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第68話 二人の戦士

 訓練開始から二時間あまり――その場にいた士気に溢れる訓練生のうち半数以上は、激しい腰の痛みと内腿の張りに打ちのめされることとなった。理由は極めて単純明快、ユニコーンの過激なまでの機動力を理解できず、縦横に振り回されたが故である。鞍に締め込むハーネスのおかげで振り落とされることこそなかったものの、真っ当な戦闘機動に近いものを行えるのは、四十八人の中ではアイリスとエリカのみであった。


「貴様らァ! これまでの訓練で何をやっていたこのアバズレどもが! ヒイヒイ言いやがって、貴様らは×××で客を取っている×××と同じだ! 背中にひっかき傷でも貰ったか! ×××を××××にぶち込まれたみたいに汚い喘ぎをしやがって! 今すぐに呼吸を止めないと殺すぞ!」

「ウジ虫さんたち、早く起き上がってくださいまし。この子たちはまだまだ乗せたいと言っておりましてよ。膜が破れるまで殴られたくなければ、訓練に復帰しなさいな!」


 そう言って、ベアトリクスとリーアは地面に膝をついている少女たちを容赦なく蹴り、顔面に唾が飛ぶほどの距離で罵声を浴びせ、背中を殴ってユニコーンのもとへと追い立てる。もとより、部隊に配備するユニコーンはベアトリクスとリーアがどのような人間かを熟知しており、その役目についても理解していた。それ故、自らの主が猛烈な罵倒と殴打に晒されるとも、反発することはない。

 しかし、何事にも例外というものは存在する。ただ一頭――誰よりも優れながら、それでいてあらゆる乗り手を拒絶し続けてきた《ブリッツ》だけは、何らかの意志を瞳に湛えて眼前の狼藉を眺めていた。両の瞳は澄んだ輝きを宿しているが、決して従順ではない。自らの尊厳に触れる者があれば、刹那のうちに角を一閃して眼前の相手を突き殺す――それだけの強烈な自我を、雰囲気として身に纏っていた。


「……」


 アイリスは《ブリッツ》の背に跨ったまま、ただ無言で眼前の光景を眺めていた。彼女の右手には既に槍が握られており、何度かの刺突を含めた練習を行っている。もとより馬上での戦技について――あくまで一般的な軍馬のみであるが、武門の生まれであるが故に身に着けている部分はあり、ユニコーンへの騎乗と乗馬戦闘はその応用であった。

 しかし、彼女はその技を決して誇ろうとはしなかった。確かに自らの身を守り、仲間の命を救うことができる技である。事実としてその乗馬技術と機動に対する適性をもってテロリストを打ちのめし、増援に駆けつけた陸軍を援護して多くの命を救いはした――が、それは単なる戦闘技術であり、自らが誇るべきものはまた他のところにあると彼女は考えていた。どのように戦ったかではない――何のために戦ったかをアイリスは重んじ、彼女の愛馬はそれに共鳴して背中を許していた。

 ユニコーンの知能は概して高い――とされている。通常の軍馬を遥かに上回り、人語をある程度解するというのが定説である。現状、それだけの能力を備える種族は一部の龍種に加えて、敢えて幻想種に加えるという条件を付けるならば、半魚人マーフォークやエルフといった亜人種に留まる。言語理解と強い共感性がユニコーンを至上の幻獣たらしめ、軍用種としての道を開くと同時に、人間という異種族との深い共感を呼び起こすほどの繊細な精神が、その調教を極めて難しいものにしていた。その一例が他ならぬ《ブリッツ》である。


「ねえ、ブリッツ――」


 銀に輝くたてがみを撫でながら、アイリスは穏やかな声色で語りかけた。しかし、そこから先の言葉が続かない。何故自分を選んだのかと問おうとしたが、彼女自身その答えは内側にあると分かっていた。それでも敢えて問おうとしたのは、《ブリッツ》の手綱を握る運命に導かれたのは、自らの意思によるものか、それともある種の偶然によって招かれたものか、判別がつかなかったからである。《ブリッツ》との出会いは彼女にとってある種の天命であり、そうなることは既に定まっていたに等しい。だが、そこに確かに自らの意思があったとは言い切れず、また全くの偶然であったとも言い切れない。


「……?」


 不意に話しかけられた《ブリッツ》は僅かに首を曲げ、不思議そうにアイリスを見つめた。だが、アイリスが何も言わずにいると、彼もまた静かに視線を正面に戻し、眼前で繰り広げられる悲喜劇に目を移した。憐れむでもなく、冷笑するでもなく――ただそこにある光景を淡々と眺め続けているその姿に、アイリスは僅かばかりの哀しみを覚え、同時にその心の傷跡が癒えていないことを強く感じ取っていた。

 訓練開始時、何の気なしに《ブリッツ》に触れようとした者がいた。元来ユニコーンの性質は穏やかであり、主以外の者であっても、背中を預けることはなくとも撫でる程度ならば快く許す。だが《ブリッツ》は自らに触れられることを強く拒むと共に、触れようとした者を振り払い、それについてアイリスに抗議した訓練生に角を突きつけさえした。第七分隊の訓練生に対してはそれよりも穏やかな態度で応じるものの、その心の奥底には苛烈さを抱いたままでいることは明白であった。


