰かの鞍の後ろを開けておくか、荷馬車か何かを現地で組み立てないといけないわね……」
アイリスとエリカの間で話が進んでいき、兵員一人ひとりに仕事が割り振られる。といっても、一人で全てのタスクを負うわけではない。目標の破壊は山岳での作戦技術に優れたオリヴィアが主導し、阻塞障壁の構築は建築に心得があるテレサが行うといった具合で作戦が進められる。
「かなり厳しいけれど、出来ないわけじゃない。余裕がある作戦にはならないけれども……それでも、全員が力を合わせれば乗り切れるはず。あとは――」
国境で何も起きなければ、という一言をエリカは飲み込んだ。自分は隊長として全員の命を預かる立場にある。不用意な発言は避けなければならない。
「――私たち一人ひとりが、どこまで自分の力を磨いてきたのかが試されるだけよ。全員、気を引き締めていくわよ!」
『了解!』
全員の声が重なり、一斉に騎乗した少女たちが目的地の山岳地帯へと駆けていく。攻撃目標のうちいくつかは地図上で指示されているが、そうでないものも幾つかある。訓練装備には爆薬が含まれており、試験では四ヶ所の目標を破壊することになっている――が、それらのうち、明確に示されているのは二ヶ所までだった。残り半分については、自力で見つけ出して爆破処理しなければならない。
それに加えて他の任務もある。作戦想定では、敵支配下の山岳に派遣された前哨部隊の一部が敵の攻撃を受けて負傷、そのまま遭難し任務を続行不可能となり、それらの部隊が行うはずであった敵観測拠点ならびに前進集積所を爆破、負傷者を救出の上、敵を遅滞する阻塞障壁を指定された進行ルートに設置、そのまま山岳の向こうへと抜けて脱出する――実戦であればそのような任務となるであろう内容が、エリカの手元の命令書にはあった。
間違いなく厄介な任務ではある。だが、彼女は一人の指揮官としてこれを成功させるつもりでいたし、そうできる自信もあった。第七分隊の作戦遂行能力はもとより高く、それぞれに専門分野を持つ兵員ばかりで構成されているため、他の部隊では手も足も出ないような状況にも対応できる。陣地の構築といった難しい問題に直面しても対応できるという点では、他の部隊をはるかに上回っている。
(最終試験自体は乗り越えられるはず。けれど、国境という一点だけが気にかかる……)
遥か東の彼方――アルタヴァ側の国境に視線をやる。にらみ合う軍勢こそ見えないものの、不可思議なプレッシャーがエリカにのしかかっていた。それを察したのか、隣についていたアイリスが心配そうな表情で彼女の顔を覗き込んだ。行きの道すがら、なし崩し的に副隊長のポジションに収まってしまった――が、その役割はアイリスにとって適職であった。
「……エリカ? 何かあったの?」
「何もない、とは言えないわね。貴女も分かっている話だと思うけれど……演習地域が国境に近すぎる。まるで、何か政治的な意図があるみたいに」
「……」
その言葉にアイリスは黙り込んだ。エリカと同じく、演習地域が国境に隣接していることについて多少ばかりの疑問はあった。国際情勢が緊迫する中、何らかの思惑が働いた結果そうなったとしても不思議ではない。
「……警戒すべき、かな。判断はエリカに任せるけれども――」
アイリスの手が、小銃のストックに触れる。いつ戦争が勃発しても不思議でない国境近辺での演習――それは、弾薬庫の周りで松明を持って踊るに等しい行為にもなり得る。
彼女らの行為が挑発と捉えられることがなくとも、偶発的に戦闘が勃発し、その火の粉が飛んできて第七分隊にまで降りかかるということは十分に考えられる。それを理解し合える二人が指揮を執っているからこそ、第七分隊は戦闘単位として機能する。アイリスはエリカと視線を交わし、険しい表情で呟いた。
「――その時が来たら、私たちに迷っている余裕なんてない。戦うよ、エリカ」




