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第70話 失いたくないもの

 訓練開始から五十日目――長く続いた基礎戦闘訓練は、最後の詰めの段階に入りつつあった。最初こそ不慣れだったユニコーンへの机上は見違えるほどスムーズになり、槍を手にしての突撃も様になりつつある。その様子を見たベアトリクスとリーアは、笑みを浮かべて少女たちの訓練を眺めていた。


「どいつも動きがいい。乗馬経験のないやつも多いが、そこは高位幻獣だ――乗り手が不慣れなら、そちらの癖に合わせつつ動いている。見事なものだよ」

「ええ。ウジ虫呼ばわりできるのも、あと二十日まで――うまくいきそうかしら?」

「訓練日程を圧縮した割には、な。予定では、タカ派の動きに合わせて規定の八割程度の習熟で即時配備となったところだが……九割まではどうにかなった。あとの一割の不足は、あいつら自身の勇気で補うしかない」


 槍を構えて突撃しレーン上の標的を刺突する訓練生たちの動きを見ながら、ベアトリクスは満足げに頷いた。


「ユニコーンそのものの優秀さも勘定に入れれば、もう並の騎兵部隊を遥かに超えている。機動運用可能な騎馬特殊部隊――条件付きだが、そう名乗らせてもいいはずだ」

「……問題は、外交の行方ですわね」


 物憂げな表情を浮かべて、リーアは手元のメモ帳に視線を落とす。新聞から書き写した国際情勢に関する報道――それに加えて、偶然に持ち込まれた外務省の内部資料から、もはや隣国アルタヴァとの開戦に一刻の猶予もないことは伝わっていた。

 具体的な時期までは分からない――が、以前からヴェーザー王国の共和主義者に対して軍事キャンプを提供し、国内にテロリストを解き放っていたことは外交上致命的な問題であり、それを間接的な軍事侵略であると見做せば、即時報復の武力攻撃もあり得た。

 そうならなかった理由も断じて穏やかなものではない――ハト派といっても、その本質は単に「即時攻撃を望まない」だけであって、攻撃そのものに反対しているわけではない。武力行使までの下準備を重ねるために見かけだけの外交交渉で状況を引き伸ばし、攻勢準備が仕上がったところで全力を投射して敵を蹂躙する――もはや開戦は避けられない状況にあった。


「間違いなく、こいつらは第一陣を切ることになる。技術を叩き込むことはできるが、心構えはどうにもならん。もっとも、二度に渡って実戦を経験した連中ではあるが。撃たなかった者も多いが、戦いの雰囲気そのものは分かるはずだ。少なくとも、誰かが命を落とさなければ……という条件が付くがな」


 その言葉には、隠しきれない痛みが滲んでいた。それは実戦を生き延び、少なからず戦友の死と向き合っていたが故であった。本格的な国家間の武力衝突には至らないものの、一触即発の事態――ゲリラ・コマンドの侵入や、国内で活発化しつつある共和主義ゲリラとの交戦の機会は何度もあり、騎兵部隊に属していたベアトリクスとリーアは、その中で戦友を失ってきた。

 そして――彼女らとて、生まれたときから鋼の心を持つ戦士であったわけではない。十代半ば、友情が強い意味を持つ少女期を経験してきている。その中にあって戦士として死と向き合わなければならない重圧がどれほどのものか、理解できないわけではなかった。


「……誰かが死ねば、崩れると?」

「かもしれない、というだけのことだ。もちろん、連中が戦友の死を乗り越えられないと言っているわけではない。だが考えてみろ――六人一組の分隊に、いつもの一人がいない。それがどれだけの痛みをもたらすのか。同じ訓練を受け、家族にも等しい密度で過ごしてきた者の命が失われたとき、心に傷を負わずにいられるか……」

「それは……兵士の宿命ですわ」

「そうだな……リーア、貴様はそうかもしれんし、私もそう思っている……だが、あいつらの顔を見てみろ。十年前の私たちと同じ、ただの少女だ」

「十年前はそうでなかった。けれど……今は彼女らに頼らなければならない時代ですわ」


 リーアの声はある種の諦観すらも帯びていた。十年前――ベアトリクスとリーアが軍に入隊する以前は、まだ共和主義者の活動も活発ではなかった。共和制アルタヴァとの外交交渉も模索されている最中であり、開戦など夢にも見なかった。

 事態が急変したのはここ五年のことで、アルタヴァ共和国は軍事キャンプを公然と設置、ヴェーザー国内の反王政主義者に対してレジスタンス訓練と称して破壊活動や非正規戦に関する訓練を行っては国内へと送り返し、度重なる間接的侵略を行ってきた――が、公式の場においてはそれを明らかとはしていない。ただのらりくらりと時間を稼ぎ、曖昧な返答に終止するのみであり、その間も訓練を受けたゲリラ兵が「逆輸入」される事態が続いた。

 ユニコーン隊の発足もそれに応じてのことである。国内の治安維持と対外戦争の両面に機動的に対応でき、以前とは別次元の領域で作戦行動を実行できる部隊――それを求めた結果、訓練に対する適応性に優れた十代の少女たちを選抜、ユニコーン騎兵として育て上げて特殊部隊として運用するという結論に至った。

