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第64話 窮地からの脱出

「――三人くらいで、『アタシたち』をどうにか出来ると思うンじゃねェぞ?」


 路地裏に響く言葉が建物に反響し、それが消えるよりも早く、カレンは真正面に飛んでいた。右手には普段持ち歩くものよりも大振りなコンバット・ナイフが握り締められている。増援――それを見たアイリスとエリカもナイフを構えたが、カレンは単独で三人を軽くあしらいつつ笑みを浮かべた。


「お二人さんは下がってなって! ここは――アタシの戦場だ」


 正面の敵が放つ低い突きをコンパクトに払い、同時に脛に前蹴りを入れて崩す。開いた左手はもう一本のユーティリティ・ナイフを抜き放って横合いから突出する敵の一撃を弾き、一拍遅れて右から出た敵には、払った右のコンバット・ナイフを横に薙いで牽制――三人が同士討ちを恐れて一瞬動きを鈍らせた瞬間に遠く銃声が響き、右側からカレンを攻撃していた敵の左胸を撃ち抜いた。


「へっ……最高の狙撃手だ。一人につき、獲物は二つだ! もういいぜ、オリヴィア!」


 軽く後方にステップして距離をとり、カレンは親指と人差し指をすっと立てて、後方から狙いを定めていたオリヴィアに合図を送った。そして、二本のナイフを油断なく構え直して正面の敵を見据えた。


「……急報があったから、お嬢とインテリが逃げるならここだろうと思って援護のために先回りしてたのさ。そうしたら案の定、面白いのが網にかかってくれた。どこの誰だか知らないが来いよ、ビビってンじゃねえぞ? 女ひとりも殺せねェってのか、ええ?」


 わかりやすい挑発の言葉――それが男の兵士であったならば、二人の暗殺者は撤退を選んだだろう。だが、カレンが年若い少女であったことが彼らの判断を誤らせた。外務省情報局のエージェントとしてのプライドと、相手が女であることへの侮りが、彼らに致命的な結末を招いた。そこで撤退すれば命を失うこともなかっただろう――が、彼らはナイフを手に突進することを選んだ。


「……そうかよ、来るのか。なら――」


 二本のナイフのうち、カレンは左のユーティリティ・ナイフを稲妻のように投げ放った。並の兵士であれば串刺しになっていただろう迅速な一撃だったが、流石に読んでいたのか、その一撃は軽く弾き落とされる。

 だが、カレンの狙いは全く別のところにあった。ナイフは単なる囮――それを打ち払う一瞬は意識をそちらに奪われ、その一瞬こそが致命的な隙を生むことを、彼女は自らの経験をもって知っていた。斜めに大きく飛んで建物の壁を蹴って変則気味の跳躍を見せ、そのまま空中へと躍り上がる。僅か一瞬の出来事――だが、敵のそれへの対応は、ナイフを弾き落としたことで確実に遅れていた。

 空中で身を翻して首筋に深々と一撃。鮮血が散るよりも早く、カレンは二人目の敵に肩口から体当りし、肋骨の間から刃を滑らせて臓腑へと切り込んだ。狭い空間にありながら踊るような二連撃を浴びせると、暗殺者は二人揃って武器を取り落とし、深々と斬り込んだ傷口を押さえてその場にうずくまった。即死には至らない――だが、いずれは外傷性のショック症状で命を失うであろう、深い一太刀であった。

 カレンは手にしていたコンバット・ナイフをボロ布で拭って鞘に収め、投げつけたユーティリティ・ナイフも隣の鞘へと戻す。戦いを真正面で見ていたアイリスは、その技が貴族の剣技の華麗さとも、軍隊格闘術の剛直さとも違うことを感じていた。

 鮮やかだが残酷――カレンが見せたその動きを、アイリスとエリカは刃を纏った猫のようであると感じた。閉所にあって以下に迅速に相手を殺傷するかを突き詰めた先に生まれたダンスのような動きを、カレンは訓練において一度も見せなかった。

 それ故に、初めて見たカレンの「本気の一撃」は衝撃的であった。吹き抜ける風のように滞りなく、一つ一つの動きが完全な調和とともに繰り出される。彼女は打ち倒した敵を冷たい眼で見つめ、軽く首を振ってアイリスとエリカに視線を映した。


「……無事そうだな。けどよ、面倒なことが起きてるみたいだ……アタシらもパトロールに回ってたんだけども、あちこちで変な検問が張られてた。そんで、おかしなことが起きてるみたいだから所属部隊の隊長に許可を貰って抜けてきたのさ。そうしたらこれだ――お嬢とインテリなら、何かわかるんじゃねェか?」

