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第75話 拳を交わしてわかること

 ――拳を合わせなければ分からないこともある。

 どこかで聞いた一言の意味を考えながら、アイリスは練兵場で訓練用のグローブとフェイスガードを身に着けていた。一日で行われる戦技試験の種目は二つ――射撃術と格闘術。それ以外に、細かな知識を問われる座学の試験があるが、彼女にとって最大の関門は午後に控えていた格闘術であった。

 もとより剣術をたしなみ、動体視力と反射神経には多少ばかりの自信は持っている。第七分隊という傑物揃いの中にあっては単純な腕力こそ下位にあるものの、訓練生全体で見れば十分な水準に達している。

 もとより殴り合いの経験が少ない少女たちの中にあって、武術の心得があるアイリスは、こと回避ということにおいては相当のアドバンテージを持っている。攻撃を見切って受け、剣術の応用で手刀を叩き込む――教官の教え通り、その一撃には何の容赦もない。事実、防具がなければその場で失神していたとしてもおかしくないほどの痛打である。

 三度の対戦で立て続けに二人を打ちのめしたことに対して、アイリス自身にも若干ばかりの達成感が生まれつつあった。自分は戦える――その実感は確かに胸の中にあり、この訓練を乗り越えた先に自らの目指す戦士としての道がある。そう思って三本目の相手と向き合ったとき、彼女は思わず目を見開いてその場に立ちつくした。


「二勝目で調子のいいとこ申し訳ねェが……お嬢、恨むンなら、アタシじゃなくってくじ運だ。ちょいと痛い程度で済ませるように気をつけるが……」


 明るい色の髪をかきあげて、眼前の対戦相手――カレンは布を詰め込んだグローブを何度か握っては開き、興ざめである、といった表情を浮かべて首を振った。こんなものを身に着けていては本気になれないと言わんばかりであったが、やがてふっと息を吐いて僅かに腰を落とし、右半身を軽く引いて身構えた。拳打、蹴撃、あるいは投げ技――どれにおいても、カレンの戦闘能力はアイリスを凌駕している。


「残念だが降参はナシってルールになってる。構えな、お嬢。まあ死にはしねェって」


 訓練において、アイリスは何度となくカレンと拳を交えてきた。それだからこそ分かる――本気の一撃を見せたことは、実戦の場を除いて一度もない。それは彼女の拳が一撃で敵の命を刈り取るためのものであり、受けた者を確実に絶命させるだけの破壊力を秘めているが故である。

 別段、訓練だからといってカレンが手を抜いているわけではない。訓練において発揮できるだけの打撃力いっぱいの攻撃でもって応じ、彼女は自らに挑みかかる全てを打ち倒した。十五歳にして、人間を絶命させる威力を誇る格闘術を身につける――そこには何らかの事情があるということは、アイリス自身も十分に理解していた。

 だが、その背景までは問おうとはしない。ここにいる限りは兵士として平等であり、なおかつお互いの過去について干渉してはならないという暗黙の了解があった。縁談を破棄した貴族に連れ戻されそうになったアイリスはともかくとして、第七分隊の仲間の間でも、必要以上に相手の事情に立ち入らないことが当たり前になっていた。

 相手の心の中にまで踏み込む必要はない。深入りせずとも、お互いに心を通じあわせて戦うことはできる。だから、アイリスもカレンがどのような事情で格闘術を極めたのかを追及することはない。何らかの想像はつく――もとより治安の良くない街で育った彼女であれば、自分の拳を除いて頼りになるものが何一つ無いという状況もあったかもしれない。だが、それをわざわざ言葉にするのは、相手の心に土足で踏み込むに等しい。


(カレンがどうして強いのかは分からない。けれど――)


 左腕を垂直に立て、右腕を軽く引いてアイリスは身構える。どのような攻撃が入るのかは分からないが、彼女の第一撃が凄まじく速く、なおかつ重さのあるものであることをアイリスは身をもって知っている。訓練で繰り出せる程度に加減をしていても、腕が折れたかと思うほどの凄まじい攻撃を受けることになる。


(――その強さを見ているから、私は胸を張って戦える! 前に出るんだ!)


 受けに回れば猛烈な連打を浴びる――そう判断したアイリスは、開始の合図とともに一気に大地を蹴って前方へと突出。思い切りのいい動きを前にカレンは一瞬だけ驚きの表情を浮かべたが、すぐにふっと笑みを浮かべて、両腕を大きく振って弧を描いた。


「そういうのは――」


 ごく僅かな動きではあったが、それだけでカレンは蹴り抜いた右足に凄まじい加速力を与えた。防具を身に着けていなければ肋骨を蹴り砕くだろう一撃――たとえ防具で守っていても、頭に受ければ頭蓋を割りかねない。そのような猛烈な蹴りを繰り出しても、カレンは微笑みを浮かべていた。


「嫌いじゃないぜ、お嬢ッ!」


 飛び込んできたアイリスを迎撃するかのような蹴り――それを読んで、アイリスは咄嗟に姿勢を低くしてスライディング気味にカレンのもとへと突入する。横っ飛びに回避はしたが、その僅かな瞬間ですら近接戦闘では致命的な隙となる。蹴りは大きく空振ったが、カレンは左腕をさらに後ろにスイングして空中に飛び上がり、軽業じみた動きで左の回転蹴り――アイリスは持ち前の動体視力でそれを回避。

 だが、カレンの攻撃はそれだけでは終わらない。地面に降り立つ直前、彼女は両手の指を組んでハンマーのように固めると、雷撃もかくやという勢いでアイリスに向かって叩きつけた。咄嗟に左腕でガード――だが、その一撃で左腕が痺れて動かなくなる。


(なんてデタラメな……!)


