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第62話 終わらぬ戦い

 騎兵学校から徒歩で二十分前後――陸軍の事務庁舎に文官代理として送られたアイリスとエリカが最初に目の当たりにしたのは、文官制服を身に纏った若い軍属の女たちと彼女らに命令を下している将校の姿だった。

 どうということはない――大規模なテロ攻撃が起きた後や掃討作戦が行われた直後には一般的に見られる光景であったが、軍事行政がどのように執り行われるかを知識でしか知らなかった彼女たちにとって、それはある種の衝撃であった。

 アイリスとエリカを案内した中尉は、深く腰を折って彼女らに頭を下げた。階級すら与えられない訓練生に対して尉官が頭を下げるなど本来ならばありえないことであったが、彼女らが見せた目の眩むような活躍――ユニコーンを駆って駆け抜け、テロリストたちを現劇のようにその場に打ちのめしたという事実は、階級を一切抜きにした経緯を示させるに十分であった。


「休息の暇も与えられないことは詫びさせてくれ。だが……我々も人員が足りていないのでな。教官二人からの推挙もあって、文官代理として入ってもらうことになった。機密保持については――説明するまでもないか」


 そう言って、中尉は手にしていた書類の束をアイリスとエリカに差し出した。


「君たちの仕事は被害報告のとりまとめだ。今出ている分で終わればいいが、まだ調査中のところもあってな。今日を乗り切れば軍令本部から補充が来るから、仮の被害報告だけでも用意しておいてくれ――訊きたいことがあれば、近くの軍属を捕まえるといい。では、私は行かせてもらう」


 そう言い残して足早に去っていく中尉の背中を見送り、アイリスとエリカは互いに顔を見合わせた。手元には分厚い書類の束――これをどう処理すれば良いかはある程度理解できる。各所から上がってきた被害報告をまとめて分かりやすく文書化し、軍公式の形式に則って渡せばいい。

 ただそれだけのことであり、もとより頭脳明晰であり軍事行政に関する理解も深かった二人にとって、それはさして難しいことではない。だが、普段の苛烈な訓練、そして突如勃発した戦闘という極限状態からの落差が、二人に激しい衝撃を与えていた。


「……とりあえず、終わらせましょうか」

「……うん」


 二人は一つ頷いて、手にした書類を机に広げてそれぞれの仕事に取り掛かる。兵員一人ひとりの受けた負傷についての報告や、損失した装備品一つ一つ――大は攻撃で全焼した軍施設、小は作業用のナイフ一本に至るまで、各部隊からの報告書を参照してまとめ上げていく。


(……退屈だな、こういうの)


 地獄のような教練の最中には全く湧き上がらない感情――退屈さの中で、アイリスは手にした書類の内容を素早く書き写していく。領地で経験してきた執務に比べれば物の数ではなく、数分も経たないうちに彼女は周りの文官と大差ないほどの早さで書類を仕上げていった。エリカも似たようなもので、手にした書類を素早く捲っては内容を書き留め、終わらせたものを脇に積み上げていく。

 半分ほど片付けたところで、アイリスは確認を済ませた書類を脇に置いた――そのとき、まだ処理を終えていない書類の端が脇に押しのけた書類と引っかかって崩れ落ちた。大部分は机に留まったものの、封筒が一つエリカの足元に滑り落ちた。


「あ――ごめん、エリカ」

「いえ……いいわよ、これくらい。それにしても随分と分厚いわね……何が入ってるのかしら」


 エリカは何の気なしに中に入っていた書類を引き出し、机に広げる。これまで取り扱ってきたのはいずれも機密度がそれほど高くない情報――いずれも戦闘で損失した装備品、あるいは負傷兵に関する報告であった。それ故、彼女は封筒の中身も大方似たようなもの――先程まで見ていた戦死、戦傷者に関するものであると錯覚していた。

 それ自体は責められることではなく、彼女らには何の非もない――だが、この場において知るべきでない秘密を知ってしまったという一点において、アイリスとエリカはただ不運であった。


「外務省第七次戦術報告……?」


 宛名の記されていない灰色の封筒から取り出した報告書を前に、アイリスとエリカはその場に固まった。自分たちはただ、被害報告の作成を支援するためにここに呼ばれただけであり、外務省の戦術的偵察に関する情報を受け取る立場に立っていない。しかし、彼女らの前には確かに、内部資料としか見えないものが置かれている。


「これは……」


 外務省――それも軍事戦術的判断に関与する部署は、軍事情報を合法非合法の別なく収拾する調査局であり、それも独自の実力部隊を編成して武力行使を行う部局はさらに限られる。国内の治安維持、あるいは国外での特殊工作を主眼に置いた部隊は、公式発表上存在しては居ない――が、ある種の公然の秘密として語られている組織、あるいは人員というのは確実に存在する。アイリスとエリカが目にしている資料は、まさしくその実在を裏付けるも同然であった。


『……!』


 深く知るべきではない――そう思ったエリカは、慌てて書類を封筒に戻して机に放り出した。内容を詳しく見ていないから大丈夫だ、などと楽天的なことを言える状況でないことは、二人とも十分に理解していた。

