第61話 焦熱の朝焼け
戦闘開始から七時間――全ての状況に整理がついたのは、完全に日が昇ってからのことだった。第七分隊の面々は避難場所として割り当てられた練兵場の一角で、ぐったりと植木に体を預けていた。ユニコーンを駆って敵と渡り合ったアイリスとエリカはもちろんのこと、その他の四人も歩兵として実戦を経験し、それぞれが精神の限界を試されていた。
「なあ、みんな生きてるか?」
小銃の部品を納める小袋をアイマスク代わりにしたまま、テレサは気だるげな声でその場の全員に問いを投げた。第七分隊でも屈指の持久力を誇る彼女であっても作戦行動の疲労は一晩程度で抜けるものではなく、一歩も動けないまま朝を迎えていた。
「……死んでるって言ったらどうすンだよ。困るだろ」
その隣で虚ろな眼を空へ向けているカレンは、大きくあくびをして傍らに置いた小銃をそっと手で撫でた。彼女らはいずれも極度の疲労に打ちのめされていたが、戦闘の緊張と興奮が眠ることを許さなかった。
はっきりと自らに敵対する者たち――隣国に扇動された共和主義者のテロリストの姿を見定め、その者たちに銃を向けた経験は、神経を過剰なまでに研ぎ澄ますには十分だった。結果、肉体こそ困憊しているものの、精神は異様な興奮状態に置かれ、そのアンバランスが全員を激しく蝕んでいる。誰もがぐったりとして動けずに居たが、心は未だ戦火に囚われ、その指は小銃のハンドガードから離れなかった。
「……眠いけど寝られねェし、腹減ったけど何も食う気にならねェ……ふざけてンだろ、この状況」
「……全くね」
カレンが呟いた言葉に、エリカは目を閉じたまま答えた。彼女は小銃を手に穏やかな呼吸を続けていたが、穏やかに眠れるほどの余裕があるわけではなかった。軍人の娘として生まれ、その誇りを汚さぬために練磨の日々を重ねてはきた。だが、生身の人間に銃剣を突き立てるという行為――殺すには至らないにしても、切っ先で敵兵を貫いたときのおぞましい感触は、彼女の手のひらに強く残っていた。
「……なあ、インテリ」
「なに?」
「お前、敵を……やったのか?」
カレンはためらいがちにエリカに問いを投げた。エリカはしばし考え、やがて小さく首を振った。
「いえ。手傷を負わせただけ……のはずよ」
「……はずって?」
「突き刺して、そのまま軍に引き渡したわ。殺さないように――いえ、私が殺せなかっただけね。チャンスはいくらでもあった。けれど……」
「殺れなかった、か」
カレンは否定も肯定もせずに、小銃のハンドガードからそっと手を離して自らの右手をぼんやりと見つめた。
「……仲間のためか、自分の命のためならアタシは殺すさ。けれど――それが罪深い行いだってことは、忘れちゃならねェと思ってる」
「……」
「アルタヴァ人は人間じゃない、共和主義者は裏切り者だ――確かに、戦争で人を殺すには相手を人間未満だと思うのが手っ取り早い。相手に対して、どんな慈悲も共感もいらないって直感的に思わせりゃ、ハエでも叩くみたいに殺せる。アタシらが受けてるのはそういう教育だ。インテリ、お前が敵をぶっ刺せたのも、そのおかげだ。軍人として戦う覚悟というと聞こえはいいが――最終的には、人を殺す覚悟だ」
カレンの口調は、自らの行いを悔いるような色を帯びていた。詳しく聞いたわけではないが、身に着けていた凄まじい格闘技術と銃器の扱いは、彼女に何らかの暗い過去があることを示していた。だが、エリカは敢えてそれを問いただそうとはしなかった。触れられたくない傷跡は誰にでもある。