 空中からの連続技――一つ一つの動きは当たり前の白兵戦技能だ。突撃に合わせたカウンターの蹴りも、そこから派生する打撃の連続技もそれほど複雑なものではない。ただ、それらを誰よりも速く、なおかつ空中でやってのけたカレンの技量の高さは驚嘆に値するものだった。

 それらは訓練で見せた技ではない。恐らくは限りなく実戦に近い攻撃――最低限、殺さない程度に工夫を加えられてはいるものの、下手に受ければ軍医の世話になって治癒術士に囲まれて折れた腕を魔法で治されるだろう。いくらすぐに治るとはいえ、あまり気分のいいものではない。

 どうにか衝撃を受け流しつつ、アイリスは眼前に迫ったカレン目掛けて牽制の右ストレート――それはあっさりと横に弾かれ、続けて素早く払った右足払いが彼女の足首を捉える。転倒こそしないものの攻撃の手が緩む――そこに右アッパーが跳ね上がるように入り、顎を狙った掌底打ちとなって襲った。

 どうにか首を引いて回避――同時に、アイリスは両手を胸の前で組んで押し出すようにカレンの胸を突いた。同じ技をカレンが全力で放てば肋骨を割って肺を破裂させていただろうが、アイリスの一撃は軽くカレンを押し出すに留まった。僅かに距離を取り、立て続けに振るわれた左フックから逃れる。

 鼻先を拳が掠めた瞬間、アイリスは再び前へと突進――右の手刀を高々と振りかぶる。サーベルよろしく打ち下ろした一閃をカレンは真正面から左腕で受け、ふっと笑みを浮かべて一言呟いた。


「良い技だ、腕が痺れたぜ――これで対等だ、お嬢」


 実際効いたのか、カレンの左腕が力を失って垂れ下がる。折れたわけではないが、少なくとも試合中は使い物にならないことは明らかだった。一撃でもカレンに当てた――訓練でも片手で数えられる程度しかなかった有効打である。アイリスは未だに痺れたままの左腕に軽く触れて、カレンに笑いかけた。


「……なら、ここから先は」

「――一本腕同士で、殴り合いってことさァ!」


 爆発的な突進――カレンが今までに見せたことのない勢いで前方へと跳躍し、アイリスに肩から体当たりを試みる。アイリスは前蹴りでそれを迎撃――だが、カレンは右手一本でアイリスの足首を捉えると、持ち前のすさまじい膂力でもって攻撃を食い止めるばかりか、半ばその場にねじ伏せるような格好に持ち込んだ。


「っ……!」


 背中から地面に打ち付けられたアイリスは、唯一自由に動かせる左足を振りかぶり、右手を掴み続けるカレンの手首目掛けて踵を打ちつけた。流石に効いたのか、カレンは痛みに目を見開いてバックステップ――アイリスが追撃に移ろうとしたところで、水平に腕を薙いでそれを抑止する。手首を負傷したのか、カレンの得意とする痛烈な打撃はない。


(やられた――でも、右手は潰した!)


 朦朧としそうになる意識を繋ぎ止め、アイリスは素早く起き上がって身構える。ノックアウトというほどではないが、カレンの攻撃は強烈だった。右手一本で脚を取り、そのまま地面に叩きつけるだけの技術と膂力――それでも、相手を殺さない程度に加減はしているとなれば全力の彼女の尋常ならざる技量が窺える。

 だが、対するアイリスも今や素人ではない。一発をまともに受けながらも、さらにカレン目掛けて突進――あまりにも真っ直ぐな攻撃を前にして、カレンはふっと笑ってそれから瞳に鋭い光を宿した。


「流石だな、お嬢――」


 とん、と一歩踏み込んでカレンが前に出る。両手は打撃の役に立たず、その状態で踏み込むことは蹴り技のリーチを殺す行為でもある。一本取った――そう思ったアイリスは、力を込めて右の拳を引いた。


「真っ直ぐで、勇敢で、アタシには真似できねェ――でもな」


 アイリスの眼の前で、カレンは腕を曲げて肘を突き出し、大地を踏みしめてアイリスと接触した。痛烈なストレートが左胸を撃ち、肺から空気が絞り出される――が、カレンはお構いなしに前進を続けて、雷電のような肘打ちをアイリスに叩きつけた。クロスカウンターじみた一撃を前にアイリスが吹っ飛び、土煙を上げて背中から落ちた。


「アタシだって、負けたくねェ。お嬢が強いって知ってるから、なおのことだ」


 アイリスの視界に火花が散る。あまりにも強烈で鮮やかなカウンターを受け、彼女はあっさりと意識を手放した。世界がモノクロに染まる直前、彼女の感覚が最後に捉えたのは、凄まじい攻撃を――無意識の内に半ば演習の域を超えてしまったカレンの声だった。


「――本気を出させやがったな、お嬢。こいつは借りだ……参ったぜ」


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