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第66話 闇へと落ち行く中で

「外務省情報局は、テロに上じて緊張を演出しようとしている。国際的緊張で主戦派を煽り、アルタヴァとの対決姿勢を強めようって魂胆だ――つまるところ、我々はハメられたも同然だ。外交が戦争に向かうなら、我々軍人にそれを止める手段なんて無い。完璧にしてやられたというわけだ……!」


 苦々しげに吐き捨てるような言葉――その場で、第七分隊の六人は動けず凍りついた。テロの前兆を察知していながらあえて警告を発せず、陸軍部隊に多数の死者を出した。その行為が明るみに出れば、外務省調査局は反逆者の汚名を被ることになる。あまりにも現実離れした――だが、現状においては強い説得力を持つその言葉は、少女たちを打ちのめした。


「そんな……外務省のタカ派はテロ騒ぎが起きることを知った上で、我々に犠牲を強いたと?」


 震える声でエリカが問うと、リーアは小さく頷いてそれに答えた。


「残念ですけれど、そのとおりですわね。これだけの騒動が起きれば、国内の共和主義者に軍事キャンプを提供しているアルタヴァとの開戦世論は間違いなく増大しますわ。これまで開戦に否定的だった穏健派が転向するかもしれませんし、軍部も外交の流れに乗るためにアルタヴァと一戦交える方向で動くかもしれない」

「……」

「わたくしたちとしては、もう少し均衡状態が長引けばよかったのですけれども――こうなってしまった以上、貴女たちにも覚悟を決めてもらわないといけませんわ。恐らく……練成が終了した時点で、ユニコーン隊は独立遊撃戦隊として編成され、僅かな護衛の歩兵部隊を連れて最前線に送られることになるでしょう」


 リーアは開戦がもはや不可避であることを口調に滲ませた。彼女自身、この状況を信じたくないという思いはあった。緊張関係は継続しても、開戦という破局的結果に外交交渉が終わることまでは望まない――それが国家の意志であると信じていた。だが、もはや外務省が交渉の継続を望まないとすれば、状況は急斜面を転がり始めた岩塊と同じく、一気に崩壊へと突き進んでいく。


「……もはや、外交による解決は望むべくもないと」

「それは大臣のみぞ知る……と言いたいところですけれども、こんなものが届いてしまった以上はどうしようもありませんわね。よく届けてくれたというべきか、知らぬが仏のままでいたほうが良かったというべきか……」


 リーアは暫し思い悩むような表情を浮かべていたが、隣に立っていたベアトリクスは、灰色の封筒をしっかりと掴んで少女たちの前に突き出した。


「……確かに開戦は避けられなくなった。だが、いつ戦争が始まるか分からないままでいる必要もなくなったし、自分たちが何のために訓練を重ねるのか疑うことも、もはやないだろう」

『……!』

「戦いは避けられない。だが、避ける必要も我々にはない。我々は戦うために修練を重ね、その刃を研いでいるのだ。疑うものなど、貴様らの前には何もあるまい。アルタヴァ人を殺せ、共和主義者を一人残らず滅ぼせ――そのときが、今貴様らの前に来たと思えばいい」


 ベアトリクスの言葉は、ある種の狂気すらも帯びていた。ランニング中のミリタリー・ケイデンスで口ずさむ過激な内容をそのまま命令にしたような言い方であったが、戦争が始まるという現実を少女たちに叩きつけ、それを受け入れされるためにはこの方法しかないと考えてのことだった。


「迷いは貴様ら自信を殺す。戦争はもう避けられないが、生き残る方法は確かにある――訓練で学んだ基本を忘れず、自らの愛馬を信じれば、よほどのことが無い限り貴様らは死なない。それは私が保証する。貴様らは、正真正銘の特殊部隊だ」


 ベアトリクスはそう言い切り、手にしていた封筒を乱暴に机に放り出して言葉を続けた。


「全員、今話したことは誰にも言うな。他の訓練生には伝えないほうがいいし、仲間内でもめったに話題に出さないほうがいい――それと、貴様らを含めて訓練生は外出を一切禁止する。解禁しようかと思っていたのだが、こうなってしまった以上もうどうにもならん。ブレイザーとシュタイナー、貴様らは恐らくこれを回収しに来た連中に襲われたはずだ。他の者たちも、同じことにならないという保障はない」

『っ……!』


 アイリスとエリカの表情が強張る。このような状況になれば嫌でもわかる――彼女らを襲撃したのは、外務省調査局の特殊工作員だった。最初の一度は警告と降伏勧告があったが、二度目はそれすらなく、ただ書類を奪還するために襲いかかってきた。アイリスとエリカは、自分たちだけではその状況から脱することができなかっただろうことをよく認識していた。 