「アタシは、できる。できちまう、っていったほうがいいかもしれねェ。なりたくてそうなったわけじゃないけどな。でも、そいつが誰かの役に立つか――少なくとも、自分の家族を養うタネになるってんなら……」
「自分がそうあることを、拒絶しない……」
「ああ、そうさ――っと、教官殿だ」
視界にリーアの姿が入り、少女たちは慌てて立ち上がろうとした――が、リーアはそれを押し留めて、座らせたまま彼女たちに呼びかけた。
「休んでいるところ申し訳ないけれど、ウジ虫さんたち――新しいお仕事でしてよ」
『……!』
少女たちの間に刹那に緊張が走る。だが、リーアは穏やかな表情で首を振って、一人ひとりに命令を下した。
「シュタイナー訓練生とブレイザー訓練生――貴女たちは陸軍事務局へ。事務方の副官が不足していますわ。セトメ訓練生は今すぐに医務室へ行ってくださいまし。ヘンメリ訓練生は工兵隊に行って、損壊した施設の補修、あるいは解体を補佐。ザウアー訓練生とモンドラゴン訓練生は警護隊に入ってくださいまし」
全員が顔を見合わせる。それぞれの得意分野に応じた振り分けが、現状において最も有効な方策であることに間違いない。敵の脅威が遠ざかった今、求められているのは事態の収拾にあたるエキスパートだった。その条件において、第七分隊ほど適した者たちはいない。一人ひとりが特定分野において一線級の知識を有し、高い自己完結性を有する機動戦力であるという特色は、戦闘の最中にあらずとも輝きを放つ。
「よし――やりましょうか」
エリカの一言で全員がそれぞれ目配せし、しゃんと背筋を伸ばして立ち上がる。疲労困憊してはいるが、訓練を通して叩き込まれた義務感は疲れた肉体を強引に駆動させた。等質であることを尊ぶ陸軍という組織において、ただ一つ結成されたスペシャリストの集団――若年ながら特殊部隊の誇りを胸に抱いた少女たちは、それぞれの戦場へと駆け出していった。
「……で、結局どうなった? 一通り見たところ、クソ溜めそのものって有様だが」
第七分隊に命令を伝えて戻ってきたリーアを出迎えたのは、窓ガラスの砕けた執務室を面倒そうに掃除しているベアトリクスだった。全くバカバカしい、といった表情のまま、彼女は吹き飛んだガラスを箒で集め、手早くゴミ箱に放り込んだ。
「……見ろよ全く、執務室の近くに噴進弾が落ちやがった。くそったれめ、仕事の道具なら陸軍省の予算で買えるが、気に入っていたティーカップは雑費でも落ちんときた」
「あら……」
「ついでに行っておくと、お前のカップも吹っ飛んで粉々だ。実家からこっそり持ってきた――何だっけ? あの高いやつ」
その一言に、リーアは呆れたように首を振った。
「ええ……《ボウカー》のティーセットですわね。量産品ですけど、今のわたくしの月給分くらいの値段はしますわね。それが粉々ですって?」
「ああ。見事に木っ端微塵だ――それで、見舞いの品がこれだ。しばらくはこれで茶を飲めと」
そう言って、ベアトリクスは国防色に染められた紙箱から薄いトタンで作られたマグカップを二つと、同じくトタンを加工しただけの金属製ポットを取り出した。陸軍省の紋章が押されている以外はごくありきたりな――市民が安価に手に入れることのできる、極めて簡易な道具だった。
「これが《ボウカー》の代わりですって?」
「ああそうだ。お前の最高級品の代わりに、酒保で買える一番安いのを持ってきてくれたぞ。二等兵が行軍で沢の水を沸かすときに使うやつだ。喜べ、一ヶ月使うと穴が開くそうだ」
「……後で需品科をシメておきますわ。それで――なんですって? 今の状況を聞きたいと?」
「ああそうだ。貴様が報告を持ってくると聞いてな。こっちはこっちで忙しい――情報を突き合わせて判断する余裕もなかった」
