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第73話 戦争の裏側

 少女たちが訓練に励み、太陽の下で槍を振りかざすのと同時刻――王城に隣接する陸軍省本部庁舎に設けられた地下司令部に、軍服を纏った数名の将校、そして彼らを前に薄笑いを浮かべている文官たちの姿があった。

 いずれも猛烈な主戦派――アルタヴァ共和国との決戦に対しては、軍や外務筋の大部分が既に賛同を示している。即時決戦で直ちに敵を打撃するべきであるとするタカ派と、十分な戦闘準備が整うまで外交によって状況を引き伸ばしつつ有利な土壌を作り、ごく短時間の打撃戦を展開して共和国を崩壊させようという「戦闘的ハト派」――この二種類の違いこそあれども、王国の意思そのものに戦争を回避しようという意図はない。

 だが、この場に集まった者たちはタカ派の中でもさらに過激な――ある種の異端と言える集団であった。軍人はいずれも佐官以上、文官についても高等書記官といった、軍事と政治の両面において実務を動かすトップ集団が揃っている。

 陽の光が全く差し込まず、地下特有の冷たさを帯びた空気が流れる司令部を照らすのは、ごく僅かな魔石灯の光のみである。ランプのような熱を感じさせるものではなく、ある種発光生物にも近い儚い光である。青みを帯びたその光は、場の空気をより一層冷たいものとして演出していた。

 その場には十人ばかりの姿がある――が、誰も目を合わせようとせず、ただうつむいて各々の席についた。険悪な雰囲気というわけではなく、ただこの場において無用な口を利くことが得策でないと分かっているからこその沈黙である。

 なおかつ、この場に集まった時点で彼らの間には既に一定の合意があった。彼らの集結は意見が一致していることの最終確認であり、これから実行されるであろう計画において、一人の裏切り者も存在しないことを確約するための行為であった。

 全員が席に着くと、その中の一人――ほぼミイラに等しいほどに痩せこけた、だが瞳には野獣のような光を宿した男が最初に口を開いた。


「全員集まったということは、誰も裏切らなかったということでいいな? 『炎の劇団』の諸君?」

『……』


 返答は沈黙である。敢えて言葉にするまでもない――既に彼らの中で結末は決まっている。これから導くべき戦いの未来を、自らの手で「演出する」ためにここに集まった。彼らの目的は唯一つ――迅速に、そして破滅的にアルタヴァ共和国軍の「先制攻撃」という状況を作り出すことにあった。

 戦線布告には口実が必要である――が、その方法は古来より大きくは変わっていない。国境地帯で軍事演習などの挑発行為を行い、相手の攻撃を誘う。あるいは自作自演――国境に敵の野砲が並んでいる前で自軍の爆薬を起爆し、誰かが「敵が撃ってきた」と叫べば最後、その時点で現場部隊は凄まじい乱戦に雪崩れ込む。そうした方法は実に古典的であり、戦争におけるある種のお決まりの形になりつつあった。

 彼らの目的も似たようなものである。国境には軍が常時展開しており、野砲を向けてにらみ合う状態が続いている。それはアルタヴァに共和制が成立し、介入戦争を仕掛けたヴェーザー王国が敗北して以来変わらないが、緊張が長引けばそれはある種の弛みも生み出す。

 国境はゲリラ・コマンドの侵入や散発的な砲撃戦が繰り返されてきた緊張地帯である。しかし、そうした戦闘は多くの場合形式的なものにとどまり、示威行為以上のものとなることはさほど多くはなかった。政治的目的――多くは指導者が軍事においてアピールを必要としているとき、それを達成するためにアルタヴァ側から少数の砲撃が放たれ、それに対応したヴェーザー側の反撃で互いに僅かな死傷者を出すのみであったし、ゲリラ・コマンドの侵入も近年は減少し、アルタヴァ側が軍事キャンプを提供してヴェーザー国内の共和主義者を「教育」することによって生み出されるテロリストへの対応のほうが、王国政府にとっては急務であった。

 それ故、最前線であるはずの国境地帯には「本格的な戦闘など始まらない」という油断があった。戦闘はいつもの散発的なもの――アルタヴァ国内のガス抜きに政治利用される派手な「火力演習」程度のものに収まり、王国政府も反撃を命じてアルタヴァとの決戦機運を高めはするものの、最終的な行動に出るのはまだ遠いと、現場の兵士たち、そして指揮官たちですら考えている。

 だが、それは迅速なる決戦を望む主戦主義者たちにとって大きな障害となる。戦闘的な世論を維持するために散発的に繰り返される空虚な衝突に慣れた者は、本格的な戦争を始める上では有害である――その結論に達した一部主戦派分子たちは、最終的な行動を起こすに至った。最初に口を開いた痩せた男は、全員を見回して言葉を続けた。


「……アルタヴァ軍に潜入させた工作員との連絡は取れた。政治犯として収容されている家族の特赦を餌にすれば、自分の命すら投げ出すと言ってきた。あとはそいつが大砲を弄り、同時にこちらの軍の物資を、中身のない戦いに慣れきった腰抜け共諸共に自爆させる。それだけで、我々は望んだ戦争を手に入れられる」

『……』


 やはり返事はない。だが、その言葉を発した男は満足げな表情を浮かべて頷き、最後に一言、全員に対して呼びかけた。まるで神託を受けたような恍惚に包まれながら、男は一歩前に踏み出した。