「えっと……」


 アイリスは少し迷って、エリカの抱える灰色の封筒に視線を移した。事情は確かにある――が、伝えればカレンを巻き込むことになりかねない。暫し逡巡していると、カレンは一度だけ小さく頷いた。


「今はまだ言えねェ、ってことでいいんだな?」

「ありがとう、助かる……オリヴィアは?」

「近くの建物で伏せてる。後から合流するってよ」

「分かった――エリカ、騎兵学校に着いたら、それを後で確認しよう」


 アイリスがそう言うと、エリカは手にしていた封筒を一瞥して頷き、再び駆け出した。両脇をアイリスとカレンが固め、周辺を警戒しながら路地裏を抜けていく。三人の間に言葉はない。だが、それは入隊当初の険悪な沈黙ではない。お互いに深く理解しあっているからこそ、あえて口を開く必要も持たないというだけのことだ。

 人目を避けて裏通りを選びながらも、決して遠回りにせず三人は駆け続ける。どのようにして追いついたのか、気がつけば横合いの道からオリヴィアが顔を出して、手にしていた小銃――普段から訓練で用いられるものとは違って、銃身が身の丈ほどもある狙撃銃を掲げた。カレンはそれを見て笑みを浮かべ、軽く彼女の背中を叩いた。


「流石だぜ、生きてやがった――」

「もちろん。こんなところで『原人』が死ぬわけないじゃないか――アイリスとエリカも無事で良かった。陸軍庁舎から逃げるのならちょうどあそこだろうってカレンが言うから、張り込んでたらビンゴだったってわけさ」

「そっか――良かった。ところでその銃は?」


 アイリスの問いに、オリヴィアはカレンのほうをちらりと見て答えた。


「戦利品だよ。狙撃手が潜んでいそうな場所にカレンが一人で入っていったと思ったら、ボコボコにした狙撃兵と一緒に引きずってきた」

「……やるね」


 苦笑しながらアイリスが答えると、オリヴィアもふっと笑って手にした銃を撫でた。表面には何らかの処理が施されているらしく、蒼いまだら模様のようなものが浮いている。


「これはヴェーザー王国製じゃない。製造刻印が削り取られてるけど、銃身の表面処理の色が少し違うから、アルタヴァ共和国で作ったものだと思う。ヴェーザー王国製ならもっと真っ黒に染めるし、こんなまだら模様になったりはしない。敵は多分――」

「……私も最初はそう思った。けれど、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「そうじゃない、って?」


 オリヴィアが訝しげに問う。アイリスは小さく首を振って答えを返した。


「まだここじゃ言えないし、教官にも聞いたほうがいいと思う」

「分かった、アイリスがそう言うなら間違いない――もうすぐ騎兵学校の敷地だ。流石に周りは大丈夫だと思うけど、すぐに保護を求めよう。ややこしい事態に巻き込まれてるなら、なおさらだ」


 四人は同時に視線を交わし、そのまま一直線に裏路地を抜けて大通りへ飛び出す。そこには、騎兵学校周辺に展開した憲兵隊や、それらを補佐する一般兵の姿があった。突然目の前に四人の少女が現れたことに部隊は驚きを見せたが、尋常でない様子にすぐさま一人の兵士が駆け寄って声を掛けた。


「おい、君たちは……」

「ユニコーン隊の騎兵学生です。ベアトリクス・タウラス練兵軍曹とリーア・レインメタル練兵軍曹に取次を願います――要件は……『ハーネル少佐からの贈り物』とだけ伝えてください。それで分かるはずです」

「……分かった。一旦中に入れ、恐らく補充要員で外に出されていたのだろうが、今は全ての騎兵学生に退避指示が出ているところだ。休める場所と少しくらいの食料なら提供するから、中でおとなしくしているんだ。何をしてきたかは、大体想像がつく」


 三人を保護した兵士は、小銃を手にしたオリヴィアと返り血を浴びたカレン、そして緊張に強張ったアイリスとエリカの表情を見て、彼女たちがどのような状況に置かれていたのかを察し、急かしながら騎兵学校の敷地内へと案内した。


(ともかく、今はどうにか生き残った。けれど……)


 アイリスは、エリカがしっかりと脇に抱える灰色の封筒に視線を落とす。突如として渡された外務省の内部資料が何を意味するのか、そして王都で起きたテロ事件の行方がどうなるのか――戦闘の緊張から開放されてなお、彼女の胸から不安が消えることはなかった。


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