ベアトリクスがそう言うと、リーアは手にしていた報告書に視線を落とし、それを読み上げた。
「重軽傷者五十三名、うち学徒兵が四十名、残りは全て非戦闘員の軍属。死者が……二十二名。学徒兵と教官が合わせて十二名、警護部隊も十名戦死。学徒兵は、いずれも卒業を控えた騎兵学生とのこと……参りましたわね」
「……ユニコーン隊の損失は?」
ベアトリクスの瞳が鋭い光を帯びる。リーアは一瞬だけ報告書に視線を落とし、小さく頷いてから答えた。
「少なくとも、人員と軍馬については皆無ですわ」
「……それ以外は?」
「厩舎が全焼。それから、一部の備品に損失あり――小銃と槍だけは残りましたけど、馬具については回収できなかったものもありますわね」
「そいつは仕方がない。厩舎からユニコーンを出すだけで精一杯だったものでな。一匹残ったじゃじゃ馬と、そいつに最後まで付き合おうとした甘ちゃんお嬢様――いや、今となっては騎兵の鑑というべきか……」
「ブレイザー訓練生ですわね?」
リーアの言葉にベアトリクスは深々と頷きを返して、煤のついた天井を見上げた。今なお信じがたい――が、彼女が目にしたのは全てが事実であった。最高の能力を誇るユニコーンでありながら、あらゆるライダーを拒絶してきた《ブリッツ》に騎乗したアイリスの姿は、戦場を駆け抜ける戦女神そのものであった。
軍部による非道な実験によって心を閉ざしたユニコーンに騎乗した彼女は瞬く間に戦場を駆け抜け、多数の敵を瞬時に降伏に至らしめた。その過程で一人も殺すことなく任務を成し遂げたアイリスのおかげで、陸軍は相当数の捕虜を得ることに成功している。騎兵学校に焼き討ちをかけられ、相当な損失を出したのは事実である――が、それと同時に陸軍は十分な情報源と、捕虜という政治的なリソースを得ることに成功している。
(勝ちか負けかでいうなら負けだが……こちらも、一方的に損をしたわけではない)
相手に攻撃の機会を与えた時点で、既に陸軍側としては敗北したも同然である。だが、それはあくまで攻撃を未然に阻止できなかったインテリジェンスの敗北であり、戦術的、あるいは戦闘における敗北を意味してはいない。
敵は噴進弾を複数用意し、施設に対して壊滅的打撃を与えることを目論んだものの、復旧が可能な程度の損害に収まり、遊撃戦による人員の殺傷も不十分なまま、多数の兵員を失う、あるいは捕虜として捕らえられている。噴進弾による撹乱攻撃に続いて各所への破壊工作を目論んだところを陸軍に食いつかれ、予想以上に善戦した騎兵学生によって作戦は不完全なままに終わった――それが、敵側の現状であろうとベアトリクスは推理した。
(いくつか施設は焼かれた。だが、大きな収穫もあった――)
昨夜に目の当たりにしたアイリスと《ブリッツ》、そしてエリカと《シュトゥルム》の勇姿を思い返す。思いがけない実戦投入となったが、その威力がお飾りでないことは十分に明らかとなった。女子のみで構成された騎兵部隊――その運用に疑問を呈する声は少なからずあった。だが、実戦証明が明らかとなった今、風は確かに吹きつつあった。
(威力は十分――あとは、まともな練成期間を得られるように政治側に働きかけるだけだが……)
唯一の頼みの綱であった情報部とのコネクションは、ハーネルの死を境に途切れつつある。切れた糸を再び繋ぎ直すことの面倒さは、ベアトリクス自身も良く理解していた。彼女は暫し考え込んでいたが、やがて机上の将官名簿をしっかりと掴んでそれを開き、手元のメモ帳に今後の状況を打開しうる人物の名前を書き出していった。