「これは確かに暴挙ではある。しかし、変化とはもとより暴力性を帯びるものだ。我々の行動は大地に埋もれ、いかなる慧眼を持つ歴史家にも語られないだろう。だが……歴史の歯車を回し、祖国に勝利を、そして醜悪なる共和主義に終止符を打つため、我々は行動しなければならない」


 拍手喝采の類はない。ただ、死へと繋がる静寂だけが辺りを包んでいる。その場の全員が身じろぎもせずじっと座ったまま、痩せた男の最後の言葉を待っていた。敵国の軍に工作員を送り込んで発砲させ、味方を犠牲に自作自演の攻撃を演出する――狂気に帯びた計画が、今始まろうとしていた。


「……祖国に立ちはだかる全てを打ち倒し、ヴェーザー王国の威光を天地に示すため、我々は直ちに前進する。本時刻をもって、我々は偽りの平和も、空虚な戦争も打ち捨てて真実の闘争へと突入する――以上だ」


 その言葉を合図に全員が立ち上がり、もと来た扉の向こうへと消えていく。最後まで残った痩せた男――陸軍省所属の高等書記官、カイル・リューテックは一度だけ地下司令部を振り返り、そして扉を閉ざし出ていった。その表情に迷いはない。彼は文官であるが、瞳に帯びる意志の光――その大部分は狂気に彩られていたが、突き刺すような輝きは並の軍人を圧倒して余りある。


「……」


 驚くほど痩せて瞳には狂気が満ちているが、決して病的な雰囲気を纏っているわけではない。倫理を持った人間としては確実に壊れつつあるものの、彼の精神を構成する狂気のパズルは、驚くほど正確に切り出された論理のピースで組み立てられていた。冷静に、かつ穏やかに――高等書記官、カイル・リューテックは狂っていた。その狂気を下支えする骨組みは、圧倒的な知力と国際政治に対する分析眼にある。

 彼はしっかりとした足取りでそのまま陸軍庁舎の表層階に出て、静かに裏口から抜け出そうとした。軍部庁舎に裏口があることはそう珍しいものではない。その大部分は一般には秘匿されており、緊急時に将官が脱出する際の経路として用いられる――が、カイルは途中で足を止め、通路の先に視線をやって低い声で呟いた。


「……何をしている」


 声には確かな敵意――否、殺意があった。羽織ったロングコートの袖口に隠したナイフに手が伸びる。だが、それに先んじて拳銃の撃鉄を起こす音が通路に響いた。


「何、ときたか。カイル――お前こそ、何をしていたんだ?」


 声の調子そのものは軽い。だが、歩み寄る足音には押し潰すような壮絶さが込められている。一歩一歩が立てる音が殺意を帯びて広がり、相手の顔をはっきりと視認したとき、カイルは緊張に表情を強張らせた。そこにいたのは彼の兄――外務省調査局に属する、ハウラー・リューテックその人である。ハウラーは拳銃を弟の額に向けたまま眼を細め、淡々とした口調で語りかけた。ハウラーの視線は肉親に向けるものというよりも、テロリストやスパイに向けられるものに近い。


「軍で怪しい動きがあると聞いていてな。悪いが、ここで待ち伏せさせてもらった。外務省の一部も妙な動きをしているおかげで察知できた。もう一度問おうか、何をしている?」

「くだらん会議だよ、ハウラー。似たようなことはそっちでもあるだろう」

「タカ派より更に右、主戦主義者と熱狂的な国粋主義者ばかりが十人あまり。何の会議かと疑いたくなるのが道理だ」

「何のことかな。私は――」

「嘘は良くない。三才のときに教えただろう」


 ハウラーの人差し指がトリガーに掛かる。同時に、カイルは袖口から毒を塗りつけたコンバットナイフを抜いていた。兄弟ではある――が、自らの属する組織の論理が肉親の情に優先するほどの人間でなければ、諜報員など務まるものではない。


「カイル、やめておけ。私のほうが射撃は上手い」

「どうかな、ハウラー」


 数秒間睨み合いが続く――が、二人は不意に武器を下ろした。ハウラーは目つきを鋭くして横に退き、カイルを通らせる。


「……何のつもりだ。それほど甘くはないだろう」

「……気まぐれだ。行け」


 暫しの間、兄弟は鋭い視線を向けあったが、カイルはやがてナイフを収め、そのまま前に踏み出して歩いていく。ハウラーは拳銃を懐に収めてそれを見つめ、ふっと笑って再び懐へと手を戻したかと思うと、目にも留まらぬ早さで拳銃を再び抜いた。


「……そう、気まぐれだ。だから、こういうこともする」


 地下通路に轟音と閃光が突き抜け、カイルの背中に弾痕が穿たれる。一歩を踏み出そうとしてそのまま血溜まりに倒れた弟に視線を向けて、ハウラーは表情を歪めた。


(これは外務省のプランではない。今となっては色々と遅いが、間接的になら状況を動かす方法はある。例えば――そうだ。あの部隊ならば、あるいは)


 何が起きようとしているのか、ある程度の予想はついている。だが、ハウラーにそれを阻止する術はない。暫し彼はその場で考え込んでいたが、逡巡は十秒もしないうちに終わった。彼は弟の死体には一瞥もくれず、薄暗い通路を駆け出していった。


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