 あの場にオリヴィアとカレン――戦技における遠近の双璧が援護に現れなければ、外務省の陰謀に関する書類を奪われて無残に切り刻まれるか、底知れぬ闇の彼方へと連れ去られ、行方不明として処理されていただろうことは想像に難くない。

 外務省のエージェントは、暗殺という一点においては無類の強さを誇る。事実あの場において相手の油断と降伏勧告がなければアイリスとエリカは無残な最期を迎えていたであろうし、救援に訪れたのが並の兵士を軽く上回るオリヴィアとカレンでなければ、全員がその場で殺されていたとしてもおかしくはない。

 それはベアトリクスとリーアも承知のことであり、最大限に警戒するべきものとして捉えていた。もはや同じ国家に所属するという一点のみにおいては信用として不十分である。機密文書を陸軍情報部に奪取され、あまつさえ練成中の特殊部隊候補生の手に落ちるなどという事態になれば外務省のメンツは丸潰れになる。

 もとよりエリート官庁としての意識が強く、外交上の特権的な立場を与えられることも多い外務官僚、その中において国際情報戦の最前線に立つ調査局員となれば、苛烈なまでの職務意識を持って任務に当たる。彼らは研ぎ澄まされた殺意を敵へと向けるが、そのベクトルは軍人とは大きくことなる。

 軍人にとっての敵は多くの場合外国勢力、あるいは国内に潜入した半国家分子である――が、外務省調査局の武装局員にとっての敵は、自らの関与する秘密に触れうる全てになる。秘密を秘密のままに保つことによって外交上のアドバンテージを広げることが彼らの職務である以上、その根源を揺るがす事態――部外者に外交機密を握られるといった状況になれば、彼らは同じ王国の民であり、同じく王家と王国政府に忠誠を誓ったもの同士であっても必要があれば殺す。アイリスとエリカが第一撃を逃れ得たのは、ある種の偶然、あるいはその場に居た武装局員の甘さ故であった。

 ベアトリクスは全員の顔を見回し、彼女らの表情が真剣さを帯びていることを確かめると、さらに言葉を続けた。


「まあ、殺されかけたのにノコノコと出かけていくほどの愚か者はいるまいが。工兵隊が既に到着していて、あと三日もしないうちに騎兵学校の機能は回復するだろう。それまでは少々不便であるが、練兵はこれまで通りに行う。七十日の基礎戦闘訓練期間は陸軍大臣がなんとしても守ってくれるだろうが、その後ろの三十日間の高等技能訓練……こいつは本来ユニコーンへの騎乗と馬上戦闘訓練にあてるものだが、そっちはどうなるか分からない。恐らくだが、この情勢では訓練期間は短縮されるだろう。きっかり七十日で前線送りだ」

『……』

「そのときにまだ戦争が始まっていなければ、私のほうでどうにかして貴様らを鍛え上げる。時が来るまではまだ分からん。だが……覚悟だけはしておいてくれ」


 最後の一言は、まるで絞り出すかのようだった。隊長のエリカがしゃんと背筋を伸ばすと、他の者たちもそれに倣って姿勢を正し、ベアトリクスと正面から向き合った。エリカは堂々と胸を張って、ベアトリクスの言葉に答えた。


「……我々は迷いません。王国に忠誠を誓い、その敵を滅する定めを負っていますから」

「……そうか。分かった――行ってよし。向こう三日は訓練は無しだ。ゆっくり休んで、心の準備をしておけ」

『マム・イエス・マム!』


 凛とした声を残し、少女たちは部屋を出ていく。その背中が扉の向こうに消えたと同時、ベアトリクスは拳を机に打ち下ろした。


「……内側にまで敵が潜んでいて、開戦が避けられん状況に追い込まれた結果がこれか」

「ベアト――」


 リーアはそっと手を伸ばしかけたが、その右手は力なく下げられた。訓練生時代からの付き合いではある――が、今のベアトリクスになんと言葉を掛けてよいものか、リーアには判別がつかなかった。


「外務省のカスどもめ、最初から勝ったつもりで戦争を始めるというのか。その中で血を流すのは……ちくしょう、あいつらなんだぞ」


 その声には、隠しきれない憤りと悲しみが滲んでいた。テロ攻撃から丸一日が経とうとしていたが、混迷の闇夜は未だに明ける気配を見せずにいた。


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