 もっとも、彼女らの早期投入は最初から検討されていたことではない。七十日という訓練期間は、あくまで陸軍歩兵隊の基礎戦闘訓練が終了するまでの一つの目安である。一般的な歩兵に対して、幻獣騎兵に求められる能力は遥かに高いところにあり、最低でも百日――可能ならば百二十日の訓練が必要とされるところを、大幅に短縮しての七十日という条件であった。情報部とのパイプが途切れ、これ以上の引き伸ばしが望めないとなった今、なるべく早期に練成を完了させること以外に、ベアトリクスとリーアに採り得る手段はない。


「私は……こいつらを殺したくない。訓練不足で前線に送り出すことが決まった後で何を言っても仕方がないのかもしれないが……それでも、一人の人間としてこいつらには死んでほしくはない」

「甘いですわね。けれど、甘いから貴女はベアトなのでしょう。氷の仮面の下で涙を流しながら戦ってきた」

「かもしれないな――おいクソ共! もっとしっかり突け! それではしなびたジジイの×××にも劣るぞ! もっと腰に力を入れて、膜が破ける寸前まで溜めてからブッ刺せ! 殺すつもりでやらなければ、私が貴様らを殺すぞ! ほら突け! 殺せ! ティーンのファックのように激しくやれ!」


 話している最中にかっと目を見開き、卑語を交えた罵倒を連発するベアトリクスを見て、リーアは密かに苦笑を浮かべた。戦友は氷の仮面をつけて戦ってきた――だが、吹き荒れる感情はそれを融かし、なおかつ優しさは透き通って見える。


(ベアト――貴女は誰よりも軍人らしくて、誇り高い……けれど、軍人よりも、教師になるべきだったのかもしれませんわね)


 苛烈な罵倒を飛ばしながらも、的確な助言は怠らないベアトリクスを前に、リーアはふっと笑みを浮かべて一歩前に踏み出し、馬上戦技の演習を行う少女たちに視線を向けて声を張り上げた。


「ウジ虫さんたち! そろそろ蛹くらいになったかと思ったら相変わらずのゲロブス面ですこと! もっと両脇をお締めなさいまし! それではアルタヴァの童貞兵士にファックされて殺されましてよ! 無理やりがお好きな変態でないなら、相手を槍でファックする根性を見せてファッキンガッツをお見せなさい!」






「クッソ……腰痛ェよ、やってくれやがったなあの年増処女ども……」


 訓練生の居室に、恨めしげなカレンの声が響く。比較的上達が早く、近接戦闘への適応能力を見せていた彼女が選ばれたのは、対人戦闘訓練の模範――というよりも、教官二人によるサンドバッグに近い役目であった。地上での殴り合いならば無類の強さを発揮する彼女であっても、馬上での突撃戦闘には未だに習熟しきれていない。木製の訓練槍で打ち合い数合は持ちこたえたものの、腰を薙いだリーアの一撃をまともに食らった彼女は、落馬こそしなかったものの数時間続く鈍痛に悩まされることとなった。


「お疲れ様、カレン――酒保で買ってきた安いのだけど、飲む?」


 アイリスが紅茶の入ったマグカップを差し出す。灰色のシャツしか持ち合わせていない少女たちが集まる一室は、パジャマパーティー――というにはあまりにも殺風景な状態であったが、それでも紅茶を片手に語り合うその時間だけは、彼女らにとって最大の楽しみであった。

 アイリスはカップをカレンに渡すと、その隣に新聞を広げて腰を下ろす。活字嫌いのカレンは、カップの紅茶をすすりながら苦笑を浮かべた。


「夜中にそんなの読むと寝れなくなるぜ?」

「大丈夫だって。それに……私たちは、国際情勢と無関係じゃいられないわけだし」

「まあ、そうだけどよ……本当に戦争なんて起きンのかよ? アルタヴァのカスどもが攻めてきてる、ってお偉いさんは言うけどさ、テロなんて昨日や今日始まった話じゃねェだろ?」

「まあ、それを言われるとそうなんだけど……」


 アイリスはそう言って、二十日ほど前にベアトリクスとリーアから聞かされた話――外務省タカ派が状況を掌握し、開戦が避けられない情勢にあることを思い出した。あれ以来外務省からの接触はない――が、アイリスを始めとした第七分隊は、暗殺の恐怖に戦々恐々としていた。カレンも何か察したのか、口をつぐんで紅茶を一口すすり、笑みを浮かべて軽くアイリスの背中を叩いた。


「心配いらねェって――アタシらは負けない。最高の幻獣を貰って、最高の仲間に恵まれたんだ。今日だって、実戦向きの訓練をやってきた。そうだろ?」

「うん……」


 言葉の上では肯定でもって返す。だが、アイリスは不安を拭えずにいた。ここにいる仲間を失うかもしれないという恐怖――それが、彼女の心の奥底に黒い渦を巻いていた。


(きっと大丈夫――私たちは、それだけのことをしてきたんだから……)


 密かに拳を握りしめる。それでも、彼女の手の震えが止まることはなかった。


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