 何故に外務省の機密情報が届けられたのかは全く分からない。単なる事務方のミスで渡されたものであるならば、恐らく外務省が目を皿のようにして探し回っていることであろう――が、自分たちが置かれている状況を鑑みるに、少なくともそのような単純なことではないと二人は考えていた。

 現状、中身について関知したかどうかはもはや問題とならない。「それ」が誤った場所に届けられたという事実そのものが、今や二人を追い詰める巨大な軍勢であった。知ってしまったかどうかが問題となるのではなく、知り得たかどうか――「その可能性」が存在しただけで、諜報においては排除の対象となることを二人は理解している。


「……どうしよう、これ」

「どうって……気付かないふりをして、後で書類を返すしかないわ。持ってただけでろくなことにならないもの。それと……アイリス、何か武器はある?」


 エリカが問いを投げると、アイリスは少し迷ってから軍服の裾を捲り、ベルトに挟んで持っていたナイフの柄を見せた。武器としては力不足であるが、兵士が野外で自活する際に必携とされ、常時携帯が訓練生にも義務付けられている装備の一つである。


「……それだけ?」

「まあ、うん。拳銃なんて持ってないし」

「……」


 エリカは暫し頭を抱えていたが、腰に提げたナイフの柄にそっと触れて小さく頷いた。


「まあ、何も無いよりずっといいわ。使わないに越したことはないけれど。カレンが居たらボディーガードを任せられたんだけども……」

「……ちょっとエリカ、何するつもりなの?」


 物騒な方向に話を勧め始めたエリカを前に、アイリスは目を見開いた。もっとも、エリカの言いたいことの意味が分からないわけではない。機密情報を偶然に握ってしまったとなれば、口封じの危険は常に付きまとう。そうなったとき、頼れるのは自分の身につけた戦技以外に何もない。ただ、エリカの切り替えがあまりにも早いことには驚きを隠せずに居た。


「……仕事が終わったら、すぐにここを抜けるわよ。送迎があるかもしれないけど、どこかですり替わっていないという保障もない。尾行に警戒して」

「……わかった。じゃあ、仕事が終わったら」


 少しばかり混乱しながらも、アイリスは頷きを返して自分の机に戻ろうとした。ちょうどそのとき、向こうから歩いてきた青年――胸元に少尉の階級章を付けていた若い士官がアイリスとぶつかり、手にしていたらしいメモ用紙を取り落とした。


「あの――」


 アイリスは慌てて士官を呼び止めたが、彼は一瞥もくれることなく歩き去っていく。アイリスはそのメモ用紙を拾い上げ――思わずその場に凍りついた。


「……アイリス?」


 不審に思ったエリカが彼女のほうを振り向いたその刹那、突如として爆発音が響いた。陸軍庁舎からそう遠くない――そこに居た全員が椅子から立ち上がった瞬間、二度目の爆発は庁舎の真正面で起きた。二階にいたアイリスとエリカにもその爆発音ははっきりと聞こえ、窓ガラスが全て粉々になって吹っ飛んだ。


「なっ――」


 強烈な衝撃に床を転がりつつも、アイリスは腰に提げていたナイフを引き抜いていた。少尉が取り落とした紙は左手に握りしめ、右手はナイフを油断なく構える。エリカもまた素早く反応し、机に置いていた件の封筒を引っ掴むと、スライディング気味にアイリスの隣へと動く。


「――アイリス!」

「分かってる!」


 思考よりも早く体が動く。混乱が収まらない部屋を一気に駆け抜けると、二人は裏口から勢いに任せて飛び出した。テロの火はまだ消えていない――数時間前に経験した実戦は、彼女たちの感覚に刃の鋭さを与えていた。


「アイリス、そのメモは?」


 エリカが問うと、アイリスは左手に握りしめていたそれをひょいと投げて渡した。エリカはそれを広げて、数分前のアイリスと同じようにその場に固まった。しかし、彼女はすぐに立ち直ると、瞳の奥に鋭い光を宿した。


「これ……『灰色の封筒を持って、なるべく早く逃げろ』って……まさか」

「……うん。多分、エリカも私も、同じことを考えてる。これは間違いで届いたものじゃない――私たちに対して渡された、何らかの『切り札』だと思う」

「外務省の内部資料よ? こんなものをリークできる立場にいて、私たちの味方をする人間なんて……」


 エリカはそこまで言って、はっと何かに気づいたように目を見開いた。


「まさか……ハーネル少佐が? 爆弾テロで死んだって話が……」

「自分が死んだ後のことを読んでた……ってことで良いと思う。どんな意図があったのかはわからないけれど、私たちのするべきことはこれで決まった」


 アイリスの両の目に、かがり火にも似た灼熱の炎が宿る。エリカはその烈しさに一瞬呑まれたが、すぐに彼女を正面から見つめ返して、続く言葉を待った。


「……この機密文書を、可能な限り早く教官のもとに届けよう。そのためには――私たちは何だってする必要がある。行くよ、エリカ!」


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