(……理解できる、なんて傲慢なことは言えないけれど)


 人間と人間ですら理解し合うことはなく、ましてや人間とは異なる思考形態を持つユニコーンについて、その考えを「分かる」などというのは傲慢であるとアイリスは少なからず感じていた。かなり屈折してはいるが、「理解」とはある種の傲慢さを帯びているという彼女の考えは、一定の哲学性と真摯さを帯びているものでもあった。別個の人格、さらには別個の種族である以上そこには境界線が敷かれるのが当然であり、その境界線の向こうに立ち入って相手についての推測を進めることがあってはならない――そう思って、彼女はただ右手でたてがみを撫でるに留まった。


「行こうか、エリカ。私たちはあっちで良いみたいだし」


 両の手でしっかりと《ブリッツ》の手綱を握ると、アイリスは隣にいたエリカと視線を交わし、右手の槍をしっかりと握りしめた。馬上突撃の心得は多少ある――といっても、競技用の木製槍以外のものを扱ったことは無い。手にしていた槍をレストに掛けると、彼女は広々とした練兵場に設けられた一直線のコース――馬上槍試合にも用いられる広いレーンに入ると、そこに設置された三体の藁人形に視線を向けた。

 どこから手に入れたのか、それらにはアルタヴァ共和国軍の制帽が被せられるとともに、恐らくは敵国の将軍であろう者たちの似顔絵、それも醜くデフォルメされたものが貼り付けられている。妙な気合の入り方に首を傾げながらも、アイリスは静かに槍を構えて手綱を握り、鋭い視線を正面へと向けた。


「……行くよ」


 静かに告げるやいなや、《ブリッツ》が弾丸のように加速する。ユニコーン騎兵の機動力は並の騎兵を遥かに上回るが、それは単に良いことばかりではない。攻撃の機会は一瞬であり、狙いすまして槍の一撃を放たなければ、瞬きするうちに敵は遥か遠くへ流れ去る。利き手側の攻撃なら槍をレストに掛けたままでも十分に足りる――が、敵は固定目標ではなく、同じく機動する騎兵である。


「……!」


 標的が近づいた瞬間、一瞬だけレストから槍を外して突きを叩き込む。鈍い感触と共に突撃の勢いで藁人形が粉々に吹き飛んだが、その一撃に満足する余裕は彼女にはない。三つ続く標的は、乗り手に極限の緊張を強いる。第二撃は藁人形を半分斬り飛ばしたが、最後の一撃は空を切った。手綱で合図を送って《ブリッツ》を止めると、アイリスは最後に残った一つの藁人形を暫し見つめ、後ろで待つエリカのために、予備の標的を立て直して彼女のもとへと戻った。


「いいかしら?」

「うん、大丈夫――」


 その言葉を聞くやいなや、エリカは自らの愛馬――《シュトゥルム》を走らせ、藁人形を片っ端から突いていく。攻撃は正確で、全ての藁人形に穴が開く。だが、一撃にアイリスほどの強烈さはない。もとより《ブリッツ》の突撃速度が尋常のユニコーンを大幅に上回るのみならず、彼女が隠し持つ荒々しさは、槍の一撃を重く、激しいものにしていた。

 エリカはもとのレーンに戻りながら、重装鎧を纏った上級の騎兵ですら落馬するであろうアイリスの刺突を思い描いていた。自分たちの技量が他の者とは飛び抜けて違うことは事実として認識しており、アイリスに並び立てるのは自分だけだということに僅かな優越感を抱いても居た。だが、その刺突のあり方から彼女と自分がどう違うのか――そして、その間に決定的な差があることすらも感じ取っていた。


(アイリスは――他とは、違う。軍に入ったきっかけこそ笑ってしまうようなものだったけれど……)


 燃え盛る厩舎の中、自らの愛馬を救うために必死で抗い続け、その勢いのままに共和主義者のテロリストたちと戦い、戦術的合理性のために、命を危険にさらしてでも外務省調査局のエージェントと、体一つで渡り合った。その全ての行動には誇りが込められている。

 エリカ自身にも誇りはある。軍人一家に生まれ、女子の入隊が認められるようになってからは、姉たちも軍服を着て国防の任に就いている。国家を信じ、王家を信じよ――おとぎ話の導入よりも聞かされたその言葉は、彼女の胸に愛国心という大樹を根付かせていた。 

 だが、彼女の誇りとアイリスの誇りはどこか違う。その正体は判然としない。自分は国家に対して為すべきを為すことを誇りとする――それについては、アイリスもある程度共有しているであろう。王家の扶翼者たる貴族に生まれたのならば、それはある種当然の帰結である。だが、エリカは自らのうちに、どこか空虚なものを感じ取っても居た。埋められない何かに触れようとすれば遠ざかり、更に迷いは大きくなる。


(アイリスは天才だ。間違いない――それは、認めよう。けれど……)


 何かから逃げ出して、運命を掴んだ者と。

 義務感に従い、自らそうあることを選んだ者と。

 その間にある違いの正体を見いだせず、エリカは密かに槍の柄を握りしめていた。


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